最終更新日3月11日

 竜騎奮迅


 第一話





(1)


 円形闘技場の観客席を埋め尽くした数万の観衆が放つ熱気とは裏腹の、冷たい風が吹き抜け、エストニカ王国准竜士・ライアット=ベラルハールは、褐色の愛竜・レゾルーソの背にまたがったまま小さく身震いした。
 時に、陽暦五九五年・四月上週。
 リムギア大陸南西に位置するリフィベル島は、暦の上では既に春を迎えている。が、ライアットは決して季節はずれの薄着のせいで震えた訳ではない。
 それどころか、ベラルハール家の紋章である『紺地黄金四ツ菱鱗』を胸に記した渋色の皮鎧の下に、空にあがった時に備えて綿が詰められた分厚い飛行装束を着込んでいる。
 さらに、今は兜の上に跳ね上げている面覆いを、空にあがる時には降ろす。それでも、視界を確保する隙間から吹き込む風の凍り付くような冷たさを、つい想像してしまったのだ。
 その想像力を自分の落ち着きの表れと思いこむよう努力しながら、ライアットは深呼吸を繰り返した。首の巻布を口元までたくしあげているせいで、その表情は外からは伺い知れないが、瞳は全てを射通すような、鋭く静かな光をたたえている。
 竜騎槍試合は、これまで幾度となく経験している。強豪とも槍を交え、そのことごとくを打ち倒してきた。少なからぬ数の実戦をくぐり抜け、数百の将兵を死傷させてきた事を思えば、今更怖れを抱く必要など無いようにも思える。
 だがこれから挑もうとしているのは、ただの試合ではなかった。
 今から三年前に、長き戦乱の末にリフィベル島全土を版図に収めたエストニカ王国が、各地で予選を実施した後に年に一度開催する第二回目の全国大会、その決勝戦だった。
 優勝者に与えられるのは栄誉や賞金だけではない。正竜士の位と、エストニカ南東部の街・バグナドの領有権、そして現国王の姪にあたるメシュリーナ姫をも、その手中に収めることが出来るのだ。
 自らが経営する土地を持たず、わずかな俸禄だけで国王や正竜士に仕えるライアットのような准竜士達にとっては、どちらも目もくらむような価値のある報償であった。
 それだけに地方での予選から、戦いは熾烈を極めた。幾人もの前途ある筈の竜士達が命を落としている。
 そのことを、ライアットは愚かしいことだとは思わない。
 彼は正竜士の座が欲しかった。
 確かに、あの美しいメシュリーナ姫を妻に出来るのなら素晴らしいことだ、とは思わなくもない。ライアットはほんの一瞬、検分席にいるメシュリーナの姿を目だけで探し求めていた。
 エストニカ国王直率の竜士隊に所属するライアットは、何度か彼女と顔を会わす機会があった。言葉を交わしたことも数度ある。
 長きに渡ったリフィベル島統一の戦乱、その遺風を未だ色濃く残すエストニカ王国の一族でありながら、メシュリーナ姫にはその悲壮さはみじんも受け継がれていない。
 ひたすらにたおやかで、はかなげな存在。それでいて彼女は、勇敢な竜士達の戦いぶりを観る事を好んだ。竜士達の誰もが、彼女をその腕に抱くことを望んだ。ライアットも例外ではない。
 純粋な恋心とは言い切れないだろう。彼にとってはひとりの女性に対する思い以上に、王族の血筋である彼女を手に入れることで出世につながるとの思惑のほうが強いかも知れないのだ。
 浅はかな考え方だと、充分承知していた。
 戦乱が過ぎ去ってもなお、槍働きによって立身出世を望むのが本能のように身体に染みついている。それ以外を基準とした生き方を知らないというべきか。
 そう自嘲する反面、いくら他人にそしられたとしても、気にするつもりもなかった。
 それがかつては、リムギア大陸東部に武名を轟かせたフェテリア竜士隊随一の猛者と称えられたライアットの生き方だからだ。
 検分席のメシュリーナ姫が、ライアットの視線に気づいたかのように顔を向けた。髪を高く結い上げ、ほっそりとしたうなじが露わになっている。抜けるような白い肌が、緋色のドレスと好対照になって目に映える。
 メシュリーナはライアットに向かって小さく手を振り、微笑んだ。ライアットは意味もなく大きく頷き返していた。

