『Sweep! カーリング娘と雪女』
第十話




(十九)


 前半戦を終えて三対一と二点差を追う形で、後半戦となる第四エンドを迎える。
「だけど、次はこっちが先攻になるのか……。スチール出来ればいいけど」
 和子達にとっては、第一エンド以来の先攻だ。先攻で点を奪うスチールが決まらないと、相手の得点が上回っている状況では後が厳しくなる。
 一投目にハウスの中に入れたストーンを左右田に弾かれた後、空音は二投目を失敗した。思ったより滑りすぎ、ハウス上を突き抜けてバックラインを割ってしまったのだ。
「ちぇっ。またやってもうた」
 村の人達の声援に紛れるように、空音が顔を背けて舌打ちする。
 この後、左右田が二投目をハウスの手前に止めてきた。
 ゆかりが、このガードストーンをかいくぐってハウス内にいれると、すかさず次の山根のショットでテイクアウトされる。
「あのガードを一旦弾かないとダメみたいね」
 悔しげな声をあげたゆかりが、左右田の残したガードストーンをブラシで指し示す。
「けど、あの位置のを弾くと、ハウスにいれてしまいそうで」
「任せてください。押し出してみせますから」
 和子の懸念を吹き払うように、千雪が力強く言い切った。和子はしばし氷の状況と千雪のショットが持つパワーを考え、やがてうなずいた。
「……判った。お願いね」
 そしてその一投目で、千雪は見事相手ストーンをテイクアウトしただけでなく、自らのストーンをハウス前縁にいれてきた。
「やったぁ」
 期せずして和子達四人が声を揃えて歓声をあげる。
 しかし、『レディ・レックス』がそのまま引き下がるはずもない。テイクアウトを狙ってことごとく強烈なショットを打ち込んでくる。その破壊力はストーンを弾くだけでは勢いを失わず、自らもシートからはみだしてしまうほどだ。
 これは、『ヒット・アンド・ロール』と呼ばれる。充分なパワーがなければ、ショットしたストーンがその場に残ってしまうため、使いこなせない戦術だ。
 とうとうスキップが一投目ずつを終えた時点で、ハウス内にどちらのストーンも残っていない事態となった。
「なめられてるんだかなんだか」
 こうなってしまうと、和子達にはほぼ為す術がない。和子がハウス内に入れても、それを愛里のラストショットにテイクアウトされて、さらに投じたストーンをハウス内に残す『ヒット・アンド・ステイ』を決められたらそれまでだ。
「弾き出されても踏みとどまれるように、前のほうに、ぎりぎりに止めますか?」
 ハウス上で千雪に訊ねられた和子は、力無く首を振った。
「そんなに都合良く向こうは狙ってこないでしょ。その位置に置いたって、カムアラウンドで……、回り込んでティーにいれてくるだけだろうし」
 和子も場数を踏み、それなりの戦術判断を下せるようになっていた。
「それもそうですね。うっかりしていました」
 そう言って千雪が肩をすくめる。しかし千雪がそんな単純なことを見落としていたとも和子には思えない。むしろ、和子がスキップとしての戦術眼を養ってきていることを喜んでいるようにも見えた。
「かといって後ろぎりぎりにおいて相手のすっぽ抜けか共倒れを狙っても、ティーに止めてこられたんじゃ意味無し。だから、ティー寄りのちょっとだけ手前にドローするしかない」
「期待してるで、前の試合でみたいなミラクルショットを頼むわ」
 空音がにっと笑い、スウィープは任せてや、と親指を立てる。
 ピンポイントでこれから狙う位置を千雪にあらかじめ伝えて、和子はラストショットの準備に入った。
 手袋を脱いだ右手でハンドルを握って力を入れてストーンを傾け、左手でリンク表面を薄く覆うシャーベット状になったペブルをかき集めて、ストーンの底面に塗りつける。
 少しでも滑りを良くする為で、千雪に見せて貰ったオリンピック中継のビデオでは、日本代表チームの選手もやっていた。だが、どれほどの効果があるかは疑問も残る。おまじないのような感もあるが、和子は真剣だ。
 低く構え、一旦ストーンを引いて反動をつける。勢いよくハックを蹴り、するりとストーンと一緒に滑り出す。ホッグラインぎりぎり手前でハンドルから手を離し、その軌道を見守る。
 ゆるやかな回転のかかったストーンは、空音とゆかりのスウィープを受けてまさに狙った通りの位置に滑り込み、止まった。
