『おとぎの国の”レッドサン”』第四話


初出:1997年8月24日

NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:04
No pains,no gains.T.



1.オリジナル・キャラクター

Xdayマイナス七八日――硫黄島中部居住区707棟4−B号室

 境サオリは、自室でラジオを聴いていた。時刻は夜の十一時になろうとしていた。
 この番組は、直接第二新東京のラジオ局が発信する電波ではなく、海底の光ファイバーケーブルによって東京から送られたものを、硫黄島の電波塔から送っているものだ。軽快な音楽が流れ、続いて鼻にかかる声が聞こえてきた。
『はいどうも今晩わ、”ナルミのステップジャンプ!”のお時間です。お相手は私井上ナルミと、堀越イチロー君です。
 今日はなんと、あの”今、僕らは翔びたつ”で大ブレイク中の”Silver Wing”のお三方と、監督の彷徨佳さんにお越し頂いてます! いろんなお話をお伺いしたいと思ってます。
 さあ今日も三十分、元気を出してレッツゴー! この番組は、”未来への歌声・クロニクルミュージック”の提供でお送りします』
 CMが流れる。第二新東京発の番組なので、CMも手の届かない内容である場合が多い。
 井上ナルミは、まだ二十歳の現役女子大生ながら第一線で活躍する声優である。NHKのアニメ『風色のリルト』の主人公役で人気に火がつき、『超機動戦史ガンダムA(エース)』のヒロイン役でその地位を不動のものとした。また、彼女が歌ったこのアニメの二代目オープニングテーマ『オーバーロード』は、最高でヒットチャートの三位にまで食い込む大ヒットを見せた。母親も同じく声優で、その血筋と、母親譲りのおっとりとした声色が高い人気を誇っている。
 難点があるとすれば、のんびりした声が、あまりラジオの深夜放送向きではない、という点であろう。
 事実、自室で彼女の放送を聞いていた境は、ひどい睡魔に襲われ、内容の三割も理解できないでいた。
『さてここで、去年やって大騒ぎになったゲリラライブを、今年もまたやってしまいます』
 船を漕いでいた境の耳に、そんな井上の声が聞こえてくる。
『去年は北海道は稚内までお出かけでしたが、今年は南ですっ! 聞いて驚け、なんと硫黄島だあ!』
「ええっ!」
 井上の言葉通り、境は眠気を吹き飛ばした。
『なんだか硫黄島では一週間ほど前に空港で事故があったそうですが、現在は復旧しているそうなので、安心ですね。肝心の日付ですが、えーと、何と一週間後! さーて何人来てくれるのか、今から楽しみですねえ。今年はこの番組も硫黄島から出張放送しちゃいます。イチロー君、硫黄島って行ったことある?』
『いや、ちょっと硫黄島は……。綺麗なところだそうですけどね』
 まあ、確かに整備されて綺麗ではあるが、元が火山島で、植物相はむしろ貧困だ。沖縄のような光景を想像して貰ったら気の毒ね。境はそんなことを考えながら、柔らかな井上の声を片言も聞き逃すまいと意識を集中した。

Xdayマイナス七七日――『硫黄島中部居住区硫黄島第一中学校』2年1組教室

 放課後。
「ね、ね、昨日のラジオ聞いた? 『井上ナルミのステップジャンプ』」
「聞いた聞いた! ここでライブなんて、無茶な事考えるわよねぇ」
 教室の後ろで境が松田と盛り上がっている様を、タカトラは不思議そうに眺めていた。
「なあ、井上ナルミって誰だ?」
 隣にいた南雲にタカトラが訊ねると、南雲が眉をひそめた。
「井上ナルミを知らないなんて、ちょっと遅れてると思うよ」
「おや、南雲君は”ナルミスト”で?」
 二人のやりとりを聞きつけた境が、意地悪げな声を出して南雲の方を向いた。
 井上の熱烈なファンの事を、ナルミストと呼ぶのは一般的な風潮になっている。
「いや、その。まあ、優しさの中に勇ましさが渾然とした曲調が好きなだけだよ」
 慌てて首を振る南雲を見て、松田がへそを曲げる。それを見たタカトラが、
「そんなもんかね。おう、シュンスイ。お前、どう思う?」
 と、窓際に立って外を眺めている陶の背中に声を掛けた。
 タカトラは別に助け船を出すつもりはなかったのだが、これで結果的に南雲を救う形になった。
 転校生である陶は、一風変わった存在だった。
 ドイツの学校(彼は多くを語らないが、どうやらスキップで大学の修士課程を終えているらしい)から、硫黄島第一中学にやってきて一週間。彼の容姿に惹かれて交際を申し込む女子生徒は後を絶たなかったが、彼はそういった申し出を全て断っているようだった。それは異性にとどまらず、たとえ同姓から話し掛けられて自分の話題を聞かれるのを避けているように見える。そのくせ、極端に人嫌いという訳でもなく、自分から話題に加わって来ることも多い。
「僕はまだこっちに来て間が無いから、流行の歌は良く判らないよ」
 珍しくまともな答えが返ってきたので、聞いたタカトラ自身も少し驚いた。
「だ、そうだ。……さて、と」
 タカトラは大儀そうに言って、腰を下ろしていた机の上から降りた。
「高校のほうに行くの?」
 境が訊ねる。タカトラは大きく顎を引いた。
 週三度、彼は硫黄島高校に顔を出し、剣道部の練習に混ぜて貰っている。中学校のほうに剣道部がないからだ。
 硫黄島高校には、二万里(にまのさと)ヒビキという、姓名ともに一風変わった女流剣士が居る。その腕前が全国レベルだというので、タカトラはしばしば手合わせを願っている。
 戦績はどうなのか以前境が訊ねたことがあった。その時の答えが、
「いつか倒す」
 だった。源流であるタイ捨流に近い示現流を駆使し、中学生レベルはとっくに越えているタカトラも、まだ二万里には及ばないらしい。

 硫黄島高校は、中学とは道路一本挟んだ隣りにある。勝手しったるタカトラは堂々と校門から入り、剣道場に向かった。
「二万里先輩!」
 剣道場に顔を出すなり、タカトラは大きな響く声で呼びかけた。
「よう、また性懲りもなくどたまかち割られに来たか!」
 掛かり稽古の最中だった二万里が手を止め、豪快な口調で言った。
「今度は負けませんよ」
 不敵に笑って、タカトラは更衣室に駆け込んだ。