「貴方ほどの勇者を我が国の陣営に迎えられたこと、これに優る喜びはありませんわ」
 メシュリーナ姫にそう声をかけられたのはいつの日だったか。
 彼女のことを思うとき、いつもその言葉がライアットの脳裏に鮮やかに蘇る。
 流浪の生活の末にようやくエストニカ王国に仕官が叶ったものの、ライアットは右も左も判らぬ竜士隊の中、鬱々とした日々を過ごしていた。
 古株の竜士はおろか、同時期に仕官を果たした元浪人ですら、ライアットの存在を避けていた。誰もが彼の武名を畏れ、同時にねたんでいた。
 話し相手すらいないライアットの元に何故メシュリーナ姫がわざわざやってきてそんな言葉をかけたのか。彼女に限っては、裏に隠された意図などありえない。どこまでも無邪気で純真な女性だと、ライアットは信じている。
 その立ち振る舞いはあくまでも気高く、それでいて竜士達に接するときは気さくな物腰で誰を相手にしてもすぐうち解けてしまう。それが、ライアットに対しても例外ではなかったという事だ。
「ライアット殿の故郷は既に失われてしまったとか。おいたわしい事でございます」
 身の上を聞き、メシュリーナ姫は我が事のように悲しげに目を伏せたので、却ってライアットのほうが恐縮して、彼女を励まさねばならなかった。
 それ以来、メシュリーナ姫はなんどか竜士の待機所へと顔を出し、ライアットと言葉をかわすようになった。
 恋心とはっきり言い切れるほどに思いが募っている訳ではない。だが、彼女を他の誰にも渡したくない、という気持ちはライアットの中ではっきりと形を成していた。