「よっしゃ!」
 ブラシを放りあげそうな勢いで、空音が喜びをあらわにする。
 が、和子は半年間に及ぶ鍛錬の成果ともいえる渾心のショットにも素直に喜べない。
 愛里がラストショットで、さきほど和子が放ったストーンを回り込んでティーを狙うには、和子のストーンはティーに近すぎる。
 従って、相手がテイクアウトをしかけてくるのは和子の読みのうちなのだが、愛里にとってそれはさほど難しくないはずなのだ。
(相手のミスを祈るしかないなんて、悔しいな)
 ここで『レディ・レックス』に一点を奪われれば再び三点差になる。残り二エンドで追いつけるだろうか。
 愛里が放ったストーンがティーへと向かう。
 ハウス後方で待ちかまえる周防が息をのみ、それから慌て気味にスウィーパーにストップの指示を出す。和子も目を見開いた。
(ウエイトがかかりすぎてる……。強い)
 愛里のショットは和子のストーンにヒットしたが、真正面からではなく、斜めにかするような形になっていた。こうなると全ての運動エネルギーを相手ストーンに伝えることが出来ず、互いに弾きあう格好になる。二つのストーンは磁石の同じ極同士を向けあったように反発し、ともにハウス外へと滑り出ていた。
「助かった」
 愛里ほどの技量を持つカーラーでも、ミスはある。点差が変わらなかったことよりも、その事実に和子は胸をなで下ろす気分だった。
 が、ベンチに腰掛けて一息ついた和子の元にやってきた千雪の表情は冴えない。
「ちらっと向こうの会話が耳に入りました。どうも、逃げ切りに入るつもりのようです。愛里さんなら、それぐらいのことは考えると思います」
「ちぇ。まだ二エンド残ってるのに、二点差があれば充分ってことなんか。まったく、なめられてるわぁ」
 用意していたスポーツドリンクのペットボトルに直接口を付けて飲んでいた空音が、口元を拭きながら憤慨する。傍らで口をへの字にしながらそれを聞いていた和子が、ふとあることに気づく。
「そうか……。どっちも点が入らなかったから、また私たちが先攻なんだ。だとしたら仮に、次の第五エンドで私達がなんとか二点を挙げても、第六エンドはまた向こうが後攻になる。それも計算に入ってるはずよ」
 先攻なら相手に一点与えるにとどまれば上等、その次のエンドで確実に二点取る、というのがカーリングの勝敗を考える上での基本戦略だ。それほどにカーリングでは後攻の価値が大きい。
 両チームともに得点が挙げられなければ、先攻と後攻の入れ替わりはない。あえて点を取らないことで、『レディ・レックス』は後攻でありつづけるつもりなのかもしれない。
 後攻でただ一点を奪うことなど、彼女たちにとってはなんの造作もないのだろう。最終エンドで後攻をとるために、既に逆算が始まっているのだとしたら、脅威としかいいようがない。
「やっぱり、強いな」
 和子が、今更ながらの結論をため息混じりに漏らす。
「暗くならんでもええって。このあと二エンドで三点とれば勝ちやん」
 空音はどこまでも強気だ。いまはそれがなによりも頼もしい。いや、まだ和子を含め、誰一人としてあきらめてはいない。

 第五エンド。
 善戦はしている筈なのだが、実力ではやはり相手が上であることは認めざるを得ない。こうなってくると、まだ勢いの衰えない声援のなんと心強いことか。和子は涙が出るほどにありがたく思えた。
 とはいえ現実は厳しい。和子達は残り二エンドで三点奪わねば逆転出来ない。仮に二点とって同点で延長戦に持ち込んでも、第六エンドの得点チームが先攻になってしまう事を考えると、和子達にとっては難しい戦況が続くことになる。
(この第五エンドでまず二点奪って、第六エンドで一点をスチールするぐらいでいかないと勝てない)
 そんな思いを抱きながらの和子の指示を受けて、空音が先陣を切る。彼女の一投はハウスには届かず、やや左にずれる形で止まった。
「あかん」
 リンクを蹴りつけかねない勢いで空音が悔しがるのを横目に、和子は左右田の一投目を注視する。ミスをしろと願うわけではないが、ただでさえ後攻有利と言われるカーリングにあって、ここで絶妙な位置に決められたらこのエンドも失いかねない。
 左右田のストーンは、ぴたりとハウス前縁にとまる。見事なコントロールだった。
(さすがに、相手の自滅は期待できないか)
