『おとぎの国の”レッドサン”』第壱話


初出:1997年5月22日

NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:01
Escort is our honor



1.沈黙の戦艦

XDayマイナス一〇五日――東京湾

 科学技術庁所属海洋環境調査船『たまな』(二六〇〇トン)。
 どこか毒々しい色彩を持つ夕焼けは、本来純白に塗装された船体を赤く染めていた。コの字型に切れ込みの入った独特の形状を持つ艦尾の甲板上では、数名の人影が海面を見つめている。
「……ほい。OK。ご苦労さん、あがっといで」
 管制室。通信機に向けて、恰幅のいい作業着姿の中年男が呼びかけた。
「了解です」
 くぐもった、それでいて本来の涼やかさを十分に含んだ声が、男のレシーバーから漏れた。
 艦尾のウインチが、命綱兼通信・電力供給ケーブルを力強く、かつ慎重に巻き上げ始める。男は管制室の副主任に後の作業を押しつけて後部甲板に出た。潜水作業を行っていたダイバーを直接出迎えるためだった。
「……どう思う、高城君?」
 男は甲板上にいた、彼よりは若い痩身の男に呼びかけた。傍目には何について聞いているかまるで判らない問いかけだったが、相手にはそれで通じたようだった。長年同じ仕事に携わっているせいだろうか。
「第二次大戦中の日本軍でも、こんな無茶はやらかしてないと思いますがね……。この作戦を思いついたのはよっぽどの切れ者か、筋金入りの馬鹿か、どっちかですよ」
「私は前者だと信じたいね。噂じゃ、作戦を指揮したのは美貌の女士官殿だそうだからな」
 男の言葉に、高城と呼ばれた痩身の男が乾いた笑い声を立てる。
「またそういう事を言う。古賀さん、いい加減レミちゃんに嫌われますよ」
 潜水作業班班長・高城ショウエイの台詞に、古賀は小さく肩を竦めて見せた。
「私はいいんだよ、妻も子もある立場だからな。それよりも君こそ――」
 海洋構造物調査班主任、古賀トシハルの言葉は途中で止まった。艦尾から鈍い衝撃が響き、次いでわずかながら船体が後方に傾く感覚が伝わったからだ。
「『ヘルメス』、エレベータ上に到達。これより回収作業を開始します!」
 後部甲板を見下ろす位置に置かれたスピーカーから、コントロールルームの副主任の声が響いた。
「さ、レミちゃんのお帰りだ」
 二人は艦尾の手すりから身を乗り出すようにして、夕日の映り込んだ赤黒い海面を見つめた。やがて、切れ込みの入った部分の海面が盛り上がったかと思うと、頭部の防護カバーが印象的な白い潜水服の上半身が現れた。一四式海底作業用潜水服『ヘルメス』である。
 潜水服とは言っても、全高は二.四メートルもある。そもそも科学技術庁が高重力環境下用に開発した宇宙服が原型である。人工筋肉を応用したパワー装置を持つ。
 『ヘルメス』は、『たまな』の艦尾にあるエレベータに乗っていた。そのまま高城達のいる甲板と同じ高さまで上がってくる。
 エレベータが金属音と共に固定されると、『ヘルメス』がゆっくりと前に歩いた。不気味さを感じさせるほど、なめらかな動きだった。
 そのまま黄色と黒で記された枠の中に入り、両脇にある架台に両腕を固定する。
直後、空気が抜ける音が響き、命名由来となった頭部防護カバーが前に開いていく(『ヘルメス』はヘルメット・スーツの略だった)。
「レミちゃん、どうだった?」
 中から姿を見せたのは、短い髪の女性だった。身体にフィットした水冷スーツを着ている為、細身のラインが強調されている。
「駄目ですねえ」
 菱刈レミは首を横に振りながら『ヘルメス』のコクピットから抜け出した。その様はまるで蝶の羽化のようにも見えた。
「録画した画像を細かく分析しないと判断は出来ませんが――」
甲板に降り立ったレミは、そこで言葉を切った。長時間に渡って潜水していた影響が身体に出ていないか、専門の医者による簡単な診察が施されたからだ。特に問題は見られなかった。彼女は続けた。
「ひどく痛んでます。二隻ともビル街の中に墜ちましたから。特に『イリノイ』のほうは船底に大穴があいてます。それにUNの話じゃ、撃沈された訳でないとかいう事ですが、艦首部分はどっちも滅茶苦茶です」
 墜ちた。面白い表現だった。海底に沈んだ街。その上から覆い被さった戦艦。レミの目には、そうとしか表現できなかったのだ。
「そうか。まあ、しかたないな。ご苦労だったね」
 古賀が首筋をもみながら言った。高城も残念そうな顔をして頷く。
「いいんですよ、仕事ですから。天下のUNが潜れといえば、マリアナだろうが南極だろうが」
レミがにっこりと微笑む。こんな3K職場に置いておくには勿体ない笑顔だった。が、それもつかの間、レミの表情がわずかに曇る。
「ですが、判らないのはUNが何を考えてるか、ですよ。自分たちの手で自沈させた戦艦をサルベージ出来るかどうか、なんて」
「使徒迎撃に効果があったんだ。実質的な立役者はエヴァンゲリオン弐号機とか言うロボットでも、とどめを刺したのはアイオワ級の十六インチ砲だからな。沈めちまったのが惜しくなったんだろう」
 古賀の答えに、レミはともかく高城が納得しなかった。
「どうですかねえ。使徒迎撃は――ネルフですか、あっちに任せておけばいいんですよ。艦齢が百年から逆算したほうが早そうなポンコツを引き上げなくちゃならないなんて思えませんが」
「確かにな。連中、何を焦っているんだろう。そこまで慌てて戦力を回復させなければならない理由が何か――」
「あの……」
 高城と古賀のやりとりを不安そうに聞いていたレミが口を挟んだ。放っておいたら、いつまでも不毛な議論を続けそうに感じられたのだろう。
「ん、どうした?」
「今日はこれで、上がりにさせてもらって構いませんか?」
「ああ、そうだね。ご苦労さん」
「失礼します、お疲れさまでした」
 レミは頭を下げると、足早にハッチの向こうに消えた。
「礼儀正しい娘だ」
「血筋ですよ。海上自衛隊の海将の娘ともなれば、しつけも行き届いてます」
 古賀はふうと息を吐くと、ポンと手すりを叩いた。
「さて。報告は直ぐにあげるとして。一旦横須賀に戻った次は」
「硫黄島、でしょうね」
「だろうな。あそこはいよいよ第七期工事が終わる。あと一年もすれば実用化。硫黄島宇宙港の出来上がりだ。ギガフロートストラクチュア(超々巨大浮体構造物)の宇宙港。水平に離陸するスペースプレーンのホームベース。宇宙機が飛び立った途端に底が抜けたんじゃ、話にならんからな」
 古賀の言葉に、今度は高城が肩を竦めた。
「UNもそうですが、NASDAも何考えているか判りませんね」
「ああ。宇宙開発の重要性は判らんでもないがな。国が左前になるぞ……」
 同じような台詞が以前、第三新東京市において使われたことを、古賀が知るはずもなかった。

