『ぷにF1』 第八話
――Angel's Circuit
(一)
F1グランプリ第十五戦の舞台である、アメリカのインディアナポリス・サーキットは、インディ五〇〇で知られた巨大な楕円状のコースである。
もっとも、楕円のコースをそのまま用いるのではなく、ホームストレートと最終コーナーだけは既存コースを用いるが、F1用に内周部に新たにコースが設けられていた。平坦ではあるが曲がりくねっており、単純な高速コースではない。
パドックに到着した駆は真っ先に蓮の姿を探していた。
彼女はモーターホーム横に張られたテント下のベンチに座って、イリシスのチョコバーをかじっていた。チョコバーは大好物である筈なのに、その味など判っているとは思えない心ここにあらずという表情で、駆が近づいても気づく様子がない。
「蓮、調子はどうだ? イタリアじゃ大クラッシュだったみたいだけど、身体の方は大丈夫だったか?」
どう声を掛けるべきか一瞬ためらったものの、なるべく普通に行こう、と駆は何気ない調子で話しかけた。
その瞬間、ぴたっと蓮の動きが止まる。唖然として振り向いた表情が、見る間に今にも泣き出しそうにゆがんだ。
「ボクは、ボクは、怒っているんだからねッ!」
勢い良く立った拍子に、チョコバーがテーブルの端に当たって手から落ちてしまったが、そんな事はお構いなしに駆を睨みあげる。
強く握りしめられた拳が小刻みに震え、その感情の高ぶりを示していた。
「なにを怒ってるんだよ。そりゃ、最後に挨拶していかなかったのは悪かったけど、そもそも――」
駆が最後まで言う前に、蓮の右拳が駆の胸に叩きつけられていた。だが、その力はひどく弱々しい。
「なんで、黙って行っちゃったの! もう、二度と逢えないんじゃないかって、すっごく心配で、心細くて、なんで、なんで……」
あとは言葉にならなかった。蓮は駆の胸にすがりつき、声をあげて泣き始めてしまった。
「落ち着けって。だいたい、俺の事をもう要らないって言ったのは蓮じゃないか。だからこっちも踏ん切りつけて日本に戻ったんだけどな」
「ウソ……! ボク、そんなこと言ってない。言ってないもん!」
(やっぱりそうなのか? あの時の言葉はシルヴァが言わせたのか?)
しばし背中をさすって落ち着かせてから身体を放す。蓮の泣き顔を覗き込んで、その真意を瞳の奥に見出そうと目を凝らす。少なくとも、今の蓮はシルヴァの魂に操られている訳ではなさそうだった。
予選開始を前に、NJ11がピットでエンジンを轟かせている。
「やるよー。ぜったい、今日はやるからねっ!」
蓮はフリー走行終了後とはうって変わった笑顔で、弾けるような声をあげて戻ってきた。
ぐるぐると腕を振り回し、誰彼と無くそう宣言してまわる。久しぶりに見る彼女の無邪気な様に首を傾げていたメカニック達も、彼女の後から駆が顔を出すと納得の表情で頷きあった。
「良く来られたな。国吉監督からの許可は貰ってるんだろうな?」
驚いた声を出して小田切が迎えた。
「先週のMINEサーキットで二位を取った褒美ですよ。ま、鈴鹿での最終戦が、F1の日本グランプリが控えているんで一ヶ月以上先の話になりますから。一週間ごとに往復するんじゃ、さすがにムリなところでした」
「そうか。前回のクラッシュが効いているのか、どうも彼女の走りは余り良くない。フリー走行のタイムは十四番手に沈んでいる。スペンサーも少しばかり困っているようだ」
「ミーティングは済ませましたか?」
「一応はな。だが、君が来たからには戦略を練り直せる。もうすぐ予選が始まるが、出来るだけのことはやろう」
限られた時間の中で、駆はセッティングを煮詰める作業に入った。ビデオ画像をみながら、駆だけが理解できる蓮の微妙なハンドリングやブレーキのタイミングを元に、ベストセッティングを見つけだす。さらにブレーキングやライン取りに関するいくつかの問題点も発見し、蓮にアドバイスする。
「出来る限りのことはやった。思い切り走ってこい」
最後に駆がこう締めくくると、蓮は大きく頷いた。
「うん! がんばる!」
予選が始まると、蓮はまさしく水を得た魚の走りをみせた。
NJ11を自らの手足のように自在に操り、オーバルコースの内側に設置されたコースのテクニカルなコーナーをテンポよくクリアし、バンクの付いた最終コーナーから力強く立ち上がってくる。
しかし、それでもなおフェラーリ、マクラーレンの壁を突き破ることは容易なことではない。予選順位は五番手に甘んじる。
