『おとぎの国の”レッドサン”』第八話

初出:1998年4月11日
NEON
GENESIS
EVANGELION
SUPPLEMENT EPISODE:08
See you again! I



1.格闘戦

Xdayマイナス七二日

 硫黄島南海岸。
「一体どういうつもりなんだ? UF万歳の演説ぶつなんて、正気の沙汰じゃねえ……」
 憤怒の形相を露にした真崎に詰め寄られ、ナルミはただ目を見開き、身体をわななかせるばかりだった。何しろ真崎は銃口をナルミの眼前に突きつけているのだ。まともに対応できるほうがおかしいくらいだった。
「やめなさい、真崎一曹!」
 きつい調子で生駒が制止する。
「ですが……」
「一般人が――まあ、芸能人だけど――UFの事を詳しく知ってる。これは大問題よ、私達だって内実はほとんど知らされてないのに。井上さんにはじっくりとお話を伺わせて貰うわ」
「……そうですか」
 真崎は肩の力を抜くことなく、膝をかがめてナルミの顔を覗き込んだ。
「さあ、素直に本当のことを話して貰いたいもんだが?」
「……真崎さん、私、一体どうしてこんなことを?」
 ナルミは苦しげに頭を抱えた。小刻みに震えているのは、寒さの為などではない。怖いのだ。自分が自分でなくなってしまったことが、たまらなく恐ろしいのだ。
「いい加減にしろ!」
「それは貴方のほうよ!」生駒がさらに声を鋭くして真崎に浴びせる。「脅しつけるのはやめなさい! ……さっきあの子は、井上さんを人質にして逃げようとした。それが解せないわ。本当のUFの仲間じゃない?」
 生駒が陶のほうにわずかに視線を向けた。真崎は納得しかねると言いたげに肩をわずかに揺らせる。
「じゃあ、なぜ大観衆の前であんな事を言ったんです? 一味には違いないんす!」
 声を抑えながらも、本気で怒っている真崎はなおも問いつめる。
「判らない。どうしてなのか、全然判らない!」
「判らない筈がない。自分でやったことだ!」
「違う! そんなこと、違います……!」
 大粒の涙が横風に吹かれて夜空に舞う。声を詰まらせて嗚咽するナルミを前にしても、真崎はどうしても怒りを押さえきれないらしい。
「正直に言う。俺は、あんたに裏切られた気分だ。ったくよお、六年も前から因縁があるかと思えば、とんでもねえ話だ」
「そんな……!? 私、絶対にそんなことしてない、貴方を裏切ったりなんてしない!」
 ほとんど錯乱状態のナルミが言い募る。
「何故そう言い切れる?」
「だって、私、貴方の事が好きだから!」
「え?」真崎が虚を突かれた表情になった。真崎の後ろにいた生駒はそれに気付かなかったが、真崎にしては相当に珍しい顔だった。
「私、初めて貴方に出会った時からずっと、貴方の事が好きだった。この六年間、貴方の事を思い出さない日は無かった。他の男の子なんて、まるで興味が沸かなかった。昨日、真崎さんに会えたとき、どれだけ嬉しかったか! それなのにこんな……」
 その後は言葉にならない。ただもう涙を流すことしかできない。
 しばし、風雨の音だけが空気を震わせる。
「……ナルミ」
 真崎がぽつりと言い、そのままナルミの肩に手を乗せた。
「悪かったなあ……。そこまで言わせちまったんじゃ、信じる以外にはしゃあねえもんな」
 真崎はナルミの手を取ってその場から立たせると、ひょいとその身体を自分の背中に負った。おんぶされたナルミが取り乱して真っ赤になる。
「真崎さん、なんで……!?」
「こんなに雨にうたれたんじゃ風邪ひくぞ。……生駒一尉、ここにじっとしてたらやばいかも知れません。あいつが乗ってきたRVで、さっさとずらかりましょう。UFの連中が来ると厄介っす」
「……ええ、そうね」
 今度は生駒が虚を突かれる番だった。二、三度ぎこちなく頷く。みると、早くも真崎はナルミを背負ったまま駆け出していた。首を傾げながらも生駒が後を追う。ちらりと振り返る。二人の少年が何事か言い合っていた。

