Too HEAT
−地球が静止する日−
2 「The King Of Heart」
ビートの効いたジャズのメロディにのって、真紅のオープントップのスポーツカーが夜道を駆けていく。カーブが続くその道は、常夜灯の光とスポーツカーのヘッドライトの輝きで照らし出され、夢幻のような世界が広がっている。
浩之は、ドライバーシートに座ってスポーツカーを走らせている少女の肩に右手をかけた。
「おい、お前、これは一体どういうことなんだ!?」
だが返ってきたのは、わずかに嘲りの色をにじませた笑い声だった。
「委員長、一体何が起きているんだ。教えてくれ!?」
浩之は、右側のナビゲーターシートに座っている智子に質問の矛先を変える。
だが返ってきたのは、全く質問と関係ない別の言葉であった。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく」
智子の言葉にあわせて、ドライバーズシートの少女も唱和するように言葉を紡ぎ出す。
「我らは雛鳥。卵は世界」
「世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでいく」
「世界の殻を破壊せよ!」
そして、二人の唄うような声が一つとなる。
「「世界を革命する為に!!」」
「お前ら共産党か」
「………………………」
「………………………」
三人の耳に、車のエンジン音が痛い。
しばらく茫然としていたかのように黙っていた少女は、それでも気を取り直したように笑い声を上げた。
「ヒロ、あんたに、世界の果てを見せてあげる」
その言葉と同時にギアを上げアクセルを踏む。高らかに咆哮のようなエンジン音が上がり、三人の頬に当たる風がいっそう強くなる。
「おい!?」
少女は、浩之のあげた声を無視して、両手をスポーツカーのフロントガラスの枠にかけた。そのまま気合いと共に倒立し、ボンネットの上に腰を下ろす。真っ赤なスポーツカーは、まるでそれ自身生き物であるかのようにエンジン音を、排気音を高め、速度を上げていく。
窓枠に腕をかけ身体をあずけたまま、少女はまるでくつろいでいるかのように前を見つめている。
タコメーターの針が、スピードメーターの針が、はじけるように上がっていく。
三人に当たる風が、殴りつけるかのように強く激しくなる。
そして、三人を衝撃が襲った。
世界を、荘厳な鐘の音がおおっている。
無表情なまま前を見つめている智子。
その頬を、一滴の涙の雫が伝わって落ちた。
「っっって!! 世界の果てどころかもう少しで河むこうの世界へ行くとこだったじゃねえかああああっっ!! 相変わらずだな、このスカポンタンのほら吹き女がああああっっ!!」
見事に道路のカーブを曲がりきれず壁面に衝突して大破した真っ赤なオープントップのスポーツカーのトランクの上で、浩之はマルチを抱きかかえて、それまでボンネットの上にいたはずの少女を怒鳴り付けていた。
「いやあ、ごめんごめん。ほら、みんな無事だったし、それでオッケーということで」
少女は、いつのまに逃げ出したのか大破した車の傍らで、ぱんぱんとスカートの汚れを払っていた。
「相変わらずのボケぶりやな、長岡はん」
処置なし、とでもいうように、智子は肩をすくめてため息をついた。
「たく、この東スポ女はよっ! 志保っ! 説明はしてもらえるんだろうなっ!?」
「説明、といっても、ほら、あたしは部外者だから」
あさっての方を向いて素知らぬ表情を浮かべ、志保はちろっと舌を出した。そのしぐさに、浩之の怒りはさらにヒートアップしていく。
「部外者、じゃねえだろうが!? じゃあなんであんなにタイミングよく出てこれるんだよ!?」
「だったら、話は委員長に聞けばいいじゃない」
「そこでうちに話をふるかい、この女は」
「だって、そっちの話でしょ、今回の騒動は」
「ま、否定はせんけどな」
やれやれ、とでもいうかのように、智子は肩をすくめて首を左右に振った。
二人の会話に、ようやく浩之は、先程までの自分の置かれていた状況を思い出した様であった。はっとしたように智子の方に向き直る。
「そういや、さっき委員長は言ってたよな。BF団って一体なんなんだ? 国連がなんでこんなところに出てくるんだ? それに、氷室先生がなんでマルチを?」
「ああ、質問は一つにしといてんか。一度にまとめては答えられんわ」
「あのなあ!」
「じゃあ、あたしが教えてあげる」
三人は、その声にはっとして振り返った。
常夜灯が照らし出し、浩之らの元まで伸びる影を見た時、それまで小憎たらしいまでに冷静であった智子の面に驚愕の色が浮かび上がった。浩之は、伸びてくる影の先の人影を見て、思わず息を飲んで言葉を失う。
「そんな………」
志保のもらした言葉は、そのまま三人に通ずる思いであった。
「全てを話してあげる。浩之ちゃん」
高らかにエンジン音を轟かせて去っていった真っ赤なスポーツカーを、氷室いずみは一瞥を与えただけで行かせるがままにしていた。
と、氷室の右手に細身のシガーがどこからともなく現れ、彼女はそれを優雅な仕草で口にする。シガーにライターもなしに火が点く。深々とその濃い香りを楽しんだ彼女は、大きく紫煙を吐き出すと同時にわずかに口の端をゆがめた。
「そろそろ出てこられてはいかが? それとも、出てこれない理由でもあるのかしら」
一陣の風が紫煙を吹き流し、氷室いずみの後で二つにまとめられ縦にロールの入ったウェーブのきつい黒髪を揺らす。
その声が聞こえたのか、校舎の屋上に、風に頭髪をなびかせるがままにしている人影が現れる。濃い茶色の皮ジャンと、真っ白のスラックスと、ジャンパーと同色の革のブーツが、彼がまず日本人ではないことを物語っていた。
「HaHaHa、十傑衆ともなると、やはり隠しきれませんネ」
その、わずかにあごを引きたなびく髪を右手で抑えている男に、氷室は冷たい一瞥をくれただけであった。だが、彼女の金色に輝いているとも見える瞳には、表情とは逆のたぎるような何かがあふれようとしている。
「下手な日本語は、聞き苦しくてよ」
完璧な抑揚と発音のクイーンズイングリッシュが、彼女の紅く形の良い唇から紡ぎ出される。
「「郷に入っては郷に従え」ですネ。」
あくまで下手な日本語で答えた男は、そこで顔をあげてみせた。右手の下から、冴々と輝く金髪と透き通るような碧眼、そしてアーリア系にも見える彫りの深い顔が現れる。
「ですが、私の言葉が聞き苦しいというのであれば、別に貴女にあわせるのにやぶさかではありません」
男は、聞く者の背筋を伸ばさせるような深い声、それも、新大陸の最初の植民者達が第一歩をしるした地に建設された街の住人にしかできない発音の英語で、言葉を続けた。あえて表情を和らげてみせた男の目尻に、深い笑い皺が浮かんだ。
「それに、こうして魅力的な御婦人との会話を楽しむ機会を棒に振るのは、紳士としてあるまじき無礼かと」
「人類の秩序の代表たる貴方がたも、遂に真実を掴まれた、そう理解してよろしいのかしら」
氷室いずみは左手を身体の後に回し、右手の中指と人指し指で細巻をはさんで口から離した姿勢のまま、わずかに愉快そうな色を声に滲ませて言葉を続ける。
「大変に喜ばしいこと。我々も、正義と善意の人々と同じゲームをプレイする機会を楽しみにしていましたわ。ジョージ・宮内国連統合作戦機構本部参事官閣下」
「レートが高すぎたのです」
ジョージ・宮内、そう呼ばれた男は、心から残念そうな表情でうつむき、右手を胸に当てた。
「貴女方がゲームにかける元だねをようやく貸してくださったからプレイが出来るようになったのです。決してルールを知らなかった訳ではありませんぞ、氷室いずみ常任理事殿」
「それは何よりのこと」
外面の魅力よりも、内面の知性と感性の美がよりその麗艶を引き立たせる成熟に達しいている氷室いずみは、細巻を口にして微笑みを浮かべた。
「私は、遂にアレクシスも寝返りと打ったかと思っていましたわ」