予選が終わると、蓮はホテルへと戻ることになる。ほとんど身一つでやって来た駆はこれからどこか宿泊場所を探さねばならない。ただ、駆はあまり心配していなかった。ここインディアナポリスのオーバルコースは、アメリカ最大のモータースポーツの聖地である。その気になって探せば、たとえF1決勝を明日に控えているとはいえ、一ヶ月に渡って繰り広げられるインディ五〇〇の観客を当て込んで建てられた安宿の一つぐらい見つけられるだろう。
ジャックウェルのピットから出て、一人で街へ向かおうとしたところを、ニコルソン監督に呼び止められた。
「悪いが、レンをホテルへ送ってくれないか?」
シーズン中途でスタッフから抜けた筈の男に対して、ニコルソン監督はなにも言わず、以前と変わらない態度で接してくれた。その表情は、F1チームの監督というよりも、慈父のそれであった。
「判りました。ですが、肝心のバイクが……」
「バイクならここにあるぞ」
小田切が駆の使っていたオフロードバイクをトランスポーターから引いてきた。
「契約金代わりの筈のバイクだったが、日本に送る暇もなくてな。しかしまあ、置いておいて良かった」
そう言って小田切は笑った。
久々に蓮を後ろに載せ、ホテルへの道のりを走る。腰にしがみついてくる蓮の腕の感触も懐かしい。
やがて、ジャックウェルのスタッフが宿泊するホテルへと到着する。
「着いたぞ」
「ありがと、なんかこうやってホテルに戻ってくるとほっとするよぉ」
と言ったものの、蓮は駆の腰にしがみついたまま、シートから降りようとしない。
「……どうした、蓮?」
「何故戻ってきた?」
不意に蓮が口を開いた。だが、さきほどとは声音が全く異なっている。背筋に悪寒が走った駆は身体を一瞬こわばらせ、慌てて蓮の腕をふりほどいてバイクから飛び降りる。あやうくオフロードバイクが倒れそうになった。
「シルヴァ? 貴方ですね」
駆の問いに、虚ろな瞳で蓮が頷いた。
「彼女の意識が目覚めている時にこうやって話をするのは、彼女の身体にとっても余り良くない。手短に話そう。何故戻ってきたのかね。君はフォーミュラニッポンに復帰していきなり優勝し、次のレースでも二位になった。素晴らしいドライバーだと誰もが認めるだろう。いまさらF1チームのアドバイザーでは満足できまい」
「確かにそうですよ。ですが、これ以上、蓮を貴方の操り人形にしたくはないんですよ。貴方は私を日本に追い返したがっている。だから、どうやったら貴方から蓮を取り戻せるのかは判らないけども、少なくとも私がここに居れば貴方にとって都合が悪いのは間違いないですからね」
「……そうなのか。残念だ」
「貴方は蓮の身体を使って再びF1の覇者になろうというんですか? それとも、クラッシュで命を奪われたことへの復讐? どちらにしても、蓮には関係ない話です」
「そのどちらでもない。私はただ、F1をもう少し楽しんでいたかっただけなのだ」
「その楽しみ、蓮に返してやってはくれませんか? 貴方が事故で死にかけていた蓮のドライバーとしての才能を見出し、命を救ってくれたからと言って、その身体を乗っ取ろうなんて、許せないことです」
「前にも言っただろう? 彼女の記憶を取り戻したければ私に勝て、と。私に勝てば、彼女は彼女の全てを取り戻せる」
「ですが、貴方が蓮の中にいるのに、どうやって蓮が貴方に勝てるというんですか。教えて下さい。蓮にチャンスを与えて下さい」
「……今は、その時期ではない。場所が違うというべきかな。私にとって、勝負を決する場所はここではない」
「日本グランプリ、ですか」
駆の言葉に、蓮が小さく頷いた。と、全身から力が抜けたようになってその場に崩れ落ちる。
「蓮っ! 大丈夫か」
バイクのスタンドを立て、慌てて抱き起こす。
「……あれ、ボク、どうしちゃったんだろ? いま、なにか話してなかったかな」
「よっぽど疲れてるな。今日はさっさと寝て、明日に備えろよ」
どうやれば蓮を救えるのか。その小さな身体を支えながら、駆は自分の無力さをかみしめていた。
(二)
二五万人の観客が見守る中、アメリカグランプリがスタートする。
五番手スタートの蓮は、序盤から六番手につけていたジェンソン=バトルとの攻防を繰り広げることになった。蓮のペースも遅くはないが、なんとかバトルを抑えている。
予選二位のクルサージが、スタートでフライングを犯してピット前で十秒マシンを停めるペナルティを受け、順位を七位まで下げた。一度目のタイヤ交換が終わったところで、四位の蓮、五位のバトルの背後から、六番手となったフィールセンが追い上げてくる。
『カケル、今日のバトルはひとあじ違うねっ! 速いよ』
バンクの付いた最終コーナーから立ち上がり、ホームストレートを駆け抜けながら、嬉しそうにそんな事を無線で伝えてくる。
「いいから。しっかり前を見て走れ」
