『鋼鉄のヴァルキューレ』(改) 第八話


REDSUN IN WONDERLAND

SUPPLEMENT STORY:08


 1・”S”

 ウルザブルン。
いち早く”スクルド”の機能低下に気付いたリツコがTHANTOSを対立モードに戻さなければ、”スクルド”が一人で勝手に自爆を決議してしまっていたかも知れなかった。
「にしても、もう三基とも制御しきれない……、か」
「もう、ダメなんですか?」
 神通が唇を噛む。己の無力さに絶望した表情で、リツコの顔を伺っている。
「そんな事はないわ。ウイルスプログラムの特性は掴んでいる。勝負はこれからよ」

 『ウラジオストック』の接近を前に、術なくたちつくす『たかちほ』。
 と、彼我の距離が約四十五キロになったところで、突然二本の極端に細長い水柱が奔騰し、『ウラジオストック』の姿を隠す。
「なんか?」
 神が不審げな声を出す。THANATOSが著しい能力低下をきたしているため、判断できずにいる。
「レーダー、わずかに砲弾の飛来らしきものを捉えましたが……」
 巡洋戦艦二隻を屠ったものの、『ウラジオストック』自身が強力な電波妨害を行っている。それでも『まるやま』のSPY−1DJ改レーダーは何かを見ていた。便宜的に『まるやま』をマスター、『たかちほ』をスレイブにしたリンク33を稼働させることで、どうにか外部の状況を掴んでいる。
「砲弾? どこから撃ってくるか、判らんのか」
「南東の方角としか……。飛来パターンはデータにありません」
「……『しなの』か」
 やりとりを聞いた角田が呻いた。どう贔屓目にみても、喜んでいるようには見えなかった。

 砲撃護衛艦『しなの』(DDC−066)CIC。
 DDC−065の同級艦として徹底した報道管制が敷かれた結果、このフネの詳細を知る者はほとんどいなかった。
 『しなの』の姿は横から見る限り、『たかちほ』に似ていなくも無かったが、良く見れば全く別物である事が判る。『しなの』は双胴船型なのである。
 搭載する砲塔は一基、しかも『たかちほ』とは違い連装配置であった。その砲は通常の火薬を用いた砲ではなく、電磁砲――すなわちレールガンである。『しなの』は船殻内にメビウスリング状の加速器を有している。
 たかちほ建造計画が”T計画”、しなの建造計画が”S計画”と部内において呼称されているところからも、いかにこの二つの計画が混乱し、絡み合っていたかが伺える。
 計画の立ち上げ時期はアルファベット順に与えられた計画名通りで、『しなの』のほうが早かった。
 それにも係わらず完成時期が遅れたのは、船殻が完成した時点では、並行して進められていた試験艦『あすか』を用いた電磁砲の実験結果が思わしくなかったからだった。『あすか』では、二百キロ離れた十メートル四方の目標に対する命中率は三パーセントに過ぎなかった。
 一時はミサイル発射機を無数に搭載する兵器庫艦への改装が真剣に検討された『しなの』を救ったのは、『たかちほ』に搭載されたTHANATOSだった。遠距離射撃時の命中率の低さは、より膨大なパラメータを投入することで補正されることになった。

 だが、三海峡が封鎖されたこの状況で、『しなの』は何処から射撃しているのか。
なんと呆れた事に、『しなの』は東京湾にいた。詳しく言えば海面上昇によって広がった東京湾の北西部、かつての地名で言えば赤坂。あろう事か、水没した防衛庁庁舎と乃木神社の真上というとんでもない位置に投錨して、砲身を北西に向けていた。
「実用射程圏外にしては、まあまあの着弾ね」
 CICの前面スクリーンに映し出された拡大海図を睨む『しなの』艦長・宮村サワコ一佐はそう言うものの、いささか不満げだった。照準は『ウラジオストック』の頭を抑える形に計算してあった。まずまず狙ったところに弾着していると言えなくもない。だが、狙った位置からは五十メートルばかり南側にずれている。
 ただちに『しなの』のTHANATOSが原因を究明し、補正したデータを提出する。
「第二射準備に入ります」
 コンピュータルームでTHANATOSオペレータを務める名取が報告する。
 『たかちほ』と違い、信頼性にまだまだ不安の残る電磁砲を用いているため、砲システム全体もチェックする『しなの』のTHANTOSオペレータは、石本や神通以上にハードワークである。
 とはいえ、本当なら名取自らがオペレータを行う筈ではなかった。専門のオペレータの養成も始まってはいたが、それがままならぬうちに今回の紛争が始まってしまったのだった。
 『しなの』のTHANATOS及びコンピュータルームには、なんの愛称も与えられてはいなかった。早川と名取(あるいは宮村)との性格の差といえばそれまでだが、いかにも両極端な『たかちほ』と『しなの』の違いを顕著に表していた。
 一瞬、名取の脳裏に早川の真意を疑わせる笑みが浮かんだ。
「何があったか知らないけれど、あの早川一佐にしては抜かったわね……」
 自分が手塩に掛けて生み出し、ようやく海に乗り出した”戦艦”で戦死するんじゃ浮かばれないだろうな、などと不謹慎なことまで思いが到ったところで、彼女の意識は現実に帰ってきた。
 砲身の外に取り付けられたリング状の装置が超音波を飛ばしつつスライドし、砲身内部に傷が入っていないかチェックされる。
「射撃に支障なし……。オールグリーン、主砲射撃準備ヨシ!」
 流石にこの台詞を口にするときは、名取も少しばかり高揚した。
「発射」
 報告を受けた宮村が、名取の興奮を無視するかのように極めて事務的に命令する。研究室内でシミュレーションを行っているかのようだった。
 炸薬式ではないため、爆音はしない。それでも超高速で砲弾が撃ち出されるのだ。空気をひっぱたく衝撃音が轟く。遅れて巻き起こったソニックウエーブが海面を細かに波立たせた。