2.あやなみの征けぬ海は無し

XDayマイナス一〇三日――マラッカ海峡

『COGOGうならせマラッカ越えて
 栄えある使命を果たさんと
 我らは護らん日本の心臓
 ”あやなみ”の征けぬ海は無し』


 総数十五隻からなる船団が、時速十二ノットで南下している。部内呼称『EF18』船団。コバルトブルーの海に、真っ白な航跡が長々と残る。
 その先陣を切るのは、海上自衛隊第一護衛隊群所属護衛艦、艦番DD−183『あやなみ』。建造から十年と経たない新鋭艦である。
 レーダー反射を極力抑える為、『あやなみ』の船体には突起物がほとんどみられなかった。軍艦特有の雑然としたアンテナ類も、全て成形されるか引き込み式になって艦橋構造物その他に張り付けられている。機能最優先のデザインはそれなりに美しいものだったが、往時の軍艦と比べるとどこか優美さに欠ける印象を受ける。例えて言うならば、無愛想な美少女といったところだろうか。

 天気は快晴ながら、南シナ海の暴風雨の影響を受けてか、波が出始めていた。かつて、この海域での暴風雨は『バギオ』と呼ばれていた。今もそう呼んで差し支えないのかも知れない。もっとも、暴風雨発生のメカニズムが、以前と同じであるという保証はどこにもなかったが。
 十四隻の民間船舶をたった一隻で護衛するというのは素人目にも無理がある。だが、無理からぬ事情があった。UN艦隊が使徒とのただ一度の戦闘で、戦力をすり減らした結果、海上自衛隊にかかる負担は以前とは比べものにならないほど大きなものとなっている。
 加えて、海上護衛を必要としている民間船舶は無数に存在していた。
 日本よりもさらになりふりを構っていられない国々(あるいは、国とも呼べぬような組織)もまた、世界中に存在していたからである。日本近海に出現する怪しげな連中(使徒も含まれる)から日本を守るには、ある程度の艦艇を近海にとどめておかねばならない。
 だから、あてこすりか、それとも欺瞞のつもりなのか、『E計画』と呼称される事の多い船団護衛計画のスケジュールは、かなり厳しい状況にあった(Eとは無論、Escort=護衛の頭文字)。それでも、中止することだけは出来ない。船団が日本にたどり着けなければ、それだけで日本は飢え、滅びてしまうのだ。セカンドインパクト以前から、カロリーベースでの食料自給率が五割を切っていた愚かしき先進国には、気候変化の結果、もはや一次産業と呼べるものが失われて久しかった。『あやなみ』のような護衛艦は日本の心臓だけでなく、胃袋をも護っているのである。

 右舷側にはスマトラ島。左舷側にはマレー半島。艦橋からであれば、熱帯の午後の強烈な日差しを浴びる、クアラ・ルンプール――昔、そう呼ばれた都市が崩れ、水没した姿――が見えるはずであった。海面上昇は、自転による遠心力の関係で赤道に近い地域ほど顕著な被害をもたらしている。かつてのアジア有数の都市は、再建の手すら付けられていなかった。それを行うべき人的資源が枯渇しているからである。
 とはいえ、CICルーム(戦闘情報室)に詰めている『あやなみ』艦長の久川ジョウジ二佐には、セカンドインパクトによって廃墟と化した街に思いを馳せている余裕はなかった。マラッカ海峡は、セカンドインパクト以前より難所として知られていた。海峡の幅こそ水位上昇に伴って広がったが、その危険性は変わらない。むしろ、一世紀以上に渡って蓄積したデータが無に帰した分、どんな危険が潜んでいるか、知れたものでは無かった。
モニターの視認性を上げるため、CICはいつも薄暗い。モニターの輝きが、そのままそれを見つめる者達の顔色に写り込む。久川の顔は赤く見えた。彼の覗き込んでいる戦術情報スクリーンには、『あやなみ』の後方に続く、単縦陣を組んだ船団のシンボルマークが映し出されている。久川はシンボルマークの脇に書かれたローマ字表記の船名に目を留めた。符牒『SP01』が与えられた民間船舶の先頭船、すなわち『あやなみ』の後続船である。三十万トン級の巨大タンカー、『第三美星丸』。天然ガス、穀物、鉄鉱等、ありとあらゆる戦略物資を積んだ船がEF18船団に参加しているが、タンカーは最重要護衛対象となっている。
「BISEI、美星。美しき星。この地球のことか? だとしたら、大した皮肉だ」
 モニターにちらりと視線を送った『あやなみ』艦長の久川ジョウジ二佐が、鼻を鳴らした。
「人口が減った分、綺麗には、なってますよ」
 作戦幕僚の丸橋タダシ三佐が言った。本気の正反対にある口調だったが、怜悧な印象が強い丸橋が真顔でそう言うと、ただの冗談ともつかぬ凄みが感じられた。彼の一族、係累のほとんどがセカンドインパクトによって命を失った事実を知っている者にとってはなおさらだ。
「気は抜けないね、うん。EF17船団が襲撃を受けたのは、ちょうどこの海域だから」
 副長の木南コウジロウ三佐が、宥めるような口調で久川と丸橋の会話に割り込んだ。無駄口は終わりという警告でもあった。EF17を護衛していた護衛艦『はたかぜ』(艦番DDG−171)は、何の警告もなくいきなり対艦ミサイルを撃たれ、沈没していた。二十世紀に建造された老嬢だったとはいえ、油断があった。以後、誰言うとも無く、『はたかぜ』の仇には『マラッカの虎』という異名が奉られていた。
「潜水艦……ですかね」
「どうかな。妥当な推測に思えるが、この海峡の深度を考えるとどうもな」
「セカンドインパクト以降の、海域のデータは十分とは言えませんからね」
 情報幕僚、由比マサユキ一尉は悔しそうだった。何も判らない、その事実は情報幕僚にとって屈辱以外の何物でもない。
「とにかく、動き回っておくことだ」
 久川が結論づける。
 『あやなみ』は国産の対潜ヘリ、MH−7Jを一機搭載している。久川は既にMH−7Jを離陸させ、哨戒活動を開始している。艦内も臨戦態勢で、『はたかぜ』の二の舞は演じまいと張りつめた空気を維持している。久川を始めとして、全員が灰色のヘルメットとライフジャケットを着用している。とはいえ、ヘリがたった一機ではどうにもならん、というのが久川の本音であった。
「最低でもあと一隻、DDH(ヘリ護衛艦)でもいてくれれば――」
「マラッカを抜けるまでの辛抱です」
 丸橋が祈るような小声で付け加えた。久川が無言で頷く。
 フィリピン沖には、航空護衛艦『あまぎ』及び、護衛隊群司令官座乗のヘリ護衛艦『ひゅうが』を中軸とする第二護衛隊群の主力艦艇が張り付き、周辺海域の安定を担っているからだ。南沙諸島の開発権を主な要因としたごたごたはセカンドインパクト以降、より顕在化している。その為、しばしば東南アジア諸国同士で武力衝突が発生している。それを牽制するのが勇猛を以て鳴る第一〇二航空隊、通称『あまぎ』航空隊であった。示威効果を狙って、敢えて変更されることのない彼らのコールサイン”アエカ”は、期待通り周辺諸国海空軍にとって恐怖の対象となっている。