『ねぇ、フィールセンがすぐ後ろに来てるんでしょ。ボクがバトルを抑えるから、なんとかフィールセンがボクの前まで出られるような戦法を考えてよ』
蓮の言葉に、ジャックウェルのピットはしばしざわつき、それから静まり返った。これまで蓮はセカンドドライバーでありながら、ファーストドライバーであるフィールセンのサポートを行う意思を全く見せなかった。指示を出しても何喰わぬ顔でそれを無視してしまう。
ニコルソン監督の秘蔵っ子であり、天才的な速さを持つドライバーでなければ、到底受け容れられない態度だったのだ。
それが、自分のほうから順位を下げても構わないと言い出したのだ。
「構わないんだな、レン?」
通常であれば当たり前の戦術を行うにあたっても、思わずニコルソン監督も確認をとってしまう。
『はやくしてよ。バトルはかなり張り切ってるみたいだから、抜かれちゃうかも』
「監督!」
駆が声を出してニコルソン監督を呼んだ。振り向いたニコルソン監督は、全て任せる、とばかりに力強く頷いた。
「よーし。仕掛けどころは第六コーナーのあとのダブルになったシケインだ。一つ目の右曲がりのシケインの進入でマシン半分ほどアウト側に流れてバトルを誘い、その後の左への切り返しで幅寄せを喰らわせてやれ。その間にフィールセンが前に出る。いけるな?」
『うん、やってみる!』
バトルの鼻先を抑えたまま、蓮は走る。フィールセンにも指示が飛んだ。蓮、バトルが相次いで第一コーナーへと進入する。ほんのわずか、蓮はペースを抑えていた。フィールセンが追いつけるようにだ。あまり速度を落としすぎるとバトルにかわされてしまう。ぎりぎりの判断を要求されたが、蓮は見事にこなしてみせた。
コーナーをクリアする度に、フィールセンの姿がじりじりとバトルの背後に迫る。二周したところで、十秒離れていたフィールセンがバトルのスリップストリームに入れるところまで差を詰めた。三台が連なって走る。
『この周にやるよ。もうそろそろバトルが怒ってるみたいだから、キメちゃおう』
そして問題の第六ターンをクリアし、連続したシケインへと進入する。
駆の作戦通り、右曲がりのシケインで、蓮のNJ11がややアウト側に流れた。焦れていたバトルは、すかさずノーズをイン側につきたててきた。だが、蓮もたやすく抜かれない。シケインの切り返しでタイヤ同士がふれあうほどに並んでくるが、前にはいかせない。
二度目のシケイン。今度は左に折れる。バトルは蓮の右サイドから並んできている為、蓮のほうがインをとる形になる。ここで、先ほど以上にマシンをアウト側に振った。引き下がりたくないバトルもサイドに並んだまま頑張る。結果、イン側に、マシン一台がかろうじてすり抜けられるラインがフィールセンの眼前にしっかりと開いていた。
間髪入れず、フィールセンが二台まとめて抜いていく。
『やったぁ』
その後に続くように、蓮がバトルより前に出る。バトルの走りから気迫が薄れていた。おそらく、蓮が今回のようなチームプレイを考えていたとは夢にも思わなかった分、ショックが大きいのだろう。
レースは、終盤になって二位を走行していたマクラーレンのルッキネンがエンジンまわりから火を噴くアクシデントでリタイアし、順位がひとつずつ繰り上がった。一位・シューバッハ、二位・バリチェス。フェラーリのワン・ツー・フィニッシュ。
そして三位には、フィールセンが入った。今シーズン初の表彰台である。蓮は四位でフィニッシュした。
「よく我慢したな。偉いぞ」
駆は、マシンから降りた蓮の頭を乱暴になでる。
「まあね。でも、次はボクが勝つ番だからね」
表彰台そっちのけで二人ではしゃいでいるところに、蓮にしてやられた格好のバトルがジャックウェルのピットに顔を出した。彼は後半気落ちしたのか、ランディ=クルサージとジャッキー=ヴィクトーリにも抜かれて七位に終わっていた。
「くやしいけど、全く脱帽だよ。まさかレンがフィールセンとチームプレーをやるとは予想もしなかった」
「へへっ。ボクには最高の味方がついてるんだもん。楽勝だよっ」
満面の笑顔で蓮が強気の台詞を放つ。バトルは肩をすくめた。
「……不思議だな。モンツァの時はなんだかしゃくに触ったんだけど、今のレンを見ていると怒る気にもなれなくなるよ。まったく、こうやって一シーズン戦ってきても、君の事がさっぱり判らないよ」
バトルのぼやき口調に、蓮を担当しているジャックウェルのメカニック達が一斉にはやし立てた。同じチームの俺達にも判らないのに、お前に判ってたまるか、とでも言いたげな雰囲気であった。戦績の良さがそうさせるのか、それとも蓮の成長ぶりが希望を与えているのか、ジャックウェルのピットは明るく、まとまっていた。