「……御大将!」
 かすかに震えの混じった緊張した声に、ライアットは感慨を断ち切った。
 足元を見下ろせば、ライアットにとってただ一人の従者であるフィレル=テホが全身全霊の力を込めて、ようやく竜騎槍の柄を胸の高さまで苦労して持ち上げたところだった。円錐状に伸びる槍の先端は地面についたままだ。
 ライアットの扱う竜騎槍は、フィレルのような女性の身には、いささか持て余す重量のある代物だった。ましてやフィレルはライアットの従者とはいえ武人ではなく、竜騎槍試合の際に竜士に付くことが許される魔法士であった。ライアットも腕力に期待して彼女を従者としている訳ではない。
「苦労」
 ライアットは一声かけ、フィレルが掲げる竜騎槍の柄を、鞍から身体を乗り出すようにして受け取った。そして、右手一本で軽々と持ち上げ、しごきをくれた。
「ご武運をお祈りいたします」
 ライアットの槍さばきは、あまりにも軽々と扱うために、却っていささか舞踊じみてさえ見えた。が、その所作はぴたりと決まっている。ほれぼれとしていたフィレルが、思わずうわずった声をあげた。
 フィレルは、リムギア大陸南方のジスチャード諸島生まれの血を引く。とはいえ彼女自身は諸島からリムギア大陸に渡ってきた両親から生まれた為、諸島に足を踏み入れたことは一度もない。
 ジスチャード諸島の住人は男女共に小柄ではあるが、男は生まれながらに剽悍な戦士であり、女は魔法士としての素質に優れることで知られている。もっとも、国家としての性格は穏和かつ保守的で、リムギア大陸やリフィベル島に渡ってくる者はごく少数だ。
 いかなるいきさつがあったのか既にライアットにも判らなくなっているが、彼女の両親は共に、フェテリアの正竜士であったライアットの父の代から、ベラルハール家に従者として仕えている。
 御大将、という呼び名はその時の名残だった。一介の准竜士に過ぎない今のライアットは大将でもなんでもないのだが、フィレルは頑としてこの呼び方だけは改めようとしない。
「判っている。苦労に報いることが出来るとするならば、せめて勝つ以外にないからな」
 厳しい表情で槍をしごいていたライアットが、つり上げていた目の端をわずかに下げた。
「私のことなど、お気になされませぬよう。御大将あっての私ですから」
「相変わらずだな」
 ライアットはいったん竜騎槍を左手に持つと、柄の根元に結ばれた細い綱を自分の右掌に巻き付け、再度右手に持ち直した。これは、空中で槍を落とした場合には失格となる為、その予防策であった。
 竜士の中には手首ごと竜騎槍を縛り付けてしまう者もいるが、これは却って危険な行為であった。相手に槍を突き入れる際の衝撃は並大抵のものではなく、衝撃を吸収しそこねた場合、攻撃した側の手首の骨が砕けることすらある。
 どちらにしろ、片手に固定してしまえば、槍を左手に持ち替えて振り抜くという手は使いづらくなる。
 竜騎槍試合では、常に正面から行き会って、すれ違い様に攻撃を加える。
 背後からの攻撃は反則とされる。そう規制しなければ、どうしても絶対的な優位に立てる背後を互いに取り合うような飛び方を余儀なくされる。それでは犬の喧嘩のようなもので、竜士としての誇りに関わるというのがその理由であった。
 攻撃には、基本的に二通りしかない。突くか、薙ぐかのどちらかである。
 原則的には相手の竜士の胴に突きをいれることを目的としている。刺突用の武器である竜騎槍を長刀のように振り回すのはいささか変則的な攻撃とされていて、そもそもあまり用いられない。
 乗竜の翼を叩いてしまう恐れもある上、一つには、重く、長い槍を右手一本で正確に旋回させるのが困難という理由もあった。相手を右手側に見ながら行き会うことになるため、右手で槍をもって振り抜く姿勢は窮屈なものとなり、打撃力もそれほど期待できないからだ。
 正面からの攻撃以外に、例外的な攻撃法として、互いにすれ違った直後に相手の背中を槍で薙ぐのは有効とされていた。実際には、相手の背中に攻撃を入れるためには、すれ違う通常の間合いで攻撃を繰り出す暇はない。相手の攻撃を凌ぎ、その上で反撃を入れるには相当の技量が必要となる。
 いずれにせよ、薙ぐことを考える竜士はあまりいないのだが、ライアットはその例外だった。彼の剛力ぶりは、かつて彼が仕えたフェテリア王国が新興のザエリアム連邦によって滅ぼされた一連の戦役においても、ザエリアムの将士にすら『フェテリア随一の強者』と賞賛されたほどだった。
 相手の強烈な突きを紙一重でかわし、同時に右手一本で振り抜いた竜騎槍の横腹で相手の竜士を叩きのめすという戦法で、ライアットはエストニカの全国大会、その決勝にまで勝ちあがってきたのだ。