「……尉、生駒一尉!」
 インターコムを通じて、後席の対潜オペレータ・真崎ソウハチ一曹が苛立ったように声を浴びせてきていた。
「あ、なに?」
 コールサイン『キャッツ・アイ』ことMH−7Jの女性機長、生駒チカゲ一尉は間の抜けた声で応じた。
「なに、じゃないですよ。ちゃんと眼開けてて下さいよ」
「判ってる」
 言いながら、生駒は両目をしばたたかせた。太陽光の眩しさより以前に、疲労が原因で眉間のしわが消えない。オーバーワークなどという言葉では不足するほど酷使されているのだ。やや変則的な三直制(パイロット三人、後席員四人がローテーションを組む)を採用しているものの、EF18船団が保有する唯一の航空戦力であるから、マラッカ海峡に入る以前から飛び通しだった。
 とは言え、こんな調子で飛行を続けていたらその内に、隣で羽根をはやした豚が飛んでいても気づかないような状態になってしまう。いかに優れた機器を搭載していたところで、それを扱う人間が使い物にならなくなっていたら、意味がない。
「お客さんが見てるんですからね。海にドボンなんてやめて下さいよ」
 符牒『SP07』――波浪貫通型双胴船という独特の形状を持つ、石川島播磨重工製のSSTHシリーズ。その最大型SSTH200級の一番船、外洋フェリー『なでしこ200』の事だ。どういう神経の持ち主か、あるいはただの酔狂なのか。このご時世に、世界一周の船旅を楽しむ人々が乗っているフネだ。船長は海上自衛隊で艦長を務めた経験も持つベテラン。
「あのフネは速いんだから、とっとと帰ればいいのに。こんな速度でちんたらしてるほうが危険よ」
 つい生駒の口から文句が漏れた。波浪貫通型双胴船は、最大時速四〇ノットという、フェリーとしては常識はずれの高速航行を可能としている。
「あの形式は燃費が悪いんすよ。高速発揮時はなおさらで」
「知ってるって、そのくらい」
 生駒の口調にはざらついた感覚が含まれていた。無理もなかった。
 MH−7Jはいくつかの目立った特徴を有する。尾部ローターを持たない事、直線でまとめられたデザイン。胴体上部に並列に並んだターボ・ジェットエンジンの両脇から斜め下に長く伸びた翼。
 中でも最大のものは、胴体中央部が基本状態では大きく空間があいている点である。ここに『ユニット』と呼ばれる装備を搭載することで、対地、対潜、輸送、偵察等、ヘリに与えられる任務の大部分をこなせるのである。現在は『Uユニット』――対潜装備が施されている。主翼先端からつり下げられたパイロンには、対潜ロケット魚雷四発と、地上制圧用ロケット弾ポッドが装備されている。後者は、武装した高速艇の襲撃を考慮したものだ。大抵の場合、機首下で砲身を鈍く光らせているバルカン砲だけでカタが付くだろうが、慎重過ぎて困ることはない。
 対地攻撃ヘリとしての運用を第一に考慮されて設計されたため、座席はタンデムに配置されていて、互いの顔を直接見ることは出来ない。後ろから小言を言われ続けるのが生駒には苦痛だった(昔の攻撃ヘリとは異なり、MH−7Jではパイロットが前席に座る)。後席の真崎が大して疲労していない口調に思われるのが、さらに癪に障った。
 『あやなみ』の艦橋構造物の上部三分の一を占めるNADIA(Navigational Aspect Direction Integurate Analyse)システムの中枢であるSPY−1DJ改レーダーが左舷側、五〇キロ先のほぼ正横に現れた目標を捉え、ミサイル警報を鳴らしたのはその直後のことだった。
「対艦ミサイル!?」
NADIAシステムは脅威判定を速やかに下し、半自動的に迎撃態勢を整えた。艦対空ミサイルSAM−8発射機も、”テルシオ”近接対空機関砲もあらかじめウォーム・アップされていたお陰で、あとは人間が攻撃許可を与えるだけで良かった。
「迎撃せよ!」
 久川の声と同時に、防空担当の士官が対艦ミサイル迎撃シークエンスの実行をコンピュータに命じた。
 ただちに『あやなみ』艦尾の対空ミサイルランチャーからSAM−8が二発、白煙を曳いて放たれた。SPY−1DJ改レーダーは、単体で三百五十の目標を探知する能力を持つ。ポスト・イージスとして開発が進められたNADIAシステムは、イージスが同時に最大十八までしか飛行目標の追尾・攻撃が出来なかったのに対し、探知した目標全てに対しミサイルの誘導が可能である。もっとも、兵器庫鑑でもなければ、それだけのミサイルを同時発射出来るランチャーを持つフネは存在していないが。N2弾頭ミサイルの飽和攻撃によって東京を吹き飛ばされた責任を負う自衛隊が、半ば執念によって生み出したシステムだ。
 高度十メートルもない超低空を音速を超えて進んでくる敵ミサイルに対し、二発のSAM−8は、ラグビーのタックルを思わせる連携を取って襲いかかった。そして数十秒後。
「ミサイル破壊を確認」
担当士官の言に、CICに溜め息が満ちた。
「ミサイルの種別、判明しました。SS−N−22です」
「『サンバーン』か……」
 久川が苦々しげに呟く。旧ソ連の対艦ミサイルだった。潜水艦からの発射も可能だ。
「『キャッツ・アイ』を、ミサイルが発射されたと思われる海域へ向かわせろ」