「おい、立てよ!」
 タカトラが、仰向けになったまま喘いでいた陶の胸ぐらを掴んで立ち上がらせようとする。
 陶が、奇妙にさっぱりした笑顔を見せる。
「僕達に敗北はない。今回の事態は、新たな策謀を生むだけだ」
「何が言いたい?」
「後に続く者の為に、道をふさぐことは許されないってことさ」
 陶はそう言うや、起きあがり様にタカトラが砂浜に突き立てたままにしていた刃のない日本刀を鷲掴みにすると、自らののどを突いた。
「……おい、てめえ!?」
 完全に意表を突かれたタカトラの叫びも虚しい。
 再び背中から倒れた陶の喉と口から鮮血が溢れ出した。一瞬笑みを見せようとしたらしい陶は、そのまま白目をむいて大の字になった。日本刀を放り出した指先が痙攣している様は、不思議に現実感がなかった。
「一体何が……」
 タカトラの背後に歩み寄った生駒が、惚けた呟きを漏らす。
「さっぱり判りませんが、大した奴ですよ、それなりにね……」
 へたり込んだタカトラも、上半身を血塗れにした陶の骸を前に力無く応えた。
 生駒は頭の中で段取りを考える。トップチームに自分たちとナルミを保護して貰い、後でこの少年の遺体も引き渡そう。自決するくらいだから、何か重大な鍵を握っていたのはまず間違いないだろう。
「彼の乗ってきたクルマに行きましょう」
「どこに行くんです?」
「井上さんを連れて体育館に戻るわ。混乱してるでしょうけど、あそこの制圧は完了してるはずだから」
 本当なら基地か警察といいたいところだが、攻撃目標になっているのは確実で、むしろ特殊部隊が固めている体育館のほうが安全だと生駒は考えていた。
 それにしても、と生駒は思う。世界は随分と妙な場所になってしまった、と。