次回はいよいよ、鈴鹿サーキットで開催される日本グランプリである。マシンや機材を空輸する為、さっそく梱包作業が始まる。
(三)
鈴鹿サーキットで行われる第十六戦、日本グランプリは、これまでも幾多の名勝負を生んだ場所である。シーズンの最終戦か、その一つ前のスケジュールに組み込まれる事から、総合優勝がかかった大事な一戦となる為である。
また、ここはシノダの本拠地であり、当然ながらシノダは日本グランプリに照準を絞ってバージョンアップしたエンジンを投入してくる。
それは久遠とて例外ではない。今シーズンを最後にF1からの撤退を余儀なくされた久遠は、有終の美を飾るべく万全の態勢で臨んでいた。スペック4・フェイズ2の部内名称を与えられたエンジン、いわゆる鈴鹿スペシャルを持ち込んでいる。
「我々はこの数年、シノダの名を辱めないだけの仕事をしてきた。そしてこの一戦、悔いを残さなければ、諸君の人生を支える三日間となる」
金曜日の朝。久遠スタッフを一同に集めて小田切はそう訓辞した。
フリー走行ではNJ11は快調。エンジンパワーは極限まで引き出されている。鈴鹿でのレース経験豊富な駆は、ジャックウェルのデータと自らの知識とを組み合わせ、早い段階で蓮好みのセッティングを見つけだす。
蓮も駆の期待に応えた。シューバッハに続く二番手のタイムを残し、確実な手応えを感じて土曜日午後の予選へと備える。
「彼女の走り、なかなかのものだなぁ。いまやシューバッハとルッキネンに対抗できる唯一のドライバーって感じだ」
主立ったドライバーへの取材を終えた春日部が駆の元にやってきて、にこにこと笑った。
「春日部さん。この間、シルヴァの亡霊を倒すって言ってましたよね。日本グランプリで蓮が優勝するような事があれば、亡霊を倒せますか?」
「うん? そうだなぁ。話題にはなるだろう。再来年からはトモタも参戦する事だし、日本人にもう一度、F1を注目して貰うきっかけとしては最高だろうな。……何故そんなことを聞く?」
「いや別にたいしたことじゃないんです。ただ、既にこの世にいない伝説のドライバーを倒すなんてことをどうやればいいのかなって思っただけです」
優勝すればシルヴァは蓮の身体から離れ、彼女の記憶を蘇らせてくれるのか。確証は何もない。だが、そう信じたかった。
土曜日。
午前中のフリー走行で、セッティングに問題ないことを確かめる。
午後一時。予選が始まる。
明日の決勝の激しさを予感させる、壮絶なものとなった。
序盤、蓮は一度目のアタックで暫定トップに躍り出た。
だが、シューバッハとルッキネンのトップ争いのすさまじさはF1史上屈指のものとなった。当然かも知れない。ここまでの成績は、シューバッハ八八ポイント、ルッキネン七八ポイント。その差一〇ポイント。ここでシューバッハが優勝すれば最終戦のマレーシアグランプリを待たずして総合優勝が決定する。だが、シューバッハの戦績次第では、ルッキネンにも三年連続総合優勝の可能性がまだわずかに残っている。
蓮の記録はたちまちこの二人のアタックによって破られるが、彼女も決して引き下がらない。分刻みでトップの入れ替わる、三つどもえの争いとなった。
・一時二六分 シューバッハ・一回目
一分三六秒〇九四
・一時四一分 蓮・二回目
一分三六秒〇八九
・一時四二分 ルッキネン・二回目
一分三六秒〇一七
・一時四三分 シューバッハ・二回目
一分三五秒九〇七
・一時四九分 ルッキネン・三回目
一分三五秒八三四
・一時五一分 蓮三回目
一分三五秒九八八
・一時五五分 シューバッハ三回目
一分三五秒八二五
予選終了五分前に、シューバッハがトップに躍り出た。タイムアップ寸前、ルッキネンと蓮はコース上に出て、四回目のアタックを行ったが、それぞれのベストタイムに及ばず、ポールポジションはシューバッハとなった。ルッキネンは二番手。蓮は三番手につけた。フェラーリとマクラーレン、この二強を敵に回して一歩も引かぬ蓮の走りは、観客を大いに沸かせ、明日の決勝への期待をいやが上にも抱かせた。
(四)
日曜日。決勝当日を迎えた。
フリー走行後のミーティングを済ませ、まもなく決勝が始まるという時に、蓮はモーターホームの裏に駆を誘った。
「なんだか、ここがボクにとっての今年の集大成って感じがする。ヘンだね、まだ最終戦のマレーシアが残ってるのに」
特別な雰囲気を感じるのか、蓮が不思議そうに言って肩をすくめる。
「間違っちゃいないさ。ここは特別なんだよ。蓮の故郷でもあるんだからさ」
「故郷か……。あんまりピンとこないんだけどねぇ」
「間違いないんだ。実は日本のジャーナリストがちゃーんと蓮のルーツを探しだしてる」
「え、ホントなの、それ」
「ああ。……知りたいか?」