 旧日本海軍の吹雪級駆逐艦『綾波』は、一九四二年の第三次ソロモン海海戦において、アメリカ艦隊にただ一隻で突撃を敢行。結果、駆逐艦二隻を撃沈、巡洋艦一隻を大破させた後に沈没した。紛れもなく武勲艦である。
 先代の名を汚すような真似だけはすまい。久川は自らの言葉を心に刻み、これからの戦いに備えた。

「レーダーに反応あり」
 MH−7Jの生駒から通信が入った。リンクされたCICの戦術情報スクリーンに、MH−7Jヘリの機載レーダーが捉えた敵味方不明の目標が現れる。ちょうど、かつてのクアラ・ルンプールの中心街があった付近だった。
「レーダーに反応? 潜水艦じゃないのか」
 由比が未知のシンボルマークを睨みつつ呟く。
「ただの漁船かも知れん。映像で確認せん事には」
 久川は『キャッツ・アイ』に、更に接近を命じた。

「了解!」
 なかばやけくそに近い張りのある返事と共に、生駒はヘリの針路を不明目標に向けた。機体が傾き、陽光の反射が視界を流れた。
「何だと思う? 相棒」
「行けば判りますよ」
 真崎は味も素っ気もない。
「……。対地ロケットのウォームアップお願い」
「りょーかい。でもいいんですか、いきなり戦闘になっても、その場の判断でトリガをひけますか」
「うぅ……」
 生駒は頬をひきつらせた。確かに自分一人で判断は出来ない。いままで、潜水艦相手の戦闘を想定していたが、水上艦艇が相手では勝手が違ってくる。発音弾で威嚇など、意味がないからだ。
「よくそんなところにまで頭が回るわね。こっちはほとんど脳味噌が溶けたような状態になっているってのに」
「力の抜きどころを知ってるからっすよ」
「……やな奴」
 生駒は『あやなみ』に、戦闘発生時における発砲自由の許可を求める通信を送った。

「勇敢なことだ」
 木南が感心したような声を出す。人手不足が主な要因となり、今や艦隊勤務の十六パーセントを女性隊員が占めているのだが、どうしてもどこかに違和感を感じずにはいられないのだ。
「これも仕事の内だよ、副長」
 久川は、戦術情報スクリーンに映るヘリのシンボルマークの動きを目で追っていた。唐突に、とりとめのない考えが頭をもたげる。第三新東京市において、対使徒迎撃戦を指揮しているのは、まだ三十路にも満たない女性の三佐だとか聞く。しかも一般大学出の。願わくば、勇敢なヘリの女性機長にも輝かしい未来が与えられんことを。

 その時、漂流に近い速度で動いていた不明目標が、弾かれたように速力を上げ始めた。一気に、いかなるフネでもありえない速度――時速百二十ノットまで加速する。
「何だ! フネですらないというのか?」
「PAR−WIG……」
 由比が喉を押しつぶしたような声で呻いた。
「なんだね、それは?」
 久川が聞く。記憶のどこかに引っかかっている単語だったが、思い出せない。
「地面効果機です。レーダー反応の大きさと速度を考えたら、それ以外に考えられない」
「地面効果機というと、あれか? ホバー効果で超低空を滑空する。確か海保(海上保安庁)が制式採用を決定した……」
「そうです。ですが、その他で制式採用している国なんてありません」
「ならばなんだ、飛行艇か?」

 MH−7Jコクピット。
「なんなの、これ……」
 生駒もレーダーの反応の異常さに戸惑っていた。相手はまっすぐこちらに向かってくる。生駒は疲労した両目に力を込め、水平線上から現れるであろう目標の姿を捉えようと意識を集中させた。
 答えはすぐに現れた。機首に取り付けられた望遠カメラがレーダーに連動して目標を映し出したのだ。

 『あやなみ』CIC。
「キャッツ・アイからの映像中継、届きました」
「よし、すぐに映せ」
 ウェーキを刻みながら海面すれすれを驀進する目標の姿が、壁面の大型モニターに映し出されると、期せずしてどよめきが起こった。
 ライトブルー一色に塗装された船体形状は、飛行艇のそれと大差はない。ただし、直線に伸びた主翼は短く、しかも低翼につけられている。垂直尾翼の上部にある二重反転プロペラがメインの推進力のようであるが、機首の左右両脇にも、ジェット・エンジンがついている。こちらは地面効果を高めるためのエンジンらしかった。
 レーダー反応と画像から判断して、大きさは全長が六十メートル、全幅が三十メートルほど。
 由比は映像を見ながら眉間に皺を寄せてしばらく考えていたが、やがて結論を導き出した。
「恐らく、カスプB。オーリオニョーク(鷲の子)とも呼ばれる、旧ソ連のPAR−WIGです。元は人員輸送船です。開発から五十年は立っている筈ですがね……」
「なんだ? やはり露助のフネか」久川は時代錯誤なセリフを口にした。
 相手は船体の後方に回り込む針路をとって航行していた。警告の無線が送られるが、効果のあるはずもない。何処の誰とも判らぬ存在ではあるが、敵であることは疑う余地もなかった。
「接近中の不明目標を、以後、攻撃目標一と指定する。全艦戦闘配置へ移行」
 久川が力を込めて宣言した。ハッチが閉じられる重い金属音が艦内のあちこちで響き、CIC内は警告音と共に非常灯の赤い光が支配する世界と変貌した。
「自衛艦隊司令部に最優先通信。『我、所属不明ノ武装飛行艇ニヨル攻撃ヲ受ク。攻撃ノ許可ヲ求ム』だ」
 武装飛行艇とは随分控えめな表現だという気もしたが、地面効果機について長々と説明している間も惜しかった。
「航空機としてはどうという事のない存在だが、あれをフネと呼ぶなら、大変な性能だ。あれだけの大きさで、百二十ノットだ。何故旧ソ連は実用化しなかったんだ?」
「推測ですが、地面効果は海面の状況によって大きく変化します。ですから、波のあるときなどは、ピッチ(縦揺れ)が激しくなりすぎるんでしょう。未来到達位置の海面状況を予測して、補助ジェットエンジンの推力を調整するだけの技術は、当時はなかったでしょうから」
 由比の言葉に、久川は小首を傾げた。
「だが、奴はこの波のある海を、すべるように飛んでいる」
 事実だった。映像のカスプBはなめらかに滑空しており、特にピッチは見られなかった。
「ええ。ガワはボロでも、中身にはカネをつぎ込んでいるのかも知れません」
「どこのどいつだ、全く……」
 久川は毒づきながら、頭の中では同時に別の問題も考えていた。
 あれが噂の『マラッカの虎』か。勝てぬ相手ではない。時速百二十ノットは、軍用機としては遅すぎる。低空を飛んでいるとはいえ、『サンバーン』を容易に喰ったSAM−8なら簡単に撃破できる。問題は、自衛艦隊司令部がそれを許すかどうか。許可が降りるまで、防御に徹しなければならない。『あやなみ』にはそれだけの力があるはずだった。
 丸橋が久川のほうに向き直った。
「キャッツ・アイに迎撃させますか?」
「いや、まだだ。相手の出方を見る」