「陸が叫んでいたのです。それで太平洋を渡ってきた次第」
ジョージ・宮内も、チョコレート色の革のボンバージャンパーのポケットからマルボロを取り出して咥え、ライターも使わずに火を点けた。
「で、我らの敵カエサルは、何処のアレクサンドリアを狙いあるのかしら?」
「それについては、騎士とサムライ達に刃を交わさせる事になりましょう」
「全然同意しますわ」
「……………ダディ? 何を言っているのか、さっぱり判りませんネ」
屋上に立つジョージ・宮内の後に立っていた、彼と同じ金髪碧眼の制服姿の少女が、頭のまわりに?マークを無数に浮かべて困ったような表情を浮かべていた。
「それに、屋上と中庭で会話ができるなんて、チョット変でス」
いや、ちょっとどころではなく、とてもとても変であると少女は内心思っていたのだが、あえてそれは口にしないでおいた。彼女は父親のことをとても愛していたし、だからこそ当人がこの会話を楽しんでいる事も理解していたのだ。
「Ouch!、レミィはツッコミが厳しいですネ」
いかにもアメリカ人らしい大仰な身振りで困ってみせると、ジョージ・宮内は娘の方に振り返った。
「でも、まだレミィには、ちょっとわからないのかもしれませんネ」
レミィには、最期の老いたる王を野で狂死させた詩人のある作品の台詞を用いたやりとりの原典がなんであるのか、実は判っていた。それが、両者がとっていた過去の対決についての嫌味の応酬である事であることも理解できていた。ただ、両者の交わす会話のひねくれ具合に、半ばあきれ果てていたのであったのだ。少なくとも、平均的アメリカ人の倫理と感性を持つ彼女には、敵とにこやかに会話を楽しむというその行為そのものが理解の外にあるのだった。
敵はあくまで有無を言わさず殲滅する。それが彼女が知っているアメリカ的論理なのだ。
「でわ、レミィは、BoyFriendのヒロユキ君のところに行ってあげて下さイ」
娘の内心を知ってか知らずにか、ジョージ・宮内は娘に手を振ってこの場から離れさせようとする。
「………でも、ダディは!?」
「ここは、ワタシ一人で十分ですネ」
レミィは、ポニーテイルにまとめている金色の長髪を翻し、振り返ってその場を走り去ろうととして、いったん立ち止まった。
小走りに父親の元に駆け寄り、その頬に軽くキスをする。
「OK! じゃあ、行ってきまス!」
「Yes。ハンティングを楽しんできなさイ」
娘が走り去るのをゆっくりと紫煙をくゆらせながら待っていた氷室いずみは、吸い差しを投げ捨てると、わずかに目を細めた。
「そういえば、貴方には借りがありましたね」
その切れ長の眼の中で、黄金色に輝く瞳がジョージ・宮内を見つめている。
「この際です。返して差し上げましょう」
「その借り、チョット高くつきますヨ」
二人の間できりきりと空気が張り詰めていく。
「Nu」
「ふ」
二人の口から小さな声が漏れた瞬間、巨大な力が空気を走った。
轟。
氷室いずみの立っていた地面から、紅蓮の業火が柱の様に立ち昇る。
と、同時に、宮内は屋上の床を蹴って高々と夕空に飛び上がっていた。いつのまに現れたのか、一〇番ゲージアーミーショットガンが両手に握られている。そのままいまだ燃え盛る火柱の上空から彼は、やけに楽しそうに目にもとまらぬ矢継ぎ早のポンプアクションの早撃ちを叩き込む。いかなる弾丸を使っているのか、続けざまに撃ち込まれる弾丸は、ことごとく火炎弾となって宙を翔る。。
だが彼が銃口を向けたのは、下方ではなく上空だった。撃った火炎は、そのまま夕陽に向かって飛んだ。
いつのまに宙に舞っていたのか、宮内のさらに上空を氷室は飛んでいた。その両手から放たれる衝撃波が、ロケットのごとく彼女を空中へ押し上げているのだ。
これまでの柔和な印象とは一変した猛禽の様な厳しい視線が、敵である女の姿を捉える。その碧い瞳に映る夕陽を背に飛ぶ漆黒の戦士の姿を、宮内は賞賛とわずかな畏怖とをもって見つめた。同時に、意識をその禍々しい姿に集中し、精神の力を全力で一点にねじり込むように解放する。
「Oh!」
「笑止!」
どん。
まるですぐ至近に雷が落ちたかのような轟音が周囲に轟き、宮内は両手を交差させて襲い来る衝撃波を防いだ。目の前の空間がコンピューターグラフィックスの様に歪み、全身を軋ませ押しつぶすような圧力がかかってくる。
だが、彼の目前に張られた精神波の壁は、自ら光り輝いてその存在をあらわにしながらも使い手たる宮内を護りきる。
「さすがね。UNICOON最強の超能力者というだけのことはあるわ。サイコガン、さらに技量を上げたわね」
宮内の叩き込んだ火炎弾を左手の衝撃波で相殺し、さらにはカウンターに右手の衝撃波の一撃を撃ち込んだ氷室いずみが、これまで宮内が立っていた校舎の屋上に降り立ち賛嘆の言葉を口にした。だが、そういう彼女の面には、一滴の汗すら浮かんではいないし、紅潮してすらもいなかった。
「お褒めにあずかり光栄至極」
同様に、中庭の芝生のこれまで氷室の立っていた位置に穿たれたクレーターの上に、ジョージ宮内も浮かんでいた。
彼もまた、その普段浮かべている柔和な表情を消したならば研ぎ澄まされたと形容するにふさわしい容貌に、わずか程も変化を現してはいなかった。相変わらず穏やかな表情がその面に浮かんでいる。
だがその瞳には、獲物を狩るごとき厳しく冷たい光が点っている。
その手に握られているショットガンが、ぼやけるようにして形を変え、今度は丸いリール缶の様な弾倉を付けたアサルトライフルに形を変える。しかも、その銃口には光り輝く銃剣とおぼしきものが装着されていた。
サイコガン。
使い手の精神力を実体化させて武器として使う超能力の変形である。通常は刀槍や弓矢、そうした戦闘の象徴性を持つ武器の形を取ることが多いのであるが、宮内は何と高度技術工業製品である自動火器を実体化させる能力を持っているのであった。しかも、彼のサイコガンから放たれるエネルギー弾は、現実の銃をはるかに越えた破壊力を発揮してみせるのである。
今度は気合いも予備動作もなく宙に舞った二人は、相手の急所に致命的な一撃を叩き込まんと、衝撃波や念を込めた拳を肘を掌底を銃剣を銃床を蹴りを膝を繰り出しあう。
わずかでも距離をとれば、衝撃波がエネルギー弾が撃ち込まれ、周囲に激しい破壊を広げていく。互いの攻撃を逸らし、避け、そのあおりで破壊された校舎の瓦礫が、掘り返された芝生の土くれが、巻き上げられあたりを覆う。
中庭の大半がクレーターで掘り返され、学校の施設の大半が崩れ落ち瓦礫の山と化してから、二人はわずかに残った校舎の屋上で距離をおいて対峙した。さすがに陽も落ち周囲は完全に暗くなっている。だがこの二人にとっては、その程度の状況の変化はたいして問題ではない様であった。
ほんの一〇メートルほど距離をおいて向かい合っている二人は、共に面に血が上り大きく呼吸が乱れている。顔面を真っ赤にして激しく息をしている宮内に、同じ様に面を紅潮させ肩で息をしている氷室は不敵に口の端をゆがめてみせる。
「余裕ですネ」
深く息を吸い、吸っては吐いて呼吸を整えている宮内が、同じ様に不敵な笑みを浮かべてつぶやいた。もはや彼の顔には柔和な表情は浮かんではいない。そこにあるのは、倒しがいのある獲物を目前にしたハンターの獰猛な歓喜であった。
「ですが、アナタは、目的をはたすことはできませン。ナゼなら、マルチ君とヒロユキ君は、レミィが来栖川の中央研究所に連れていくからでス」
彼の唇がわずかにめくり上がる。
「そして、アナタは、ここでワタシに、倒されるのでス!」
だが氷室は、左手の親指で額の汗をぬぐうと、まるで哀れむかのような微笑みを浮かべた。
彼女のその余裕の微笑みに、宮内はいぶかしげに眉をひそめた。
「構わなくてよ」
くつくつとひとしきり笑ってから、氷室のその金色の瞳がきらめく。
「What!?」
「どうせ、私の攻撃は、囮ですもの」
と、同時に、スポーツカーの去った方角で、轟音と共にで巨大な火柱が上がった。