 十分後。
 防具を身につけたタカトラは、同じく完全装備の二万里と向き合っていた。
 タカトラは竹刀の鍔を、右肩と同じ高さまで引き上げた。切っ先は天井を向いている。薩摩示現流独特の構え。
「チェーイ!」
 異様な気合いがタカトラの喉から迸る。二万里は動じないが、表情が更に引き締まる。
 薩摩示現流。常識を超えた疾さで袈裟切りの一撃を打ち込む事が、この剣術のアルファであり、オメガである。示現流では脈動を一つの単位とし、さらに一回の拍動を何十、何百と分割し、その最小単位で打ち込めるように素振りを行う。
 反面、防御にかけては大した注意は払われない。何故なら、第一撃で必ず相手を倒すのだから、防御を必要としないから。勿論、それは理屈であって、よほどの達人でなければそのようなレベルには達しない。スポーツとしての剣道を行うに当たっては、著しく不利なスタイルである。
 だが、タカトラは敢えてこの剣術にこだわっていた。
 対峙する二万里は青眼――半身になり、切っ先を相手の顔面に向け、柄を腹の前で構える基本的な構えだ。
 二人の間を流れる空気に、戦気が満ちた。
「チェストオオッッッ!!」
 猿の遠吠えとも怪鳥の鳴き声とも称される、人間のものとは思われない雄叫びとともに、タカトラが突進。竹刀が唸りを上げた。かつての剣術の達人は、闇夜の中、床を走るネズミを木刀で切断したと言われる。タカトラの一撃は、その達人のような切れ味と言うよりは、岩をも砕くような破壊力を有しているように思われた。
「メェーン!」
「ドオーッ!」タカトラの咆吼に負けじと、二万里の裂帛の気合いが炸裂する。
 ボゴッ!!
 二つの衝撃音が発生した。ほとんど同時に反応していた二万里の竹刀が、タカトラの胴を綺麗に捉えていた。だが、タカトラの必殺の斬撃は、首が肩に埋まるかのような衝撃を二万里に与えていた。
「ぐえっ!」
「ったあああ!」
 防具をつけているとはいえ、互いに殺人的な打ち込みをもろに浴びては只では済まされない。二人はともにうめき声をあげて床に突っ伏した。
「くう……。腕を上げたわね。かわしきれなかった。モロに来たなあ……」
 頭を押さえながら、二万里が苦しげに言った。
「……いつもなら、軽くかわしてから反撃に映るのに。どうして捨て身の撃ち合いなんて」
「偶にはね。……あたたた、あんたの一撃がこうまで効くとは、正直思わなかった」
 二万里が面を外した。タカトラも倣う。
「今日はこれまでね。なんだか気合いを使い果たした」
「そうですか。有り難うございました」
 タカトラは剣道式の形式張った礼をして、剣道場を出た。

 思いがけずに稽古が早く終わり、タカトラはなんとなく暇を持て余した形で高校の敷地を出た。そのまま家に帰る気にもなれず、いつものように大坂山の頂上にある通信アンテナ施設に向かう坂道を上る。
 そこからなら、綺麗な夕日に彩られた宇宙港を眼下に見下ろす事が出来る。何かあるとそこに行くのが、タカトラの習慣になっていた。

2.同床異夢

Xdayマイナス七七日――『硫黄島』大坂山

 本来、無人であるために”東京都小笠原村”という住所しか与えられていなかったこの島は、今では人口八千人を数え、”硫黄島町”という新たな名称が付けられている。
 もっとも、”宇宙都市”などという気恥ずかしい呼ばれ方をされることも多い。事実、都市の中核を為すのは、島の西部、かつては”監獄岩”などという縁起でもない名前の岩があった沖に作られた、空港ならぬ宇宙港である。埋め立てによるものではない。関西新空港に匹敵する面積を有するこの宇宙港は、その全てが鋼材とコンクリートでできている。
 硫黄島は島の周囲二十二キロ、面積は二十二・四平方キロの、こじんまりとした島である。今なお継続している火山活動の為、島の各所に温泉が湧いている。ただ、火山活動の割に島は平坦で、南端にある最も高い摺鉢山でも、標高一六八メートルしかない。
 かつて、日米が激しい攻防を繰り広げ、戦後は自衛隊の基地があるだけだったこの島は、戦後半世紀ほど、島全体が戦没者慰霊碑としての役割を果たしていた。当時の守備隊長の名を取り、栗林壕と呼ばれる全島に張り巡らされた壕が、開発前まで島のあちこちに残っていた。いわば半世紀余り、この島は眠るような時を過ごしていたのだ。
 今では、当時を遥かに上回る規模の土木工事の結果、往時を偲ばせるものは、南端の摺鉢山と、北部の天山周辺に集められたものを除き、ほとんどが取り壊されている。余りにも戦争に関連したものが生々しく残されていた為、僧侶と牧師が工事につきっきりになったほどだ。
 島の北部の自衛隊の飛行場は、根幹に関わらない施設が若干縮小された以外は、ほぼ開発前と変わらない。ただし、民間機との共用になったことで、関連施設が幾つか併設された。先の攻撃で軍用の基地施設は大損害を被っており、かろうじて滑走路が修復された段階で、民間機の運用が細々と再開されている。
 東部には、沖の宇宙港と結ばれた超伝導モノレールの駅と、関連の工場が幾つか立ち並んでいる。中部は主として居住区であり、西部の浜は、リゾート地として整備され、ホテルも建っている。あまり大声で語られる機会は少ないが、そこはかつて、”上陸海岸”と呼ばれていた場所でもある。
 いずれにせよ、箱庭のような島である。土地の絶対的な不足は仕方ないとして、宇宙港の建設と平行して、慎重な都市計画に基づいて開発が進められてきた街でもある。
 その中、一見すると例外的な場所がある。平坦な島にあって沖合の宇宙港が一望に見下ろせる高台。それが大坂山である。
 常識的な感覚で言えば、山とも呼べない単なる丘でしかない。斜面には、気温と地熱に耐えうる種類の芝生が茂っている。手入れはそれほど行き届いているわけではない。
 そこになにがあるのか、頂上に高い櫓状のアンテナが幾つもそびえ立ち、白い二階建ての建物と共にフェンスで囲まれているのを見れば一目瞭然である。宇宙港関連の通信施設である。高さ百メートルを超える長大なアンテナは、遊園地にある自由落下を体験する施設を彷彿とさせる形状をしており、平坦な硫黄島ではかなり目立っている。
 夕暮れ時。南国の強烈な日差しは、この島が東京から三千キロ離れた僻地にある事の証明のようでもある。周囲に人影は無かった。フェンスの支柱にもたれ、宇宙港の方角を見つめている先客の少年を除いて。