 ライアットは再び大きく息を吐き、闘技場の向かいで、彼と同じく装具を整えた対戦相手の姿を目に留めた。漆黒の鎧に身を固め、身じろぎ一つせず、ライアットの思惑を見逃すまいと鋭い視線で伺っている。
 竜士の名は、アグレス=ブルーグス。
 どのような顔をしているのか、髪と目の色はそれぞれ何色なのか、そもそもどのような生い立ちと経歴を経てこの場に臨んでいるのか。ライアットは何も知らない。ただ、その名だけはは、予選の際から何度となく耳にしていた。
 エストニカ国王直率の竜士隊に所属するライアットとは異なり、リフィベル島南東部を収める正竜士が率いる竜士隊で武名を馳せる准竜士だ。ここで優勝すれば晴れて正竜士となって所領を分け与えられ、その正竜士の元から独立することになる。
 この二人に限らず、今年の全国大会で名を挙げたのは、戦乱の気風を少しずつ失っている正竜士達よりも、なおぎらついた野望を隠さない浪人竜士や准竜士が多かった。
 戦乱がなければ、正竜士は所領の経営に専念すれば良いが、浪人竜士や准竜士には為すべき事がない。元々、その野心の暴走をくい止める為に国が竜騎槍試合を運営を一手に引き受けるようになった経緯を思い起こせば、その判断は極めて正しかったと評価出来るだろう。
 が、アグレスの動作にはいささかもバタついた様子はない。ライアットは乾いた唇を、巻布の下で舐めた。彼の闘志の高ぶりを感じとってか、レゾルーソがはやく空に上がりたいと言わんばかりに、翼を数度はためかせた。

 試合は、互いの動きを探り合う恰好で始まった。
 猪突しか能のない竜士は、得てして数合打ち合っただけで敗北する。
 相手の動きを読み、見切らなければ竜騎槍試合では絶対に勝てない。高速で飛翔する相手とすれ違う一瞬、確実に攻撃を叩き込み、同時に自分の身を護らねばならないのだから。
 ライアットはアグレスと対戦するのは初めてだった。可能であればそれとなく他の竜士などにも聞き込んでみたが、彼の手の内はあまり判らなかった。
 円形をした闘技場の観客席から頭上での勝負を見上げる観衆には、互いに一歩も引かぬ激しい打ち合いにしか見えない。闘技場の真ん中に据えられた太鼓の合図で突進をかける二騎がすれ違う度、すさまじい歓声が起こる。
 しかし、ライアットもアグレスも、相手を倒す為の必殺の突きは一度も打ち込んでいない。相手の攻撃を防ぐために槍をふるっている。最初からしのぐつもりで繰り出される槍は、どちらの身体を捉えることもなく、槍同士をぶつけあうだけに終わる。
 さぐり合いの打ち込みが四度、五度と続いた。
 高度を変え、突進と旋回を繰り返し、面覆いの隙間から吹き込む寒気に歯を食いしばって耐えてきたライアットは、攻め手を欠いていた。
 確かにアグレスは決勝に勝ちあがってくるだけあって全く隙を見せない。槍さばきの精密さでは自分を上回るのではないか。ライアットの背筋には冷たい汗が吹きだしていた。
(強い……!)
 フェテリアの正竜士として戦場の空を疾駆していた時ですら、ザエリラム連邦がライアットを潰すためだけに剛勇の竜士を差し向けて来た時でさえも感じなかった恐怖心が、ライアットの心を包む。
 が、同時に腕力では自分に劣ることも、ぶつけあった槍に伝わる衝撃で感じ取っていた。
 力で押し切れる。逆に言えば、それ以外に勝機を見いだせなかった。
「ここで負ける訳にはいかないんだ。レゾルーソ、もうひと踏ん張りだぞ」
 ライアットの叱咤に、レゾルーソは短い咆哮で応じた。
 その声のたくましさに勇気づけられるようにライアットは手綱を引いた。そのままレゾルーソを右旋回させながら鞍から腰を浮かすと、左足を鐙から外し、鞍の前縁にある輪につま先を突っ込んで固定した。これで腰の動きはかなり自由が利くことになる。
 下界の観衆のどよめきが聞こえてくる。この姿勢を取ったということは、次の打ち込みに勝負を賭けると宣言したも同然であるからだ。両太股で鞍を挟み込んだ体勢よりも攻撃に適している分、相手の突きを喰らえば容易に乗竜から振り落とされかねないからだ。
 やがて、両竜ともに旋回を終え、突撃態勢に入った。打ち合う度にどちらも相手の上方から勢いをつけて突進をかけたい為、打ち合う回数が増えるほど、竜はより上空に昇っていくことになる。既に、下界からは上空での死闘の子細を判別しがたい高度になっている。
 立会人や、観衆の中でも富裕層は遠眼鏡の類を持参しているが、大多数を占める一般庶民は、後ろに倒れ込みそうになりながら頭上を見上げ、目を凝らす以外にない。