 カスプBはゆるやかに左旋回しながら、ついに船団の後方に完全に回り込んだ。既に有視界内に侵入している。
「魚雷投下を確認、二本。来ます!」
 つかず離れずの距離を取って飛行するMH−7Jヘリが中継する映像でも、はっきりと見えた。船体下部中央付近に開いたハッチから、細長い物が滑り落ちるのが。
「モノは何かな……」
「ウェーキ・ホーミング魚雷だと、厄介ですね」
「真後ろだからな」
 久川は手が汗ばむのを感じた。一瞬船団に乙字運動を命じようかとも思う。が、すぐさま否定する。やったこともない機動を行わせても、混乱を増大させる以外に役には立たない。
「無理言って、FV−Xを積んでくれば良かったかな?」
 思わず木南が口走る。三菱FV−X。二〇一二年から試験配備と称して増加試作機の配備開始が始まった事に引っかけ、専ら『十二試艦戦』と呼ばれるVTOL支援戦闘機の事であった。まどろっこしい手順を踏むのは、アメリカの横槍でFSX問題の轍を踏むつもりはなかったからだ。勿論この場合、無い物ねだりに意味はない。あくまでも『あやなみ』及び、MH−7Jヘリ一機が戦力の全てだ。
「魚雷警報を発令! 距離、船団最後尾より三万五千メートル。方位、1−9−3。あ……」
 対潜員の声が突然くもった。
「どうした! はっきり報告せんか!」
「……魚雷の一本をロストしました」
 一本の線でつながれたかのように航行する船団が生み出す長大なウェーキは、音波の伝播を滅茶苦茶にしてしまう。ウェーキ・ホーミング魚雷はその航跡を隠れ蓑にすると同時に、航跡そのものを追尾して向かってくるのだ。
「魚雷の到達予想時間は?」
「五十ノットで計算すると、二十分程度です」
「よし、まだしばらくあるな。探知している魚雷をアルファ目標と呼称。こいつは見逃すな。ロストしたほうはベータ目標。早く見つけだせ」
 対潜コンソールを覗き込んだ久川は優しげな声で、緊張する対潜員に肩越しに声を掛けた。この場合、高圧的な命令は指揮官の為すべき態度ではない。
「了解」
 対潜員はやや力を込めた口調に戻った。
 つい錯覚しがちだが、魚雷の速度と航続距離から、その発射から命中まで何十分とかかるのが普通なのである。カスプBのほうが魚雷より何倍も速い。カスプBは魚雷発射後、再び緩やかな左旋回に移った。どうやら、接近しすぎるのは危険だと判断しているらしかった。
「敵魚雷――アルファ目標の攻撃目標、判明! SP18『清音丸』」
 ディスプレイ上に描かれた船団のイメージ図の一部が拡大され、最後尾のSP18――『SEIONMARU』のロゴが赤く点滅し始めた。
「魚雷の攻撃目標は最後尾のフネだ。最大戦速。取り舵、一杯! 船団のケツに回り込むぞ」
 『あやなみ』の船体が遠心力で右に傾き、艦首が左へと流れる。同時にCOGOG(ガスタービン機関)が特有の甲高い唸りを上げ、加速し始めた。ガスタービン機関の特徴は加速の速さだ。八万五千馬力にも達する推力は、基準排水量四千六百トンの『あやなみ』に四十ノット近い高速発揮を可能とさせていた。
 そのまま直進すればカスプBの頭を抑えられるか。久川がちらりとそう思ったとき、艦橋から報告が入った。
「目標一、取り舵をうちました」
 戦術情報スクリーンに映るカスプBのシンボルマークが、急角度で進路を変更したことを伝えていた。
「奴め、船団の反対側に潜り込むつもりですよ」
「このままじゃ、鼻面を引きずり回されるだけか……。速力が違いすぎる」
久川が自分の大腿部に拳を打ち付けた。いらだったときの彼の癖だった。同時に決断する。
「距離一万でATフィールド(Anti Torpedo Field=対魚雷防御壁)展開だ」
「目標一はどうしますか」
 久川の命に、丸橋が疑問符を付けた。
「魚雷を片付けるのが先だ。今のところはな」
「ですが――」
「司令部はまだ何も言ってこないか?」
 久川が話をはぐらかすように通信担当士官に問うた。許可が下りるまでは攻撃できないというニュアンスがそこに含まれていた。
「通信、ありません」
 いきなり話を振られた担当の士官は、自分の責任であるかのように青ざめて答えた。
 久川は自分を納得させるように数度頷き、改めて対魚雷戦の命令を下した。
「AT弾砲撃、展開ポイントの算出及びカウントダウンを――」
 その時、カスプBの船体中央部付近から、パッと白煙が上がった。対空ミサイルらしかった。たちまち人間の動態視力では捉えきれない速度に加速する。
「ウォーニング! 対空ミサイル発射を肉眼で確認! キャッツ・アイを狙っているようです」
 左舷ウイング見張り員が叫ぶ。無論、彼に言われるまでもなく、『あやなみ』のNADIAシステムが、対空ミサイル発射を捉えていた。続いて種別の割り出しを行い、モニターに表示する。久川が呻いた。
「『ストーカー』ミサイル? アメリカさんご自慢の、最新式携帯地対空ミサイルじゃないか。なんで露助のフネがそんなもん積んでるんだ?」