 和子は頭をふり、後ろ暗い願望を抱いた自分の弱気をふりほどこうとした。気分を入れ替え、ハウスに向き合う。
 和子は空音に対し、左右田のストーンをダイレクトに狙わず、フリーガードゾーンに止まる空音一投目にさらに左側からヒットさせる『レイズ』の指示を出した。
「おりゃあ!」
 殊更に大きな気合いを発して放った空音のショットは、勢い良く一投目にぶつかって重い音をたてた。ヒットされたストーンはずるずると滑ってティー付近に押し込まれた。
「いいよ!」
 和子は大きな声を挙げて、空音のショットを誉める。この試合、比較的ミスが多く出ていただけに、空音も親指を立てて喜色を浮かべる。
 左右田の二投目は、ガードの役割も果たしていた空音の二投目をシートの外まで弾き、自らは左へと針路を変えて留まった。
 和子達にとっては、ともかくナンバーワンである空音のストーンを死守するしかないのだが、同時にここは二点は欲しい。一点しか取れなければ、点差をつけたまま最終の第六エンドを先攻で迎えることになってしまう。
 悩んだ末に、和子はゆかりに向けて、ティー付近へと導く針路を示す。
「やっぱ、そう来ないとね」
 小さな声でゆかりは呟いて、左腕から攻撃的なショットを放った。
 やや左、二重円の内側の赤い円の外縁で止まる。位置はティーラインの真上だ。
「うまいっ」
 思わず和子が声をあげるほど、絶好の位置につけた。二つのストーンがティーラインに対してほぼ水平に並ぶこの配置だと、一投で両方を弾き出すダブルテイクアウトは理論上ほぼ不可能になる。
 もちろん、『レディ・レックス』が――愛里が指をくわえてみているはずもない。セカンドの山根が一投目でナンバーワンを弾いてきた。そこをゆかりの二投目で奪い返す。
 中央の攻防の結果、今のナンバーワンはゆかりの二投目だ。しかしこのストーンはティーからやや奥に入り、二重縁の内側の円に半分乗っている。ダイレクトにティーを狙うラインはがらあきなこともあり、とても安心できるものではない。
 山根の二投目。テイクアウトではなく、ストーンに触れる位置で止まるフリーズを仕掛けてきた。ゆかりのナンバーワンを足場がわりにして勢いを止め、ぴたりとティーの奥ぎりぎりにつける。これでナンバーワンは『レディ・レックス』に移る。
「イヤらしいやり方ね」
 ゆかりが眉を寄せて吐き捨てた。
 それだけこの手が有効だと認めざるを得ない状況になっていた。後ろにあるゆかりのストーンが邪魔になり、山根のナンバーワンをテイクアウトするのが非常に難しいのだ。
 状況を打開するには、二つのストーンごと、力任せに押し込むしかない。
「コントロールできる限りの最大ウェイトでお願い」
 和子の指示に、千雪は口元を引き締めてうなずく。四人の中でもっとも威力のあるショットが使えるのは千雪だ。ここは彼女のパワーに賭けるしかない。
 反動をつけて力強くハックを蹴って身体を押し出した千雪が、ストーンのハンドルからすっと手を離す。求められるのは足腰の力だ。どんなにパワーが欲しくても、腕力で押し出すような真似をしては絶対に狙ったところに滑ってくれない。
「マッハでいくでぇ!」
「言われなくてもっ」
 空音とゆかりが声をかけあい、クロスステップで滑りながらストーンの針路前方を力強く磨き上げていく。
 勢いを衰えさせることなくハウス内に突進してきたストーンが、狙い通りにナンバーワンに命中する。ごつりと鈍い音をたてて、二つのストーンがじわりと押し込まれる。
「どう?」
 空音とゆかりが声を揃えてハウスの和子に聞いてくる。
「ぎりちょんだけど、こっちがナンバーワンを取ったわ」
 和子は空音の口調を真似て、さらに親指を立ててみせた。
「よっしゃ」空音が自分の掌に拳を打ち付ける。
「まだ喜ぶのは早いですよ」
 和子達に水を差すように声をかけてきたのは、周防だった。
「なっ」
「負けませんから。私達。初島先輩は返していただきます」
 強気に言い放つが、その表情は強ばり、青ざめている。
「やれるもんならね」
 気合いで負けてたまるか。和子は腹に力を入れて、まっすぐに周防の顔を見据えた。
 にらみ合いはほんの数瞬だった。先に顔を逸らしたのは周防だった。もっとも、和子に気圧された訳ではない。単に、ショットの順番が回ってきただけの話だ。