 ――21:05。

 人質の解放の報を受け、『しんじ』は浮上中の敵潜への攻撃を試みていた。
 艇長である緒方がみずから操艦を行っていた。高速ミサイル艇であるいなわしろ級の操作系統は、立って操ることを除けば、さながら軽飛行機のようだった。ホイール式の操縦桿と呼んだほうがふさわしく感じる操舵輪と、出力調整のスロットルが設けられている。摺鉢山を左手に見ながら波を蹴立てて硫黄島の東海岸に回り込んできたところ、左舷前方に何かが見えた。星が暗雲に覆い隠されて消え、黒々とうねった海面に浮かぶ何か。
 丸みを帯びた突起は、潜水艦のセイルだ。形状からして、ロシアの設計。
 めざとい見張り員が報告する。艦種、恐らくタイフーン級。
「あれか!」
 緒方がまなじりを決する。続いて発令。
「機関、全速! VLSウォームアップ、バルカン砲スタンバイ! 照準は光学、このシークラッターじゃレーダー照準は無理だ」
「アイ、艇長」
 前部甲板の連装三十ミリバルカン砲が微妙に仰角を取る。ウォータージェット・ガスタービン機関が出力を増し、船体が押し上げられるように持ち上がった。上部船体の底部が水中翼が生み出す揚力によって完全に海面から離れる。
 速力がありすぎて、もはや甲板上に人は立っていられない。見張り員も全て船内から、船体各所のカメラからの映像を映すモニタ群を用いて監視を行う。
 潜水艦が何故浮上したままなのか、緒方の脳裏に疑問が走る。揚陸艦として改造を受けたため、簡単に潜航出来ないのか。
「もしそうなら、沈めずに降伏させたいものだが……」
 と、浮上した潜水艦のセイルで、何かが光った。ミサイルの発射炎だ。
「なに!?」
「敵潜、ミサイル発射!」
 モニタに張り付く見張り員の絶叫。緒方もその瞬間をはっきりと視野に収めていた。
二本の火線が『しんじ』の前方と右舷側、それぞれ二百メートルは離れた位置を駆け抜ける。
「携帯地対空ミサイルのようですね……。ガスタービンの排気熱にホーミングしてきますよ」
 一発や二発喰らったところで沈むものでもないが、やはり被弾してはただではすまない。だが、緒方は強気だった。
「この高波じゃ、低空で飛んでくるミサイルなんぞ当たるもんじゃないぞ!」
 そう言い様、ほんのわずかな間の躊躇の後、大きく面舵を切る。
「艇長、相手は受けて立つ気です!」
 加賀井が悲鳴じみた声で、言わずもがなの報告をする。今にも緒方にすがりつきそうな様子だ。緒方の叱咤が飛ぶ。
「みりゃあ判る。ロシア人め、身の程知らずな……。だが、心配はいらん。連中、こっちの機動性を嘗めてやがる」
 口元を歪めて言う。五十ノットで突っ込む『しんじ』と、敵潜水艦との距離がたちまち縮まる。
「照準ヨシ!」砲雷長の叫び。
「てーっ!」
 二本の火線がしなって潜水艦の艦首からセイルまでをまんべんなく叩く。相手も再び発砲。今度はRPG−18対戦車ロケット弾だ。弾体が『しんじ』の後方を飛び抜けた。まだ照準が不正確な様子だ。
 一方、バルカン砲弾を叩き込んだ潜水艦のセイル付近に、連続して火花が散った。そして爆発。
「やりました、艇長! ミサイルランチャーかなにかをぶっ壊した模様です」
「ようし」
 興奮のあまり言葉遣いが滅茶苦茶になった見張り員の報告に、緒方がようやく表情を緩めた。だが、それは多少早計だった。潜水艦の船体後部から発射された紡錘状のロケット弾が降り注ぐ。RPG−7ロケット。艦首の真正面に突っ込んでくる。
「くそ!」
 緒方が反射的に操舵輪を捻る。だが、勢き足が付いているために旋回性能が悪い。『しんじ』はロケット弾の立てた細い水柱の根本にそのまま飛び込んだ。甲板も艦橋も、海水の奔流に洗われる。
「被害状況知らせ……!」
 緒方が自らの置かれた現状を把握するのに、数秒を要した。その間に、遂に敵潜が潜航を開始し始めていた。
「VLS、行けるか?」
 緒方も降伏勧告を諦めて砲雷長に質した。
「いつでもどうぞ!」
 CICを兼ねた艦橋に詰めている砲雷長が、余裕のある声で返す。
「SSM、アスロック各一発。準備完了しだい発射」
「了解、データ入力ヨシ。……発射!」
 船体後部のVLSのハッチが二つ開き、連続してミサイルを放り出した。ロケットモーターに点火され、白煙をまき散らしつつ敵潜に向かう。
 SSM−4Bは到達する前に、船体がほとんど水没していたためにオーバーシュートした。だが、アスロックが目標の真上に達したところで一〇式魚雷を切り離す。新式のアスロックはパラシュートによる制動を必要としない。かなりの高速で海面に叩き付けられた一〇式魚雷だが、センサー類に故障を起こすこともなく、降下速度の勢いを失わずに追尾に移る。その分、相手が対応する時間を与えない。
 相手は余りにも間近で、急速潜航と共に離脱を計っていた為、スクリューの回転数も高かった。盛大にキャビテーションノイズを響かせる、外しようのない目標だった。
 海面が盛り上がったかと思うと、砕けた水柱が逆円錐上に噴出した。間をおいて、衝撃音が『しんじ』に伝わる。
「やったか!?」
 緒方の言葉に、加賀井が喜色を浮かべる。が。
「こちらソナー! 左舷後方より魚雷接近を確認!」
潜航しながら、相手が魚雷を放っていたのだ。しかも厄介な高速魚雷”シクヴァル”だった。海が荒れている上に高速を発揮していたため、確認が遅れた。ソナーの技術が、いなわしろ級の高速発揮に追いついていない欠点がまた明らかになった。
 もはや、いかなる対抗処置も間に合わない。緒方が即断する。
「総員、衝撃に備え!」
同時にスロットルをレッドゾーンにまで押し込みつつ、操舵輪を思い切り左に回す。機関停止でやりすごすよりは回避できる確率が高いと緒方は踏んでいた。
 鈍い爆発音が聞こえたような気がした。直後、足下をすくわれる衝撃。『しんじ』の船体が大きく右に傾斜した。
「被害報告!」
 緒方が怒鳴る。
 魚雷は直前で回頭しながらダッシュした『しんじ』の動きに追随できず、オーバーシュートした。が、近接信管が作動して炸裂。船体は損傷しなかったものの、衝撃波によって右舷後部の補助水中翼がひんまがった。これにより、水中翼の生み出す揚力が左右で異なる事となり、速度を上げると船体が傾くようになってしまったのだ。
「魚雷、さらにもう一本来ます!」
 ソナー員の叫び声。今度は『しんじ』が向きを変えていたせいで、ほぼ正面から来る魚雷を下部船体のバウソナーが、先ほどより遠方で推進音を捕捉していた。
「アスロック、対魚雷モードで発射!」
 一拍遅れて船体後部のVLSハッチの一つが開き、白煙を波立たせてアスロックが飛び立った。放物線を描いて『しんじ』の正面に向けて飛ぶ。緒方は再び思い切り舵を切る。船体がいつもと違った奇妙な角度に傾斜しながら回避を始める。
 緒方は小回りの利く『しんじ』の針路を魚雷と全く同じにして、スプリント勝負をしかける腹づもりだった。無論、向こうのほうが早いが、如何せん高速で走る魚雷はすぐに燃料が切れる。
 時間切れを狙っての鬼ごっこがはじまるか、そう思われたとき、緒方は舵を逆に切ってしまったことを悟った。前方に南海岸の砂浜と、その向こうにそびえる照明の落ちたホテル群が迫っていた。
「まずったか……」
 冷や汗をかきながら緒方は舵を戻す。今更針路を変えるわけには行かない。直後、後方で爆発が起こった。
「アスロック、敵魚雷に命中の模様……」
 振り回されながらも懸命になってモニタにしがみついていた隊員の報告に、緒方はようやくふうと息を吐いて汗を拭った。