 MH−7Jコクピット。
 実際に狙われている者にとっては、疑問を抱いている暇すらなかった。
「冗談じゃないわよ!」
 生駒は一人毒づいた。真崎は何も言わない。よほど肝が据わっているのか、それもただの間抜けなのか、生駒には良く判らない。
「対空戦闘開始」

 攻撃目標とされたMH−7Jは懸命に回避運動を開始した。高度をぎりぎりまで下げると同時に、主翼後縁からフレアをまき散らす。マグネシウムが高熱を放ちつつ機体後方へと拡散していく。だが、先代『スティンガー』ミサイルよりもよほど赤外線シーカー性能が向上した『ストーカー』ミサイルには通じない。ほんの数秒、目標追尾をごまかせたに過ぎない。
 が、結果的にその数秒の時間稼ぎがMH−7Jの命運を分けた。MH−7Jの三銃身バルカン砲が、『ストーカー』ミサイルの放つ赤外線を探知し、自動的に機関砲弾の弾幕を張り、撃破に成功したからだ。爆発した距離は、MH−7Jから三百メートルと離れてはいなかった。フレアの時間稼ぎがなければ、一瞬早く懐に飛び込まれていただろう。

「危なかった……!」
 CICに溜め息が充満する。が、船団に対する危険は去ってはいなかった。
「魚雷との距離、間もなく一万メートルに達します」
「ATフィールド、展開開始」
 『あやなみ』は、前部甲板に七インチ単装砲を二基装備している。三菱重工と防衛庁技術開発研究所が共同開発した新型砲で、一分間に五十五発の砲弾を発射できる。砲身には液冷カバーがつけられているため、実際の口径よりもごつい印象を与える。
 砲を二門装備している理由は、対空・対潜など今までは考慮されなかった多目的な利用が可能になっている為である。AT弾もその一つである。
 従来の丸っこい砲塔とは異なり楔形をした二基の単装砲が、唸りを上げて旋回した。そして、発砲。AT弾には音響撹乱板とパッシブセンサー付き小型爆雷がセットになって積められ、着水した後に設定された深度に達したところで展開される。
 二門の砲は実に十五秒間に渡り射撃を続け、長さ一キロ、幅二百メートルに渡る爆雷の壁を作り上げた。

 五分後、魚雷の一発が、ATフィールド内に侵入した。直後、海面が盛り上がり、水柱が沸き立った。影響圏内への魚雷の侵入を察知した爆雷が一斉に炸裂し、水圧によって魚雷を押しつぶしたのだ。
「キャッツ・アイより。『浮遊物発見。目標の破壊を確認』」
「もう一発。ベータ目標はどうした。一緒に吹き飛んだんじゃないのか?」
「魚雷推進音、捕捉しました!」
 対潜員が強ばった声で伝えた。戦術情報スクリーンに魚雷のシンボルマークが記された瞬間、それまで対潜コンソールに張り付いていた久川が目を剥いた。破壊した魚雷よりも前を進んでいたのだ。既に、ATフィールドを突破されたということだった。
「速い……! ウェーキ・ホーミングじゃないのか?」
「恐らく『シクヴァル』」
 自らを泡で包むことで高速発揮を可能にした、ウェーキ・ホーミング魚雷と同じく旧ソ連の魚雷だ。その最高速力は時速七十ノットにも達する。カスプBは二種類の魚雷を同時に投下していたのだ。
「引っかけられた……!」
「当てと褌は向こうから外れる、とはうまいこと言ったもんだ。自走デコイ投射」
 艦尾のランチャーから、魚雷を上下から押しつぶしたような奇妙な形状の自走デコイが滑り落ちた。自走デコイのシュラウドリング付きスクリューが低速で回転を開始し、ゆっくりと『あやなみ』との距離を取る。
 今や、取り舵を行った『あやなみ』は清音丸の後方に回り込み、魚雷に対して横腹を晒す格好になっていた。一方のカスプBは船団の右舷側から船首方向へと抜け、大きく左旋回をして『あやなみ』の後方に回り込もうとしていた。
「ATフィールドの再展開を」
「駄目です。ベータ目標の深度が深すぎます。AT弾の沈降スピードが間に合いません」
 一瞬の沈痛な空気。
「艦長! 自衛艦隊司令部より通信です! 『攻撃ヲ許可ス』。以上!」
 通信士が弾んだ声で久川に言った。
「思ったより早かったな。それにしても、はっきりと言ってくれるじゃないか。誤解しようもない」
 久川は口元を歪めた。
「攻撃目標一を捕捉後、SAM−8による攻撃を行う。主砲射撃準備を為せ。弾種は榴弾。副長、ここを頼む」
 そう言うと、久川はCICを出て艦橋に向かった。どういう心境によるものか、久川は自分でも理解しきっているわけではなかった。ただ、死に往くフネを自分の目で見ておく必要があるという義務感を、はっきりと感じてはいた。
 艦橋に戻った直後、艦尾のミサイル・ランチャーからSAM−8が二発、連続して発射された。対空ミサイルを迎撃したときと同じように、低空を突き進む。
 一発は波に接触して自爆してしまった。だが、残る一発は見事、カスプBの垂直尾翼上に装備されたターボファン・エンジンを吹き飛ばした。プロペラが竹トンボのように舞う。
「目標一、速力落ちます」
 右舷ウィング見張り員が怒鳴った。戦闘開始以来叫び通しだったらしい。早くも声がかれていた。
「主砲で吹き飛ばせ」
「それよりも魚雷を――」
「かまわん、奴を止めるのが先だ」
 久川が言い切った。CICから艦橋に戻ってきていた丸橋が一瞬息を呑んだが、何も言わなかった。二基の七インチ砲が十秒の間、連射した。しばらくの間、発砲煙で『あやなみ』の上部構造物が覆われるほどの激しさであった。