 突進が始まる。レゾルーソは懸命に羽ばたいて加速していく。ライアットは強烈な向かい風に耐えながら、両足のつま先への体重の掛け具合で姿勢をたもっていた。風にあおられて体勢を崩してしまえば、万に一つの勝ちの目もなくなる。少なくともアグレスはそんな隙をみのがしてはくれまい。
 打ち込みの際には、水平飛行のまますれ違えば互いの翼が相手を叩いてしまうため、乗竜の右翼側を沈み込ませて胴を傾かせた状態で行き会うことになる。
 だが、アグレスにはなにか策があるのか、翼を倒すことなく突っ込んでくる。
 ライアットの片頬が、面覆いと巻布の下で引きつれた。
 恐怖はある。しかし、相手の槍の間合いに入る前に回避行動をとることは戦意不足として警告を受けることになる。翼をぶつけるような脅しもまた反則行為なのだが、それに耐えられないようでは竜士とは言えない。
 だが――。
「馬鹿なっ!」
 アグレスの乗竜が右ではなく、左に身体を傾けた。ライアットの槍が止まる。アグレスの乗竜が振るった翼が、首をすくめたライアットの頭上をかすめた。
 直後。
 アグレスが、突き出すというよりも下方に向けて固定していた槍に、ライアットはすれ違いざまにしたたかに胴を打ち据えられていた。視界を一瞬ふさがれ、よける暇もなかった。息が詰まり、視界が一瞬暗くなり、意識が飛んだ。
 竜の悲鳴。そうそう聴けるものではないが、一度聞くと一生忘れられそうもない悲痛な声が耳を突く。レゾルーソの声だ。
 両足が鞍から外れた次の瞬間には手綱も切れ、ライアットの身体は空中へと投げ出されていた。

(2)