「うーん、だけど、なんにも思い出せないから、なにを言われても実感が無いんだよ」
「そうだな。故郷に戻るのはシーズンが終わってからでも出来るからな」
「うん。……ボク、がんばったかな?」
頬を赤らめた蓮が、上目遣いに訊ねてくる。
「ああ、よく頑張ってきたよ」
「ひとつ、お願いがあるんだ」
「なんだ? 出来ることならいいけど」
「ねぇ、キスしてよ。そしたら、もっとがんばれると思うんだ」
「え……」
恥ずかしがりながら駆を見上げる蓮の顔が、いつになく可愛らしく見えて駆は戸惑った。どう応えてよいものか判らず、言葉を失って立ちつくしてしまう。
ほんの数拍の間だったが、蓮にとってもその間は耐え難かったらしく、くるりと背を向けてしまった。
肩が震えている。
また泣かせてしまったか、と駆は慌てた。
「ごめん、急に言われたから、驚いたんだ」
「……くくっ」
蓮の肩の揺れが大きくなる。泣いているのではなかった。笑いを抑えているのだ。
「もー、カケルはすぐ信じちゃうんだから。じょーだんだよ、冗談!」
振り向いた蓮がにっこりと微笑んだ。駆は思わず肩の力が抜けて膝を押さえるようにしてかがみ込んでしまった。
「なんだよ。冗談にしたってきつすぎるぜ。いきなりなにを言い出すんだって慌てちまった」
「ごめんごめん。でも、それだけ驚いてくれたら甲斐があったよ。じゃ、行って来るからね」
「ああ」
ピットのほうへと向かいかけた蓮だが、しばらく言ったところで、「あ、そうだ」と声をあげてまだ脱力している駆のほうに戻ってくる。
「どうした?」
「ねぇ、ちょっと話があるんだけど」
内緒話をするように小声を出す蓮。駆は反射的に身体をかがめて蓮の身長にあわせた。
そこに、蓮が唇を触れさせてきた。キスとはとうてい言えないような一瞬の動き。
「えへへっ」
真っ赤になった蓮は照れ笑いを残し、今度こそ脱兎の勢いでピットへと走っていった。
(五)
今のところ雨はやんでいるが、レース中には再び降り出すと予想されるぐずついた状況の中、日本グランプリの決勝がスタートした。
第一コーナーへの飛び込みで、ルッキネンがシューバッハの頭を抑え、トップを奪った。蓮もルッキネンのすぐ後ろについてシューバッハをかわそうとしたが、さすがにそれを許してくれる相手ではない。ラインをふさがれて引き下がる。
シューバッハとルッキネンは、互いのことしか眼中にないといわんばかりの速いペースで、第二集団を一周につき一秒ずつ引き離していく。どうにか追随しているのは蓮だけだった。
一度目のピットインのタイミングが迫ってきた。オーバーテイクの難しい鈴鹿では、ピットワークが勝敗を決することも珍しくない。
「この雲の流れだと、二度目の交換のあたりで、雨になる可能性が高いですね。早目に交換を済ませて、二回目のタイミングを雨にあわせましょう」
F3とフォーミュラニッポンで鈴鹿で走った経験のある駆がニコルソン監督に進言する。
まず、タイヤの消耗がやや速かった蓮が先に戻ってくる。タイヤ交換と同時に給油。貴重な数秒を犠牲にして、燃料を多めに補給する。ルッキネン、シューバッハがその後に続き、同じ周回でピットインする。ルッキネンよりシューバッハのほうが給油した量がわずかに多い。
一時的にトップを走った蓮だが、給油を終えたルッキネンとシューバッハが相次いでコースに戻ってくると、その前に出ることは出来ず、再び三位となる。
テイル・トゥ・ノーズの態勢になるほど差を詰めることは出来ないが、差が開くこともない。三位を走行する蓮の位置から、トップの姿が前方に見えるほどの距離で周回を重ねていく。
レースが動いたのは二度目の給油だった。まず一度目の給油量が少なかったルッキネンがピットに戻る。その間に、コースに残ったシューバッハと蓮は、摩耗したタイヤと疲労した自らの肉体にむち打ち、積んだ燃料の大半を消費し終えて軽くなったマシンを、予選ばりのハイペースで飛ばす。
残り周回を考えれば、ゴールまで必要な給油量は逆算出来る。ルッキネンが二度目の給油で積むよりも少なくて済むのだ。
「もし、シューバッハのほうが燃料に余裕があるとすれば、蓮が前に出られる可能性はほとんどない……」
小田切が呻いた。
ジャックウェルでは固唾をのんで、二度目のタイヤ交換のタイミングに備える。一周、二周……。
「この周でピットインだ」
燃料搭載量を計算し、ぎりぎりまで粘ったところでニコルソン監督が蓮に指示を出す。ここでシューバッハがまだ数周コースに居残れるようなら、二度目のピット作業の時間差で、シューバッハのほうが確実に先に行くことになる。