(なんだかんだ言って、あのコも巧いからなぁ。指示されたとおりのところにぴったりと決めてくるし……。今度は、どんな手を使ってくるんだろう)
 和子が見つめる中、愛里が示した狙いはやはりナンバーワンを叩くショットだった。ただし、アウトターンをかけてフック気味に滑り込ませるラインを指している。
 指示にうなずいた周防がショットした。
「ん?」
 和子の口から、思わず声が出てしまう。
 周防のショットは回転は充分なのだが勢いが足りない。
 結果、フックの曲率が大きすぎた。明らかなミスショットだ。ハウスには入ってきたものの、千雪のナンバーワンをガードするような位置に滑り込んでしまった。
「ああっ」
 ホッグライン付近でうずくまったまま、周防が声をもらす。その後ろにいた千雪が表情を変えたが、ハウスの状況に気を取られている和子は気づかなかった。
(次が厳しいけど、ここは一点でも仕方ないか……)
 ティー近辺の配置を見下ろし、和子はため息をつきながらそう結論づける。
 ぎりぎりでティーに身体を乗せているナンバーワンの背中に張り付く形で、『レディ・レックス』のストーンが止まっている。さらにその後ろにゆかりのストーンもあって団子状態になっている。
 これより内側にストーンを置く為にはナンバーワンの手前にフリーズさせねばならないが、その為には、さきほど周防が滑らせたストーンが邪魔だ。
 無理してナンバーワンを動かすような真似をすれば、最後にひっくり返されかねない。
「ここはガードして一点を獲りに行きたいんだけど、どう思う?」
 和子は皆を集め、意見を聞いた。最終的な判断は自分が下すにしろ、意思は統一しておきたい。
「ま、こういう配置やったらなあ」
「確かに、仕方ないけど……」 
 空音とゆかりは渋々といった調子でうなずいた。
「千雪は?」
「……え、あ、はい。それでいきましょう」
 千雪の返事がワンテンポずれたことを、和子はいぶかった。
「なにかあるの?」
「いえ。ただ、周防さんの様子が普通じゃなかったもので。周防さんはリザーブが長かったので、大舞台には慣れていないと思います。恐らく、こんなプレッシャーを感じる試合は初めての経験なのでしょう」
 和子は気取られないよう、そっと首を巡らせて周防の様子をうかがう。これまでは気づかなかったが、確かに時おり肩で息をするようなそぶりを見せる。
「単に疲れてるって訳じゃないよね」
「ま、こんだけの人間を敵に回してると思ったら、たいていは萎えるで。平気な顔しとる他の三人のほうが普通やない」
「なんだか、可哀想ね」
 ゆかりが辛そうに愛里達の表情を伺う。
「ですが、これが勝負なのです。情けは無用です。まずはこのエンドで一点奪いましょう。話はそれからです」
 そう言う千雪の表情が、四人の中で誰よりも痛々しい。
「その通りよ。真正面から戦って勝てる相手じゃないことを忘れないでね」
 自分の策が奏功しつつあるとはいえ、あまりにやりきれない。言葉の上では非情になりつつも、和子は後ろ髪を引かれる思いでハウスへと戻った。
 この後、千雪の放ったストーンがガードとなり、和子だけでなく、愛里のショットもティーまで近づけさせなかった。
 これでどうにか和子達は一点を奪い、スコアは三対二。一点差で最終の第六エンドへと勝負はもつれこんだ。
「これって凄いことだよね、きっと」
 スコアボードを前に、和子は自分達を誉めてやりたい気分になる。
 長野県一部リーグ準優勝チームとほぼ互角に渡り合っている。四月からの半年間、とくに後半の三ヶ月間、どこに出しても恥ずかしくないほどに練習を積んできた成果だ。
 だが、それで満足している訳にはいかない。次のエンドで、先攻でありながら二点をスチールしなければ勝てないのだ。

 運命の最終第六エンド。
 点差が縮まり、応援は俄然盛り上がっている。
 誰もが震え上がってしまうような厳しい状況にあって、空音が図太い精神力を発揮した。ハウス内、ティーからやや左にずれた手前にぴたりととめてくる。
 続く左右田の一投目は、ティーの真上に滑り込んでナンバーワンとなった。が、これを空音の次のショットで弾き出せば勝機はまだ残る。
「なんてハイレベルな戦いなんだろ」
 怖いばかりではない。ぎりぎりの勝負は、ぞくぞくするほどに楽しい。
