内野席




 ここでは、フィクションの中で活躍する選手達を紹介します(^^)。
 
小説が主体になっておりますが、これは漫画に手を広げると際限なく広がってしまうためです。が、当然例外もあります。
 ベストナイン、といきたいところなのですが、ポジションがどうしても投手に重なってしまうのが難点です。
 取り上げている基準は全く私の個人的な独断と偏見ですが、当然ながら私の知らない小説および選手もたくさんある(いる)と思いますので、情報を大募集しております。ひいき選手をどんどんご紹介下さい。こちらまでメール下さい。

 なお、構成の都合上、多分にネタバレを含みますので、あらかじめご了承下さい……m(_ _)m 



男子編  
投手

 豪田 剛(荒尾和彦著『豪球伝説』光風社出版、1988)”カテゴリーC”
 またド真ん中だった。バットの先も動かなかった。石嶺はバットを膝にはさむようにしてボックスを外し、目をこすった。そして、ベンチを振り返った。ベンチは静まり返っていた。誰も自分を見ていなかった。全ての視線はマウンドに注がれている。石嶺はマウンドに目をやった。だらりとグローブを下げ、豪田とかいう新人ピッチャーが自分を見ていた。自慢そうな顔ではない。何か投げ遣りな表情だ。その肩越しにスコアーボードが見える。速球百六十五キロの標示が浮かび上がっていた。


 読売ジャイアンツ。背番号27。
 小笠原諸島に属する絶海の孤島・海峰島が生んだ驚異の剛速球投手。高校時代には、当時PL学園の清原を5打席連続三球三振に切って取ったという伝説の持ち主。武器はMAX165キロのストレート。
 直情的で傲岸不遜な性格で、時には相手チームの策略に引っかかりやすいという欠点もあるが、それを補って余りある資質の持ち主。

 ミッシェル・寺井(藤田宣永著『ダブル・スチール』角川書店、1988)”カテゴリーB”
 
「いやあ……これだけ速くてキレのあるピッチャーは、ここしばらく出ていないんじゃありませんか」
「全盛の時の小松を思い出しますが、彼の球より寺井の球のほうが重い感じがしますね」
「寺井、キャッチャーのサインを見ました。なかなかサインが決まらない。寺井、首を横に振り、プレートを外しました。驚きました! デビュー戦で先輩キャッチャーのサインに首を振る。ちょっと見たことないんじゃありませんか?」
「私らの新人のころには考えられなかったことですよ」
「さて、しきり直し。寺井、ランナーを見て、投げた。空振り! 三振! 外角の低めのストレート。スピードは百五十四キロ!! ”パリ・エクスプレス”三者連続三振でノーアウト満塁のピンチを抑えきりました……」

 東日本エクスポーズ。背番号46。
 フランス人と日本人のハーフ。まともなアマチュア野球すら存在していないフランスに咲いた逸材。八百長疑惑でプロを追われた東京レックスの元エース、本多の目に留まり、日本でのプロデビューを果たす。本格派投手だった本多のコーチを受け、150キロ超のキレのあるストレートを主体にした強気のピッチングで攻める。通称”パリ・エキスプレス”。
 日本人の血をひくとはいえ、日本的な”和”になじめない一面も。
 
 田島 光(山際淳司著『イエロー・サブマリン』小学館文庫、1998)”カテゴリーC”
「自分の弱さがわかったときに欲が出てきたんです。今までは勝てるところまで行かれればいいとしか思っていなかった。このぶんだと甲子園に行かれるぞっていうやつもいるけど、ぼくはどっか醒めていたんですよね。でも、勝ちたくなった。もっと、もっと……」
「どこまで行きたいんだ」
「メジャーリーガーになるくらいまで」光はかすれたような声でいい、喉を鳴らしてコップの水を飲んだ。

 ボストン・レッドソックス。背番号33。
 高校野球での苦い経験から、単身渡米してメジャーリーグに挑戦する。アメリカでは死球が多いとして敬遠されるアンダースローを駆使して、メジャーのパワーヒッターを幻惑する。草野球に毛の生えたようなインディペンデント・リーグからスタートするが、茫洋としたドライな気質の為か、何の打算も執着もなしにメジャーリーグにまで這い上がってみせる。

 嘉手納 宗七(新宮正春著『隠密ジャイアンツ』光風社出版、1985)”カテゴリーC”

 モッカの強烈なライナーを、嘉手納はくるりと返した左足のスパイクの裏で受け止めたのである。
 受け止めただけではない。
 さっと身体を三塁側に沈ませながら、その足の先を返してボールを一塁へ送り込んだ。
 ライナーの打球は、いったん嘉手納のスパイクの裏で衝撃を弱められ、さらに方向を変えられて、一塁の中畑の頭上に舞い上がったのだ。
 いわば、一瞬のうちにスパイクをクッションにしたわけである。
 中畑がファーストミットを差しだした。
 モッカが一塁キャンバスを駆け抜ける前に、嘉手納の足技で方向を変えられた打球は、手でトスしたより正確にそのミットにおさまっている。