「なんだ、もう見付けちまったのか。……それにしても、なにが”まだこっちに来て間が無いから、流行の歌は良く判らない”だ」
 タカトラがさも残念そうに、後ろから声を掛けた。『今、僕らは翔びたつ』を鼻歌で歌っていた相手が振り返る。
「それはまあ、宇宙港を一望に見下ろせる場所、と辺りを見回したら、ここにしか来ようがないからね。歌については、確かに弁解の仕様もないな」
 タカトラの存在に気づいていたのか、陶は驚いた様子もみせずに笑って答えた。
「ま、どっちでもいい事だわな」
「東郷君はどう思う、この眺めを」
 振り返った陶が、右手をぐうっと宇宙港に向けて動かした。
「ごっついもんだと思うぜ。人間って奴はしぶとい。滅びかかってから十五年で、もうこんなもんを作ってるんだから」
「僕の考えは少し違う。――人間の英知はこんな所で浪費されていいものではない」
 陶の表情がやや固くなっているのにタカトラは気づいた。
「変わってるな、お前。この島には、ほとんど宇宙港関係で飯食っている人間とその家族しかいないから、本土よりよほど肯定意見のほうが多いんだがな」
「それもそうだね。気を付けるよ」
 陶は表情を崩し、照れくさそうに言った。タカトラも苦笑いする。どうもこの男が相手だと身構えてしまって肩がこる、と内心で考えている。
「お前の親父は宇宙港関係じゃないのか? この時期に越してくる以上、第八期工事の関連だろう」
「まあね。仕上げだよ」
 陶の意味ありげな言葉にタカトラはにやりとした。
「仕上げ。そういう表現で間違いはないな。管制施設をおったてて内装を施して完成だ」
 そう言いつつ、タカトラはふむふむと頷く。逆に陶も訊ねる。
「そういえば、君のお父上は、宇宙港の保全運行管制主任でいらっしゃるとか?」
「”お父上”ねぇ……。肩書きは良くしらんな。あんまり興味は無いから」
「そうか」
 陶は少しだけがっかりしたように見えた。それからがらりと表情を変える。
「話は変わるけど、つまらない事を聞いていいかな? 松田さんと南雲君はつきあっているのかい?」
「らしいね。……意外だなぁ、陶もそんな事に興味があるんだ」
 タカトラの呆れ顔。陶は肩をわずかに竦める。
「羨ましく思っただけさ。君と境さん、そして松田さんと南雲君。どっちも似合いの組み合わせじゃないか」
「俺とサオリは関係ない」
 タカトラのぶっきらぼうな答えに、陶は笑った。
「いや、とても羨ましいよ」
「そういうお前はどうなんだよ? 確かドイツの学校にいたんだよな? 彼女を残してきたとか、そう言う話は無いのかよ」
 深い意味があってぶつけた問いでは無かった。が、陶は表情を曇らせ、昔を懐かしむような口調で話し始めた。
「……向こうにいた頃、仲間内で、”ゼーレーヴェ”と呼ばれていた女の子がいたんだ。栗色の髪と、紺碧の海を思わせる瞳が、とても綺麗な人だった……。みんなの憧れの的だったよ。その人も、今は日本に来ているはずだ。第三新東京に」
 遠くを見る目になった陶を、タカトラは面白そうに見ていた。
「へぇ。なんともそいつは残念な話だな。ここにいたんじゃ、ある意味でドイツ以上に距離がある。ところで”ゼーレーヴェ”ってなんだ?」
「ドイツ語で”ゼー”は海、”レーヴェ”は獅子という意味だよ」
「つまり英語風に言えば、”シーライオン”ってか。変わったあだ名だな」
「それこそ百獣の王のように、気高い志の持ち主だった」
「ふうん。一度あってみたいもんだ」
「君には境さんがいるじゃないか?」
「だからそれは違うって」
 いつしか夕日はすっかり水平線の向こうに隠れてしまった。南の空の雲行きが怪しい。
「おい、俺はそろそろ帰るけど、どうする?」
「僕はしばらくここにいるよ。ここから見る夜空がどんなものか、見ておきたいからね」
「……暇な奴。ま、いいさ。そいじゃ、また明日」
「ああ、また明日」
 タカトラが坂道を下って姿を消したのを見届けて、陶は改めてその場から三百六十度の眺めを見回した。
 なんと愚かしいことを、そんな呟きが彼の口から漏れる。
 もし神が、セカンドインパクトを起こしたのなら。
 ノアに例えられるべき人々が為すべき事は一体何か。
 人類の原罪は、科学によって贖罪されるものではない。
 それはむしろ、旧世紀を成り立たせていたもの、そのもののを打破しなければ達成されない。
 科学は人類にとって必要だ。だが、その力を向ける方向が今は間違っている。こんな孤島に、人工衛星を打ち上げて利便性を追求するためだけに科学力を投入するやり口は間違っている――。
 陶は薄笑いを浮かべた。
「僕たちが変えてやる」
 人類を旧世紀の呪縛から解き放ち、あるべき生き方を具現化する政治体制。それを押し進めている新たな国連、UF。
 UNと、それに盲従する者どもは倒されねばならない。
「やってやるさ。僕はまだ十四歳だが、為すべき事は知っている。あの”ゼーレーヴェ”も、彼女にしかできない仕事を為している。僕にだってやれないことはない」
 宇宙港を見下ろす陶の瞳は、限りなく冷え冷えとしていた。

3.不明目標

Xdayマイナス七六日――『硫黄島中部居住区』硫黄島西方、約六十キロ

 夜の闇の中、波を切り裂いて走る姿には、小柄ながらも精悍さを感じさせる。とはいえ、月明かりが厚く張り出した雲に隠れてしまっているので、よほど近づかなければ、その船体が特殊な形状を有していることには気づかないだろう。
 『いなわしろ』級五番艦、正確には第二後期型二番艦『しんじ』(艦番PG−851 百二十トン)。
 この級は、常識的な意味でのフネと呼ばれる上部船体の下に、板状の支柱で魚雷型の全没式船体が繋がれている。高速発揮時には、全没式船体から伸びた水中翼の揚力により上部船体を持ち上げ、フネの速度を最も阻害する造波抵抗をほとんど消すことが出来る。ガスタービン・ウォータージェット推進で、最高時速は五十五ノットにも達する。
 ただ高速なだけではなく、かなりの重武装でもある。バルカン・テルシオの簡易バージョンである三十ミリ連装機関砲を艦首に装備し、上部船体の後ろ半分は、十六セルのVLSで埋め尽くされている。これは、対空ミサイルだけでなく、対潜用のアスロックや対艦攻撃用のミサイルも発射可能な代物である。乗組員は十五名。一隻で、今は統合・廃止された海上自衛隊地方隊の護衛艦一隻と同等の働きが出来る――とは、開発者の言葉である。
 実際には乗組員はかなりのオーバーワークを余儀なくされ、長期航海に耐えられない。その点で、メーカーの売り口上ほどの能力を常に発揮できるわけではないが。乗組員達は自分の乗るフネに、さほどの自信を持っていなかった。
 今『しんじ』は、八番艦の『とうや』とペアを組み、交替で硫黄島を周回する形で警戒にあたっている。
 警戒態勢のまま、日付が替わっていた。今は速力を落としているので、上部船体の底面が波に触れている。海中に潜む潜水艦を探る為だった。
「よーし、ピン一本行ってみよう!」
 艦橋。艇長の緒方ユウサク三佐が大声で言った。寝不足で目が充血している。照明がおとされているので、彼の血走った眼が周囲に見えないのは救いだった。
 この級には、護衛艦のようなCICは設置されていない。代わりに、艦橋内に必要な情報が集まる形になっている。指令席前のコンソールにはCRTモニター三つが備えられて、キー操作一つで情報を呼び出せる。
 艦橋の後方にあるソナールームで、ソナー員が操作を行った。全没式船体の前部から、アクティク・ピンが打たれる。魚雷であれば信管が収まる位置にあるソナーが、反射音を拾い、ソナー員がそれをモニターする。
「ソナー、感あり。原潜――恐らくアクラ級です」ソナー員が報告する。「『とうや』の申し送りのグリッドと、位置はほぼ同じです」
「まだいやがるのか」
「そのようですね。位置、変化無し。スクリュー音聞こえません。懸吊してます」
「ったく。ヴァレンタインなんざクソ食らえだ。世界の軍隊が手を繋ぐなんて発想が間違いなんだ」
 緒方が毒づく。傍らの女性副長が悲しげな顔をする。
「そういう汚い言葉遣いは士気に関わります」
「そうは言うがな」
 緒方は元来は物静かなほうだ。肩の力を抜き、溜め息と一緒に愚痴を吐き出す。「もう一週間になるんだ。この国籍不明――ロシア製だって事はバレバレだが――の潜水艦が硫黄島の周りをうろつき初めて。しかも二隻」
「それは、確かに。ですが」
「皆まで言うな。上層部だって悩んでるだろうさ。しかしUNに一旦話を遠そうにも、向こうがまともな返事をかえしてこないんだから、どうにもならない」
 緒方は疲れた声を出した。この一週間、不明目標であるロシア潜水艦の存在目的を問い正すべく、自衛艦隊司令部と、職権を越えていることを知りつつ海上幕僚監部までねじこんでいる。にも関わらず、明確な返答は一向に帰ってこない。
「昔なら、領海内に潜り込んでいる以上、強制浮上させたって文句は出ない筈なんだが……」
「こちらソナー!」
 日頃冷静なソナー員が、めずらしく強ばった声をあげた。
「ん?」
「左舷前方、新たな推進音をキャッチしました。音紋解析中、……恐らく、タイフーン級」
「ええいくそ。戦略原潜だと? 上はなにをやってるんだ」