宮内は、思わず視線をそちらに向けてしまう。
その一瞬の隙を逃さず、氷室は半呼吸で間合いをつめ宮内の喉にその右手をかける。同時に、激しい衝撃波が彼の喉を喰い破らんと襲いかかった。
「GGAAAAhhhh!!!」
それでも必死に精神波で防ごうとする宮内。だが、漏れ広がるエネルギーの余波で彼の全身が波打ち揺らぐ。
これまであくまで無表情かそれに近いわずかな感情の揺らぎしか浮かんでいなかった氷室いずみの面に、勝利を確信したかの様に激しく獰猛な笑みが浮かび上がる。
そして彼女の口から、ゆっくりと唄うように言葉が放たれた。
「他所見はいけませんよ、ジョージ」
足元まで伸びてきている影の先に立つ人物の姿を、浩之は、振り返った姿勢のまま凍りついたかのように見つめていた。その三白眼は、かっと見開かれたまま視線を相手に据えて動こうとしない。
「……嘘、だろ?……」
のどの奥から絞り出すように、言葉が浩之の口から漏れる。
袖を無理に裂いたかのような墨色の胴着。
拳に付けられている鋼色に黒光りするナックルガード。
首から下がる飴色の巨大な珠をつなげた数珠。
見事な茶筅に結わえられた髷。
結わえている黄色いリボンがちょっちぷりちー。
浩之は、周囲の空間が相手から発せられる「殺意の波動」で揺らいでいるのに、じわじわと恐怖が心の奥底からわき上がってくるのを感じていた。決して信じたくはなかったが、ここまでの「殺意の波動」を放てる人間は彼の知る限り一人しかいない。
「……あかり、なのか?」
常夜灯をバックに道路の中央に立つ幼なじみの神岸あかりの姿に、浩之は二度三度深呼吸をして姿勢を直した。
「一体、何のつもりなんだ? 冗談はよせよ」
「ごめんね、浩之ちゃん。冗談でも遊びでもないの」
「あかり、一体何なのよ?」
ようやく茫然自失の状態から復活した志保が、大またであかりに向かって近づいていく。
「志保」
「ちょっと、冗談はやめてよ。こっちも今大変なんだから。あ、それとも、あたし達の手伝いをしてくれるの?」
「ごめんね、違うの」
「違うの、って?」
わずかにうつむいて言葉を切るあかり。ほんの一呼吸か二呼吸そうしてから、意を決したかのように顔をあげる。
「……マルチちゃんを渡して」
愕然として道路のまん中で凍りつく志保。
「あんた、まさか……」
「ごめん、志保」
「神岸さん、あんたもBF団員やったんか!?」
智子の絶叫が皆の耳を震わせる。
「ちょっと、あかり!?」
志保は、思わず駆け寄るとあかりの両肩をつかんで振り回した。
「あんた!」
そのまま彼女の身体を引っ繰り返して持ち上げる。
「いったい!!」
持ち上げたままの勢いで引っ繰り返したあかりの身体を肩に担ぐと、そのまま擱座しているスポーツカを踏み台に近くの電信柱を駆け上る。
「なんの!!!」
そして、電信柱のてっぺんに達すると、彼女の頭を太ももで挟んで飛び降りた。
「つもり!!!!」
志保は逆さまになったあかりを抱き締めたまま、きりもみしながら地面へと落ちてくる。
「なのよおおっっ!!!!!」
べちょ。
まるで高いところから落ちた卵がたてるような音がして、あかりは顔面からアスファルトの道路に叩き付けられた。
ぜいぜいと肩で息をしてる志保の前で、ふらりと顔面を血で真っ赤にしたあかりが立ち上がった。
「志保?」
「……なあに、あかり?」
ゆらり。
あかりの周囲の空気が、まるで熱せられているかのように揺らいでいく。思わず冷や汗を顔に浮かべて腰が引ける志保。
「滅殺、だよ」
同時に、志保の身体が、放り上げられた人形のように手足を振りながら宙に舞う。
茫然としている浩之や智子の前で、くるくるときりもみしながら落ちてくる志保とあかりの影が一つになったとき、二人の目を閃光が打つ。
「!? 「昇竜拳」!?」
「いや、「豪昇龍」や!…… さすがは"くま"の力を身につけた神岸はんだけのことある。恐ろしいまでの技のキレやな」
ずっしゃあああああ、と、大宇宙を背景に宙に飛ばされてから、文字通り顔面からアスファルトに落ちた志保の前にポーズを決めて立つあかり。その背に、堂々たる毛筆体で「犬」の一文字が浮かび上がる。
茫然としている二人の目の前であらためてファイティングポーズをとり、滑るように地面を移動してくるあかりに向かって、浩之はあわてて叫んだ。
「まて、あかり! その前に何が起きているんだか説明してくれ!?」
その声と同時に、あかりはまるでブレーキでもかかったかのようにぴたっと浩之の目前で止まった。そのままのポーズで、ちょっと困ったようにはにかみながら彼を上目づかいに見上げる。
「浩之ちゃん……」
「まずBF団、て組織のことからだ」
「うん」
あかりの「瞬極殺」の威力を、その身をもって何度も味わさせられてきた浩之は、安堵の汗で制服の下のTシャツをしとどに濡らしながらゆっくりと口を開いた。
「世界征服を望む秘密結社、ってこと、知ってる?」
「ああ」
「BF団はね……」
あかりがそこまで話を進めたときだった。数十本の矢が、あかりが立っていたその場に突き立つ。
「あかりっ!?」
運良くアスファルトの道路に制服を縫いつけられるだけで済んだ浩之が、悲鳴のような絶叫をあげる。
「HAHAHAHAHA!!」
奇怪な笑い声が浩之の耳にとびこんでくる。
声のした方に顔を向けた浩之の目に、藍色の弓道着をきた金髪碧眼の少女が重藤弓を手に立っているのが見えた。
「レ、レミィか? なんでおめぇがここにいるんだ?」
「Huntingネ!!」
全身を貫く脱力感に、浩之はそのまま大地に沈み込んだ。レミィの目が完全に向こうの世界へ行ってしまっているのを確認してしまっただけに、腕の中にいるマルチの身体がやけに重たく感じる。
「Hi、いけないですネ。敵前逃亡は、銃殺刑なので〜〜ス!」
飛んできた矢を宙に飛んで避けたあかりに向かって、レミィは楽しそうに叫ぶ。
「……レミィ、滅殺だよ」
「HAHAHAHA! Let’s Hunting! Baby!!」
あかりが動くのと同時に、レミィの長弓の上半分にぞろっと矢が並ぶ。そのまま金髪の少女は、まるで自動火器で連射するようにその矢を次々と放った。まるで雨あられのごとく降りそそぐ矢は、それ自体意志を持ち自己誘導できるかのようにあかりに向かって飛んでくる。
だがあかりも、ただそれを待ち受けるだけではなかった。気合いと共に地面を蹴り、宙を舞ってレミィとの距離を一気につめようとする。
と、あかりの身体が、まるで上から押さえつけられるかのように沈んだ。何かに抗いえず、そのまま膝をついてしまう。
「あかりぃいいい!?」
浩之の絶叫に答えるかのように、少女は両手を前に突き出した。その小さな手のひらの中に、眩いばかりの光が集まってくる。
「波動拳!!」
光は、まるで決壊した堤防から溢れる水の奔流の様に飛び来る矢を飲み込み、レミィへと奔る。輝きは、そのまま和装のアーリア人の少女を呑み込もうとして、直前で何かにふせがれるかの様に四散してしまった。
「……もう一人いたのね」
あかりのつぶやきに応えるかの様に、レミィの前に一人の少女が現れる。
風が少女の月色の長髪をたなびかせ、上弦の月がその紅の瞳を血を思わせる色合いに輝かせる。幼く愛らしい容姿の少女ではあったが、しかし彼女の発する気迫は、手練の闘士のそれとなんら変わりはしなかった。
「琴音、ちゃん?」
「はい。藤田さん、下がってください」
琴音と呼ばれた少女は、厳しい視線をあかりに向けたままはっきりとした言葉で浩之を拒絶した。
「下がってって、だって、琴音ちゃん……」
「いいんです。これは、女と女の、意地を賭けた闘いなんです」
「そうだよ、浩之ちゃん」
あかりも琴音の言葉にあわせて一歩前に出る。彼女の瞳にも、琴音と変わらぬ厳しく激しい闘志の炎が燃えている。
「この闘いは」
「どちらが「滅殺」の二文字を」
「背負うに相応しいか」
「「それを決めるためのもの!!」」
どどぉおおおおんんっっ!!