 機首から海面に突っ込んで停止したカスプBの真上から、二十発の七インチ砲弾が降り注いだのは、初弾発射から三十二秒後のことだった。
 久川は双眼鏡越しながら、『あやなみ』の初弾が、哀れな地面効果機の機首付近を直撃した瞬間を確認した。その後は奔騰する水柱に阻まれ、姿が見えなくなった。
 そして砲弾の嵐が止んだとき、そこには粉々に砕かれた船体の残骸が浮かんでいるだけだった。何発が直撃したのか誰にも判らなかったし、久川はそれを知りたいとも思わなかった。

 残るは『シクヴァル』魚雷だけだった。
「舵、戻せ。機関停止! デコイ、最大音量でスクリュー音を聞かせてやれ」
「マスカーは……?」
「いかん。デコイをかわされたらSPに当たる」
 ブリッジ要員の全員がぎょっとなって久川の顔を見た。丸橋が前に出て詰め寄る。
「本艦を盾にするおつもりですか」
「『あやなみ』が沈んでも、代わりはいる……。総員、衝撃に備えよ、何かに掴まれ!」
 久川は自ら艦内無線のマイクを握って命じていた。
「魚雷との距離、五千!」
 デコイの放つ、『あやなみ』そっくりのスクリュー音に騙された『シクヴァル』魚雷が炸裂し、水柱を吹き上げた。続いて海面を放射状に広がった衝撃波が船底を揺らした。
 そして静寂が訪れた。
「対潜員!」
「魚雷の推進機音、失探しました!」
「各ワッチ、状況を報告せよ!」
 状況に変化無し、各見張り員から同じ報告が返ってきた。

 通信室は再び押し寄せる通信の応対に大わらわだった。ほとんどはどうということのないもので、その場で処理がなされた。ただ一本の通信が、艦長以下の元にもたらされた。
 担当士官が晴れがましい顔で報告する。
「『SP07』より通信。本文、『只今ノ戦闘美事ナリ』。以上」
 『なでしこ200』からの通信だった。彼らの先輩による賛辞は、何よりの喜びだった。
「律儀な船長だ」久川は口元を緩ませて、丸橋の肩を軽く叩いた。丸橋はしばらく無言だった。そして。
「……我々が、勝った」
 ようやくのことで、丸橋の声が溜め息と共に吐き出された。勝利の喜びなど、微塵も感じられなかった。艦内の各部署からも、強ばった空気が次第にほぐれてくる様子が伝わってきた。あからさまな歓声こそなかったが、誰もが安堵に包まれていた。
 久川は改めて、傍らの丸橋の顔を見た。懸命に、非難のまなざしを抑えているような表情だった。
「ああするより他はあるまい。放っておいたら、残弾を撃ちまくられていた」
「ええ、判っています。カスプBを吹き飛ばしたことに、文句はありません」
「いつまでも、張り子の虎ではいられないのだよ、我々も」
「自らを犠牲にすることも?」
「それこそが、海軍精神だ」
「我々は軍隊ではありません」
「……軍隊以外の、なんだというんだ」
 久川は渋い顔だった。

 全く、妙な時代になったものだと思う。
 いや、海軍の(なんと呼ぼうと、俺の勝手だ)本質は民間船舶の護衛にある。いつの時代であろうと、彼らを守るために、軍艦は戦わねばならない。セカンドインパクトが起ころうと起こるまいと、変わらぬ原則だ。そこが危険な場所であるならば、自らもまた危険な存在にならねばならない。

 MH−7Jの生駒もまた、戦いが終わったことを察知した。
「……今回は、何の役にも立てなかったわね」
「しょうがないっす。魚雷を体当たりで潰す甲斐性があるわけでなし」
 疲れの滲んだ生駒の呟き。が、真崎はどこまでも無愛想だった。
「あのねえ……」
 生駒はヘリの針路を、『マラッカの虎』と恐れられた地面効果機が撃破された地点へと向かわせた。
「溺者救助の必要性は――」
「ないでしょうね」
「……」
 海面には、粉々に砕かれたカスプBの破片が、油と共に浮遊していた。生駒は海面に動く物がないか凝視してみたが、陽光の反射のまぶしさに網膜を刺激されただけにとどまった。
(生存者がいたほうが、厄介な事になるのかしら……?)
 何処の誰かも判らない連中を、問答無用で吹き飛ばす。これが自衛隊のやることだろうか。生駒が感じた脱力感は、必ずしも疲労からくるものばかりではなかった。
 浮遊する残骸の中に、比較的大きなものが彼女の視野に入った。なにか文字が書かれているのが判った。それは青い極太のゴシック体で、『UF』と読めた。
「『UF』……?」
 何の略称だろうか、生駒は記憶を探ってみたが、極限状態にある彼女の頭の中には、なにも思い浮かばなかった。報告すべきかどうか迷っているうち、その破片は彼女の視線を避けるかのように沈んでしまった。仕方ない。生駒は決意した。
「……これより帰投する」
「了解」
 この時ばかりは真崎も生真面目な返事をよこした。

「キャッツ・アイが、着艦許可を求めてきてます」
「うん、許可する」
 久川は許可を与えた後、『あやなみ』の位置を、船団の先頭に戻すように命じた。とりあえず、最も厳しい時は去った。そう判断して良さそうに思われた。
(だが)
 これで終わったわけではないのだ。久川は口元に奇妙な笑みを浮かべつつ思った。
 大量の食料とエネルギーを運び続けねば、日本という国は存続出来ない。それは、たとえ使徒が殲滅され、十字の閃光を煌めかせる瞬間も変わることがない。飯を喰わねば誰も生きてはいけないのだから。これからも日章旗を掲げた船団が、世界の海を駆け回ることになるだろう。
 そしてその先頭には、いつだってこの護衛艦の姿がある。何故かって? 決まっているじゃないか。それこそが我らの栄えある使命だからだ。そう、『あやなみ』の征けぬ海など、この世にありはしないのだ。

