”幼なじみ”で行こう! 第二話

 

 
 コンフォート17。
 
「シンちゃん、ちゃんと送っていくのよ?」
 長話を終え、ようやくミサトから解放されたナルミが玄関口に出たところで、ミサトがシンジを呼ぶ。
「あ……、はい。でも」
 気まずそうなシンジ。エスコート役にこれほどふさわしくない男もいないんじゃないか、シンジはそう思う。これを読んでいる人も、そう思うかも知れない。
「もう。さっき不良に助けられたばっかりなんでしょ? だったら、今度は男らしくシャキッとしてみなさい」
 ミサトが両腰に手を当てたポーズで、強い調子で言い切る。パンプスを履き終えたナルミもにっこりと微笑む。
「シンくん、よろしくね」
 このお願いに抗しきれるシンジではなかった。当然といえば当然の話ではある。
 

 
 夜道。夜空には満月が無数の星を従えて輝いている。昼間より若干気温は下がってはいるが、爽やかにはほど遠い熱のこもった微風が吹き抜ける。
 並んで歩くシンジの頬に、ナルミのセミロングの髪がなびいて触れた。
「……あ」
 いい香りがした。何か新しいシャンプーでも使っているのだろう。今まで嗅いだことのない匂いだった。
「あの、ナルミさん」
「ん?」
 ナルミが向けてくる真っ直ぐな視線がまぶしくて、シンジはまともに顔を合わせることが出来ない。
「ナルミさんは今、何をしてるんですか?」
「仕事ってコト?」そう応えたナルミは、少しだけ寂しそうな顔をした。が、すぐに柔らかな表情を見せて言葉を続ける。「子供達に夢を与える仕事……かな?」
 その意味が良く判らないシンジ。
 歩いて五分もかからない場所、という見立てに間違いはなく、二人は直ぐに目的地――井上ナルミの住まいであるマンションに到着した。
「上がってく?」
 悪戯っぽい口調でナルミが聞く。
「い、いえ……!」
 慌ててシンジが首を振る。
「まあ、今日は遅いから、ね。また遊びに行くから、シンくんもこっちに顔出してね」
 思わせぶりなナルミの言葉に、シンジは赤面して頷く。
「はい」
「うん、いい返事」
 ナルミは軽く手を振り、セキュリティシステムのカードを取り出してマンションの中へと入っていった。
 その姿を唖然として見送るシンジ。
「子供に夢を与える仕事……か。ナルミさんらしいや」
 それに引き替え自分は……。シンジはどうしても陽性にはなりきれない性質の持ち主らしかった。浮き立つ心の一方で、肩を落としてとぼとぼと帰路につく彼の姿を、月光が照らしていた。
 
 その頃。コンフォート17では。
 
「ミサト、ミサト〜!」
 アスカが自室から飛び出してくる。手には女性のファッション誌が握られている。
「なあに〜よ」
 ナルミを送り出した後はすっかりテンションの下がっているミサト。寝ぼけ眼をこすりつつ、自室から出てくる。その鼻先に、アスカが開いた雑誌の一頁が突きつけられる。
「井上ナルミ……って、あ?」
 ミサトがポカンと口を開ける。
「そ! 『オーバーロード』の井上ナルミよ! ああもう、なんで気づかなかったかなあ!」
 アスカが髪をぐしゃぐしゃと掻く。
「へえー! これはいよいよ面白くなってきたわね……」
 すっかり目が冴え、その瞳に妖しい光を宿してミサトが呟く。
「何か言った?」
 ただならぬ空気がアスカから立ち上る。
「べっつに〜」
 わざとらしくしらを切るミサト。ネルフ作戦部長としての本領が発揮されるのは、大抵こんな場面でだ。
 