 リフィベル島南部。ウラドの街。
 この街はエストニカの首都でもあり、古くから栄えたリフィベル島有数の港町ということもあって、今のところは昼夜を分かたず活気に満ちている。が、海岸近くまで山塊が迫るために街を拡大する余地がほとんど残されていない。そのせいもあって、近年遷都の噂が絶えない。
 大陸に背を向けているような位置にあることも、ウラドの価値を落とす要因となっていた。狭い地形といい、戦略的な立地条件といい、人の手ではどうすることもできないだけに、ウラドの住人はあきらめとともにその現実を受け容れていた。
 ひとたび、そういう視点で改めてこの街の夜の喧噪を眺め回してみると、一地方都市に滑り落ちる日を肌で感じ取っての馬鹿騒ぎのようにも見える。
 そんな中、船乗りや荷役夫達でにぎわう酒場で一組の男女が、周囲の喧噪を無視するかのように静かな空気で酒を酌み交わしている。
 もっとも、飲んでいるのは男だけで、女はもっぱら酌をする側に回っている。
 二人の雰囲気に、つい絡んでいきそうになる酔客もいるが、男が壁に立てかけている物騒な竜騎槍の存在に気づき、酢を呑んだような顔をしてその場を離れていく。
 竜騎槍だけではなく、酒器を傾けている男そのものからも、触れるだけではじき飛ばされそうな殺気が放たれていることに気づかされては、命が惜しくなるのは当然だった。
「いっそ絡んでくれば良いものを」
 ライアットは静かに呟いた。そうなれば拳の一撃でのしてやるつもりだった。少々暴れたところで気は晴れないだろうが、こちらから先に手を出すような真似をするよりはマシというものだった。
 アグレスとの一戦から、既に二十日が経過していた。それでも槍を喰らった一瞬を思い出す度に、誰彼構わず殴りつけたい衝動に駆られる。
 いかに手練の技を誇る竜士であっても、上空から落竜して地上に叩きつけられては、死は免れない。従って、どんな貧乏な竜士でも、無理に無理を重ねて魔法士を雇う。なかには、魔法士にとって初歩の技術である浮遊の魔法をどうにか使えるだけの、素人に毛が生えたような者も混じっていたが、背に腹は代えられない。
 フィレルのように、魔法士でありながら轡取り・槍持ちの従者を兼任する者も少なくないのだ。彼女のような手練れの魔法士が自分の従者であったことを、ライアットは素直に感謝していた。彼女でなければ、かなりの高度から落下した自分の身体を浮遊の魔法で受け止め切れなかっただろう。
 なぜこうなってしまったのだろう、という思いがライアットの頭の中を巡っている。
 命こそ長らえたが、彼のおかれた状況はかなりひどいものになっている。
 負けたのは仕方がない。もちろん、狂おしいほどに自分に腹が立ったが、結局は未熟だったと認めざるを得なかった。
 それほどにアグレスは強かったのだ。
 もちろん、彼が最後に使った手は、正道として誉められるべき類のものではなかった。だが、規定を違反した訳ではない。乗竜の翼を陽動として、回避したライアットに槍ではたき落としたアグレスのほうが一枚上手だったということだ。
 かといって、ライアットも全てを諦めてしまったつもりはない。
 メシュリーナ姫を手に入れることはかなわなくなったが、正竜士への道が閉ざされた訳ではないのだ。
 さらに技を磨き、竜騎槍試合で勝ち続けていればいずれ機会は訪れるはずだ。前回の全国大会の優勝者、すなわちアグレスは次回大会に本戦からの出場が義務づけられている。そこで再度挑戦するのだ。今度は勝つ。
 ライアットはそう割り切って、屈辱の敗戦の当日の夜から、もう次に備えた鍛錬をはじめていた。
 が、彼が自らを鍛え抜くことに専念している間に、風向きが妙な方向へと変化していた。ライアットは最初、他愛もない話だと相手にもしていなかった。
 曰く、
 ――ライアットはアグレスを逆恨みし、闇討ちの機会を待っている。
 ――早くも鍛錬を再開しているのがその証拠だ。
 ――正竜士の座やメシュリーナ姫との結婚にとどまらず、エストニカそのものを簒奪しようと謀っている……。
 街の噂が噂を呼んでいた。
 フィレルはいちいち心配していたようだったが、ライアットは敗者である以上、罵詈雑言にも黙って耐えねばならない、と思い定めて一切の反論をしなかった。真実は明らかなのだし、口さがない街の民の噂などに、いちいち国が相手にするとは思わなかったのだ。
 が、ライアットの考えはいささか朴訥すぎた。
 ゆゆしき問題だと、殊更に声をあげ始めたものがいたのだ。
 バグナドというれっきとしたを領地を持つ正竜士となり、メシュリーナ姫の婿として王族に連なる者となった結果、発言力を一気に高めたアグレスがその筆頭だった。
 彼は、自らの勝利が誇れるものであるためにはライアットの潔白が証明されなければならない、と国王や有力な側近に吹き込んで回った。
 一見ライアットに同情的なそぶりをみせていたが、その実、ライアットの竜士としての命を奪う目論見だったと、今になれば解る。
 が、その時のライアットは、なにがなんだか解らぬうちに裁判に望む羽目になっていた。そして、満足な弁明の機会も与えられないまま、エストニカの准竜士を解雇され、乗竜・レゾルーソも召し上げられてしまった。
 元々、ライアットの乗竜はエストニカの所有であり、ライアットに貸与されていたに過ぎなかったのだから、否応なかった。
 名実ともに竜士でなくなったライアットは、俸禄をやりくりして構えていた居宅と家財道具を捨て値で売り払い、その金を持って酒場に直行していたのだ。