4.ヒトの作りしモノ

Xdayマイナス七六日――硫黄島西海岸沖

 台風『シンシア』の勢力圏内にすっぽりと包まれてしまった硫黄島には、大雨洪水暴風波浪警報が発令されていた。
 そんな中、海上保安庁の海洋環境調査船『たまな』は、硫黄島西岸、宇宙港に挟まれた海域に投錨し、海底調査用の潜水装甲服『ヘルメス』を海中に繰り出していた。
「何もこんな嵐の日に……」
 揺れる船体の中、古賀トシハルがぼやいた。
「宇宙港からせっつかれてますからね」
 高城ショウエイが、顔付きでは古賀に同意しながら、やんわりと言葉を返す。
 場所は『たまな』の指令室。
 薄暗い室内のモニター群には、『ヘルメス』の複数のカメラが捉えた映像と、赤外線センサーのコンピュータ処理画像が映し出されている。
「今のところ、脚柱にも浮体ブロックのほうにも、目立った腐食や貝の付着はなさそうですね」
 高城の言葉に、古賀はモニター映像を見つめたまま頷いた。
「ここいら辺りは最近出来たばかりだからな。二次工事で固定された管制施設の下は、結構古い。そっちのほうに回ってみよう。レミちゃん?」
 古賀の声は、『たまな』と『ヘルメス』をつなぐ、電力供給ケーブルに走る回線を通じてレミの耳に届く。
「あの……」
 どこか躊躇いがちなレミの声。
「どうした?」
「キャタピラの跡があるんですが……?」
「キャタピラ?」
 古賀はモニターを見直した。確かに白い砂が広がる海底に、規則的な凹凸が続いているのが『ヘルメス』のサーチライトの上に確認できた。
「向きは? いつごろのものか判るかな?」
 横合いから高城が呼びかける。
「南北方向に走ってます。たぶん、最近のものです。この辺り、潮の流れが結構あるのに、ギザギザが崩れてません」
「いい見立てだ。どうも気になる。キャタピラ付きの潜水作業ビーグルが近頃この辺りで活動したという報告はない」
 古賀が顎を撫でる。
「跡を辿ってみてくれないか?」
「え……? どっちにいけばいいんですか?」
 レミの問いに、古賀と高城は同時に唸った。確かに、キャタピラ跡だけでは前進方向がどちらか判らない。
「ええと、そこは」
 古賀はモニターの一つに目を走らせ、宇宙港のワイヤーフレーム図と、『たまな』、『ヘルメス』のシンボルマークが示された画像に視線を止めた。現在地は、宇宙港の北東部。BW−01からBW−03と呼ばれる浮体ブロックが接合されたのは、つい先日の話だ。
「とにかく、管制施設に近づいていると仮定して……。南へ」
「判りました」
 キャタピラ跡は、宇宙港の真下――、脚柱の林のなかへと続いている。レミは慎重にサーチライトで闇を払いながら、脚柱の間を縫うように進んでいく。
「――!?」
 レミは声にならない叫びを漏らした。
 マジックアーム二本を装備した、キャタピラ付きの潜水艇が唐突にサーチライトの光の輪の中に浮かび上がっているのだ。その回りには、ウエットスーツの見慣れぬダイバーが二人。一人は、水中銃らしきものを手にしている。
「ショウエイさん……!」
「やばいぞ、一旦下がれ!」
 高城が慌ててマイクに怒鳴る。
 こりゃあ、警察か海保の領分だ。こんな得体の知れない連中が何かやってたとなると、大問題になるな……。
 『ヘルメス』の背面から伸びた二本の支柱、その先端にあるシュラウドリング付きスクリューが百八十度旋回し、前を向いたまま後退を開始する。
 と、後方から衝撃が起こった。何かの爆薬によるものらしい、もうもうと海底の土埃が巻き上がり、視界が覆われる。激しい流れに翻弄され、一度は天地が逆さまになるほどだった。
「うわ!?」
 バラストの働きですぐに姿勢は立て直せたが、一瞬にしてどっちを向いているのか判らなくなった。
「ショウエイさん、引っ張って下さい! 視界が――」
 パニック寸前のレミが喚く。
「判った。ウインチ、巻き上げを!」
 艦尾のケーブルウインチが唸りを上げた。
 濁った海中を『ヘルメス』がゆっくり後ろに下がっていく。
「!」
 突然、後ろから引き戻されるような感覚が『ヘルメス』を襲った。動きが停止する。
「え……?」
 ケーブルが何か(おそらく、脚柱だろう)に引っかかったのだ。爆発の衝撃で思わぬ位置に流されていたらしい。
「何かにケーブルが絡まったみたいです!」
「落ち着け、レミちゃん。仕方ない、ケーブルを切り離して内部電源に切り替え。位置評定ジャイロは生きてるな?」
「あ、……はい」
 文字通りの命綱であるケーブルの切り離しと聞いて、レミは頭から血が引く感覚を味わった。指先の感触がおぼつかなくなる。
「焦ることは無いぞ、内部電源は海中なら三十分はゆうに持つ」
 高城の励ましに、レミも腹を固めた。
「了解。通信を終了します」
 海中では電波が届かないため、無線による通信は行えない。ケーブルを切断すれば、交信不能になる。水中電話という手もあるが、確実な手段ではない。特に現在のように海面が荒れている状況であればなおさらだ。
 地上と違い、土煙はそう簡単に収まらない。サーチライトが照らす海中は、未だに視界が全く利かない。
「なんだ、どうした? おい!」
「え?」
 レミはマニュピレーター用グローブから手を抜き、ケーブルの切り離しレバーに腕を伸ばした。が、突如、通信レシーバーに尋常ならざる声が飛び込んできた。それはレミに向けられたものではなかった。
「あ、うわあ!」
 爆発音がそれにかぶさる。
「ショウエイさん!? 古賀部長!? 応答願います、どうしたんですか?」
 破裂音。何か鉄砲を撃ったような音も聞こえた。
「逃げろレミちゃん! その場から早く離れるんだ!」
「え、え!?」
 バリバリと金属音の響きがレシーバーを圧し、ぷつりと音が途絶えた。空電のざらついた音だけが残る。
 レミはしばらく指令室を呼び出したが、反応はなかった。ケーブルが断線したらしかった。
「一体何が……」
 レミは中断していたケーブルの切り離し作業を完了させると、『ヘルメス』の向きを『たまな』のいる方向に固定し、五ノットで前進を開始した。逃げろ、と言われても、彼女には他に行く場所は無い。
 次第に視界が回復してくる。脚柱の林を抜ける。
「さっきの人達、何者だったのかしら……。何が起こったの?」
 本来、帰投時の誘導用に放たれるソナー音は聞こえてこない。レミはほとんど勘とジャイロの数値だけを頼りにゆっくと浮上しながら進んでいった。
 と、頭上に『たまな』の船腹が見えた。艦尾のエレベータは彼女を出迎えるように海中に降ろされている。
 安堵とともにレミは『ヘルメス』の速度をはやめる。
 エレベータに乗っても、動く気配はない。
 レミは意を決すると倍力装置を最大値に設定し、エレベータを思い切り蹴った。
 その図体からは信じられないほどの跳躍。一気に海面上に躍り出たかと思うと、作業甲板に着地する。鈍い音。バランスが崩れ、レミは前のめりになって両手をついた。足首に痛みが走ったが、気にする余裕もない。
 顔を上げると、甲板上には黒いウェットスーツ姿の得体の知れない連中がうごめいていた。その足元に赤黒いものが見えた。
 それが、かつては人間であったものだと気づくのに、数瞬を要した。恐らく古賀や高城達も同じような運命を辿ったであろうと悟った瞬間、彼女の理性は崩壊した。
「……うわぁっっ!」
 声にならない絶叫と共に、レミは甲板を蹴り、正体不明の相手に突っ込んでいく。相手が手にした小銃を撃つ。だが、水圧とコンクリート塊の崩落に耐えるための重装甲を施された『ヘルメス』はびくともしない。
 レミは黒ウェットスーツの一人の前に進み出て、力任せに右腕で顔面を殴りつけた。
 セラミック製ピエゾ電気素子は、高電圧を加えることにより伸縮する。『ヘルメス』の倍力装置は、この物質の特性を応用したものだ。その破壊力は、生身の人間に対して向けられるには、残酷すぎた。
 ぐしゃりと音がして、相手の首から上がミンチと化して四散した。胴体は手すりまですっ飛んでいった。そのまま半回転して海面へと転げ落ちる。
 銃弾を浴びながらレミは吠え、暴れた。完全に正気を失っていた。『ヘルメス』の腕が唸る度、ウェットスーツの連中は跳ね飛び、気色の悪い破砕音が響き、甲板上にはさらなる血液が流れていく。
 作業甲板に唐突に静寂が訪れた。虐殺の対象が逃げるか死亡するかして、その場に存在しなくなったからだ。
 レミは船内に向け手足を踏み出した。その瞬間、船体が大きく傾いた。波に煽られてのものではない。続いて足元から爆発音と空気を振るわせる衝撃。
 レミの乗る『ヘルメス』は、為す術もなく甲板上を滑り、そのまま海面へと投げ出された。続いて海中を衝撃波が走る。まとも衝撃を喰らったレミは為す術もなく気絶した。