 
 翌朝。第三新東京市立第壱中学校。
 
「じゃ〜ん!」
 教室の教卓の前に立ったケンスケが、得意げに写真をかざした。数名の生徒が、彼の持つそれを見て、ほほうと声をあげる。
「シンジもほら、見てみろよ」
 興味なさげに机に着いたシンジの目の前に、一枚の写真が滑り込んできた。
「……あ、ナルミさんだ。どうしたの、これ」
「偶然見かけてな。いやぁ、ラッキーだったよ。まさか第三新東京に来てるなんてな」
 そう言ったケンスケが身を乗り出す。
「それにしても、さん付けとは中途半端な奴だな」怪訝そうにケンスケが首を振りつつ聞く。「普通、呼び捨てか、潔く”ナルミ様”と呼ぶだろう?」
「……どうして、”様”なんだよ?」
「どうして、って、シンジ……」
 首を傾げるシンジを前に、ケンスケが言葉を失う。
「ちゃんと判ってるのか? 井上ナルミだぜ?」
「知ってるよ、だって――」
 シンジが手に持っていたナルミの写真が、横合いから引ったくられた。
「あ、惣流……」
「……ふん!」
 アスカは鼻を鳴らし、ポイと肩越しに後ろに写真を放り投げてしまう。
「あ、あ、何すんだよ!」
 狼狽え、突っかかろうとするケンスケの鼻先に、アスカの人差し指が突き立てられる。のけぞって動けないケンスケ。
「こんなチンケな写真撮ったってしょうがないでしょ?」
「チンケな、って何だよ!」
「アタシとシンジは、直かに話してるんだから。こそこそ隠し撮りしてるようなアンタとは心根が違うのよ、ねぇ〜シンジ」
 猫なで声が恐ろしい。シンジは張り子の虎のような動作でカクカクと頷く。
「嘘だろ……」ケンスケが引く。周囲のクラスメイトも、何事かと注目している。
「だって、井上ナルミとシンジは”オサナナジミ”なんだもんねぇ〜」
 瞬間、同心円上にざわめきが広がり、教室の四方の壁にブチ当たって複雑な波紋を描く事になった。状況を把握していないのはクラスの中でただ二人。当事者たるシンジと、我関せずの綾波だけ。
「ほ、ほ、ホントなのか!?」
 ケンスケがシンジに詰め寄る。
「そう、だけど……。どうして? みんなナルミさんの事を知ってるの?」
「ああそういうことか! 道理でさっきから話がかみ合わないと思った。井上ナルミってのはな、当代人気ナンバーワンの声優なんだよ。知らなかったんだろ。全く、仕方のない奴だな」
 まくし立てるケンスケを前に、
「え! ナルミさんが?」
 と、酢を飲んだような顔をするシンジ。横では、アスカも怪訝そうにしている。
「声優って……。歌手じゃないの?」
「判って無いなあ、惣流も。そりゃ確かに歌も上手いけどさぁ。”I'm mermaid?”の”めい”のおっとり声なんて聞いた日にゃあ、泣くぜ?」
 何も泣く事はないだろうと周りで聞いているクラスメイトも思ったろうが、ファン心理などそんなものである。
「話がずれたな。本当にナルミ様と幼なじみなのか?」
 話と一緒にずれた眼鏡を直すケンスケ。もはや”様”づけである。
「そう、だけど……」
 たじろぐシンジ。思わぬ方向に話が動き、状況が良く判らなくなっている。
「シンくん、なっちゃんって呼び合う仲なのよ!」
 腹立たしげにアスカが事態を意図的に悪化させる。再びどよめき。
 当然、ケンスケもヒカリも、例のお約束台詞を口にしている。いちいち記しても仕方ないのでパス。
 結局その日一日の授業が終わる内には、”シンジ×ナルミ”は尾鰭どころか翼や牙までついて学校中に広まった。
 
 放課後。
「さ、今日はシンクロテストもないし、さっさと帰るわよ!」
 休む間もなく質問攻めにあって机につっぷし、ぐったりしているシンジの首根っこをアスカがむんずと掴んだ。
「ア、アスカ……、苦しいよ」
「だったらしゃきっとする!」
「判ったよ」
 渋々席を立つシンジ。それを見下ろしているアスカの傍らに、ヒカリが歩み寄った。
「あ、あの、アスカ……。ちょっと、いいかな?」
「何?」
「話が、あるんだけど」
 いつになく遠慮がちなヒカリの様子を訝しりながらも、アスカはヒカリに誘われるままその場を離れた。勿論、シンジには、「帰ってくるまで、そこに居なさいよ!」と、釘を差すことも忘れない。従ってシンジは、それこそ五寸釘を打ち込まれたわら人形の如く、その場で待機である。
 
 屋上。
「話って? ひょっとして、鈴原のこと?」
 口火を切ったのは、アスカのほうだった。が、意に反してヒカリは首を振る。
「碇君のことよ」
「シンジがどうかした、……の?」
 もしかしてヒカリが、と過剰反応を示しそうになるアスカ。懸命に声を抑える。それに気づいたのか、ヒカリがふっと肩の力を抜いた。
「私が聞きたいのは、碇君と井上ナルミの事なの」
 直接会って話したことのないヒカリにとっては、井上ナルミとはあくまでも別世界の住人であり、つい呼び捨てになってしまう。
「?」
「ホントに、その、”幼なじみ”なの?」
「らしいわね」
「アスカ……。大丈夫?」
「なにがよ」
「だって。幼なじみってのは――」
 ヒカリは、少女漫画で得た知識を元に、いかにシンジとナルミの繋がりが運命的な色彩に彩られがちなのかを滔々と語った。
 
 約十分経過。
「そんなこと言われたって、仕方ないじゃないのよ!」
 さすがにアスカが癇癪をおこす。
「ご、ごめん……」
 怯えたように謝るヒカリを見て、アスカもばつの悪そうな顔をする。言葉では認めていなくても、シンジに対する感情がバレバレであることに、今更気づく。
「……ヒカリ。アタシも悪かったわ、ヒカリはアタシの事、心配してくれてるのよね。いーのいーの。ナルミは六歳も年上の”げーのーじん”なのよ。バカシンジの手に負える相手じゃないんだから」
 自信たっぷりの中にも不安が滲む。本人もそれに気づいてか、さらに付け加える。
「ヒカリは”幼なじみ”って単語にこだわり過ぎよ。幼なじみが全部くっついちゃうんじゃ、国際結婚とかなんて、あり得なくなっちゃうじゃない。考え過ぎよ」
 そう口走ってから、今度は国際結婚という単語がアスカの頭に引っかかって離れなくなる。これまた考え過ぎである。
「……そう。アスカが大丈夫そうだから、安心したわ。もしかしたら、ショックなんじゃないかと思ってたから」
「はん! このアスカ様が、たかがバカシンジの事で何か気に病むなんてありえないんだから!」
 強がってみせるアスカ。彼女の言葉はある意味では真実である。その証拠に、教室で釘付けになっている当のシンジの存在を、今の彼女の頭の中からは抜け落ちている。哀れシンジ。


第三話に続く

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