 ――21:15。

 BW−03。最下層。
 倉庫というか物置というか、最も重要度の低い部屋にヒサカズ以下十六名は押し込められていた。建造時に用いられた工具やら、緩衝材だけが詰まった段ボールやら、用途を誰も知らない、訳の判らないものまで様々な代物が乱雑に放置されていた。扉の外はそれらを利用して、UF兵士の手によってバリケードが作られて塞がれていた。
「つまり、逃げられない代わりに、向こうもそう簡単に俺達に手出しできないと言うことだ」
 強がりでも何でもなく、ヒサカズは真顔で言い切った。実際、彼らは内側からも、残った品々を用いてバリケードを築いていた。
「俺はあんまりまともに会話した経験がないんだが、千熊ってのはどんな奴だ? C班だという事は知ってるが……」
「一つのことにのめり込むと、まわりが見えなくなるタイプですね」
 粒子流ビーム砲の研究開発に携わる部署、通称”C班”で千熊の同僚である技術者が即答した。
「どういうつもりで、その、裏切ったと考えるべきなんだろうな」
 ヒサカズが言葉を選ぶようにしてさらに問いかける。
「あれは画期的といえる兵器です」C班の技術者は胸を張った。少しトーンをおとして続ける。「それだけに、硫黄島に配備されるのが我慢ならなかったんでしょう」
 ヒサカズもその意味はなんとなく判った。
 硫黄島宇宙港の武装ブロックは、宇宙港北東部の角に三つ南北方向に並んで配置されている。その為、上面にポップアップする粒子流ビーム砲塔は、西側の海面ぎりぎりに接近するミサイルや艦艇に対して、西側に並ぶ宇宙港を形成するブロックに阻まれて俯角を取れない。
 本気で軍事力による攻撃に対する防備を考えているのであれば、宇宙港の四辺に武装ブロックを配置する筈なのだ。
 欺瞞であった。存在すら公になっていない武装ブロックは、あくまで宇宙開発に寄生した研究施設にすぎない。
「使えないということにはならないと思うがな。ミサイルが西側から海面すれすれに突っ込んできた場合、防波堤にぶつかるか、宇宙港の西側側面にめりこむことになる。どのみち、大した被害を被ることはない」
「奴は、もっと粒子流ビームを撃ってみたくなったんですよ、きっと。小笠原海戦の興奮が忘れられないんじゃないですか」
 ヒサカズは苦笑した。あの時自分は、二度とこんな目には遭いたくないと思ったんだっけな。
「ま、視野の狭い奴が相手となると、話は早い」
 ヒサカズの言葉に、まわりを取り囲む十五人の男達が頷く。その一人、島が携帯多機能端末を取り出した。
「ろくな身体検査もしやがらないときた」
 ニヤリと笑って携帯多機能端末を受け取ったヒサカズは、BW−03の保安システムにアクセスし、振動・赤外線複合センサーのモニタ状況を呼び出した。これで、相手が何人かが判る。
「ひ、ふ、みい、よつ、いつ、むう……」
 最上層から順に呼び出し、指で液晶ディスプレイ上の輝点を押さえながら、人数を数えていく。
「俺達を除いて、全部で十八名。一人は千熊だから、武装して乗り込んできたのは十七人か」
「千熊はきっと兵装管制室の輝点ですね」
「この倉庫の前にいるのは七名。交替で見張ってる……」
「長期戦になるつもりだろうが、俺達のメシはどうする気なんだろう」
「私、そろそろ用を足したい頃合いなんですけどね」
「今更言っても始まらないな」
 勝ち気な人質達がてんでに所見を口にする。
「どのみち、逃がしはするものか」
 ヒサカズの、顔の筋肉を引き締めての一言で全員が静かになった。誰の目にも決意の色が浮かんでいる。
 と、室内全体に細かな振動が走った。浮体ブロックで何度か内地と硫黄島を往復しているヒサカズには、その振動の意味が判った。それは、整流コーンが装着された衝撃が伝わったものだった。