3.日常

XDayマイナス九九日――硫黄島中部居住区707棟4−C号室

「もう、さっさと起きなさい、このバカトラ」
 東郷家の慌ただしくも微笑ましい朝の情景は、彼らの住む集合住宅の隣家の住人、境サオリの怒鳴り声と共に始まる。もっとも、怒鳴り声と呼ぶには余りにも柔らかな声音である為か、相手にほとんど効果を与えていない。
「そのバカトラってのはやめてくれって言ってるだろ」
 怒鳴られている相手、東郷タカトラが眼を開けた。場所は彼の部屋。ベッドの上の彼は布団から身体を起こそうともせず、憮然とした顔付きで応じる。境は少しだけたじろいだが、直ぐに立ち直った。
「ほら、ごちゃごちゃ言ってないで――」
 境はそう言いながら薄手の布団をはぎ取った。タカトラは意を決したのか、背筋に力を込めて跳ね起きた。
 タカトラはTシャツにトランクス姿だった。思わず境が息を呑む。
「あんたねぇ……!」
「しょーがないだろ、暑いんだからさ」
 タカトラは左手で頭を、右手で胸を掻きながら面倒くさそうに応じた。全くの嘘ではない。硫黄島は亜熱帯の気候に加え、火山性の島であるからだ。とはいえ、毎日のように同い年の異性の襲撃を受けるにしては、無遠慮過ぎる格好には違いなかった。
「……さ、いくわよ。早く着替えて」
 境は半ば顔を背けながら、ハンガーにかかった制服のカッターシャツとズボンをタカトラに投げつけた。
「判った判った」
 タカトラはぶつくさ言いながら、制服のズボンに足を通した。起きるまでは愚図ついていても、臨戦態勢への立ち上がりが早いのが彼の強みだった。着替えから荷物をまとめるまで、五分とはかからない。彼には朝食を採る習慣がないから、なおさら短時間で準備が済んでしまう。

「親父、行って来る」
 ダイニング・ルームではタカトラの父が一人、新聞を読みながら朝食を採っているところだった。
「ああ。今日は帰れんかも知れんからな。夕食は境さんのところで頂きなさい」
 父――東郷ヒサカズの言葉に、タカトラと境は対照的な反応を見せた。タカトラは露骨に顔をしかめ、境は一瞬喜色を浮かべた。もっとも彼女も、タカトラの嫌そうな顔を見て口をへの字に曲げた。
「ええー? やだぜ、俺。コンビニでなんか買ってきて食べるからいいよ」
 渋るタカトラ。彼のカッターシャツの袖を境がグイと引く。
「はいはい、そんなところで遠慮するもんじゃないの。武士の情け。夕食ぐらい恵んであげるわよ」
「ちぇ……」
 そうそう。タカトラはいつだって、結局は私の言うことを聞いてくれるんだ。境は経験則を改めて確認出来たことで、すぐに機嫌を直した。
「さて。おじさま、行ってきます。さ、タカトラ。ぼやぼやしてないで、ほら」
 笑顔の境は、タカトラのカッターシャツの乱れを直すと、首根っこを掴んで玄関口まで引きずっていった。
「タカトラ、サオリちゃん、気を付けてな」
「おう」「はぁい」
 二人は玄関を出た。そのまま廊下の突き当たりにあるエレベータに向かう。幸運にも、エレベータは彼らのいる四階で停止していた。これ幸いとばかりに二人して駆け込む。
「さ、学校までダッシュダッシュ。まったくもう、私がいないとタカトラは毎日遅刻してるんじゃないの?」
 エレベータの扉が開くと同時に、二人は外の世界へと走り出した。朝だというのに、既に強い日差しが照りつけ、視界内の全てを白っぽく感じさせていた。先にタカトラが歩道に出たところで、彼は急に立ち止まってくるりと振り返った。朝日を背にしたその表情が和らいでいた。
「え……? どうしたの」
 境が小さな声で聞く。タカトラの口元が、それに応じるように綻んだ。
「もうすぐだよな」
「……? なにが?」
 境は混乱していた。何か、タカトラと自分にとっての記念日か何かが、近い日にあっただろうか。思い出せない。誰かの誕生日? 違う。じゃあ一体。元来、その手の話にはタカトラはてんで疎いのに。
「判らないか? ほら、あれだ」
 タカトラは西の海を指さした。硫黄島北西部の漂流木海岸沖合にある超々巨大浮体構造物がそこにはあった。全長五キロに及ぶ鉄とコンクリートの塊。本土から分解されて運ばれてくる浮体ブロックを結合して作り上げられた、宇宙往還機専用の滑走路だ。現在、浮体ブロックの九十五%が既にあるべき場所へと設置されている。残る北東部分のブロックが到着して接合が完了すれば、第七期工事が終わる。管制塔その他の上部構造物を作り上げる第八期工事は半年間を予定している。そしてそれが終了すれば、硫黄島宇宙港は宇宙開発の最先端を担う事になる。
「そんなこと」
 境は口を尖らせた。何かを期待してしまった自分が情けなく、また恥ずかしく感じられた。
「他人事じゃないだろ。宇宙港が出来れば、親父の仕事は用済みだ。俺達は鹿児島に帰ることになる」
「あ」
 タカトラの言葉を聞き、境は一瞬瞳を翳らせた。宇宙機のロケット機関開発に携わる境の父親と違い、タカトラの父は浮体構造物の建設スケジュール管理を担当している。元々民間人が独りもいなかった硫黄島が人口八千人を数えるようになったのは、この宇宙港の開発に携わる人々とその家族が移住してきているからだった。
「……本当に、ここから出ていくの?」
「ああ。こんな絶海の孤島に住み着くほど、枯れちゃいない」
「ふうん……」
「さ、行こう」
「ええ、そうね」
 境は沈みがちな自分の気持ちを懸命に打ち消した。判っていたことだ、最初から。今更落ち込んだりしたって仕方ない。まだ少なくとも半年あるんだから。
 綿密な都市計画に基づいて公共施設が配されているおかげで、居住区から学校は、走れば十分もせずにたどり着ける。二人は並んで歩道を駆けていく。が、次第にタカトラが前に出る。
「こら! 私を追いてくなー!」
「へへ、急がねぇと遅刻だぞ!」
「誰のせいだと思ってんのよ!」
 二人にとっては、どうという事のない日常の始まりであった。それが一部の人間にとっては、いくら妄想したところで手の届かぬ幻想と同じ色彩を有しているなどとは思っていなかった。まして彼らの日常がどれほど危ういものであるのかに至っては、全くの想像の埒外であった。

第弐話に続く

器具庫に戻る

INDEXに戻る