やはりこの世のすべてに意味はない。
意味がないからこそ愛おしい。
畜生。
この面倒を組み上げている何もかもが壊れてしまえば良いのだ。

――佐藤大輔『皇国の守護者3』(中央公論新社)












『晴れた日は屋上へ行って』
第五話(最終話)『ドラゴン・ロード』




(1)


 公園。
 太陽が西の空の向こうに消え、急速に周囲が薄暗くなってくる。
「くそっ、マジでいねえな。志保の奴、どこ行きやがった?」
 浩之は忌々しげに毒づいた。
 どうせどこかで油を売っているのだろう、と浩之は思っていた。が、半べそをかきながらのあかりの頼みを断るわけにもいかず、手分けして志保の行きそうな場所を思いつく限りに探し回っていた。
「ったく、居なくてもいいときはどこからともなく現れるくせに……」
 思いつく限りの悪罵は、この数時間で使い果たしていた。
 逆に言えば、文句を言い続けていないと不安になる気持ちを抑えられないのだ。
 岡田達は、急に委員長の姿が見えなくなった、と言っていた。
 マルチは、いつの間にか教室からいなくなっていたらしい。
 そして志保。あかりと話していた途中で、唐突にかき消えてしまったという。
「そんな馬鹿なことがあるもんか」
 意味のない言葉が口から漏れる。
 まさか誘拐だのなんだのといった事件に巻き込まれている訳ではあるまい。そう信じたいが、もしかしたらそれよりもさらにろくでもない事態が起こっている気がした。
 歩き疲れた浩之は、公園のベンチに腰を下ろした。息を吐きながら背もたれに体重を預け、空を振り仰ぐ。
 空は既に水色よりも紺色に近い。じきに一番星が瞬く時間になっていた。
「おう、藤田浩之じゃないか、こんなところでなにやってる」
 舌足らずな割に、みょうにひねた物言い。顔を起こした浩之が顔を鳴らす。
「なんだ、良太か」
 雛山理緒の弟、良太が、負けん気の強そうな面構えで浩之をみていた。
「早く帰らないと、姉ちゃんに怒られるぞ」
「その姉ちゃんを探してるんだ」
「え?」
「姉ちゃん、今日は早く帰るって言ってたのに、帰ってこない。お前、知らないか?」
「なんだって? 本当か」
 浩之が身体を起こして、良太の鼻先に顔を近づける。
「なんだよう。知らないんならいいや。じゃな」
 良太が身体を翻して駆け去っていく。浩之は呼び止める言葉を思いつきかねて、その後ろ姿を唖然と見送るばかりだった。

 結局、その日は九時過ぎまで手当たり次第に足を運んだが、志保をはじめ、誰一人として<消えた>少女達の足取りをつかむことは出来なかった。

(2)


 朝。
 なにかとてつもなく不気味な夢をみたような気がして、浩之は目を覚ました。
「志保の奴、ちゃんと家に帰っただろうな……?」
 今朝は早朝トレーニングをする気分にもなれず、粛々と登校の準備を進めた。
 やがていつものように、あかりが浩之の家までやってきて、二人は一緒に学校へと向かう。
 気まずい沈黙がしばらくつづいた。
「志保から連絡あったか?」
 浩之の問いに、あかりは哀しげに目を伏せて首を振る。
「そうか」
 もし何事もなく志保が戻ってきていたのなら、当然あかりはその事を浩之に告げていただろう。埒もないことを聞いた、と浩之は後悔した。
 再び会話が途切れる。
 マルチのほうはどうなったのだろうか、と考えながら浩之は校門をくぐった。

 教室に来てみると、事態は想像以上に深刻であることが判った。
 一限目の授業が始まる時刻になっても、委員長である智子は姿をみせなかった。それどころか、雅史もいなかった。
 二限目前の休み時間、浩之は一年のマルチが属する教室に顔を出してみたが、やはりマルチは欠席していた。
 そして、2−Aの志保に関しても、2−Dの理緒も同様だった。
「なんで、俺の知ってる人間ばかりがいなくなるんだ?」
 欠席が多いことを教師達はどう判断しているのか。浩之にはそれが気がかりだった。
 やはり、あの夢――別世界の出来事が関係しているのだろうか。
 まんじりともしないまま、四限目の授業が終わる。昼休みになった。
 志保がいないせいか、ひどく静かに時間が流れていく感じがした。
「さて。パンを買ってくるか」
 食欲は無かったが、そうしなければいけないような気がした。ゆっくりと腰を浮かす。あかりが浩之をじっと見つめていた。
「浩之ちゃん」
「なんだよ」
「浩之ちゃんは、いなくなったりしないよね?」
「わかんねえよ。志保達だって、どういうつもりで学校休んでるのかわかんないしな」
「絶対帰ってきてよ。ずっと、ずうっと待ってるから」
「大げさな奴だな」
 苦笑いを浮かべて、浩之は教室を後にした。