 ――21:20。

 硫黄島西部。第五一二地下倉庫。
「ちょっと待ってて下さい、着替えて来ますから」
 言い残し、レミは倉庫から一旦外に出た。
 残された山口は、改めてヘルメスの姿を眺める。
 白い機体のあちこちに傷がついている。『たまな』甲板で銃撃を受けた痕だ。
「本当に良いのか……。民間人を巻き込んで」
 山口が独りごちながら興味深くヘルメスのあれこれを見ていると、後ろから声がかかった。
「お待たせしました」
 倉庫の搬入口に、紺・青・白の三色を基調とした水冷スーツを纏ったレミが立つ。
「それがスーツですか?」
 当たり前の問いに頷くレミ。聞いた当人である山口は、体型が露になる水冷スーツ姿のレミに面映ゆい思いを感じているのか、目をそらしている。
「どのくらいの時間、戦えますか?」
 ヘルメスの充電はとっくの昔に完了していた。レミが無謀な復仇を企てていなければ、到底BW−03の追撃には間に合わなかっただろう。
「内部電源だけだとせいぜい、もって三十分ってとこなんですけど」
「その後はどうなるんですか?」
「ぶくぶく沈んで、それっきり」
 あっけらかんというレミを前に、山口が押し黙る。
 それを横目に見ながら、レミは手慣れた、それでいて慎重な動作で、身体を頭部ハッチから中に滑り込ませる。
 最初に脚のつま先、かかと、膝、太股からにあるコネクタを各圧力センサーに接続する。次いで、背中と腰を、背後から伸びる四点式ベルトで固定する。
 メインスイッチオン。機内のモニターやスイッチの蛍光表示が生き返る。
 タッチセンサ式液晶ディスプレイに記された、『起動準備』を選択する。電子音と共に、チェック作業が開始される。
 まず最初に頭部カバーが閉じ、操縦席内の圧力がわずかに高まり、密閉されていることが確認された。問題なし。つづいて残電力および酸素量が確認される。ジャイロがGPSに基づいて補正されようとするが、天候に加えて地下倉庫という悪条件が重なり、電波の受信状況が極端に悪い。レミは潔くこれをキャンセルした。おそらく、以前のデータと極端な差はないだろう。
「高城班長、古賀主任……。『たまな』の皆さん……。きっと。仇は討ちます。たとえ私の人生が後ろ暗いものになったって、この無念さが晴れるなら構わない」
 レミの眼前には、曲面形成された超硬質ガラス越しの光景が見える。その下には、二枚の液晶ディスプレイがあり、チェック状況を表示している。
 そこに、”スクリュー動作確認”と表示された。レミは、液晶ディスプレイの下にあるキーボード、その両脇にある二本のジョイスティックに手を伸ばした。
 いくつものスイッチが付いたジョイスティックを、液晶ディスプレイの表示に合わせて倒し、捻る。ヘルメスの外では、両肩から斜め上に突き出したスクリューが、自在の方向にくるくると動いている。
 続いて圧力センサーチェック。これは、実際の動きとは連動しない仕組みになっている。レミは両脚のセンサーを反応させ、次いで両手をマニピュレータ・グローブに突っ込んで、腕と指を動かした。液晶ディスプレイの中で、レミの動きがセンサによって再現される。異常は見られない。
 ヘルメス開発期から携わっていただけに、レミは誰よりもこの複雑な操作系統を熟知している、という自負があった。外部センサー操作用のキーボードとタッチパネル、推進機関制御用のジョイスティック、そしてマニュピレータ操作用の圧力センサー。よく、手が六本いると揶揄されたものだ。
 だが、レミはこれを自分の身体と同じくらい自然に扱っていた。
 全てのチェックが終了する。起動準備完了。
「『ヘルメス』一号機、起動します」
 自らに向かって宣すると、液晶ディスプレイの”起動”を選択する。
 ブーンと鈍い音が機内に響く。モーターの駆動音だ。HUDでもある耐圧ガラス上に、残電力と、残酸素が表示される。後者にはほとんど余裕がない。補給する術がなかったからだ。ただ海中に入れば電気分解によって酸素を生み出すことが可能である。レミはその場合の試算も行っていた。どちらにしても、まともに動けるのは三十分程度と踏んでいる。
(それだけあれば、ヒサカズさんを助けてみせる)
 一拍置いて、レミは左脚のつま先と膝に力を込めた。ヘルメスの左脚が前に出る。脚の場合、こまかな姿勢制御はコンピュータの領分で、レミが行うのは、進行方向の指示程度である。
 実際に両脚のセンサを使わなくても、キーボード上から”前進”を指示することもできるが、海中では姿勢維持に大きな役割を果たす脚の感覚を、レミは掴んでおきたかった。前回の暴走の際に脚を痛めたことは、意識的に忘れた。
 倉庫を出ると、狭い空き地を横切る。島を全周している二車線道路を渡る。あらに身軽に堤防の階段をよじ登り、火山性の岩が波をかぶる海岸に出る。
 後方監視カメラの映像に切り替えた。ただでさえ角張った顔立ちの山口が、さらに固い表情で手を振っている。
「ありがとうございました。……タカトラ君、ありがとうね」
 何の躊躇いもなく岩の切れ目から海に入る。同時に酸素の生成を指示する。
「さあ、いこう!」
 シュラウドリングに保護されたスクリューが唸り、海中に潜航したヘルメスは、前のめりになって宇宙港に向かった。