Xdayマイナス七六日――硫黄島中部居住区707棟4−C号室


 何か、遠くから音が聞こえたような気がした。だが、航空機に加え、宇宙機の離着陸をも考慮して可能な限りの防音措置がとられた室内からでは、はっきりと判らなかった。
 気のせいだったかな、とタカトラが思ったとき、玄関でチャイムが鳴った。それだけでは物足りなかったのか、「タカトラ!」
 と呼ぶ声も聞こえた。境の声だ。
「どうした?」
「チアキが居ないのよ! 南雲君から連絡があって……」
「どこか買い物にでも出かけてるんじゃないのか?」
「このどしゃぶりよ、そんな訳ないでしょう?」
「風で飛ばされたっていうのかよ」
 外に出て棟の正面入り口まで降りると、悄然とした様子の南雲がいた。
「どうしたい、南雲。何があったんだ?」
「今日、ちょっとチアキと喧嘩しちゃってさ」
「情けねぇ奴」
「今、そんな事を……!?」
 境が目を剥く。タカトラはやれやれと言った調子で首を振った。
「とにかく手分けして探そう。サオリと南雲は、ショッピングモールのほうに。俺は、海岸のほうを探してみる」
「海岸? 危ないわよ!」
「だからだよ、傷心の女が荒れた海を眺めてる、いかにもありそうなシーンじゃないか?」
「なんか、知識が偏ってるような……」
 この危急を告げる時に、境がぼそりと言った。
「とにかく。一時間後にここに戻ってくること。行こう」
「判ったわ」

 この強風と横殴りの雨の中、タカトラは背を丸めて、西海岸線沿いの道路を走っていた。時折堤防を超えて波飛沫が跳ねる。宇宙港の姿が波間の向こうに見える。この嵐の中、大丈夫なんだろうかとタカトラは思った。
「こりゃあ、もしこんな所に来てたんじゃ、もう波に呑まれてるのがオチだな」
 腹立たしげに絞り出したタカトラのわめき声も、突風に吹き千切られてしまう。
 レインコートは屋外に飛び出して三分で役立たずになった。周囲に人影はない。車も走っていない。松田を探すどころか、自分の身が危険であることをタカトラは認識せずに入られなかった。
 時計を見る。約束の時間までまだ三十分は残っていた。
「……しゃあねえな」
 悪態をつきながら歩みを進める。
 宇宙港との連絡橋付近にまで来たとき、堤防の切れ目から、漂流木海岸のごつごつした岩場の波打ち際に、何か白い物が打ち上げられているのが見えた。その大きさから見て水死体という事はないだろう。浮標ブイがどこかから流されてきたのかも知れない。
 タカトラは直感に響くものを感じ、堤防を越えて岩場に降りた。
 横風と高波に浚われないよう気を付けつつ、白い物体に近づく。
「なんだ、こりゃ?」
 それは人型をしていた。恐る恐る顔を近づけ、頭部を観察する。頭部カバーにスリットが入っている。その中を覗き込むと、真っ青な顔が見えた。
「げ!」
 タカトラはそれが死体だと思った。だが、このまま放置しておくこともできない。
「おーい、もしもーし、聞こえますかぁ!」
 ガンガンと頭部カバーを殴りつけながら呼びかける。半ば無駄な努力だろうと諦めていたから、中で頭が動いたように見えたときは本当に仰天した。