 読売ジャイアンツ。
 琉球空手の達人にして、記憶喪失状態で沖縄人として暮らす沢村栄治の実子。琉球空手で鍛えた両腕のどちらからでも投げる事が出来る。ストレートに早さは無いが、打者の打ち気を誘いながらバットの芯を微妙にはずす、驚異的なコントロールで凡打の山を築く。一本指ナックルや、ボーリング投法でのライザー・ボールなど、独特の変化球も多彩。


捕手

 柿崎 大助(阿部牧郎著『”90番死なず”内収録・奇跡の捕手』フタバ・ノベルス、1981)”カテゴリーC”
 堀内は投球動作に入り、内角に外れるはずのフォークボールをほうった。
 球は彼のねらい通りの軌道を描いて接近し、大きくステップした掛布は、ボールと読んで途中でバットを停めてしまった。
 その瞬間白球はコースを変えた。内角へのボールのはずがとつぜん外に折れ曲り、掛布はもちろん球審も、投げた堀内自身もみたことのないふしぎな軌跡を描いて、内角低めぎりぎりのストライクとなったのである。


 読売ジャイアンツ。
 ”PK”と呼ばれる念動力を発揮して、投手の球をストライクゾーンに引き寄せる力を持つ異能の選手。危険人物扱いされない能力を有しながら、朗らかで人なつっこい性格で、誰からも愛される希有の人材。ただし、PK能力は生命力を燃やしながら発揮されるため、長いイニングは出場出来ないのが泣き所。


一塁手

 乾 龍三(荒尾和彦著『豪球伝説』光風社出版、1988)”カテゴリーC”
「プロは甘くねえ」
 真ん中の球を空振りしたら、わざわざ戻ってきた価値がねえ、乾が口ごもる。
 一回二回、素振りをして、構えた。豪田が走者を目で牽制する。慣れぬ行為に神経が苛立ち、小さく見えた。
 豪田が振りかぶった。乾が足を引き上げる。
 バットが一閃した。それだけだった。
 打球はバックスクリーン上段に突き刺さった。


 ヤクルトスワローズ。
 元阪神の投手だったが、芽が出ずに引退し、スポーツ新聞の記者となるものの酒浸りの日々を過ごしていた。しかし、豪速球投手・豪田と打者として対戦する羽目になり、土壇場で持って生まれた長距離砲としての資質を一本足打法で開花させ、プロ野球界屈指の和製大砲として復活。彼を使い、不遇の一本足打法に日の目を見せようとするヤクルト・王監督の元、長嶋監督からスーパースターの後継者としての期待を一身に背負う豪田と対決を繰り返す。
 一度地獄を見ているだけに、野球に対する取り組み方は異常とも言えるほど求道的。身体の故障もものともしない。


遊撃手

 羽後 某(海老沢泰久著『監督』新潮社、1979)”カテゴリーB”
「分ってる。みんな分ってる。でもおれは野球をやるんだ。一軍に上がるんだよ。そうすれば何もかもが解決する。アパートだってもっと広いところに移れる」
「そんなことはどうでもいいのよ」
「よくないさ。おれのおやじとおふくろは仲が悪かった。その原因は狭い都営住宅にずっと住んでいなければならないことだったんだ」
 彼女は涙ぐんだ。
「なんとかなるさ」
 と羽後はいった。「もしこれだけ努力してコーチが認めてくれなかったら、それはコーチが悪いんだ」


 オリンピック・エンゼルス。
 大卒三年目ながら二軍生活でくすぶっていたところ、新監督となった広岡達朗に見いだされる。元名遊撃手である広岡の求める遊撃手像はかなりのハイレベルだが、羽後はグラブ捌きの巧みさと鉄砲肩で、一軍レギュラーの座を獲得する。遠投100メートルを誇る肩を武器に、他球団の遊撃手より守備位置を一メートル深く取れる選手。金を稼ぎ、広い家に引っ越して妻と子供を幸せにするために猛練習に耐えて一軍に登り詰める、本当のプロ魂の持ち主。


 名倉 大志(谷山由紀著『コンビネーション』朝日ソノラマ、1995)”カテゴリーA”
 フォークやった。東さんが自信を持って投げ込んだそのフォークボールを、名倉はダイレクトで右中間フェンスのいちばん深いところへたたきつけた。
 やられた。
 まんまとしてやられた、思うたわ。
 おいしいところを、かっさらわれたからやない。配球をフォークと読んで、しかも打ち返した技にでもない。あいつはな、東さんにフォークを投げさせたんや。追い込まれとったのは名倉やない、東さんのほうや。追いつめられてフォークを投げさせられたんや。