 教室を出て一階に降りると、琴音がいた。
「藤田さん」
「よお、琴音ちゃん。今日も食堂で?」
 頷く琴音。
「あの。ちょっと話があるんですけど。食事が終わった後で結構ですから。よろしいですか?」
「俺はいいけど」
「じゃあ、屋上で待ってます。その、藤田さん一人できてもらえますか? 神岸さんには、ちょっと……」
 言いにくそうにしている琴音に、浩之は微笑んだ。
「判った」

(3)


 食事を終え、屋上へと登る。休み時間は、あと一五分ほど残っていた。本当は食事はそれよりも前に終わっていたのだが、ついてこようとするあかりをなだめるのに時間がかかってしまったのだ。
 最初に変な夢――あかりの胸に顔を埋めている夢をみたのはいったい何日前の出来事だったか。相変わらず晴れた空を見上げながら、浩之はぼんやりとそんなことを考えた。
 フェンス越しに、下の様子をみている琴音がいた。
「琴音ちゃん。話って?」
「藤田さん……」
 振り向いた琴音は、憔悴した顔つきだった。
「大丈夫か?」
「なにか、とんでもないことが起こってるみたいです」
「え?」
「……昼休みの前に、松原さんが私の目の前から消えました」
「葵ちゃんが!?」
「恐らく、『別世界』に引き込まれてしまったんだと思います」
 琴音は、抑揚のない声で言った。その瞳がガラス玉のように澄んでいた。
「別世界って言っても……」
「私にも、なんだかよく判りません。とにかく、私達のいる世界に、いくつもの他の世界が近づいてきて、登場人物を吸い込んでいるんです」
 予知ではないが、その世界が見えた、と琴音は言った。
「登場人物?」
「どういったら良いのか。向こうの世界で、重大な役割を与えられた存在として必要とされているんです」
 琴音は、自分の言葉を自分でも信じていないような口調で、今まで覗き込んだ世界の幾つかを口にした。

 北海道の北半分が、『北日本民主主義人民共和国』となっている世界。
 織田信長が本能寺で死なず、日本から世界へと雄飛していく歴史。
 日本とナチスドイツが世界の覇権をめぐって果てしない死闘を続ける世界。
 第三次世界大戦でアメリカが壊滅し、それを後目に宇宙開発に邁進する日本。
 南北に分割されたアメリカが、日本に対して奇襲を仕掛けて始まる太平洋戦争の顛末。
 『ハイゲート』と呼ばれる謎の空間跳躍装置を用いて太陽系を飛び出してなお、人類間での戦争を続ける悪夢的な宇宙。
 竜や魔導者が軍の編成に組み込まれた異界の戦争風景。

 説明を終えた琴音は頭を抑えた。
 無茶苦茶な話だったが、浩之は一笑に付すことなど出来なかった。自分もこの数日、似たような別世界をかいま見ている。
「じゃあ俺もそのうち、<向こう側>に引っ張り込まれることになるかもな。<皇国>軍の少佐として『召還』されてるんだ」
 乾いた声で、浩之が言った。はっとなった琴音が浩之の顔を伺う。
「藤田さんも、ですか。私は――」
 なにか言いかけた琴音の身体が揺らいだ。貧血を起こして倒れ込む様に似ていた。
「琴音ちゃん!」
 慌てて駆け寄る浩之。その時、すうっと琴音の姿が色あせ、透けた。
「藤田さん……!」
 琴音が悲しげな声を出して手を伸ばした。が、それが浩之の顔に触れるより前に、琴音の身体は完全に消えてしまった。
「琴音ちゃんっ!? おい、冗談だろ!」
 浩之は喚いた。腕の中に抱き留めようとしていたはずの琴音の姿はどこにも無かった。
 授業の開始を告げるチャイムが鳴っていた。まるで鎮魂の鐘の音のようだと浩之は思った。

(4)