 レミは、暖かな感覚に全身を包まれていた。実は体温低下が危険なレベルに達していたのだが、意識がもうろうとした彼女には気づく由もない。
 何か、耳障りな音が聞こえていた。なんだろう、レミは緩慢な動作で周囲を見回した。そこが『ヘルメス』の中であることに初めて気づく。
「生きてる……?」
 スリット越しに、もの凄い形相の少年が、何事かを呼びかけていた。外に出ろと言っているらしいことが判った。
「ええと……」
 頭の回転がひどく鈍っている。どうすればいいのだろう? 息が苦しい。……そうか、電力供給が切れて、生命維持モードに……。もう、予備電源もバッテリーが上がりかけてるんだ。宇宙服が原型だから、この『ヘルメス』は、酸素を外部から取り入れる機構が存在していない。
 レミはぼんやりとした頭で、懸命に考えた。マニュピレータ・グローブに突っ込んだままの右手をゆっくりと抜き、端末のキーボードを叩く。
 空気を吹く音と共に、頭部カバーがせり上がった。
 強い潮の香りがコクピット内に流れ込んだ。
「ああ、生きてるんだ……」
 少年が何か喚いている。だが、レミはその言葉の意味を理解できない内に意識を再び失った。


Xdayマイナス七十六日――硫黄島中部居住区総合病院307号室


「んん……」
 軽く声を漏らし、レミはぼんやりと目を開けた。白い天井が見え、薬臭い匂いが鼻をついた。視線を左側にずらすと、黄色い液体の入った点滴がつり下げられ、そこから伸びたチューブが、自分の左腕に繋がっているのが判った。
 窓の外が暗い。廊下側からもわずかな非常灯の明かりしか漏れていない。夜になっているらしい。
 ふう、とレミが息を吐く。何があって自分がこうしてベットの上で横になっているのか、思いだそうとする。
「気分はどうですか?」
 右手からそう訊ねてきたのは、背広姿の男だった。彼の後ろ――病室の出入り口では、もう一人の男が、ベテランらしき看護婦相手にあれこれと頼み込んでいる姿があった。
「……はい。ええと」
「状況を説明しておいた方が良いかも知れませんね。あなたは、硫黄島の西海岸に漂着しているところを、地元の、ああ、ここの居住区に住む中学生が発見し、ここに運び込んで警察に通報してくれました。貴女の来ていた潜水服――と、申し上げてよろしいんでしょうな?――は、海岸線近くの倉庫に運び込んであります。随分と重い代物らしいですね」
 背広の男は優しげな口調でよどみなく語った。その隙のない話しぶりに、却ってレミは警戒感を抱いた。
 あれこれと訊ねられたが、レミはうまく答える事が出来なかった。逆上し、錯乱して行った虐殺。遠い世界での出来事のようにレミには思われていた。

 その男が、「また来ますよ」と言い残して立ち去ってから初めて、レミは相手の名前はおろか、何処に所属して自分の事情聴取を行っていたのかすら利いていないことに気づき、愕然となった。

 病室に、外で話していた男がさっきの男に替わって入ってきた。
「さっきのは、公安警察の刑事さんですよ」
 病人の私物入れを兼ねた四角い椅子に腰を下ろしながら、この男は言った。
「公安……?」
 反射的にレミはしかめ面になる。
「気になさることはないです。どうも宇宙港付近で怪しげな動きがあるというので警戒していたんですが、こんな荒仕事に出るとは、予想外でした」
「……貴男は?」
「ああ、こいつは失礼しました。私はこういう者で」
 手渡された名刺には、硫黄島宇宙港保全運行管制主任・東郷ヒサカズとあった。
「保全運行……」
「ま、要するにテロだの何だのと危害を加えてくる連中から宇宙港を護り、その建造計画が遅延しないように目を光らせるのが仕事です」
「はあ……。あの、私の乗っていた『たまな』は、どうなりました? 古賀部長は、高城主任は」
「『たまな』は残念ながら沈没しました」
 ヒサカズは淡々とした口調で言った。
「――!」
「貴女以外の生存者は、現在確認されておりません。台風の勢力圏内は現在遠ざかりつつありますが、まだ二次災害が懸念される状況で」
 黙り込んだレミに、ヒサカズは一方的に話し掛ける。
「実は貴女を助けたのは、私の倅でしてね。ご本人を前に不謹慎とは思いますが、何とも鼻が高い話です」
「そうですか……」
 茫然自失のレミ。
「で、ものは相談なんですが。科技庁に報告を上げたところ、現在『いちもんじ』とかいうフネが硫黄島に向けて航行中だそうで、数日後にはそちらに乗って貰うことになりそうなんです」
「はあ」
「で、ここからが大事なんですけどね。貴女は足に軽い捻挫を負っている他は、ほとんど身体に異常もない。ここで寝て過ごすと、随分と陰に籠もってしまうんではないかと思うんです」
「……」
「よろしければ、私のウチに来ませんか? 親子二人の男所帯ではありますが、気分転換にはなると思いますが」
 意表を突く展開。レミは思わず、うっすらと笑みを浮かべた。先ほどの公安警察の刑事とどこが違うのか彼女にも判らなかったが、何故か信頼して良いような気がしたのだった。

