「まあまあナウシカァ。貴女のお母様はどうして貴女をこんなにだらしのない娘にお産みになったのでしょう!」
――ホメロス『オデッセイア』
SaTo Heart
『晴れた日は屋上へ行って』
− 序 −
高校生活といえばまだ大変な未来に思われた小学校高学年の頃、私は一つの幻想を好んで抱いていた。高校生活が始まると同時に全てが変化するに違いないという幻想だった。
そう、高校の正門をくぐると同時に、理想と希望に満ちた世界が出現するに違いない。
心から信をおける友人や、様々な魅力を持った女生徒達。教育に対する情熱に燃え、なおかつ生徒の心情を最大限に理解してくれる教師。
生徒達が心を一つに合わせて盛り上がる体育祭や文化祭、修学旅行といった行事の数々。
そこは誰もが幸福な世界で、いじめだのなんだのといったこれまで私を苦しめてきたものはすべて消え去っている(いやもちろん、学期に最低二度は訪れる試験に対する場合、話が違ってくる。志をもつ者達は教科書、ノート、問題集、単語帳、参考書そして深夜ラジオを友として、自分のみならず一族郎党の名誉を賭けて戦わねばならない)。
もちろん、馬鹿馬鹿しい妄想だとは判っていた。それは、たかだかこの世に生を受けて十年かそこいらの小学生にとってすら、ろくでもないテレビの見過ぎと嘲笑されるべき妄想なのだった。
たとえ中学校を経て高校に進学したところで、私がそれまで体験してきたありとあらゆるわずらわしさが消えることなどないと予想がついていた。
結局の所、私は果てしなく連続する日常の中で時たま振幅をみせる確固とした現実と折り合いをつけながら、高校における三年間(と、その先に存在しているであろう受験勉強あるいは就職活動)の日々を過ごすほか無かった。
私には、寝坊した私を起こしてくれる心優しき幼なじみもいなければ、黒魔術に傾倒する美人の先輩と知り合う術も持たなかった。そこにあるのは平凡きわまりない日常だけだった。
もちろん、それはそれでたいへんに幸せな事だと判ってはいた。
少なくとも私は、世界の七割の地域に住む同年代のひとびとよりは、随分と気楽に生きて行くことが出来るのだから。
平均値で言えば世界最高といってよい教育システムのもとで、なし崩しに社会人までの道のりを作って貰えるのだから。
私はその現実を消極的に肯定していた。
だが同時に、アニメオタクの妄想にも似た未来がやってきたならばどんなに楽しい事だろうと思い続けてもいた。
情報通の昔なじみや格闘技好きの後輩、そして薄幸の超能力少女や科学技術の粋をあつめた人間くさいメイドロボットと巡り合う機会を与えてくれる神であれば信じていたかも知れない。
それらは、人間の美質とされるありとあらゆるものをそそぎ込んでさえ、決して出会えそうにないものであるからだった。
ああ、恐らく私は信じていたはずだ。
私は同年代の日本人の大部分と同様に、いかなる思想・宗教にも一定以上の信頼を寄せる習慣を持っていなかった。
が、素晴らしき学園生活と、それを満喫できるだけの能力を与えてくれる神ならばまた別だった。
もちろん私はそれが自分の幼児性の発露であることを充分に理解していた。
だが、誰にも精神の自由はある。その妄想を楽しみ、追求する自由がある。他者の自由を侵害しない限りは。
だからアニメやゲームに題材を採った同人誌や同人アニメ、ネット小説のなにが悪いのだ、と断言できぬところが私の悲しむべき欠点だった。
私はどうしようもなく保守的であり、人から「真面目な性格」と言われることに己の価値を見いだしてさえいた。
つまりは何ものかに甘えてみたかったということなのだろうと今になって思う。
在校生代表による送辞
親愛にして勇気あふれる東鳩学園卒業生の皆様へ。
今こそ卒業のときは来ました。
これにより、東鳩学園に在籍する生徒の三三パーセント、約三二〇名によって構成されていた東鳩学園五二期生は学生証を返却し、新たな日常へと進み出ることになります。
東鳩学園において多大な貢献をなした諸先輩の存在を失うことは、在校生にとって大きな打撃となりましょう。
しかしながら、私はこの現実にいささかの寂しさもおぼえていません。
何故ならば、これから校門を出て東鳩学園を去る諸先輩の将来に何が待ち受けているか、それを知っているからです。
確かに、諸先輩は制服を脱ぎます。
しかしながらそれは、諸先輩に与えられた東鳩学園生徒として最も崇高な義務……、すなわち東鳩学園への貢献からの解放を意味してはいません。
諸先輩は、社会人あるいは大学生、予備校生といった立場の区別無く、この義務の遂行に全力を尽くさねばなりません。
東鳩学園への貢献とは、そのまま我が国への社会的貢献をも意味します。
破綻した金融、一向に認められない国際的地位、日々深刻さをます老人介護、最低のレベルにまで悪化した道義と倫理、それらの回復および向上に寄与せねばなりません。
そしてなにより、私達の後に続くであろう東鳩学園の後輩達に、この世界において悪徳いがいのよきものが存在することを伝えねばなりません。
いうまでもなく、これは諸先輩がこれまで経験した中で、もっとも過酷で意味のある日々となりましょう。
私の故郷たる静岡県に伝わる古き言葉は言います。
茶を味わう前にまず葉っぱを摘み取れ、と。
よって私は詰襟あるいはワインレッドのセーラー服を着用した諸先輩と再会する日が訪れないことを心より願っています。
私と諸先輩との、東鳩学園生徒としての再会は、諸先輩がもう一年学園生活を過ごすことを意味するからです(※ここで卒業生が爆笑)。
これは東鳩学園に関係する全ての人々にとって、よろこぶべきことではありません。
しかしながら、諸先輩に学園生活の全てを忘れよと勧めている訳ではありません。
昔からのことわざにいいます。「勝ちたるのちこそが、戦争である」と。
私は、諸先輩がこの言葉を記憶し続けることを望みます。
私たち在校生にとってもそれは同様です。
東鳩学園卒業生としての日常を開始する諸先輩が、学園生活の価値を忘却せぬ限りにおいて、東鳩学園は、そのもっとも崇高な義務を果たすことが出来るからです。
私は希望します。
東鳩学園における日々の素晴らしさと、その卒業生によって為される社会への貢献こそ、東鳩学園の存在理由であると諸先輩が記憶し続けることを。
さようなら、先輩。
そしてその未来に幸運と繁栄のあらんことを。
平成三七年三月五日
東鳩学園在校生代表
二年B組 松原 葵