2.突入

 ――21:25。

 整流コーンを装備し、『第二十三天地丸』の曳航を受けたBW−03が十ノット以上の速度で南下を開始していた。
 『あやなみ』も当然、追撃に移る。海中に潜む潜水艦を気にかけながら。MH−7Jが撃墜されて不時着に成功したらしい、という未確認情報が入ってきていたが、今の『あやなみ』には、搭乗員の二人に出来ることは何もなかった。
 今はBW−03の追尾が最優先事項だった。
「連中の目的地はどこなんだろうな?」
「日本本土から離れるつもりなのは間違いないですが」
 CICに籠もりきりになった久川の言葉に、判りきった返事をする木南。彼にしても、相手の意図が掴めない以上、なんとも応えようがない。
 レーダーには、『あやなみ』より南側にいた巡視船『あかぎ』が、『あやなみ』と同じくBW−03に追いすがっているのが映っていた。
「左舷ワッチ、海上保安庁の巡視船を確認」
 左舷の見張り台からの報告を受け、連動した映像が前面スクリーンに出る。『あかぎ』が飛沫と一体化した雨と高波をかき分け、もがくようにして接近を試みているのが映っていた。
「まずいぞ、止めさせろ!」
 その後方につく格好となった『あやなみ』CIC内で、久川が荒げた声が響く。各区画の担当士官が何事かと久川を注視する。だが久川はそれに頓着する心のゆとりを失っている。BW−03と対比して、あまりにも海保の巡視船はちっぽけに見えた。嫌な予感が胸に広がる。
 直後、BW−03の上面から閃光が煌めき、『あかぎ』の上部構造物を根こそぎ薙ぎ払った。破片が粉々になって文字通り四散していくのを、久川達は言葉を失ってただ眺めていることしかできなかった。
 音のない映像だけをみせられているせいか、不思議な光景だった。暴風の為でもないだろうが、ほとんど火災は発生していない。一瞬にして操艦要員が全滅したことに機関部の人間が気づいていないのか、いまだに最大速力のまま、まっしぐらに突っ走っている。
 既にそれで戦闘力を失ったと判断されたのか、二撃は来なかった。
 だが、コントロールを失った『あかぎ』は、そのままBW−03を曳航している『第二十三天地丸』の乾舷に突っ込んだ。あまりにも速力が出ていたので、『第二十三天地丸』は船体がくの字に折れ曲がった。若き艦長は席から投げ出され、ウイングに出る扉までふっとばされて首の骨を折っていた。
 一方の『あかぎ』は船首をぐしゃりと潰し、それでもなお、右舷を擦りあわせるようにして船体を押し進めている。力つき、大きく左舷側に傾いたかと思うと、小さな爆発が起こった。跳ね上がった船尾のスクリューが海面上に顔を覗かせ、飛沫をまき散らす。
「ええい……! これじゃ、救助もできない」
 久川は地団駄ふんで悔しがるが、どうにもならなかった。