ファイティングポーズを決めている二人の背後で、まるで巨大な炎の柱が立ち上ったかのような幻聴と幻視を得た浩之は、とめどもなく涙を流しながら腕の中の少女の細く柔らかい肢体を抱き締めていた。流れよ我が涙、と浩之は心の内でつぶやいた。世界はあまりにも理不尽で、そして、不可解であった。
「なんちゅうすさまじい「殺意の波動」なんや」
傍らの智子が、その迫力に一歩後ずさって誰に聞かせるともなくつぶやいた。
「互いの波動がまるで獣の様に見えよる」
「なに?」
「ほら、まさしく……」
互いにぎりぎりと気をたわめていくあかりと琴音の背後に、巨大な"くま"と"いるか"の姿が浮かび上がって見える。
「……………」
「……………」
一陣の風が、埃を舞い上げてその場を通り抜けていった。
だが、周囲の思惑がどうあれ、二人の少女が本気であることに変わりはない。
ゆっくりと互いの間合いを掴もうとするかのように、琴音が少しづつあかりに向かってその歩を進めてくる。
あかりは、視線だけ浩之に向けてちょっと困ったような微笑みを浮かべると、同じ様に淡々とした歩みで琴音に向かって足を向けた。
「お互い手は知り尽くしています。おそらく一撃で」
「十分!」
ごう。
風が二人の髪をなぶりはためかせる。
共に左の拳を前に突き出し右の拳を腰のあたりまで引いた構えのまま、二人はじりじりと間合いを詰めていく。
「思えば神岸さんとも短い付き合いでしたね」
「姫川さん、今日は本気みたいね」
「問答無用! 今日こそは、決着をつけます!!」
ぎりぎりまで高められた「殺意の波動」が、二人が動くのと同時に閃光となってほとばしる。
「「瞬極殺!!」」
二人の影がすれちがい、そして、時間が止まる。
浩之と智子は、息をすることすら忘れてたたずんでいる二人の少女のことを見つめていた。
永遠とも思える時間が少女らの上を通り過ぎ、そして、あかりが膝をついて血を吐いた。
「とった!」
「いえ、あたしの勝ちよ」
「え!?」
だが、振り返って歓喜と共に叫んだ琴音に向かって、静かにあかりは答える。
はっとしてもう一度振り向き、そして琴音は愕然として叫んだ。
「そんな!? あたしとの勝負よりも、藤田さんを……」
琴音は気がついたのだ。
自ら放った「瞬極殺」の間合いに浩之がいたことを。
そしてあかりは、あえてその身をもって浩之をかばったのだ。
「それが、あたしの、浩之ちゃんへの、「愛」だもの」
驚愕に打ちひしがれて、琴音は思わず膝をつく。
「そんな、あたしは……」
膝をついたまま、琴音は思わずぽろぽろと涙をこぼしてつぶやいた。
「やっぱり人を不幸にするしかないんですね…… あたしだって、藤田さんのことを……」
「そんなことは、ないよ」
はっとして顔をあげる琴音。
すぐ後に、あかりがその垂れ目を穏やかに細めて立っている。
「今の「瞬極殺」、凄かったよ。やっぱり姫川さんは、「天」の一文字を背負うだけある」
「そんなことないです。やっぱり神岸さんの「殺意の波動」こそ、「滅殺」を背負うに相応しいものです」
「うん。あたしのこと、あかりでいいよ、姫川さん」
「はい、私も、琴音って呼んでください」
「琴音ちゃん」
「あかりさん」
互いに手に手を取って見つめ合う二人。
その背景で何故か沈みゆく夕陽が少女らを赤く染め上げている。
「にゃあああああ!! 敵同士で馴れ合うなんて、許せませ〜〜ン!!」
「拳と拳を交わした者同士の友情」空間に一人のまれなかったレミィが、絶叫と共に矢を構える。
「敵の味方は敵で〜〜ス!!」
つがえられた矢が、何故か真白く光り輝く。
「ライジング・アロー!!」
レミィが叫ぶのと同時に、矢は閃光となってあかりと琴音を撃つ。
「「邪魔なの!」です!」
だが、叫んだ二人の放つ「豪波動」の輝きが、その閃光を飲み込んで逆にレミィへと襲いかかった。
「はにゃああああぁぁぁ〜〜ん!?」
怒濤のごとく襲い来る「殺意の波動」の渦に飲み込まれ、レミィははるか彼方まで吹き飛ばされた。
ぽて。
「きゅう」
そのまま地面に落ち、そして、目を回す。
「「滅殺!!」」
二人揃ってポーズを決めるあかりと琴音。
少女らの背に見事な「天」の一文字が浮かぶ。
「やっとれんわ」
智子が天を仰いでつぶやいたその一言が印象的で、後々まで浩之はこの場の情景をはっきりと思い出すことができた。
「浩之ちゃん」
ようやく自分を地面に縫いつけていた矢を抜き終わって立ち上がった浩之の前に、「殺意の波動」を焔めかせたあかりが立ちふさがる。
「なあ、あかり」
「なに?」
「いいかげん、終わりにしないか?」
「……………ごめん」
浩之は、ゆっくりと大きく腹筋を収縮させて肺の中の空気を外へと排出し、新たに酸素を十分に含んだ空気をそこに送り込んだ。彼の視線の先で、琴音がすやすやと穏やかな寝顔を浮かべて横になっている。余程大きく力を使ったのであろう、しばらくはゆすってもこかしても起きそうにはない。レミィもまたはるか彼方で目を回しており、志保もそれは変わりはなかった。ただ智子だけが、その切れ長の眼を細めて全身の筋肉に緊張を行き渡らせている。
「本当に、やるんだな」
「うん」
二人は、いくばくかの悲しみと諦観のこもった視線を絡み合わせた。
世界はこの二人にとってもあまりにも不条理に満ちていて、そして、残酷であった。
「委員長、マルチを頼むわ」
「ああ? 構わへんけど、どないするんや?」
「……仕方がねえだろ」
浩之の腕からいまだ機能を回復しないメイドロボットを受け取った智子は、彼の声に滲む感情を理解してそれ以上言葉を続けることができなくなった。彼女もまた、この目付きの悪い、女と子供にはそこ抜けの人の良さを発揮する男に、好意以上の何かを抱いているのであったのだ。
智子にできたのは、そのままさらに一歩退き、浩之の背中をいくばくかの悲しみと哀れみとが混ざった視線で見つめることだけであった。
「はあああああっっ!!」
ゆっくりと制服の上着を脱ぎ捨て、脚を開いて腰を落とし、両の拳を腰まで引く。気合いと共に、浩之の全身に闘気が満ちてくる。
彼の中にたわめられていく巨大な気の圧力に、二人の少女は意識せずに一歩足を引いた。
「ひ、浩之、ちゃん?」
「藤田、くん?」
少女らの口からこぼれたつぶやきが、わずかに震えている。
と、浩之の細められさらに凶悪さを増した三白眼の前に掲げられた右手の甲が光り輝く。そこに何かトランプに描かれる図画のようなものが浮かび上がるのを見て、あかりはさらに一歩退いた。
浮かび上がるは「King Of Heart」の紋章。
「俺の一物光って唸る!!」
「は?」
「お前をこませと輝き叫ぶ!!!」
「はいぃぃぃ??」
「喰らえっ!! 愛とぉ勇気とぉ友情のぉぉぉぉっっ、シャイニング・ぬぅわニィィィーーー!!!!」
「っっっっっっっっ!!??」
「突きぃっ!! 突きぃっ!!! 突きぃっ!!!! 突きいいぃぃぃっっっっ!!!!!」
「い、い、嫌あああああああああっっっっっ!!!」
「……………」
顔面を真っ赤なゆでだこ状態にして、あかりは脱兎のごとく全速で後に走り去った。何故に顔を両手で覆っているのかは、本人にしか判らない。いや、彼女自身も判っていないのかもしれない。
「…………厳しい闘いだったぜ」
「こ、の、大馬鹿モンがぁぁぁっっっ!!!」
ポーズを決めて一人つぶやいた浩之の後頭部に、智子の鉄ハリセンがクリーンヒットを決める。見事顔面からアスファルトの地面に叩き付けられた浩之の頭部に、追い打ちをかけるように志保のムーンサルトアタックが決まり、琴音の豪昇竜が彼の身体を空中へと高々と放りあげる。そして、地面へと落ちてくるわずかな間に、彼の全身にレミィの放った黒旗矢が無数に突き刺さった。
「こ、こ、この、セクハラ大魔王があっっ!!」
肩で激しく息をしながら、がにまたになって智子は自分の身長ほどもある巨大な鉄ハリセンを肩に担いだ。つるはしを振り下ろす要領で鉄ハリセンを振り下ろそうとして、さすがに息が続かなかったのか、そのまま動きが止まる。
激しい怒りだけではない何かで顔面を紅潮させている智子に、浩之は急いで起き上がって間合いを取った。
智子の後に、いつのまに復活したのか志保も琴音もレミィも集まってきていて、浩之のことを零度未満の温度の軽蔑以外の何者でもない目付きで見つめている。
「ヒロ、あんた、さいってぇっー」
「藤田さんが、そんな人だとは思いませんでした」
「ヒロユキ、軽蔑するヨ」
「俺が何をしたっていうんだぁあああっっ!?」
「ナニや」
頭を抱えて絶叫する浩之に、智子の絶対零度にも等しい冷たい言葉が突き刺さる。
「……浩之ちゃん」
大地に沈んだ浩之に、はるか彼方で常夜灯の陰に隠れているあかりが声をかけた。
「あかり?」
「あ、その、う、あたしは、浩之ちゃんののなら、その、恥ずかしいけど、でも」
「……………おう」
「だから、気にしなくて、いいよ」
「……………あかり」
顔を真っ赤にして最後の方は尻つぼみになりながらつぶやいたあかりの言葉に、浩之はその三白眼を潤ませて立ち上がった。
思わず目と目が重なり見つめ合う二人。
二人だけの世界に桜色の光がきらめき、きらきらとした輝きが二人を覆う。
「あかり」
「浩之ちゃん」
二人の頬がわずかに上気している。
「だから、マルチちゃんを渡して」
ずしゃ。