(毎日気の済むまで練習できる環境なんて日本には恐らくどこにもない。だとしたら、練習量にかけては私たちは全国屈指の存在かもしれない。だったらその技量だって……)
 和子は自信をもって、ナンバーワンのテイクアウトを空音に指示する。
 空音のストーンは、ゆかりと千雪のスウィーピングを受けて針路を安定させ、正確にナンバーワンを叩いた。『レディ・レックス』のストーンはバックラインこそ割らなかったが、ハウスの後縁ぎりぎりまで滑り出る。
 これによりナンバーワンは入れ替わり、和子達が二点を奪える体勢となった。もっとも、両チームともまだまだこのエンドのショットは残っている。
 左右田の二投目は、わずかに右に外れた。ウエイトもかからず、スウィープを最後まで続けたにも関わらず、かろうじてハウス内に届いたところでとまった。
(ここに来て向こうにミスが出た。けど、致命的なものじゃない……)
 ゆかりの一投目は、ナンバーワンに対するガードを意図したものだ。が、氷の目に邪魔をされ、思ったように曲がってこない。
 左右田二投目をかすめたストーンは、センターライン手前に縁がかかる程度にずれたところでとまる。
 これでは、並のチームが相手ならばともかく、アウトターンでティーを狙う意図を防ぐほどの効果が期待できない。
 案の定、山根は一投目を時計回りのインターンでショットし、ナンバーワンのテイクアウトを計ってきた。
 愛里が、ストーンの速さを見計らいながら、スウィープを急ぐよう指示を飛ばした。ストーンが弧を描きながらティーへと勢いよく突っ込んでくる。
 結果、これまでのナンバーワンである、空音二投目のストーンを叩くことになった。
 さらに山根のストーンはその場に留まったので、ナンバーワンを奪われる。
「さすが『神の視点』。こっちのわずかな隙も見逃さない」
 ゆかりは妙に感心した口調だった。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」
「まあ、確かに。アタシはさっき空音のストーンを弾いたアレを弾き出したいけど、どうかな?」
 ゆかりがブラシでストーンを示しながら和子に問う。
「いいわ。ちょっと狙うラインが厳しいけど、いけそう?」
「やってみせるわ」
 不敵な言葉通り、ゆかりが放ったストーンは、山根が放ったばかりの一投目にヒットした。しかし、パワーがやや足りず、わずかに押しただけの格好になる。
 ほんの数センチ差で、ナンバーワンはレディ・レックス』のストーンのままだった。
 対する山根の二投目は、ゆかり一投目のガードにあたって跳ねかえった。二つともサイドエンドを割らず、シート上に踏みとどまっている。
「このままじゃ、負ける」
 和子の口から、うめくようなつぶやきが漏れた。
 手袋をした手の指先の感覚が、緊張でおぼつかなくなってくる。
 最悪でも、ナンバーワンさえ死守すれば延長にもちこめるのだが、ハウスの手前に散らばるストーンがラインをふさぎ始めており、ティーへとストーンを送り込むことすら難しくなってきている。
 とにかく、なんとかこの状況をひっくり返さなければいけない。
 千雪のショットで、なんとかレイズさせようとするが、ガードに阻まれ、うまくいかない。
 それに対する周防のショットは慎重なものだった。
 下手にティー付近にストーンを送り込むと、数センチ差の位置関係を崩してナンバーワンが変わる可能性がある。第一、彼女たちは無理をする必要はないのだ。ハウス手前でガードを固めてくるのは妥当な戦術だった。
 大舞台での試合経験が少ない周防は完全に空気に呑まれて、ひとり呼気を荒くしているようだった。愛里が指し示した場所から微妙にずれたところにストーンがとまる。
 が、ハウス内でのせめぎ合いを避けるショットだけに、和子達にそのミスにつけ込む機会は訪れなかった。
 ぎりぎりの精度を求められる状況でなかったことに、周防は胸をなで下ろしている様子だった。
 サードの二投ずつでは戦況は動かず、いよいよスキップ対決となった。
(こうなったら、わたしがなんとかしなきゃ)
 和子もまた、ガードををかすめるように、カムアラウンドでストーンを滑らせる。しかし、回転が充分にかからず、ガードにあたって弾きあうだけに終わった。