 だが、『あかぎ』の沈没は結果として無駄死にでは無かった。タグボートを失ったBW−03は、二十ノットの高速を発揮することは出来ない。今は何よりも貴重な時間を、彼女は死と引き替えに生み出したのだった。

 ――21:40。

 硫黄島西方五キロ。BW−03。
 ヘルメスは最大速力でも十ノット。ようやくのろのろと動き出したBW−03に取り付くまでに、既に二十分近く費やしてしまった。タグボートが大破してBW−03が自力航行に移行しなければ、とうてい追いつけないところだった。
 中で暴れられるのはせいぜい十分足らず。レミは渋い表情で、暗い海中からBW−03の底部を睨んでいた。闇の中に、闇よりも暗い部分が四角く見えていた。発着場の位置を下から見当付け、一気にスクリューを下向けて浮上する。
 勢いを付けて荒れた海面に躍り上がる。波に叩かれて視界が遮られる。
 眼前にそびえ立つ壁の様なBW−03の乾舷。その喫水上に、穴の穿たれたシャッターが見えた。すかさず両手を伸ばして開いている穴の縁を掴む。
 さらにその破孔に胴体の自重を預けてシャッターの穴を押し広げる。ほとんど胴体が内部に潜り込んだところで引っかかった。両肩から斜め上に突き出したスクリューの仕業だ。
「もう、スクリューを使う必要はないのよね」
 レミはあらかじめ組み込んでおいたコマンドを打ち込み、二基のスクリューを放棄した。障害を取り除いたヘルメスが前のめりになる。
 レミはその勢いに逆らわず、誘導用の白線が何本も引かれた発着場の中に転がり込む。すぐにコマンドを打ち込んで、機体を起きあがらせる。
 続いてコンピュータに記憶させてあった、BW−03の内部配置図を呼び出す。
 BW−03に限らず、宇宙港を構成する浮体ブロックの内部は八層からなり、今彼女が居るのは上から数えて五層目である。ちなみにその層を一階と呼んでいる。つまり、単純に考えて、浮体ブロックは、地下三階を有する五階建てのビル、それと同等の高さの構造を持っている。ただしその奥行きは並のビルとは比べようもない。
 発着場の、ちょうど駅のホームを思わせる何もない空間の向こうに、幾つかのエレベータがある。主に弾薬をフネから補給する場合に使うものだ。
 近づいていくと、ふいに、エレベータの扉の脇にあるモニタに”注意!”の文字が出た。何事かと思って画面を見ていると、BW−03各層の配置図が表れた。線で描かれた中に幾つか輝点が見えるのは、人間を表しているのだろう。一階のレミは、一回り大きな輝点になって表示されていた。
「東郷さん……。ありがとうございます」
 間違いなかった。これは、彼女のためにヒサカズ達が危険を冒して情報を提供してくれているのだ。行くべき場所はすぐに決まった。
 レミはその一つにヘルメスを押し込むと、”地下三階”のボタンを押した。そこには一室に人間が固まって存在している場所があった。ヒサカズ達はそこにいる。
 がくんとエレベータが沈み込む。
「敵がお待ちかね、よね。きっと」
 部屋の前には四つ、エレベータ前に三つの輝点を確認していた。敵が見張っているのだ。
 わずかな時間が過ぎ、エレベータが静止する。扉が左右に開いた。案の定、銃弾が降り注ぐ。冷静さを保っている分、レミの心臓が縮み上がった。
「……うわああっっ!」
 全ての理性をふりほどくかのようなわめき声を喉の奥からふり絞り、レミはエレベータから飛び出した。銃弾がヘルメスの胴体を削る。頭部に着弾し、不気味な残響を機内に叩き込むものもある。だが、実害は出ない。敵兵の懐に飛び込んだヘルメスが右腕を外側から水平に振るった。
 敵が二人、まとめて左側の通路の壁にぶっとばされた。その態勢からヘルメスは身をかがめて横っ飛びし、引き金を引きっぱなしにしている敵に肩で体当たりを仕掛けた。カタパルトで発射されたように宙を舞い、天井にぶつかって落ちてきた時には、それは人間の姿をとどめていなかった。
(あと、四人)
 レミは液晶モニタの残電力表示に目を落とした。活動限界まで、もって後五分程度。
 液晶モニタの配置図を横睨みしながら、膝とかかとの圧力センサーによってヘルメスを前進させる。
 曲がり角で再び二人の兵士の襲撃を受けるが、これを難なく排除した。あと二人。目的地である部屋の前に駆け込んだ。
 バリケードを引きずり倒し、ドアを強引にこじ開ける。
「東郷さん!」
 思わず駆け寄って抱きつきたくなる。無論、そんなことをしたらヒサカズの胴が千切れてしまう。
「すまない。正直言って、アテにしていた」
 ヒサカズが笑って見せた。
「これからどうすればいいんですか?」
「兵装管制室。あそこを奪還する。連中の使ってた武器を集めたら、一戦出来るだろう」
 ヒサカズの言葉を受け、撲殺された兵士の小銃やら手榴弾やらが引き剥がされる。さすがに死体を見慣れない技術者にとっては顔色を失うような作業だった。
「さあ、急ごう」
 エレベータ前で倒れる兵士から小銃を奪い取ろうとしていたレミが、ふと顔を上げる。エレベータのドアが開く。同時にその中に丸いものがみえた。レミにははっきりと判らなかったが、それは正面から見たM79グレネードランチャーの弾体だった。
「逃げて下さい!」
 技術者が我勝ちに廊下の角を目指して駆け去る。瞬間、ヘルメスの機内に電力切れの警報音が鳴った。
「嘘……!」
 かわすこともできないまま、グレネード弾がヘルメスの胴体に命中した。
 視界が真っ白になる。レミの意識は衝撃と共に吹き飛んだ。その寸前、これで良かったのかな、という言葉が彼女の胸の奥に浮かんで消えた。