浩之は、そのまま大地にノックアウトされたかのように沈んだ。いや、確かにKOされたのかもしれない。そのまま真っ白に燃え尽きたかのように、通り抜ける風に灰となって崩れ落ちていく。
「あかり」
「なに?」
「あきらめろ」
「…………なんで?」
「お前じゃあ、絶対に俺にはかなわないからだ」
思わずむっとしたように頬を膨らませて、あかりが一歩前に出る。
「そ、そんなこと、ないもん」
わずかに腰を落とし、全身のばねをたわめ、その身に新たな「殺意の波動」をまとうあかり。
「う、その、浩之ちゃんのだったら、やっぱり恥ずかしいけど、でも、うん、大丈夫だもの」
「いや、そういうことじゃなくてな」
「そんなことないもんっ!!」
大地を蹴ったあかりが、その後に残像を残しつつすさまじい速さで浩之めがけて突っ込んでくる。その両手は、限界までたわめられた闘気で青白く輝いている。
「!!?」
その早さと「殺意の波動」の圧力に、一瞬動きが止まってしまった智子らの前で、あかりの必殺技が浩之に向かって炸裂しようとする。
「滅殺豪昇龍っ!!」
「お手」
ぴと。
「なんでえええええぇぇぇっっっ!!??」
前に出された浩之の手のひらに、反射的に右手を載せてしまったあかりの絶叫が、皆の鼓膜を震わせる。
「天魔豪斬空っ!!」
「お座り」
ぺたん。
「そんなあああああぁぁぁっっっ!!??」
それでも続けて技を繰り出すあかり。
「瞬極殺っ!!」
「ちんちん」
ぺと。
「どうしてええええぇぇぇっっっ!!??」
思わず地面に座り込んで泣き出してしまうあかり。
そんな彼女を見つめながら、全身を襲う脱力感と闘いながら智子は深いため息とともにつぶやいた。
「……付き合い、長いんやな」
「うん、幼稚園以来ずっとだから」
がっくりと肩を落としている志保も、智子にあわせて深くため息をつく。
「でも、ここまで……」
茫然としたまま、なすすべもなくつぶやく琴音。
レミィにいたっては、瞳孔を開いたままぽかんと口をあけて意識をどこかへ飛ばしてしまっている。
えぐえぐと泣いているあかりの肩にそっと手を置いて、浩之は言い聞かせるように優しく話しかけた。
「判っただろ、あかり。だから、な」
「ううう、ひろゆきちゃん……」
ポケットからハンケチを取り出して、浩之は涙でべしょべしょになっているあかりの顔をあくまで優しくぬぐう。
「お前もこんだけ頑張ったんだからさ。十分だろ、な」
「浩之ちゃん……」
もう一度視線が重なり見つめ合う二人。
優しく微笑んだ浩之は、そっと手のひらをあかりの頬にそえる。
その手のひらの温もりに、わずかに頬を染めてあかりは目を閉じた。
浩之は、両手であかりの頬をはさんで持ち上げようとした。
「そんなことないもんっ!!」
二人の唇と唇が重なり合おうとするそのほんのわずかな手前で、あかりは浩之を突き飛ばして後方に飛んだ。
思わず自分で自分を抱き締めてしまい、その上前のめりになって顔面を地面にぶっつけてしまった浩之は、それこそ茫然とした表情のままはるか彼方のあかりを見つめるしかできないでいる。
浩之の後で握りこぶしを口に当て、頬を真っ赤に染めて成り行きを見つめていた智子らは、何故にか残念さと若干の安堵を混ぜ合わせたかのようなため息をついて指を鳴らした。
「うう、マルチちゃんに、浩之ちゃんは、渡さないんだからあああっっ!!」
「それは違うだろ」
思わず自分で自分を抱きしめたまま、前のめりのまま鼻血で顔を汚しながら浩之はつぶやいた。
そんな彼の姿が目に映っているのかいないのか、あかりは両足をふみしめると天を仰ぐかのように絶叫した。
「くまぁあああああっっっ!!」
その叫びに応えるように、あかりの背後でアスファルトの道路を砕いて、巨大な影が立ち上がる。何故かその背後で爆発が起き、高々と火炎が柱の様に立ち上って夜空を焦がした。
あかりは地面を蹴って飛び上がると、そのまま巨体の表面をジャンプしつつその肩に立つ。
その圧倒的な存在に、浩之らは茫然としてそれを見上げるだけであった。
「あ、あれは、BF団の怪ロボ!?」
茫然として智子がつぶやく。その絶対的な迫力に、浩之達はなすすべもなかった。如何に彼らが優れた戦士達であっても、圧倒的なその巨体にかなうわけもない。
常夜灯の明りに照らし出されるその姿に、五人はそれでも闘志を奮い起こし立ち向かおうとして、足が止まった。
「……確かに、くま、やな」
「そうですネ、まさしく、テディ・ベアでス」
ライトアップされるその姿は、ふさふさとした茶色の毛皮で覆われ、丸みをおびた胴体から同じ様に丸みをおびた手足が伸びている。そして頂に載っている丸い頭とつぶらな瞳。その姿は、元となった肉食獣をかなりデフォルメしているとはいえ、やはり浩之らにとって脅威であることには変わりはない。
「浩之ちゃん」
巨大なくまの肩に乗っているあかりが、今度こそ自らの勝利を確信して声を張り上げる。
「お願いだから、マルチちゃんを渡して!」
きりりと歯噛みしながら、浩之はあかりを見上げることしかできないでいた。
轟々と音を立てて、氷室いずみの放つ衝撃波が、ジョージ宮内の喉笛を喰いやぶらんと襲いかかっている。
「我が盟友"幻惑の"早川涼の仇、断ち切られた我が髪の恨み、思い知って!?」
あくまで楽しそうに口ずさむその声に、宮内は声にならない叫びをもらした。
「Why!? それハ、Meに、覚えが、ありま、せ〜ン!?」
「当然ね、言ってみたかっただけですもの」
「…………………………」
がっくし。
そのままロウソクの炎が燃え尽きるかのように脱力し、全身から力が抜けてしまう宮内。さもありなん。そんな理由で身に覚えのない咎を背負わされて殺されては、いくらなんでも死ぬに死ねまい。
「さあ、安らかに成仏なさい」
「Meは、国教会派、なの、で〜ス」
「ヤンキーがライミーの真似をしても見苦しくてよ。せめて南部パプティスト派とでもお言いなさい」
「どっかの、F.O.A.Dな、農場主と、一緒にしないで、クダサ〜イ」
「……………淑女の前よ?」
わずかに頬を赤くして、氷室いずみは、ぎりぎりと宮内の喉を締め上げ最期のとどめを刺そうと気合いを入れる。
そして獲物を狩りいたぶる快楽に、氷室は、わずかの間周囲に対する警戒を怠ってしまった。
だが氷室も、BF団において十傑と呼ばれる戦士だけのことはあった。風を切って襲い来るその一撃を、彼女はとっさに手元の宮内の身体でブロックする。
「GEBOGUHERAH!!??」
その闘気の連撃は見事宮内にクリーンヒットし、彼をはるか半壊した校舎の瓦礫の彼方へと跳ね飛ばした。
そのまま右腕の中からもぎ取られるように屋上から下へ落ちていく宮内の身体に手を伸ばし、さすがに届かず見送るだけの氷室いずみ。その面に、あと一歩のところで獲物を逃した無念が激情となって張りついている。
「何者っ!?」
際だった美しさを誇る氷室いずみだけに、その激情は、研ぎあげられ澄みきった刀剣のごとく悽愴な美しさを煌めかせている。
と、瓦礫の中から砂煙が垂直に立ち昇り、上弦の月を背負うがごとく三人の少女が飛びあがって現れた。娘達がその腕に抱えているジョージ宮内の骸を目にしたとき、氷室は思わず口の端がめくれるような笑みをもらしてしまった。
「力の空手家、坂下好恵!」
ぼろぼろの洗いざらした空手着を着、茶色がかった髪を短く刈り込んだ少女が叫ぶ。
「技のエクストリーマー、松原葵!」
真っ赤なブルマーが目立つ体操着姿の少女が、その短い藍の黒髪を後になびかせ、おでこもあらわに吠える。
「そして、力と技のエクストリームが女王、来栖川綾香!!」
袖無しのクリーム色のセーターとオフホワイトのブラウスにグリーンのミニスカートの少女が、絹糸を思わせる長い直ぐの黒髪を翻しその漆黒の瞳をきらめかせて、銀鈴を思わせる声で名乗りをあげた。
ロシア人とドイツ人がその覇権を賭けて戦った川沿いの街のごとき様相の学校に、そこで少女らの声が一つになって響き渡った。
「「「見参!!」」」
「雑魚が」
即座に冷静さを取り戻した氷室が、伸ばした左手の指から衝撃波を放つ。
その一撃が、三人の中でも最も氷室に近いところにいた綾香の柳腰を貫いた。
「おおう!?」
少女の身体は、そのまま風船のように膨れて破裂する。だが、破裂した身体は無数のまったく同じ姿の少女に分裂した。そのままその長い黒髪を翻して飛び、、氷室の周りを回り始める。
「奇怪な!?」
続けざまに衝撃波を放つ氷室いずみ。
だがその一撃を受けても、綾香の姿は無数に増え続けるばかりであった。
「………………………」
「何奴!?」
声にならない哄笑を聞いた氷室は、はっと振り返ってそこに巨大な黒髪の少女の姿をみとめた。目の前を嗤いながら飛ぶ綾香とうり二つの容姿を持ちながら、その精神の中に持つものが正反対であることが彼女の表情から見てとれる。
「………………………」
「……汝は我が螺力の内に陥っているのが判らないのか、ですって? ……そう、貴女は先程の」
「………………………」
「……こうなってはたとえ十傑衆と言えども簡単には抜け出すことはできない? ふふ、大した自信ね、来栖川芹香さん」
瞬時に内心の動揺を押さえ込み、氷室はその面から激情をぬぐうがごとくに消し去った。そしてその冷たい美貌に、わずかに微笑みとも見える何かを浮かび上がらせる。わずかに一歩下がるった彼女の右手の人指し指と中指の間に、手品のように細巻きが現れた。