「あー。惜しい」
 空音が地団駄踏んで悔しがる。
 愛里の一投目は、当然ガードを固めてくるショットだ。
 が、ここでストーンは周防が指示した位置とは異なる場所へとスライドしていく。
「あれっ?」
 左右田と山根が一生懸命にスウィープして軌道を戻そうとするが、一度ずれてしまうと修正は効かなかった。
「どうして……」
 和子は呟きながらも、理由は察していた。
 第六エンドともなってくると、リンク上もかなり荒れて来ている。氷の目を読まなければ狙いがずれてしまうのだ。
 愛里のストーンは別のガードにこつんと当たって、微妙に位置を動かしただけで終わる。
 それを見て、愛里の表情が一瞬だが明らかに強ばった。
 この土壇場とはいえ、和子の目にそれは奇妙なものとして映った。
(確かにミスだったかも知れないけど、そんな顔しなきゃいけないようなことかな)
 よほどの完璧主義なんだろうか、と首を傾げながらハウスをにらむ。
 ふと、この不利な戦況をどこかで前に見たことがあるような気がした。
 それと同時に、光を放つラインが微妙にカーブしながらティーとホッグラインとを結ぶイメージが脳裏にはっきりと描かれ、和子は息をのんだ。
「もしかして、これって……」
 和子は気づいた。これは、愛里達と初めて対戦した時、最後のショットを放つ前に感じたのと同じイメージだ。現実のストーンの配置も、敵味方の違いこそあれ、きわめて似たものになっている。
 ガードをかわしてティーを直撃できるラインが、先ほどの愛里のミスショットによって偶然開いていたのだ。
 愛里の苦々しげな表情は、和子よりさきにこのラインに気づいたからに違いない。
 初対戦の時の状況と同じく、数センチ単位での精度が要求される難しいラインだ。現に、前回は愛里はわざと放置していた。直接確かめたわけではないが、これまでの試合運びから考えて、間違いのないところだろう。
(でも、今のわたしのショットの精度なら、狙うことも可能だと思われてるんだ。だからあんな顔をしたんだ、きっと)
 自分の力量を認めてもらったような気がして、和子は場違いにも胸が躍るような心地良い思いを味わっていた。 
 それから和子は内心の興奮を抑えながら、ハウスの手前に三人を集めた。
「どや、狙ってこられそうか?」
 空音が不安げに尋ねてくる。
「普通なら無理っぽいけど、向こうがチャンスをくれたわ。やれる」
 和子は自分の思い描くラインを指し示した。
「どうかな?」
 説明し終えた後に、和子は千雪に採点してもらいたげに首を傾けてみせる。
「それしかないでしょう。……普通なら考慮から最初に除外してしまうような難しいラインですけど。もう、わたくしが教えることは何も無いのかも知れませんね」
 千雪が和子の成長を喜ぶかのように感慨深げに目を細める。それをみてゆかりが眉間にしわを寄せる。
「ちょっと。勝手に自己満足して終わらないで。和子、絶対に決めてよね」 
「ま、ここまで来たんや。失敗しても誰も責めへん」
 空音の場違いなまでの明るい声に、息の詰まるような空気が緩んだ。
「ショットする前からそんなこと言わないでよ。わたしは本気で決めにいくんだからね。さ、頼むわよ」
 苦笑しながら和子は皆に定位置につくよう促し、自らもハックへと戻る。
 短距離走の選手のクラウチングスタートのようにハックに足をかけ、顔を上げた。
 空音が、ゆかりが、そして千雪が自分を見ている。みんな大事な仲間。そして、この一投が、わたし達の未来を決める。これをこのチーム最後のショットになんてしたくない。
 ストーンの重みに任せて反動をつけてからハックを蹴る。そしてストーンと一体となって滑りながら、ふわりとハンドルを離す。
 ゆるやかな回転のかかったストーンは、空音とゆかりのスウィープを受け、千雪の待つハウスへと進む。
 ショットの指示を出すスキップと、二人のスウィーパーの存在無くしては、ただの一投さえも狙ったところにストーンを送り込めない。それがカーリングというスポーツだ。かつて『レディ・レックス』の不破コーチがそう話していた通りの思いを、和子は今まさに実感していた。
 ただ石を滑らせてぶつけるだけの遊びに、どうしてそこまで熱中できるのかしら。もっと他にも、華やかで魅力あるスポーツはいくらでもあるんじゃないの?