だから、蓮が戻ってくるのと同じ周で、前を行くシューバッハがピットレーンへ飛び込んだのを見て大きな安堵の声があちこちで漏れた。だが、気を抜いてはいられない。ピット作業でロスタイムを出せば致命的になる。
前年度の成績の良いチームが、ピットレーンの入り口側にピットを構えている。従ってシューバッハがピット作業を行うその傍らを抜け、蓮もジャックウェルのピットにまで滑り込んでくる。
ピットクルーがこれ以上ない手際の良さでジャッキを突っ込んで車体を持ち上げる。タイヤを交換し、燃料ホースを給油口に突っ込み、計算された秒数きっかり燃料をタンクに流し込む。
シューバッハのほうも問題なくピット作業を終えた。傍らを、時速八十キロの速度制限を守っていることを示すテイルランプの点滅を見送る蓮に見せつけ、ピットロードの出口へと向かう。
NJ11からジャッキが外される。マシンの鼻先に棒につけた丸いボードを差し出していたクルーが退いた。すかさずアクセルを踏み込んだ蓮がシューバッハの後を追う。
コースに復帰し、第一コーナーに飛び込んだとき、ルッキネンはまだホームストレートの終わりにさしかかったところだった。ドライバーの追い越しのテクニックではなく、チームの戦術とピットクルーの迅速な作業で順位をあげたのである。
だが、よほど雨足が強くなり、タイヤ交換に迫られない限り、もうピットインの機会は無い。与えられた条件は互角。マシン性能とドライバーの腕だけが死命を決することになる。
NJ11がシューバッハの後方に迫る。ノーズに描かれた鮫のイメージそのままに、フェラーリのテイルに食いつく。だが、年間総合優勝がかかるシューバッハもたやすく蓮のアタックに屈する筈もない。
と、シケインへの進入で、シューバッハはライン取りを乱した。まるでインに強引に割り込んでくるマシンを危うくかわすような動きだった。だが、そこには誰もいない。一瞬の間があいた。がら空きになったライン上に蓮のNJ11がすかさずノーズを突っ込んでいた。
シケインを抜けたところで、車体半分ほど蓮のほうが前に出た。
直線での加速力勝負。通常、同じ条件であればNJ11はフェラーリにはかなわない。だが、今回ばかりはNJ11の伸びは驚異的だった。第一コーナーに先に飛び込んだのは蓮だった。
「いいぞ、これでトップだ!」
「まるでスリップストリームに入ったみたいな伸びの良さでしたね!」
ピットは騒然となっていた。駆も例外ではない。思わずはしゃいだ声を上げていた。
「……そうだな、テレメータでもラジエターの温度上昇を伝えている。テイル・トゥ・ノーズの態勢で走り続けた場合に極めて近い状況だ」
お祭り騒ぎのピットにあって、一人小田切が浮かぬ顔なのは、普通ではないデータが表れる為、マシントラブルの前兆ではないかと疑っているからだった。だが、蓮の走りを見る限り、なんらかの不調が発生しているとは到底思えない。
蓮とニコルソン監督の無線のやりとりがインカムから聞こえてくる。
「良くやった。残り十周だ。なんとかシューバッハを抑えれば優勝だ。慌てず行け」
『で、でも。まだ前にマシンがいるんだよ』
「そんな筈はない。現在レンが一位だ。前にいるのは周回遅れじゃないのか?」
『違うみたいだよ。青旗も出てないし』
「どういうことだ」
モニタに注目してみても、蓮の前を行くマシンなど映らない。周回遅れも彼女の近くにはいないことを確認する。
やがて、一周を終えてピット前を蓮のNJ11が駆け抜けていく。残り九周。もちろん、彼女がトップだ。背後にシューバッハが迫る。だが、蓮はまだ先行するマシンの後ろ姿をとらえていた。
「そいつは、まだ居るのか?」
『うん。シケインからの立ち上がりでだいぶ間を詰めた。凄いよ、おかしいよ! 昔のマクラーレンが前を走ってるんだよっ。赤と白のマシン。車体の幅が広いし、ハイノーズじゃないし、スリックタイヤだ。なんでだろ』
興奮した蓮の声。
馬鹿な、一瞬の間、駆は思考停止状態になる。
「ふざけてないでレースに集中するんだ」ニコルソン監督が怒鳴っている。
『でも…』
駆の頭の中で、初めて蓮に出会ったときから今日までの様々な出来事がフラッシュバックする。
――蓮の記憶を取り戻す為には、私を超えることだ。
蓮の身体を借り、シルヴァは確かにそう言ったのだ。
(そうか。そういうことだったのか。正々堂々と戦ってくれるんですね。……貴方は、蓮にチャンスをくれるんですね)
駆はインカムの送信スイッチを入れた。
「蓮っ! そのマシンに乗ってるのはエヤトン=シルヴァだっ! ぶちぬけ! 亡霊なんか抜いてやるんだ! 今の最強ドライバーが誰か、思い知らせてやれっ!」
『よくわかんないけど、とにかく、ラジャーッ、だよ!』
蓮は声を弾ませると、さらにペースを上げた。