「浩之ちゃん、よかった!」
 あかりが駆け寄ってきて声をあげた。
 二−B教室に戻ってくると、雑然とした空気が満ちていた。教師はまだ来ていない。
「どうやら授業に遅れずに済んだみたいだな」
 浩之はあかりを安心させるように、わざとのんびりした口調で言った。
 琴音が消えたことを、どう説明すればよいのだろう。誰に訴えればよいのだろう。
 警察に捜索願を出すべきだろうか。しかし、警察に何が出来るというのか。
 内心の焦りは最高潮に達しつつある。浩之は自分が静かなパニックに捕らわれつつあることを自覚していた。
 チャイムが鳴って一〇分以上経ったが、教師はいつになっても来なかった。教室は次第に騒然とし始めた。まとめ役になるべき智子もいない為、収拾がつかなくなっていた。
「しょーがねーな。俺、ちょっと見てくる」
 浩之が席を立った。あかりが思い詰めた表情でその後から黙ってついてくる。浩之もそれを止めなかった。
 職員室まで足を運んだ。ドアをノックして中を伺う。
 誰もいなかった。五限目の授業を担当する筈の教師の机を探し出す。教科書やらなにやらが机の上に残っていた。
「どうなってるんだよ……」
 ゆっくりとした足取りで教室に戻る途中、あちこちのクラスが騒がしくしているのに気づく。
「もしかして」
 あかりが何か言いかけ、身を震わせた。
「先生達も、何人かいなくなってるんじゃ……」
「ああ、俺も同じ事考えてた」
 浩之はあかりと顔を見合わせた。お互いに、恐怖の色を浮かべていることを確認しあう。
 階段を上ったところで、芹香が不意に廊下の陰から姿をみせた。一瞬、浩之とあかりはぎょっとなって立ち止まる。
「なんだ、先輩か。急に出てくるから驚いたぜ」
 浩之がわざとらしく笑った。恐らくひどくひきつった笑い顔なんだろうな、浩之は思う。
「……」
 申し訳ありません。芹香はすまなさそうに頭を下げた。
「いや、別にいいんだよ。え?」
 浩之が手を振るが、芹香が謝っていたのは、浩之を驚かせてしまったことではなかった。
「いま起こってることは、全部先輩の黒魔術のせい? マジで?」
 マジです。芹香は頷いた。
 世界を不確定にする魔法だった、と芹香は話し始める。
 不確定になった世界をみてみたかった。が、結果として別世界の「引力」に、こちら側の人間が吸い込まれてしまう事態になっているのだという。
「どうすれば元に戻せるんだ? え、判らない? どうするんだよ〜」
 芹香は、なんとか魔法を終わらせる方法を考えてみます、と言い残して、魔導書を手に屋上へと続く階段を上っていった。
「本当に、先輩の魔法なのかな?」
 あかりが呟くように浩之に尋ねた。浩之に答えられるはずがなかった。

(5)


 二人して途方に暮れながら2−B教室の前まで戻ってくると、唐突に、どさりと背後から音がした。
 浩之が振り向くと、そこには智子が倒れていた。昨日、岡田達が会って以来、誰もその姿を見ていなかったはずの委員長。
「お、おい」
 思わず声をあげた浩之が智子の元に駆け寄る。あかりもついてくる。
「どうした、なにがあった?」
 智子の身体を両腕で支えた浩之が尋ねる。
「けったいな世界、見てしもうたわ」
 疲れきった表情を見せた智子は薄く笑った。ウチは織田方の城にこもって、攻め寄せてくる徳川方の足軽やら騎馬武者やらを鉄砲で片端から吹き飛ばしとった。な、変やろ? 織田と徳川が戦さするなんて、なあ。
 そこまで言って、智子が苦しそうにむせた。
 あかりが2−B教室に飛び込み、自分の水筒を手にして戻ってくる。
 コップに満たされた麦茶を一息に飲み干した智子が、ふうと息を吐く。
「で、どうやって戻ってきたんだ?」
「ここはウチのおるべき世界やない、どんなに面白くのうても、ウチの生きるべき世界は一つしかないんや、そう、強く念じた。そうしたら、戻って来れた」
 智子はゆっくりと身体を起こした。
「ところで、あれからどれくらい経ったんやろな?」
「委員長がいなくなったのは、昨日の放課後すぐのはずだぜ」
「昨日……、そうか、あれから一日しか経ってへんのやな」
 智子が遠くを見る目になって呟いた。
 その様を見ながら、浩之は一つの決意を抱いていた。
 智子の言葉通りなら、たとえ別の世界に引き込まれても、必ず帰ってこられる。そのことを皆に知らせなくてはならない。可及的速やかに。
 浩之は即断した。そのまま智子を置いて、脱兎のごとく駆け出したのだ。