「……それに」
と、それまで氷室が立っていた屋上の床が轟音と共に砕かれ、中から真っ赤なブルマー姿の少女が拳を打ち上げた姿で飛び出してくる。同時に直上からくたびれた空手着の少女が、正拳を突き出した格好で天から降ってくる。
「!?」
「!?」
今の一撃が避けられとは思っていなかったのであろう。二人の少女に驚愕の表情が浮かび、あわてて互いの拳が打ち込まれる直前で身を翻した。
「未熟」
わずかに口の端をゆがめたままで二人を見つめていた氷室いずみは、裏返した左の掌の平から二人の少女に向かって衝撃波を叩き込んだ。好恵と葵は、そのままエネルギーの奔流に飲み込まれ、わずかに残っていた屋上のフェンスの残骸に叩き付けられる。
二人が重なり合うように倒れ意識を失うのを目をわずかに細めて確認した氷室は、左手を背中に回し右手のシガーを優雅な動作で口にした。またもひとりでにその先端に火が点く。
「そうね」
ふっと紫煙を漂わせると、氷室いずみは、穏やかな表情で己の前に立つ巨大な芹香に視線を上げた。
「まあ、いいわ」
もう一度下げられた視線の先に、折り重なるように倒れて目を回している好恵と葵の姿がある。
「ここにはこれ以上私が果たすべき任務もなし」
そして、もう一度視線を上げ、すみっこに打ち捨てられているジョージ宮内の残骸に目を細める。
「それではお嬢さん方。また会いましょう」
翻した右手の中から、魔法のように細巻きは消えた。
ちょっとおどけたように右手の二本の指を敬礼するように額に当て、それから手のひらを軽く振ってみせると、氷室は突如すさまじい早さで回転を始めた。周囲の残骸を巻き上げ竜巻とも見える程の速さになると、続けざまに屋上から校舎の下に向かって爆発が連続して炸裂する。同時に校内で残っていた唯一無事な校舎も、それに耐えきれずに崩れさった。
「………………………」
「さすが十傑集、私のいた位置を読んでいました、って、姉さんどういうこと?」
爆発の余波でか、巨大な来栖川芹香の像は無数の対数螺旋を構成する物体に分解して崩れ去った。瓦礫の一角から芹香が、相変わらずの表情にその面の動くことのないまま、埃だらけになった赤いセーラー服姿で現れる。いつのまに怪我をしたのか、左腕の破けた袖から紅い血が滴っていた。
崩れ落ちる校舎の屋上から好恵と葵の二人を救い出し、両脇に抱えて着地した来栖川綾香が、半ば呆然として周囲の惨状に目を奪われている。だが、何ものにも動じない様にすら見える芹香の一言に、彼女ははっとして視線を姉に向けた。
慌てて近づく妹の綾香に揺らいですらいないようにも見える視線を向け、それからもう一度まったく別の方向に視線を向ける。それに気がついた綾香は、その視線の先に赤々と燃える空を見て、はたと彼方で何が起こっているのかを思い出した。
「しまった、浩之が!?」
「………………」
「え、大丈夫です、その為にあの方がいる、ですって? なにそれ、姉さん!?」
だが芹香は、よほど近しい人間にしか判からないようなわずかな表情の揺らぎをその面に浮かべただけで、それ以上は何も語ろうとはしない。
四人の少女が藤田浩之ただ一人に想いを向けているそのかたわらで、瓦礫の一部が崩れ落ちそこからぼろぼろになったジョージ宮内がはいでてきた。
それに気がついた綾香が、両脇の少女二人を瓦礫の上に落とし、彼に駆け寄る。
「ハア、死ぬかと思いましタ」
「……普通、死ぬんじゃない?」
「冷たいですネ、それではLoverは得られないでス」
「……一回死んでみます?」
「HAHAHAHAHA、It’s AmericanJokeですネ」
「…………………………」
本当に一回冥土の底に叩き込むぞおんどれ、とでも意訳できる表情を一瞬浮かべた綾香は、すぐにそれを拭ったように消し去り質問を宮内に浴びせかけた。
「ねえ、宮内のおじさま、氷室いずみが浩之達のところへ向かったのよ。誰かあいつのところへ助けに向かっているの? 相手は十傑集なんでしょう? 生半可な使い手じゃ……」
「大丈夫ですヨ、浩之君たちハ」
と、さすがにそこで精根尽き果てたのか、がっくりと宮内の首が落ちる。
彼がそのまま事切れたのかと思った綾香は、慌てて彼の頭を抱えあげ、命に別状がないことを確認して安堵の息をついた。そのままもう興味を無くしたかのように彼を放り出し、急いで姉のもとに向かう。
「姉さん、浩之たちのところへ急ぎましょ」
巨大なくまの一歩が大地を揺らし、その衝撃に耐え切れずに琴音が尻餅をつく。
「くっそぉっ! あんなただでかいだけのくま人形に、この志保ちゃんが負けるわけないじゃない!!」
アスファルトの道路を破砕しつつ近づいてくる巨大ロボットに、志保はそう絶叫して助走をつけて飛び掛かる。
「志保止せ!!」
「志保ちゃんキィイイイッッック!!」
「くま、パンチよ!」
がおう。
あかりの命令に一言そう吠えて答えたロボットが、まるでハエでもはたくかのように右手を一閃させた。見事その肉球はスカートを翻して飛び掛かる志保を捕らえ、地面に叩き付ける。
べち。
「あぶ」
そのまま目を回して気絶してしまう志保。
呆然と志保が打ち倒されるのを見ている浩之らの中で、一人智子だけが冷静に状況を認識しつつタイミングを計っていた。
「今や、宮内はん! 車を!!」
「? Hi!」
くまロボとあかりが志保にその注意を向けたその一瞬を逃さず、智子はレミィを擱座している真っ赤なオープントップのスポーツカーに向かわせる。レミィも、やはり強大な力を持つ戦士のジョージ宮内の娘だけあって、即座にその意味するところを把握して大地を蹴った。
「あ!?」
はっとして一瞬だけ動くのが遅れたあかりの隙をぬって、レミィは赤いスポーツカーのドライバーズシートに飛び込み、慣れた手つきでアクセルを吹かしイグニッションキーをひねる。
「動いて!!」
レミィの悲鳴にも似た声と同時に、身震いするようにエンジンが唸りを上げ、回転計の針がレッドゾーンへと跳ね上がる。
「OK!!」
そのままギアをニュートラルに戻しクラッチが生きているのを確認し、続けてバックにつなげて一気にアクセルを踏む。車は、はじけるように後ろへと飛び出す。レミィは、続けていったんギアをニュートラルへ戻してサイドブレーキを入れアクセルをべた踏みに踏む。
スポーツカーは巨大ロボの足元でいったんにストップし、エンジン音ばかりがあたりに響き渡った。オイル計や温度計を確認してこの車がまだ走れることをチェックしたレミィは、続けて二速にシフトチェンジしてアクセルを踏みサイドブレーキをおろした。
まるではじけるように飛び出した真紅のスポーツカーは、そのまま一回転して浩之らの目の前に停止する。
「さすがや、宮内はん!! さ、みんな、乗りい!!」
真っ先に後部座席に尻餅をついている琴音をほうり込み、自らは助手席に乗ると、智子は浩之へ振り向いて叫んだ。
「なにぼやぼやしているんや、藤田君あんたもさっさと乗るんや」
「そう言ったって、あかりが……」
「神岸さんのことは、今は後まわしや。とにかく今はマルチはんの安全が第一や!」
「……ぬう、すまん、あかり!」
轟音とともに走り出す真紅のスポーツカーから身を乗り出して、浩之は後ろに残した明かりに向かって叫んだ。
と、そこではたと思い出したように助手席の智子にむかって、ぼそっと質問を向ける。
「そういや、この車の持ち主はどうしたんだ?」
「……そや、レミィ、このまま来栖川の中央研究所までいったってや」
「OK、わかったヨ」
「委員長」
「姫川さん、大丈夫?」
「ええ、けがはしていませんから」
「保科ぁ?」
「………………なあに、浩之くん?」
ただでさえ迫力のある三白眼に殺気が込もっているだけに、いっそう凶悪な目つきになっていることが、背中越しでも智子には重々わかっていた。ついつい声も猫なで声になってしまい、額に冷や汗が浮かび、口の端が引きつってくる。
「だから、志保はどうした、って聞いているんだ」
「……いや、長岡はんは、BF団の怪ロボからうちらを逃がすために、一人あそこに残ったんや。うん、素晴らしい勇気と戦友愛の発露、というべきやな。まさしく皇国の誉、醜の御楯や」
「……ったく、お前って女は……」
「いやん、ふじたくぅ〜ん、そんな目で見ちゃ、だ、め(はあと)」
うねうねと身をよじってこびこびに媚びてみせる智子ではあったが、しかし、浩之の冷たい三白眼は細められたままだった。
と、突然車の右横で爆発が起こる。
その爆風にハンドルを持っていかれそうになるのを、レミィはハンドルを切って車の腹をそらして横転するのだけはさけた。続けざまに右に左にハンドルを切り、クラッチを切り換え、アクセルとブレーキを使って連続する爆発をよける。
「Jesus!!」
「ふ、藤田さん、後ろ!?」
振り返り後部座席から身を乗り出すようにしている琴音の声に、浩之も首を回して彼女の指さす先を見た。
そこには、あかりを肩に乗せた巨大なくまロボが、四つ足になって凄まじい速度で浩之達を追いかけてきていた。その巨体が大地を蹴るたびに、道路がくだけアスファルトの破片が宙を舞う。常夜灯をなぎ払いながら突っ走ってくるその姿は、まさしく戯画の世界にしか存在しないはずの悪夢そのままであった。