「御大将……。お力を落とされませんように……」
 酌をするフィレルが、今にも泣き出しそうな表情でライアットを見つめている。
「そう情けない声を出すな。こういう状況に陥ればやけ酒の一つもしてみるものだと思って来てみただけだ」
 ライアットは皮肉げに笑った。
 傍目にはふてぶてしささえ感じさせる笑みだが、内心の屈託が判りすぎるぐらいに判るせいか、フィレルはあいまいな表情でしか応じることが出来ない。
「一つ解ったことがある。やけ酒はガラじゃないってことだ。酒に酔えればまだ気も晴れるのだろうが、生憎と酔えぬ体質らしい」
「はい」
 ようやくフィレルも安堵の声を出してうなずいた。
「竜が必要だな。とにかく、竜を手に入れない事にはなにも始まらない」
 ライアットが、自分に言い聞かせるように呟く。フィレルも、そうですね、と相づちをうったものの、それが簡単な事でないことは判っているのでまた表情を暗くしてしまう。
 竜士によっては先代から乗竜を受け継ぐという場合もあるが、基本的に、竜は竜匠から買わねばならない。
 そうでなければ自分で野生の竜を見つけ、自分の乗竜とするしか方法はない。
 野生の竜はそう滅多に乗りこなせるものではない。そもそも、出会うことすらまれである。
 それでも、やるしかなかった。
「なにしろ、手持ちの金では、竜を買うには全く足りないからな」
 酒を少々けちったところでどうにかなる額じゃない、とライアットは開き直りの心境で酒器をあおる。
 ライアットが考えているのは、完全な野生の竜ではなく、元々乗竜として訓練されたが、戦闘に参加して乗り手を失って野生化した竜を捉えて従える事だ。それならば、乗りこなせる望みはある。
 もっとも、鞍を付けたままうろついている竜のうわさ話を聞きつければ竜匠が放っておかないかもしれない。
「明日から、竜匠を回るんですね。有力な情報に巡りあえるといいんですが」
 フィレルがライアットの思考を先回りする。親の代からライアットの家に仕えてきただけあり、ライアットの行動は大抵見抜けてしまうらしい。
「そうだな。どれぐらい時間がかかるか判らないが、とにかく旅装を整える必要がある。それで、工面した金もほとんど使ってしまうだろう」
「では、せいぜい今晩は前祝いと行きましょうか」
「この状態で前祝いとは、フィレルも見かけによらず剛胆だな」
「御大将と一緒なら、私はなにも恐れる必要はありませんから。フェテリアが陥落し、浪人された時と、状況は同じではありませんか?」
 慰めでもなんでもなく、フィレルは本気で言っているのだった。ライアットは静かな微笑を浮かべ、無言で酒器を傾けた。

 第二話に続く

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 作者メモ(その1)

 おお、こんなコーナー、どこかのネット小説でみたような気がするぞ。というか確信犯か。
 それはともかく。
 今回の作品。ありていに言えば、映画『ドラゴンハート』+『グラディエーター』+『ロックユー!』ということか。
 洋モノの映画ばかりなのは半ば偶然、半ば必然。映像的に見栄えのする光景を、と考えたのも事実だから。
 一番イメージの基礎になっているのは最後の作品ということになる。同作の存在を教えてくれた12式臼砲氏に感謝。とはいえ、実際の映画を観賞した訳ではなく、あらすじなどから勝手に想像しているだけなのだが。

 異世界というのは世界観の説明をせねばならない。最近はそういう説明に重点をおかないのが流行にも思えるが、やはり知って欲しいことが、異世界が舞台であるが故にたくさんある点に違いはない。
 うまく簡潔に説明できているだろうか。
 こっちが当たり前と思っている情報を伝えそこねていないだろうか。
 てなところを課題に残しつつ次回。