(6)


 浩之は息を弾ませながら、放送室の前に来た。
 ドアを引く。カギがかかっていた。
「くそ」
 苛立ち紛れにドアをけ飛ばす。
「カギなら、きっと職員室にあるよ」
 懸命にその後を追いついてきたあかりが、両膝に手をあてて息をきらしながら言った。
「そうか。ちょっと待ってろ」
 無人の職員室にとって返した。カギを探すのに三分ほど要した。
「なにをするつもりなの?」
 あかりが問うた。
「もし向こう側に引き込まれても、きっと帰ってこられる。そのことをみんなに伝えないと」
 今度こそ、放送室のドアを開けて中に入る。
「浩之ちゃん、機械動かせるの?」
「適当にやってみりゃ動くさ」 
 浩之は言葉通り、それらしいスイッチを探した。とはいえ、それほど難解ではなかった。主電源とマイクのスイッチ、ヴォリューム、その程度はすぐに判った。
 スイッチを入れてから数度マイクの頭を叩き、音の反響具合を確かめる。
「あーあー。聞こえますか」
 緊張しながらも、それでも義務感に突き動かされて浩之は話し始めた。
 理由はともかく、東鳩学園の生徒と教師が『別世界』に吸い込まれている事実。
 そしてそこからは必ず帰ってこられる事。
「大事な友達、恋人、親兄弟。とにかく、この世界に残される人達の事を強く考えるんだ。いくら『別世界』で有名人や英雄になったって意味はないんだ。俺達はこの世界で生きるしかない」

「浩之ちゃん……」
 浩之が懸命になって話し終わったのを見計らったように、あかりがかすれたような声を出した。
 向き直った浩之が息を呑む。あかりの姿がぼやけ、霞んでいた。
「あかりっ!?」
 反射的に浩之はあかりに飛びつき、その腕で強く抱きしめていた。
 ふいに、浩之の頭の中が白く濁った。意識が遠のく。

 白銀の世界。突撃する<帝国>の騎兵がみえた。
 鼻持ちならないが、味方のろくでもない連中よりはマシに思える<帝国>の女将軍の面立ち。
 数少ない自分の理解者たちが浩之の名前を呼んでいた。天龍などという存在とまで知己を得られる数奇な人生を幻視する。
「しかしまあ、僕はたまたま人殺しが得意だという評価を得ているのだ。むしろ当然と評するべきだろうな。今後も大いに得意分野を生かしてゆくつもりだ」

 違う。違う。絶対に違う。俺が生きたいのは、こんな世界じゃない!
 浩之は叫んだ。いや、もはや声にならない魂のうめきだった。身体の重みが感じられなくなる。感覚が鈍る。だが、浩之は全身全霊をかけて、<向こう側>の世界に足を踏み入れることを拒絶した。

 茫洋としているようで、限りなく澄んだ芹香のまなざし。
 一心不乱にトレーニングにうちこむ葵の姿。
 けたたましく志保がニュースを伝えにやってくる。
 子猫に餌を与えている琴音。鼻歌まじりに廊下を掃除するマルチ。
 取り澄ました表情の智子が一瞬見せた意味ありげな微笑み。
 忙しく駆け回る理緒。得意げにことわざを披露し、楽しそうに笑うレミィ。
 そして、いつも当たり前のように傍らにいて世話を焼いてくれるあかり。

 どこへも行きたくはない。俺はこの世界で、みんなと一緒にいたい。
 浩之は心の底から、そう願った。強く強く、それだけを念じた。
 ふいに、腕の中に抱きしめているはずのあかりの存在感がすうっとかき消えそうになる。
「どこにも行かせねえ! あかりは誰にもわたさねえ!」
 大声で叫ぶ。世界が白く光った。

「あーあ、とうとうここまで来たか」
 いきなり、耳に馴染んだ声が聞こえた。
 浩之は固く閉じていた目をゆっくりと開いた。
 開け放していた放送室のドアの向こうに、志保が両腰に手をあてて、やれやれと首を振っている。
「志保、てめえ、いつ戻ってきた!」
 あかりを半ば突き飛ばすようにして、浩之は志保に詰め寄った。
「まあその事はおいおい話すとして。それよりもさあ」
 志保はにんまりと笑った。
「なんだよ」
「ねえ、ヒロ」志保は媚びるような目つきになっていった。長年のつきあいから、志保がこんな表情を見せたときは、たいていろくでもないことを言い出すに決まっていた。
「さっき、自分がなに言ったか覚えてる?」
「なに?」
「『どこにも行かせねえ! あかりは誰にもわたさねえ!』って」
「あ、ああ。そんなことも言ったっけかな……」
「さっきの大声。マイクに拾われて全校中に響きわたってたわよ。それ聞いたらさあ、『向こう側』で遊んでる場合じゃないでしょう? さっさと戻って来ちゃったわよ」
 そういうと、志保は腹を抱えて笑い出した。浩之のうしろでは、あかりが真っ赤な顔をしてうつむいていた。