 チーム名不詳。背番号7。
 高卒ドラフト五位指名。野球では無名の進学校出身で、本格的に野球を始めたのは高校から。持ち前の資質の高さと、出遅れていることを自覚するが故の必死の努力で、三年目にして一軍に定着し始める大型遊撃手。”必殺の一撃”と称される長打力のあるシャープな打撃と、上背を生かした守備範囲の広さが魅力。 


右翼手

 船津 某(川上健一著『監督と野郎ども』徳間書店、1984)”カテゴリーB”

「冗談じゃない。おれにとって左でホームランを打つことは、この世から太陽が消えることより大事なことなんだ。いいかい、おれは他の誰とも約束していないし、関わってもいない。この世の中でたった一人、君と、それから君と俺の愛に対して約束したんだ。絶対に打つんだ」


 札幌ベアーズ。
 本来右バッターで、8月20日段階で打率.354、本塁打38本、打点92という快調ぶりを発揮しながら、突如左打ちに転向して世間を驚かせた異才。その裏には、心ならずも八百長の片棒を担がされた女性の陰があった。毎打席三振を繰り返しながらも、まったくめげる様子も見せず、ひたすらにバットを振り回す様は、敵味方を問わず、好奇心に満ちた好意で迎えられた。やがてバットにボールが当たりだすにつれて、右打ちと変わらぬほどの打球が飛び出すようになるほどの、長打力の持ち主。

DH、代打専門



 橘 三四郎(村上哲哉著『ラスト・マジック』新潮文庫、1990)”カテゴリーB”
 イン・ハイへ要求したボールが何かに吸い寄せられるように真ん中に無防備に入ってきた。コンマ何秒かの刹那が、まるでスローモーションのように流れてゆく。
 橘の体がクルリと旋回した。驚く間もなかった。打球はライトスタンド最上段にライナーで飛び込んだ。
 まさに地を揺るがすような歓声が上がった。橘はバットを持ったまま、ライトスタンドを見つめて立ちつくした。プロ生活六年目にしての初安打だった。

 東亜ホワイトウイングス。背番号4。

 高卒ながらドラフト一位指名を受けたものの、極度のあがり症であるために六年間泣かず飛ばす。方の故障が原因で右打ちから左打ちに転向している。亡き恩師・東蔵人の孫娘・由貴が率いることとなったホワイトウイングスの為、捨て身で打席に立ち、打撃開眼する。長打力のあるトップバッターとしてホワイトウイングスの切り込み隊長。


女子編  
投手

 国政 克美(梅田香子著『勝利投手』河出書房新社、1986)”カテゴリーC”
 ところが、今日の克美はいつまでたっても相変わらずだった。ボールとストライクがはっきりしすぎているので、狙い球をしぼられて持っていかれている。秋山の2本めのホームランはボール球を強引に運ばれていた。9番の東尾が打席に入ったところで、及川はこの試合何度めか怒鳴りつけた。
「いいかげんにせんかい! しゃんとせい、しゃんと。なんちゅう球ほおるんや!」
 克美もそれなりに必死だったのだろう。とうとう及川に向かって怒鳴り返した。
「しゃんとしとるワ! ゴチャゴチャぬかすな!!」
 これにはバッターの東尾の方が思わずふきだしそうになってあわてて左手で口を覆った。
(なんとまあ、強気なバッテリーだ……。)


 中日ドラゴンズ。背番号22。
 西東京代表・S高校のエース・羽田真佐の名を借り、性別を偽って甲子園のマウンドに立ち、チームを優勝に導いた立て役者。元読売ジャイアンツの名ショートであり、現在は三星ライオンズの監督・国政道朗(経歴等を考えると、明かに広岡達朗をモデルとしている)の実娘。
 親譲りの野球センスと向こうっ気の強さを持つ反面、女性らしい細やかな気遣いも忘れない。
 バッテリーを組む及川捕手と紆余曲折を経て結ばれ、結婚式を迎えるというラストは、いかにも女流作家が描く女子選手のハッピーエンドという感がある。
 ちなみに、OVA化されているが、そちらでの背番号は、当時実際には使われていなかった0番だった。

アン・大島(井上ひさし著『”スポーツ小説名作選”内収録・突撃する女』集英社文庫、1979)”カテゴリーC”
 ベンチからは監督が駆けてきて、
「どうした? ひょっとしたら、なにが始まったのかね?」
 と、声をかけた。
「それとも、わざと打たせてやったの?」
アンは答える代わりにグラヴで口を覆い、投手板の上にしゃがみ込んだ。吐き気がするらしい。やがて、しばらく呼吸を整えてから、アンは監督にはっきりとこう言った。
「わたし、妊娠したらしいんです。これ、つわりじゃないかしら?」


 読売ジャイアンツ。
 1976年、不振にあえぐ長嶋巨人軍の救世主。実に一シーズン71勝8敗という、真面目に評価するのがばかばかしいほどの成績を残す。彼女の武器は滞空時間4秒という超鈍行ボール、垂直ドロップ、ライザーボールといった多彩な変化球にある。




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