Xdayマイナス七四日――硫黄島中部居住区707棟4−C号室

 未だに雨は降り続き、気持ちのいい朝とは言い難い。もっとも、一昨日のような酷い天候ではなかった。警報も解除されている。
 境は今日もよく眠れぬまま朝を迎えた。
 未だに松田の行方は判らぬままだった。この小さな島、どこに身を隠すという訳にも行かないことを考えると、事故にしろ事件にしろ、次第に悲観的な空気が強まってくる。
 境自身も、決して口にはしないが、波に浚われたのではないかと思い始めるようになっている。
 辛い話だった。ついこの間までは当たり前に話をしていた親友が、何の前触れもなく姿を消して二度と会えない。恐怖と共に彼女はそれを実感していた。
 せめて、遺体でも良いからみつかってくれれば、ふっきれるというのに。
 気分を滅入らせたまま、彼女は身支度を整えて隣室であるタカトラの家に向かった。
 玄関扉の前で、全てを振り払うように大きな深呼吸をし、
「おはようございます!」
 と精一杯の元気良い挨拶をする。そして、物怖じせずに部屋に上がり込んだ境は、ダイニングルームで信じられない光景を見た。
 そこには、父と共に朝食を採るタカトラと、エプロン姿の見慣れぬ女性が居た。
「あ、あの……」
「うっす、どうした?」
「おはよう、タカトラ君から聞いているわ。境サオリさんね」
 女性が明るい声で聞く。
「はい……あの、どちら様で」
「私は菱刈レミと申します。科技庁で働いてます。タカトラ君は命の恩人なんです。東郷さんとも仕事の関係で付き合いがあります」
 ちらりとヒサカズの顔を伺い、レミは言葉を継ぐ。
「そういうわけですので、しばらく、こちらでご厄介させていただくことになりました。よろしくね」
 そう言って微笑む。境はまだ良く状況が飲み込めていない。
「なにがどう、そういう訳で、なんですか?」
 ずんずんとレミの鼻先まで詰め寄って聞く。言葉が刺々しい。神経が苛立っているのは、寝不足のせいばかりではなかった。
「サオリよぉ。そう突っかかるなよ、何怒ってるんだよ?」
 タカトラがポカンとした顔で聞く。
「……別に、怒ってるって訳じゃ」
 言葉に詰まり、思わず視線を落とした境は、レミの足に包帯が巻かれているのに初めて気づいた。
「ちょっと、捻挫しちゃってね」
 レミの表情に翳がさす。境は気づいた。目の前にいる女性の明るさもまた、全て演技であることを。
 当たり前の顔でレミの作った朝食を採っていたタカトラが、ようやくの事で境とレミの間に不穏な空気が流れていることに気づいた。だが、彼には穏便に事を済ませる術が無かった。いや、平和里に解決しようとする意思が初めから無かった。
「菱刈さんの作ったメシ、食ってみろよ、すっげえうまいぞ」
 どこか間の抜けた声が空しく響く。

5.時はまだ来たらず

Xdayマイナス七三日――硫黄島北百五十キロ

 四隻のフネが単縦陣を組み、雨はあがったものの灰色に覆われた空の下を南下している。先頭を行くのは、『あやなみ』である。
 『あやなみ』前部甲板。
 艦上生活では、どうしても運動不足に陥りやすい。体力勝負のパイロットにとって、それは座視出来る問題ではない。
 基本的に真面目な自衛隊員である生駒は、艦内をぐるりと一周する格好で設けられたジョギング・コースを三週するのが日課になっていた。
 先日、荒天の為にこの日課をこなせず、加えて嵐の中を突っ切ったせいで艦はかなり揺れた。その気分の悪さを吹っ切るように、今日の生駒はペースを上げていた。
 二週目の最中、彼女は前部甲板に据えられた多目的砲の一番砲塔の台座に、日陰になる位置でタバコを吸っている真崎を見付けた。その場で足踏みするように跳ねながら声を掛ける。
「暇そうにしてないで、貴男も走ったら?」
「元気っすね、生駒一尉は……。自分はいいすよ、別に」
 真崎はどことなくぐったりしているように見えた。海上自衛隊員とはいえ、船酔いと全く無縁ではいられない。
 生駒は小さく息をつき、ステップを止めた。真崎の傍に歩み寄る。
「ねえ、幹部昇進試験受ける気ないの? エア・ボス(古鷹三佐)から聞いたんだけど」
「面倒くさいのは苦手っす」
 真崎は、黄色いTシャツに青い短パン姿の生駒をまぶしそうに見上げて、心底面倒くさそうに応えた。
「そんな事言ってたんじゃ、いつまで立っても曹官のままじゃないの。貴男、腕は確かなんだからさ……」
 生駒が航空学生上がりで、初めから幹部(三尉)扱いで入隊しているのに対し、真崎は高校卒業と同時に三曹として入隊している。真崎と生駒が年齢が一つしか違わないのに、階級で四つは離れているのは、スタートラインの段階が異なっていたからだ。
「今のままでも、別にいいような気がしてるんすけど」
「そういう訳にもいかないでしょ。薄給の曹官なんて、女の子が相手にしてくれないわよ」
 生駒は真崎の隣りに腰を下ろした。
 曹官と尉官では、待遇に大きな違いがある。衣食住、自衛隊内部での生活において、全てに差別が存在している。食事のメニューも違えば自室のレベルも違う。
「責任が増えて自由が減るのはかなわないっす。……ぬ。左舷正横。敵味方不明船発見」
 ごまかすような真崎の声につられて生駒が首を伸ばすと、確かに『あやなみ』の左真横から、小ぶりな一隻の船が接近していた。その船は三キロほどの距離にまで接近すると、船首を向かって右側に振り、同航する形を取った。白い船腹の船首よりに、コバルトブルーの斜線が三本入っている。素人にはただの斜線にしか見えないがこれは、『S』の字を傾斜させたものだ。海上保安庁のシンボルマークである。
「こりゃまた……。『あかぎ』よ、あれ」
 海上保安庁所属『あかぎ』級巡視船のネーム・シップ、『あかぎ』は総トン数一八〇トンあまりの小型外洋型巡視船で、長らく第11管区(本部・那覇)に在籍していた船だ。本来なら、とっくの昔にスクラップになっていてもおかしくない老朽船である。充分な予算が回ってこない関係で、これでも立派な現役である。
「とんでもない”ばあさん”を連れてきたもんだな」
 真崎も呆れている。
「あのね。そういう言い方は、新鋭艦の『あやなみ』に乗っていられるからこそ言える台詞だって事、忘れないでよね」
「そういやあ、生駒一尉が前に乗ってたのは、『はつゆき』でしたっけ?」
「そ、古いフネ。女性隊員の居住性なんて冗談に思われた時代に造られたフネだから、大変だった……。真崎は? そういやあ、貴男の経歴、私全然聞いてなかったわね」
「……前は、館山にいました。フネに乗るのは初めてです」
「ふうん。あれ、なんで私が『はつゆき』に乗ってたって知ってるの? 前に話したっけ?」
「っと、それはっすねえ……」
 そこに、古鷹がビール腹を揺すって姿を現した。
「こらあ。未公認の恋人同士の会話は人目につかんところでやれ。全く、上甲板上で堂々となにをしとるか……」
 古鷹の言葉に生駒はけらけらと笑った。真崎も肩を震わせて笑いをかみ殺している。
「だれが恋人同士ですか? 古鷹班長も冗談がお上手で……」
 実際、生駒はおかしくておかしくて仕方がなかった。
 一方の古鷹は憮然となる。
「なんだ、違うのか? ……つまらんな。それに、違うなら違うでどうせなら、もう少し初々しい反応は出来んのか。二人してバカ笑いしおってからに。大慌てで真っ赤になって否定してこそ、からかい甲斐もあるってもんだと思わんか?」
「純朴な中坊じゃあるまいし。別に、からかうためだけにこちらにいらっしゃった訳ではないでしょう? 任務ですか」
 流石に機嫌を傾け始めた生駒の問いに、古鷹はやれやれと言った調子で口を開く。
「そうだ。久々に純粋な対潜ミッションだ。硫黄島警備のミサイル艇がてこずってるらしい。最低でも三隻は潜んでるそうだからな。見つけだして脅かしてやれ」
「了解……!」
 生駒と真崎は同時に腰を浮かせた。