 エピローグ


 浩之の放送が奏功したのか、それとも芹香が黒魔術を「終わらせる」ことに成功したのか、数日の後には、姿を消していた全員が戻ってきていた。
 芹香は自分の責任だとしばらくは随分と落ち込んでいたが、浩之の慰めもあって、一週間もすればいつものペースを取り戻していた。
 志保をはじめ、『向こう側』を体験した者達の話は皆バラバラだった。口裏をあわせている訳ではないのはあきらかだったが、ただの作り話と笑って済ませるには、あまりにもその世界を成り立たせている論理的整合性がありすぎた。
 警察も一応は捜査めいたものを行ったが、事件性は認められないとして、失踪していた者達から、その得体の知れない体験談を聞いただけで早々に引き上げていった。
 誰にも何が起こったのか結論づけることは出来なかったが、ともかく異常事態は解決したのだ。

「どうなのかな」
 休み時間。あかりが浩之の元にやってきて、言った。
 場所は教室。窓の外は晴れ渡り、教室内にも明るい陽光が差し込んでいる。
 『校内放送を用いた世紀の大告白』の一件では随分とクラスメイト達にからかわれたりしたが、結局の所、今までと変わらぬ日常がそこにはあった。
 いかに自分が、あかりの存在を抜き難く思っているかを確認する結果となったことに、浩之自身が驚いていた。恥ずかしくはあったが、後悔は無かった。それは恐らく、あかりにとっても同様である筈だった。
「なにがだよ」
「志保達は、『別の世界』をみてきたんでしょ?」
「ああ、らしいな」
「もし、今の生活が嫌になったり、逃げ出したくなったりしたときは、ああ、向こうの世界に行きたいな、とか願うのかな? そうしたら、本当に行けちゃったりするのかな?」
「さあな。たぶん、先輩にもわかんねえよ。だけど、これから先、苦しむことはあるかも知れないな。知ってる世界はここだけじゃなくなっちまったんだから」
 似たような体験をした者達が助けてやらないとな。相変わらずの調子で浩之は言った。
 あかりはその答えに満足したように微笑んだが、ふと表情を曇らせて、さらに質問を重ねた。
「じゃあ浩之ちゃんはどうなの? もしも、浩之ちゃんが覗いた世界で、英雄になれるとしたら? こっちの世界じゃ一生体験できないような出来事が待ってるとしたら。向こうの世界で、いろんな人が浩之ちゃんを歓迎してくれるとしたら、どうする?」
 あかりお得意の、もしも話だった。今回ばかりは簡単にはぐらかすことの出来ない問いだと、浩之は思った。
「俺か? そうだな……」
 浩之はあかりの顔を見つめ、それから窓の外を見た。
 しばしの沈黙。
 やがて浩之は、一言一言、噛みしめるように言葉を口にする。
「やっぱり俺は、こんな晴れた日には屋上へ行って、あかりが作った弁当を喰いたいと思うだろうな」 
 今度こそ、あかりは本物の笑顔を浮かべた。

(『晴れた日は屋上へ行って』おわり)


あとがき

 本来ならば、もっと色々と膨らませることの出来たストーリーであった、とは思います。
 当初計画案よりも随分とこじんまりとしたものになってしまった為、序文にほとんど意味が無くなってしまったという反省もあります。
 今の私の能力では、この程度が精一杯です。佐藤的な展開を期待した方々には、拍子抜けするようなラストだったかも知れません。
 とはいえ、佐藤作品をTHの世界に反映させる、という発想は(いささか安直に過ぎるにしろ)、再現出来たものと考えています。
 いずれにせよ『SaTo Heart』は、てるぴっつさんを始めとして多くの方々の尽力の結果、私が想像した以上に奥行きと幅を持って広がりました。
 本作はこれで終了します。が、より楽しい世界が私達を待っています。いや、作ることが出来ます。今度はこれを読まれた皆様方が、浩之達を新たな地平に連れていってくれることを、私は期待しています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。