 クラスメイトからその手の言葉を聞いたのは一度や二度ではないし、時に和子自身もそう思わないでもなかった。
 だが今、和子は確信していた。たとえどんなに見栄えがしなくても、このスポーツは捨てたもんじゃない。カーリングはただの石遊びなんかじゃないわ。
 和子のショットは思い描いた通りの光り輝くラインの上を走り、ガードストーンをミリ単位でかすめ、ハウス内へと入り、ゆかり二投目のストーンに正確にヒットする。
 そして、このストーンをわずかに押し込んだところで止まった。
 ゆかりのストーンがナンバーワンを奪い、さらに和子のストーンが得点となる形になる。
「やった……」
 まさに、これまでの練習の成果が結実した、会心の一投だった。誰彼かまわず抱き合って喜びを分かち合いたいとさえ思う。
 だがそれは、和子達が後攻であればの話だ。
 ラストショットは『レディ・レックス』のスキップ・愛里の手にあるのだ。さきほどの和子のショットと同じラインを用いればティーに直接ストーンを送り込める。ティーの後ろにストーンが団子状態になっているが、和子達のストーン二つを同時にはじき出すことも不可能ではない。
(でもまだ、ミスショットを願う以外になにも出来なくなった訳じゃない)
 和子はうつむくことなく唇を真一文字に結び、ハウスで愛里のショットを待つ周防の後ろで構えた。
 ティーラインを超えて動いているストーンに対しては、相手チームの攻撃中であってもスキップだけはスウィープが認められている。
 例えこちらのナンバーワンが弾かれても、相手ストーンを少しでも滑らせることで同点でしのげるかも知れない。
 だから、望みは最後まで捨てない。その決意を込め、挙動を探るように周防の背中を見る。小刻みに震えているのがはっきりと見て取れた。プレッシャーに耐えかねているのか、それともこのぎりぎりの戦況に武者震いしているのか。和子には判断すべき材料がない。
「負けない……」
 言い聞かせるように呟いた和子は、ブラシの柄を強く握りしめた。
 愛里が渾心の一投を静かに放つ。
 スウィープを受け、さきほど和子がラインをなぞり、氷の目も計算に入れてスライドさせ、狙いあやまたずにティーへと向かってくる。
(やられる……)
 スウィーピングさえ間違わなければ、弧を描いて滑り込んできたストーンが、ティーに陣取るこちらのナンバーワンを弾き出す。その光景を和子はありありと思い浮かべることができた。和子は目を閉じてしまいたくなる衝動に歯を食いしばって耐えた。
 そして、見た。
「あっ……」
 悲鳴ともため息ともつかぬ周防の声がどこか遠くで聞こえた。
 愛里のストーンは、曲がりきれずにガードのストーンにわずかに接触し、角度を変えてバックラインへとすっぽ抜けていった。
 必殺のストーンは、ティー目前というところで、荒れた氷の表面によってイレギュラーな軌道を見せたのだ。
 ティーに近い側に残るのは和子達のストーンが二つ。
 トータルのスコアは四対三。和子達の逆転勝ちだった。
 観客席に詰めかけた淡海村の住民や淡海学園の生徒達から、アリーナそのものが振動するほどの歓声が爆発する。
「よっしゃあ!」
 空音とゆかりが手を取り合って躍り上がっている。
「これで二点……。勝った」
 和子はそう声を漏らすや、リンク上にへたり込んでしまった。が、やがて同じような姿勢で放心している周防の姿に気づいた。
「わたしが、きっちりガードを固めるショットを決められなかったから、こんな……」
 うわごとのようにそう呟く周防の元に和子は歩み寄り、手袋を外して右手を差し出した。周防は言葉もなく、和子の顔と右手とを交互に不思議そうに見あげた。
「いい試合だったと思う。楽しかった」
 泣き顔を隠そうともしないまま、周防も手袋を脱いで右手をそろそろと伸ばし、和子と握手する。想像以上にひんやりとした感触が和子の手に伝わってきた。
「よいしょ」
 和子は声を出して握った手を強く引っ張り、足に力が入っていない周防を立たせる。
「まったく、『神の視点』だなんて持ち上げられていい気になっていたけど、まだまだね。最後の最後でツキがどっかに行っちゃうし。……でも、そうね、完敗よ。スキップのショットの精度が、最後の最後ではあなた達が上回っていたんだからね。良く鍛えたわね」
 脱帽するような仕草を見せて近づいてくる愛里の言葉に、千雪は笑顔で首を振る。
「わたくしが鍛えた訳ではないのです。むしろ、わたくしのほうが皆さんの頑張りに引っ張られてきました」
「そう。油断したつもりはなかったんだけどね……。ホンモノのカーリングの神様は、あなた達に味方したかったのかしら。とにかく、おめでとうを言わせてもらうわ。いい仲間に出会えて良かったわね」