 『あやなみ』航海艦橋。
 海面捜索レーダーは、真崎が気づくより遥か以前から、『あかぎ』の接近を捉えていた。
「これが、空母『赤城』ならば大助かりなんだがな」
 久川も溜め息混じりに呟く。勿論、『あかぎ』の乗組員に聞かせられる言葉ではない。
 海上保安庁には、どこか自衛隊、あるいは旧海軍にあてつけるような名前の巡視船も多い。『あかぎ』を初めとして、『かつらぎ』『あまぎ』、あるいは、『あやなみ』も実在している。とはいえ、就役は海自の『あやなみ』より二〇年近く前の話であるが。
「ま、あちらさんにも面子がありますからね。知らん顔も出来ないんでしょうが」
 人当たりの良さで知られる副長の木南が、穏やかな声で言った。
「しかしなんだな。だんだんと『E計画』から遠ざかっていくような気がする」
 久川がもう一度、ふうと息をはく。
 今回の任務は、一応名目上は、輸送船団の護衛である。とはいえ、参加している輸送艦は、壊滅した硫黄島の基地機能を回復させるために建築資材を満載した輸送艦『しれとこ』、ただ一隻である。あとは、『いなわしろ』級ミサイル艇を二隻艦内に収納できるミサイル艇母艦『みずほ』と、科学技術庁の海洋環境調査船『いちもんじ』である。前者は硫黄島近辺に出没するロシア潜水艦への対応するための派遣であるし、後者も謎の多い沈没をした『たまな』に代わり、不審な動きのある宇宙港周辺海域を調査するために参加している。
 そして『あやなみ』も、間もなく前方海域での対潜活動を実施する。自らの意志で、そんな危険な海域に乗り込んでいくのだ。『E計画』本来の任務ではないと久川が感じるのも無理はない。
「確固たる意志を見せないことには、UNに良いように使われるだけです」
 既に三隻ものロシア潜水艦が、周辺海域でわずかずつ移動しながらも、立ち去ることなく取り付いている。その意図は判らないものの、座視し得るものでもない。
 自衛艦隊司令部は、UNの煮え切らない態度にしびれを切らし、『あやなみ』を送り込んだ。もしロシア潜水艦の動きに許容できない点があれば、威嚇を行う事もやむを得ないだろう。
「確かに厄介です。こちらから仕掛ける訳にもいかないですから」
「挑発という手はないしな」

 硫黄島まで百キロにまで接近したところで、生駒と真崎に対潜装備での出撃が下達される。ユニット内にはソノブイが積まれ、パイロンには対潜ロケットポッドと魚雷が装備された。
 『あやなみ』ヘリパッド。
 ステルスシャッターは既に降ろされ、MH−7Jの五枚のローターも展張を終えている。
 ヘリパッドの車輪拘束具が外され、担当の隊員が両手に持った旗で、『離陸せよ』の合図を送ってくる。生駒はエンジン出力を上げ、ローターの回転数が高まったのを確認してサイクリックスティックを引いた。
「行くわよ、真崎!」
「了解。なんか、気合い入ってるような」
 後席に陣取る真崎の口調は例によって例の如く、だ。
「そりゃそうでしょう? やっと、本来の対潜ヘリとしての任務が回ってきたんじゃないの。地面効果機と鬼ごっこしたり、巡航ミサイルと対決する為に、私はこいつを飛ばしてる訳じゃない」
 貴男だって、これが本業なんだから、と付け加える。
「……今度は、人を殺すことになるかも知れませんよ?」
 真崎はぼそっとした声で言った。
「仕方ないじゃないの。それは最初から判っていたことだもの。辛いけど、気持ちの整理は付けてある」
 朗らかとは対極の声ではあるが、生駒の口調に迷いはなかった。現実を直視できるだけの分別が、彼女にはあった。その現実の内容を考えれば、余りにも悲しい性だが、それが大人というものだ。
「ならいいんすけどね」
 それ以上は真崎も追求しなかった。
 『あやなみ』のヘリパッドから、ローター音も高らかに対潜ユニット装備のMH−7Jが浮き上がった。生駒は機首を軽く左へ流し、艦橋と同じ高度を保ったまま、『あやなみ』の直ぐ左脇を抜けた。
 ついでとばかり、艦橋に向けて軽く会釈する。流石に敬礼まで出来る状況ではない。
 意外にも、艦橋にいた艦長と副長が、肘が前に出る海軍式の見事な敬礼をかえしてきた。
(期待されてる、って事なのかな)
 なんとしても潜水艦を見つけだしてやろう。生駒は決意を新たにする反面、疑問を抱かずにはいられない。
「この間の『ラングレーIII』も硫黄島に猛攻を加えた。今度は潜水艦。……硫黄島に、一体何があるって言うの?」

6.飛行艇

Xdayマイナス七三日――新横須賀沖

「ほえほえ〜」
 やや波のある海面を疾走するジェットフォイルの甲板上から、緊張感の無い驚きの声が海風に乗った。
 声の主は井上ナルミ。彼女は、眼前に迫りつつある飛行艇の存在感に圧倒されていた。
 彼女ならずとも、海上に浮かぶドルニエDo−5500Sの勇姿を間近で見れば、誰でもその迫力にたじろぐのは無理もない。
 全長・全幅ともに百メートルを超える白い巨体。ターボファン・エンジン十基を、胴体上縁から伸びた主翼の上に載せたごつい外見。胴体幅が十分に確保されているため、飛行艇特有の翼端フロートは存在しない。二百トンの貨物を搭載して一万三千五百キロの航続距離を持つ超大型飛行艇だ。
 船は水の上に浮かび、飛行機は空を飛ぶもの。当たり前の認識。だが、眼前にある海面に浮かぶ飛行機の存在は、井上にはどこか現実離れしているように感じられた。
「あんな凄いのに乗っていく必要があるんですか?」
 かぶった麦わら帽子を両手で押さえつけながら、井上は振り返って訊ねた。
「向こうの滑走路は、まだ完全に修復されておりません。それに、稚内では随分と地元住民に迷惑を掛けた教訓がありますので、今回は第一に、自前で機材を持ち込む事を考えました。ライブに関係する機材の全てが、あの飛行艇一隻の中に積み込まれてます。地元の方々の手を煩わせることの無いよう、可能な限りの準備を整えました」
 海面を跳ねるジェットフォイルに、早くも船酔いし始めている今回のライブのプロデューサーが、顔だけは笑って答えた。
「有り難うございます。成功すると良いですね」
「それは井上さんの腕次第ですよ。まあ、その点、成功は間違い無しですけどね」
「あはは、そんな」
 井上はプロデューサーのおだてを笑い飛ばした。
 ジェットフォイルが速度を落とした。そのまま波に揺られてわずかに上下するDo−5500S左舷側のタラップに横付けされる。
「お客さん、たくさん来ると良いなあ」
 どこまでも無邪気な井上。二回目のゲリラライブ開催まであと二日。彼女の来島がいかなる影響を及ぼすのか。その無邪気さこそ罪であるのかも知れなかった。

第五話に続く

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