時たまそのつぶらな瞳が真っ赤に輝き、真紅のビームをスポーツカーに向けて撃ってくる。浩之は、降りそそぐ砕かれた道路の破片に茫然と打たれながら、あまりのことに思考が停止してしまっていた。
「ちょ、ちょっと待て、あかり!? あぶねえじゃねえか!!」
「あかん、神岸はん、完全にキレとる」
「何をのんきな!?」
「Shit! このままだと街に入るヨ!!」
必死になってハンドルをさばいているレミィが、歯ぎしりするように叫ぶ。
「畜生!? こうなったら!!」
もはやここまでか、と、四人が覚悟を決めかけたその瞬間であった。
「待ていっ!!」
突如道路脇が爆発し、中から人影が宙へと舞う。
上弦の月を背に構えを取るその男は、だがマントを羽織り手ぬぐいで顔を隠しているために何者とも知れない。
男は疾風のごとく大地を駆けると、疾走するスポーツカーと併走しつつ叫んだ。
「この場は儂に任せいっ!」
「何ぃっ!?」
「先に行けいっ! 藤田浩之ぃっ!!」
「俺の名をっ!?」
「借りるぞ!」
浩之が気がついたときには、男はズボンのベルトを引き抜き、それを竜巻のごとく回転させながらくまロボに向かっていた。
「はあっ!!」
男の気合いと共にベルトの先端がくまロボへと延び、その表面を切り裂きつつ頭へとのぼっていく。ベルトは、そのままくまロボの頭部に巻きついた。
「せいっ!!」
空中の男がベルトを手元に引くと、くまロボはその力に耐えられないように、一回転して大地に叩き付けられる。
「あの技は!?」
ずり落ちそうになるズボンを抑えながら、浩之はなにかに気がついたかのように後部座席から立ち上がって叫んだ。
「くま! 立って!」
くまロボの頭に必死になってつかまっていたあかりが、それでも闘志を失わずに叫ぶ。
「くま、ミサイル!」
がおう。
一声吠えて立ち上がったくまロボは、仁王立ちになって両手を高々とあげた。その両の掌の肉球から二発の超高速ミサイルが発射され、男に向かって火線が伸びる。
「ふんっ! ふんっ!」
だが道路に降り立った男は、いともやすやすと両手でそのミサイルを二発とも受け止め、くまロボに向かって撃ち返す。ミサイルは巨大ロボットの胴体に着弾し、炸裂した。爆炎がその全身を覆い、あたりは一瞬何も見えなくなる。
「どこ!?」
くまロボの肩に立つあかりが、爆炎に耐えつつ首をめぐらせて辺りをうかがうが、今の爆発にまぎれて男の姿はどこかへと消えてしまっていて見つからない。
「ここだぁぁっ!!」
声に振り返ったあかりの目に、上弦の月を背に構えを取って宙を舞う男の姿が写った。
「酔舞再現江湖ぉおっ!! デッドリィイイッ ウェイブッ!!!」
構えたままその身体ごと流星となって、男は巨大くまロボの胴体を貫く。
瓦礫に足の踏み場もない道路の上に降り立ち、彼は新たな構えを取って叫んだ。
「爆発!!」
同時に、くまロボは、轟音と共に爆発して砕けて散った。
「そ、そんな……!?」
爆発の一瞬前にジャンプして逃れたあかりは、茫然と男を見つめているだけであった。
「やはり! あのお方は!」
急停止した車から飛び降りた浩之は、ずり落ちたズボンに足を取られて転びそうになりながらも、男に向かって駆け寄ろうとする。
「と、東方不敗、マスターアジアッ!!」
「Master Asia? Who?」
浩之の後を追うように車から降りたレミィが、あんぐりと口を開けて?マークを頭の周りに浮かべている。
そのつぶやきを聞いた智子が、表情の一切ぬけ落ちたかのような声で誰に聞かせるともなしに説明を始めた。
「東方不敗・マスターアジア。国連統合作戦機構の中国代表の参事官で、宮内はんのお父さんと同じ九大天王の一人や」
「中国代表の参事官? 九大天王?」
ようやく足腰がしっかりしてきたのか、それでもよろよろと車から降り立った琴音が、智子に向かっておずおずと答えを求めるように視線を向けた。
「そや。国連統合作戦機構は、要は国連の意思に基づいて、国家民間問わずに世界の平和と秩序を維持するために活動する組織や。その意思決定を行うのが、本部の総裁と九人の参事官と呼ばれる人達や。せやから参事官は、国連常任理事国の日米英独仏露中から一人ずつと、国連事務総長が選んだ二人の、合わせて九人で構成されよる。だから、参事官は九大天王と呼ばれるんよ」
「でも、そんな偉い人が、なんであんな……」
さすがにそこから先は失礼になるかと思ったのであろう。琴音は口ごもって視線だけを覆面姿の男に向けた。
「ああ、最初はな、外交官や事務官僚が参事官になっとったそうや。けど、なにしろ仕事が仕事やから、参事官も先頭に立って危ない橋を渡らなければならんのや。おかげでばたばた参事官の殉職が続いてな、さすがにそれでは人材が尽き果てよる、ちゅうことで心技体そろった人が選ばれるようになったんよ」
「……心技体が三つ揃った、ですか?」
「信んじられんやろ。でも、そうなんよ」
あからさまに疑わしげな目付きになる琴音に、智子は冷たい視線で答えた。
その言外の意味をくみ取らされた琴音は、茫然と口を開いて意識を飛ばしているレミィに黙って視線を向け、それからもう一度覆面の男に視線を戻した。
男に向かって駆け寄っていく浩之。琴音は、なにかに脱力したようにがっくりと肩を落とした。
「し、師匠ぉおぉっっ!!」
「くぁああああああああぁっっ!! 答えろぉっ、浩之ぃっ!!」
師匠と呼ばれた男は、音を立ててマントと手ぬぐいを脱ぎ捨て、拳を前に突き出す。
覆面の下からは、見事な白髭を鼻の下に蓄え、その灰色の長髪をまとめて三つ編みとし豊かなもみあげとともに風になびかせた、筋骨隆々の壮年の漢が現れる。手首の一閃でベルトを浩之に放った東方不敗は、炯々と光る眼をかっと見開き叫んだ。
「流派東方不敗はぁあっっ!?」
矢のごとく飛び来るベルトを受け止め、一挙動でズボンを締め直した浩之も、あわせて構えを取って叫ぶ。
「王者の風よっっっ!!」
大地を蹴って無数の突きを繰り出しながら浩之に向かって飛ぶ東方不敗。
「全新!?」
同じ様に大地を蹴り拳を繰り出しつつ東方不敗に向かって飛ぶ浩之。
「系烈!!」
互いに無数の突きと蹴りを繰り出しあう東方不敗と浩之。
「「天破侠乱!!!」」
と、互いの拳と拳を重ね合わせて、動きが止まる。
「「見よっ!! 東方はぁ、赤く燃えているぅうっ!!!!」」
轟音と共に、二人の背景に赤々と燃え盛る炎が柱となって立ち昇った。
と、合わさっている拳を解いた浩之が、そのまま東方不敗の拳を両手で包み込む。彼はそのまま拳をおし頂くかのように握りしめると、膝をついて老人を見上げた。
「うっ…… し、ししょおぉぉ……」
感極まったかのように浩之の声が震え、その常には厳しくしかめられている三白眼からきらりと光るものがこぼれ落ちた。
「お会いしとうございましたぁああぁっ!! ぅぅっ ぁぁっ ぅぅ!!」
「どうした、男子たる者が何を泣き出す」
あくまで優しい師の言葉に、浩之は、とどまることを知らぬ熱いものが視界を遮り頬を濡らす。
「ふ、久しぶりだな、浩之。いや、わしが認めたキング・オブ・ハート」
「そうですか。そんなことがこの世界の裏では起こっていたんですか」
破壊されきった東鳩高校の校舎の残骸の上で、浩之は東方不敗と向き合って座っていた。
少し離れたところで、智子をはじめとする少女らが、二人のことを見守っている。
「うむ、おぬしと別れた後、儂は知人の頼みで国連統合作戦機構で戦っていた。そして、その最大の敵BF団が、この日本を舞台に巨大な陰謀を張り巡らせているとの情報に、そこの宮内と共にやってきたのだ」
東方不敗の視線の先に、娘に介抱されている満身創痍のジョージ宮内の姿がある。
「師匠がわざわざ?」
「おうよ。さすがは十傑衆"衝撃の"氷室いずみ。だが、儂だけではないぞ。この日本には、あと二人九大天王がおる。余程のことでは遅れはとらん」
ふっと口の端をゆがめて余裕の笑いをもらした師の姿に、浩之は、去っていった幼なじみの少女のことを思い出した。
「どうした、浩之? もしや、あの怪ロボを操っていたBF団のエージェントは、おぬしの知り合いか?」
「……はい。実はあいつは、あかりは、俺の幼なじみなんです……」
「そうか」
寂しげにうつむいた浩之に、東方不敗はそれ以上言葉をかけようとはしなかった。代わりに、そっとその肩に手を載せる。
二人は、しばらくそのまま黙って座っていた。
だが、そうした二人の間の空気を振り払うかのように、東方不敗は立ち上がる。
「なぁ、浩之。やはり、儂らは師弟の縁というもので結ばれているらしい」
そして、浩之に厳しい視線を向ける。
「今、この国は、いや、この世界は、大きな危機に見舞われておる。どうだ、儂に力を貸してくれんか」
「師匠?」
はっとして立ち上がる浩之。
「あえて幼なじみに拳を向けろと言うのは、今のおぬしには酷であろう。だがあえて言わせてもらう。儂と共に、BF団と戦って欲しい。この東方不敗が、頼む!」
「し、師匠!!」
「浩之!!」
二人の視線が絡まり合う。
「……判りました! この俺で師匠の力になれるというならば、喜んで!!」
「うむ!! それでこそ我が弟子ぞ!!」
思わず互いに拳と拳を突き出し、重ね合わせる師弟。
そんな二人を昇る朝日が照らし出す。
「のう浩之」
「はい、師匠」
世界をゆっくりと照らし出していく太陽を見つめつつ、二人は言葉を交わす。
「世界は、美しいのう」
「師匠……」