3.けり

  ――21:55。

 硫黄島中部居住区。911棟2−A号室。
 鍵の掛かっていない室内に、二万里は放心の表情で座り込んでいた。
 タカトラに突かれた喉の痛みは治まっていたが、彼女はそこから動けないでいた。
 もう、なにもかもお終いだった。何も考えることができないでいる。
 照明の灯らない暗い部屋に、付けっぱなしのテレビだけが音と光をもたらしている。
 ライブ会場のテレビ中継は、妙な形で唐突に終わり、今は硫黄島基地司令の真柄ナオタケ一佐なる人物が、事態が収束に向かっている旨を繰り返し伝え、住民の冷静な行動を促している。
 二万里は知らなかったが、真柄は基地への襲撃によって受けた混乱を最小限で抑え、警務隊と待機中だったトップチーム隊員によってテレビ局に逆襲を仕掛け、これを奪還していたのだった。
 UFの決起は失敗に終わったのだ。少なくとも、彼女の知っている計画の範囲では。
 二万里は緩慢な動作で立ち上がった。ベットの上に投げ出されたままになっている無針注射器と”ZERO”のアンプルを見下ろす。
 ナルミの幸せそうな寝顔が脳裏に浮かぶ。自分も真っ白になって眠りたい気分だった。
 なんの深慮も無かった。アンプルを装填し、陶の操作を思い出しながら、慣れない手つきで気泡を抜く。
 そのまま注射器の先端を首筋に押しつけ、引き金を引く。全身の筋肉が収縮するような感覚が走った。無針の名前通り、針の痛みはない。
 効果をすぐに自覚する。意識が心地よく薄れていく。ベットにうつぶせに倒れ込んだ。このまま目が覚めなくても良い、二万里はそんなことを思った。


第九話に続く

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