「カケル、シルヴァとはなんの話だ?」
一人で興奮している駆に向かって、怪訝そうな声でニコルソン監督が訊ねてくる。ピットクルー達も、妙な物をみる目つきで駆を伺っている。
だがシルヴァの意図を知る駆は、少しもたじろがなかった。
「どうもこうも、蓮がまだ前にマシンがいるって言っているんですから。そいつを抜かないことには話にならないでしょう」
モニタに表示される順位表では蓮の名前がトップに表示されている。
観客の目からは、蓮は懸命にシューバッハから逃げているように映っているだろう。だが実は、幻のトップを走るシルヴァとの戦いを演じているのだった。しかし、仕掛けるタイミングを得られないまま、130Rから西ストレート、シケインを抜けてホームストレートへ戻ってくる。残り八周。
グランドスタンドからの声援に、戸惑いのようなざわつきが混じり始めた。それは次第にコース各所に設けられたスタンドへと波及していく。
どうやら、シルヴァの姿を目にしているのは蓮だけではないようだった。恐らく、先ほどシューバッハがライン取りを乱したのも、シルヴァの幻に虚を突かれたからに違いない。
「やけに騒がしいじゃないか。そりゃあ、レンがトップというのは驚きだが、余所のピットまでこうも右往左往しているのは何故だ?」
首を巡らせたニコルソン監督が首を捻る。
「珍しい光景に驚いているんでしょう。どうやら、見えているのは蓮だけじゃないようです」
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「私もそうは思いますが、ちょっとこっちには信じてみたい事情があるんですよ」
そう言い残して駆はピットウォール際まで駆け寄り、周回を重ねる蓮が戻ってくるのを待ちかまえた。
高いエンジン音を響かせて、NJ11が近づき、たちまち目の前駆け抜け、第一コーナーへと消えていく。シューバッハが続く。スタンドでもピットでも、ざわめきが一層大きくなった。
「俺にも見えたぞ! マクラーレン・シノダのMP4/8だった。ありゃあ、確かにシルヴァのマシンだ!」
ジャックウェルのピットクルーの一人が声を挙げた。何人かが同調するが、逆に何も見えなかったと言う者もいる。見えた、見えないとの言い合う様があちこちでみられた。
激しく動揺しているのが明らかなのは、マクラーレンのピットだった。走っていると言われているのが、シルヴァが乗ったマシンの中でも最も有名なマクラーレン・シノダMP4/8であるから当然だった。プレスがコメントを求めてチームスタッフの元に殺到する。
だが、慌てふためく彼らにしても、全員がシルヴァの幻を実際に目にした訳ではなかった。
「……おお、なんということだ」
モニタを睨んでいたニコルソン監督が、いきなり激しく頭を振った。
「見えたんですか?」
「ああ、見えた。間違いない。あれはシルヴァだ」
「……俺には見えません」
「どうなってるんだ? 日頃、霊感とやらには全く縁が無かったんだがな。まさかまたシルヴァの走りを見られるとは思わなかった」
と、小田切も感慨深げに呟いた。シノダの本拠地で、シノダと久遠でトップ争いが出来るとは、しかも相手がシルヴァか。凄いものだな、と達観したようにひとりごちる。
シルヴァの幻を追う蓮。その背後には総合優勝を目の前にしたシューバッハが、さらに現代のマクラーレンのマシンを走らせるルッキネンが食い下がっている。
一周、二周。蓮の言葉によればまだ目の前を行くシルヴァをかわせないという。
『なんかすごいよっ。すごくうまい走り方。とっても抜けそうもない』
「諦めるな、ここで倒さなかったら、次のチャンスはいつあるか判らない。二度と無いかも知れないんだ」
『抜いたら、なんかご褒美くれる?』
「おう、なんでもくれてやる。とにかくシルヴァをかわすんだっ」
『よーし、ご褒美。絶対、約束だよっ』
燃料を消費して車体は軽くなっているが、酷使されたタイヤはグリップ力を失いかけている。体力もかなり消耗している。その厳しい状況で、蓮はわずかなチャンスを求め、最後のアタックをかける。
鈴鹿サーキットには、よほどの性能差が無い限り、追い越しを仕掛けることの出来るポイントがほとんどない。強いて上げるならば、最終コーナー直前のシケインと、ホームストレートを抜けた後の第一コーナーへの飛び込みの二ヶ所である。
そのどちらで蓮が仕掛けていくか。駆には手に取るように判った。だが、肝心のシルヴァのマシンの姿を、駆はどうしても目に留めることが出来ない。
(何故だ。何故、俺には姿を見させてくれないんですか)