 千雪を取り戻せない事がくやしくない筈がない。愛里の目尻には涙が光っている。それでも懸命に笑顔を作ろうとしている様に、向かい合う千雪も感極まった様子で愛里の手をとった。
「これからも、お友達でいていただけますか?」
「当たり前よ。どんなに離れてても、……あなたは私の一番の親友よ」
 愛里は叫ぶように言って、千雪の背中に手を回して力強くだきしめた。二人の手から相次いでブラシが離れ、リンクの上に音を立てて転がる。
「長野から、私はこれからもずっと千雪のことを想ってる。私達が応援してるってことを忘れないで頂戴。全国大会に来なさい。私達は、必ずそこであなた達を待っているから」
「こちらこそ、お手柔らかにお願いします」
 互いの耳元でささやきあって身体を離した愛里は、得意満面の空音と目があった。
 涙を拭き、真剣な面もちで睨みつけようとした愛里だが、やがてこらえきれなくなったのか肩を震わせて笑い出した。
「まったく、してやられたわ! アウェーのハンディがここまであるとはね。覚えてなさいよ、次は絶対に負けないから」
「おう、こっちはまだ強くなる余地がなんぼでもあるんや。じきに実力でも上回ってみせたるわ」
 鼻息も荒く空音が言い返す。その後は互いの健闘をたたえ合い、握手と抱擁の応酬となった。
 歓声はまだ鳴りやまない。

(二十)


 日曜日。
 試合から一夜明けても、快晴は続いていた。季節こそ違え、和子が初めて千雪と出会った時を思い起こさせる、そんな穏やかな日差しが降り注いでいた。
「もう、なんでいちいちこんなところにまで上がらないといけないのよ」
 ぶつくさ言う和子の腕を空音が掴み、アリーナの屋上へと強引に引っ張り上げる。
「こっからのほうがよく見えるんや」
「見送りなら、さっきちゃんとしたじゃないの」
「ええやんか、これぐらい」
 空音は走り去るミニバンに向かって大きく手を振った。仕方なく和子もそれにならう。
 それに対するリアクションがあったのかどうか、和子の目にはよく判らなかった。
「行っちゃったね。けど、これで良かったのかな」
 千雪が髪を切ってまで再戦を望み、結果として勝った。『レディ・レックス』は誰よりも頼りになるメンバーを一人欠いたままリーグ戦に挑むことになる。
 自分達にとっては千雪が残ってくれて万々歳なのだが、日本のカーリング全体の発展を考えると、これはとんでもない地域エゴに過ぎないのではないか、和子にはそんな気がしてならないのだった。
「それは今の段階では答えはでえへん。ウチらがきっちり全国大会にいけるだけの力をつけたら、千雪がおって良かったなぁ、って話になるんやから」
「へぇ、珍しくまともな意見を言うじゃない」
「珍しくは余計や」
「おーい、二人とも早く降りてきなさいよ。いい話があるから」
 地上で、ゆかりがぶんぶんと手を振って和子と空音を呼んでいた。
「なんだろ、いい話って」
「行ってみよ」
 顔を見合わせた二人は、いぶかりながらハシゴを伝って降りると、高野村長と千雪が駐車場を横切って並んで歩いてくるのが見えた。
「あ、村長さんや」
「君から教えてあげなさい」
 高野村長に促され、傍らの千雪が和子達の前に出た。
「はい。この度、わたくし達淡海学園女子カーリング部は西日本大会への参加が認められました! わたくし達四人が、淡海村の代表です」
 千雪が喜びを抑えきれず、弾むような声をあげた。
 リーグ戦など望むべくもない淡海村にあっては、これが初めての公式戦という事になる。西日本大会で好成績を残せば、そのまま全国大会への道が開ける。愛里達と公式戦で再度戦うことが出来るのだ。さらにそこでの戦いぶり次第では、国際大会やオリンピックも決して夢ではない。
「おー、そらすごい」空音が感嘆の声をあげた。
「これで、和子の野望にまた一歩近づいたわけよね」
 ゆかりが楽しげな表情を和子に向ける。
「うう。いいわ、その通りよ。どこまでも行ってやりますとも!」
 やけのように叫んで、和子は皆でハイタッチを交わしあった。
「長野の強豪を破った実力を、村の誰も疑いはせんよって。いまさら村の中で予選をすることもあるまい。これからは村の代表として頑張ってもらわんといかんで」
 高野村長は好々爺の面もちで付け加える。
「千雪がいるから大丈夫だよ、ねっ?」
「わたくしは、皆様と一緒でしたら、なにも問題ないと思っておりますわ」
 和子に話を振られた千雪は、確信に満ちた面もちで言い切った。
「よっしゃ。全国大会まで行って、またアイツらをボコボコにしたろやないか。淡海村の代表どころか、日本代表になったるわ! 行こうや、みんなで!」
「オーッ!」
 気勢を上げた空音に続いて、和子達は拳を晴れた空に向かって突き上げた。

おわり


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