「護らねばのう」
「はい!」
二人の面に浮かぶ決意は、堅く、そして、熱かった。
あとがき
毒電波は、結局、本人のいしに関わらず降ってくるものです。それは拒むことはできず、無視するか外へと再発振するしか選択肢はありません。
この作品は、筆者が後者を選択したが故に形となった作品なのです。
さて、次は、来栖川の中央研究所で話が転回するはずです。
何故にマルチがBF団に狙われるのか、BF団はマルチを使って何をしようとしているのか、あかりは何故にBF団にいるのか、それが語られることになると思います。ええ、電波が降ってくれば(爆)
あと、「雫」「痕」「ホワイトアルバム」のキャラも出てくるでしょう。これはあくまでLeaf作品のキャラクターを使った一大叙情詩なのでしょうから。多分。
それでは最期に、この様なお話をご自身のHPに掲載することを承諾してくださった島津義家氏と筆者の脳内に八木アンテナを設置してくれた独12式臼砲さんに、最大限の感謝と友情を捧げて、次の毒電波の受信に入るとしましょう。
それでは、また遠くない未来に再会できることを願って。
金物屋忘八拝
解説(というか、そう呼ぶべきもの)
フリーのカメラマンでありながら傑出した文才を放つ、「不肖・宮嶋」こと宮嶋茂樹氏は著作『ああ、堂々の自衛隊』のまえがきで、
「書いてみると、あらゆる重要なことや、大事なこと、美談、英雄譚などは姿を消し、どうでもいいことや、いい加減な話、汚い描写や下ネタばかりになってしまった」
と自らの文章について語っている。
なぜ唐突にこんな文章を引用するか、といえば本作にも下ネタが登場するからである。
金物屋氏の代表作『EVANGERION1999』(以下『〜1999』)の繊細な描写、あるいは18禁ではあるが、どぎつさとは対極にあった短編『人が人であるために……』などに慣れた読者の方は、いささか困惑するかも知れない。
もっとも金物屋氏が、かつてはセーラームーンの同人誌を大量生産していたという経歴を知っていれば、さほど驚くにはあたらないのかも知れないのだが(以前、金物屋氏からCGを戴いたが、18禁の名に恥じないすさまじさであり、到底、本HP上では公開できない)。
さて。先にも触れたが、 「金物屋忘八」といえばいまなお『EVANGERION1999』である。
実際に新作の公開を望む声は高い。それでもなお、金物屋氏は、「いまは本作に全てを賭けたい」と意気込みを聞かせてくれた。そして、作品をみれば、いかに手を抜かずに個々の描写が為されているかはすぐに判ることである。
金物屋氏が全力を注いだ作品を公開できる。これはHP管理者としては無上の喜びであると同時に、それがどう考えても『〜1999』より支持が集まりそうもない題材と内容であることには、いささか後ろめたいものを感じずにはいられない。
願わくば感想メールなどをいただき、読者の方々、わけても『〜1999』ファンの皆様からの意見を聞かせていただければ、と切に願う。
(編集・文責:島津)
Too HEAT 元ネタ辞典
「The King Of Heart」:アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の第二話タイトル「The Beast」より。
「ビートの効いたジャズのメロディ〜」:アニメ「少女革命ウテナ」の一シーンより。手先を暁生カーに乗せて説得するシーンである。
「卵の殻を破らねば、雛鳥は生まれずに死んでいく〜」:同じくアニメ「少女革命ウテナ」より。鳳学園生徒会のメンバーが、エレベーターの動きに合わせて以下の台詞を唱和するのである。
「世界の果てを見せてあげる」:同じくアニメ「少女革命ウテナ」より。暁生カーで手先を再洗脳する最後の詰めで、鳳暁生が何故かこういう言動をとるのであった。
「右手に細身のシガーが〜」:OVA「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」より。"衝撃の"アルベルトは常に葉巻を手にするか口にしている。
「ライターもなしに火が点く」:OVA「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」より。"衝撃の"アルベルトが葉巻に火を点けるときには、何故か勝手に火がつくのである。
「濃い茶色の皮ジャンと、真っ白のスラックスと、ジャンパーと同色の革のブーツ」:OVA「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」の九大天王・ディック・牧より。彼は「ジャイアントロボ」には未出であるが、元の漫画ではこういう格好をしている。
「人類の秩序の代表たる貴方がたも」:佐藤大輔の小説「レッドサンブラッククロス」第一巻より。以下の会話を交わすのは、小説ではウィンストン・チャーチルと吉田茂である。
「サイコガン」:漫画「コブラ」の主人公の使う武器より。元々は腕に仕込んである武器なのであるが、絵的なものからこういう形に変えてある。
「袖を無理に裂いたかのような墨色の胴着〜」:アーケードゲーム「ストリートファイターZERO」のキャラクター豪鬼より。
「ずっしゃあああああ、と、大宇宙を背景に〜」:漫画「リングにかけろ!」より。かの漫画では、名前のついているパンチを喰らうと、何故かそういう背景になって中に飛ばされた上、顔面からリングに叩き付けられるのである。
「長弓の上半分にぞろっと矢が並ぶ」:香港映画「東方不敗」より。かの映画のアクションシーンは、荒唐無稽を通り越して夢幻の世界に行っているともいう。
「思えば神岸さんとも短い付き合いでしたね〜」:「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」より。アルベルトと戴宗の二人が最期の決着をつけた闘いで交わされた台詞に準拠。
「ライジング・アロー」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。ヒロインレイン・ミカムラの乗るライジングガンダムの必殺技。
「はにゃああああぁぁぁ〜〜ん」:アニメ「カードキャプター・さくら」の主人公さくらの口癖より。
「眼の前に掲げられた右手の甲が〜」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。
「俺の一物光って〜」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。元々は主人公ドモン・カッシュの必殺技「シャイニングフィンガー」の前口上である。
「シャイニング・ぬぅわニィィィーーー」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。元々は主人公ドモン・カッシュの必殺技「シャイニングフィンガー」である。
「黒旗矢」:香港映画「新龍門客楼」の敵の軍団「黒旗兵」より。
「我が盟友"幻惑の"早川涼」:「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」のキャラクター"幻惑の"セルバンテス」より。「ジャイアントロボ」でも"衝撃の"アルベルトの親友であった。
「F.O.A.D」:Fuck Off And Dieの略語。横須賀や厚木でアメリカ人の前でこういうことを口にすると、まず生きては帰れないという話である。
「農場主」:ジミー・カーターのこと。
「力の空手家〜」:特撮「仮面ライダー」シリーズより。元々は「力の一号、技の二号、力と技のV3」である。
「少女の身体は、そのまま風船のように膨れて破裂〜」:「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」より。アルベルトに倒されかけた戴宗を助けるために現れた、女房の"青面獣の"楊志より。
「巨大な黒髪の少女の姿〜」:「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」より。アルベルトに倒されかけた戴宗を助けるためにやってきた、一清道人より。
「ハア、死ぬかと思いましタ」:TVドラマ「あぶない刑事」より。「死ぬかと思った」の台詞一言で、どんな危機的状況からでも生還できる魔法の言葉。
「〜爆発し、中から人影が宙へと〜」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。以下は、主人公の師匠・東方不敗の登場シーンより。
「東方不敗・マスターアジア」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。言わずと知れた主人公の師匠。この話では、九大天王"豹子頭"林冲(ジャイアントロボ・ザ・アニメーション。ただし未出)に対応している。
「酔舞再現江湖ぉおっ!! デッドリィイイッ ウェイブッ!!!」:アニメ「機動武闘伝Gガンダム」より。東方不敗の必殺技から。
「九大天王」:「ジャイアントロボ・ザ・アニメーション」の国際警察機構の最高幹部の異名から。
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