心の中で、シルヴァに呼びかける。一時は敵意を抱きはしたが、蓮と正々堂々の勝負をしていると知った時点で、わだかまりは消えていた。史上屈指のドライバーに対する敬意が蘇っている。それだけに、シルヴァの走りを目にしたかった。
残り五周。ルッキネンはやや遅れたが、シューバッハはまだ食い下がっている。しかしもはや蓮にその存在は見えていない。先行するシルヴァの隙を捉えることに全力を注いでいる。
テンポよくシケインへの進入から立ち上がり、蓮のNJ11が最終コーナーを立ち上がってくる。加速の伸びが良い。物理的には存在しないはずの、シルヴァのMP4/8が生み出したスリップストリームを捕まえ、性能以上の加速を見せていた。
「行けーーっ!」
アウト側に目一杯マシンを寄せてから、普通より早いタイミングで蓮が右曲がりへの第一コーナーへと切れ込んでいく。蓮が得意とする、彼女にしか出来ないライン取りで第一コーナーに入った。スピン寸前の挙動を示すNJ11をねじ伏せ、曲率が奥に行くほど深くなる三つのカーブから構成された複合カーブを、コース幅いっぱいを使って走り抜ける。
『抜いたあっ!』
蓮の嬉声がレシーバーに飛び込む。同時に、グランドスタンドから、第二コーナーに設置されたスタンドに陣取る観客から、地割れのようなどよめきが起こった。彼らもまた、シルヴァの姿を見たのだ。
「よーし。このまま突っ走れ!」
『ラジャー! カケル、ぜったい、ご褒美だよっ』
「油断するな、まだ後ろにシルヴァが迫ってるんじゃないのか?」
『もう負けないよ、絶対!』
蓮の言葉は正しかった。駆は伝え聞き、周囲の反応から想像する事しか出来なかったが、蓮はシルヴァを制していた。
ファイナルラップでも、何事も起こらなかった。シケインを抜け、最終コーナーを立ち上がってくる。
駆だけでなく、ニコルソン監督も、小田切も、メカニックも久遠のスタッフも、皆がピットウォールから身をのりださんばかりにして蓮のゴールを待ちわびる。
黄色く輝くマシンの姿が最終コーナーから姿を現し、近づいてくる。そして眼前を駆け抜け、コントロールラインを通過した。チェッカードフラッグが打ち振られる。
この瞬間、蓮が日本グランプリを制したのである。
「勝った……!」
膝から崩れそうな興奮が駆を襲った。その時、蓮の後方について第一コーナーへと消えていくマクラーレン・シノダMP4/8の後ろ姿の幻がほんの一瞬だけ、駆にも見えたような気がした。同時に、
――ありがとう。これで私も救われるのだ。
という、シルヴァの声が耳に響いていた。
「礼を言うのはこちらです、エヤトン=シルヴァ。貴方のお陰で、最高のレースを見ることが出来ました」
曇り空を見上げ、おそらくは天上へと帰っていったのであろうシルヴァの魂に向けて小さく呟いた駆はひとり、静かに頭をさげた。
ウイニングランを行った蓮が、ゆっくりとピットレーンへと戻ってきた。
駆のインカムに、蓮の声が流れてくる。
『ありがとう、カケル。思い出しました。思い出したんです。これまでなにがあったのか。なにが起こっていたのか、全て。貴方のおかげです。本当にありがとう』
いつもと違う蓮の口調。シルヴァが彼女の身体を借りて話していたときともまた違う、穏やかで優しい蓮の声。失われていた十数年の記憶が蘇ったのだろう。つまり、彼女にとっては本当の姿なのだ。
蓮をクルー達が歓呼の声で出迎える。駆はピットクルー達と一緒に、表彰台の元へと誘導されるマシンに向かって一斉に走り出していた。
走りながら、駆の気持ちは決まっていた。
(来年はレオ・パルスのドライバーとしてフォーミュラニッポンにフル参戦する。そこで好成績を残し、再来年はF1にドライバーとして戻ってくる。必ずだ)
駆は考える。
蓮は来年もジャックウェルで戦っているだろうか? 来年はチャンピオンになる可能性だってあるが、シルヴァの魂から解き放たれた今、F1ドライバーであることの意味は無くなったかもしれない。
「いや、シルヴァの魂を借りずに、蓮はシルヴァに勝ったんだ。きっと、F1ドライバーでありつづけるさ」
再来年、駆の前に立ちはだかるのは、ディフェンディングチャンピオンとなった蓮なのかもしれない。そうであることを駆は願った。
マシンを止めた蓮が、シートベルトを外し、拳を突き上げ、マシンから飛び降りる。ヘルメットを脱ぎ、顔を覆ったバラクラバも脱ぎ捨てる。
駆け寄ってくるジャックウェルのスタッフの中から、駆の姿を蓮は見つけた。そして満面の笑みを浮かべて――
「ご褒美ちょうだい、カケルっ!」
両手を広げて飛び込んできた蓮を、駆はしっかりと抱きとめた。
(おわり)
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