 見えぬ敵からの砲撃に恐れをなしたかのように転舵した『ウラジオストック』に、第二斉射の一発が突き刺さった。『ウラジオストック』の船体後部三分の一ほどに張られた飛行甲板を砕いた命中弾は、赤熱しながら艦底に達した。途中、航空機用の弾薬庫を打ち壊しながら。

 閃光。爆炎。

 瞬時にあらゆる種類の無彩色の煙に包まれた『ウラジオストック』は遂にその煙を突き破って姿を現すことはなかった。自らの吐き出した煙幕に身を隠し、『ウラジオストック』は誰にも看取られることなく海没した。

 『たかちほ』ウルザブルン。
 どこか虚脱した表情の早川を横目に神通がリツコに訊ねる。
「物理的消去の必要は?」
「大丈夫、間に合う……!」
 リツコが力強く宣し、流れるような速さでキーボードを叩く。
 次第にシステム間のプロテクトが効き始め、ウイルスプログラムの増殖が止まる。
「押してる、行ける!」
 マヤの歓声。
「これで……、最後よ」
 リターンキーが弾かれた瞬間、モニタ上の赤い警告表示が次々に消えていく。
「”スクルド”自爆決議撤回を提示……。”ウルド”、”ベルダンディー”これに賛成……! 自爆決議は撤回されました」
 神通が歓喜して、報告しながら声を上擦らせる。
「よし、艦長に報告だ」咳払いした早川が大きく顎を引く。石本がただちにCICと艦橋に連絡を付ける。
「流石に……。いや全く見事な物ですな、恐れ入りました」
 早川が殊更な大声でリツコを賞賛した。リツコが凍り付いた表情で席を立ち、早川のほうに向き直る。
「早川一佐、一緒に来て貰えませんか?」
 そう言うや、彼女はウルザブルンの出入り口まで歩みを進める。
「赤木博士、この非常時に!? まだ復旧が完全に為されたわけでは」石本が目を丸くしている。だがリツコはそれに取り合わず、入り口手前で振り返って早川を見据えている。
「何か問題でも?」
「今回の事態に関することですかな?」
「その通りです」
「他の人には聞かせられないような話というわけですか」
 怖い顔で睨んでいるマヤを無視し、早川はさっさとリツコの脇を抜けてウルザブルンを後にした。後を追う形になったリツコもそれに続く。

 2・答えの一つ

 リツコは早足で歩いていた。ヒールが通路を踏みならす硬質の音が妙に響いている。
「一体何処に向かってるんですか」
「誰にも立ち聞きされないような場所です。そのほうが好都合なんでしょう?」
 早川の言葉通り、戦闘配備で閉じられたハッチを幾つもあけ、ラッタルを昇った二人がたどり着いたのは、煙突の基部だった。いまだくすぶり続けるヘリ甲板が、敗走する極東共和国残存艦隊の方向を向いたまま動かない第三砲塔の向こうに見えた。高速で突っ走っているため、風が強い。
「残敵掃討は諦めた様子ですな、これもTHANATOSが不調だった煽りという訳で――」
「そろそろ茶番はやめにしませんか、早川一佐」
 白とも黒とも付かぬ色彩の煙が立ち上る光景に眉を寄せる早川に、リツコが冷ややかな声をぶつける。早川が振り返ると、リツコの手には拳銃――ベレッタM92Fが握られ、その黒光りする銃口は早川の頭に向けられていた。
「どういう事です?」
「理由は貴方が一番良く判っているはずです」
 落ち着いた声で訊ねる早川の問いに対し、リツコは髪の乱れを片手で直すと、おぼつかない手つきで拳銃の安全装置を外す。
「簡単なことです。THANATOSは、この艦の他、まだ自衛隊内部ですら、数隻が試験的に搭載しているOSです。それに侵入してくるなど、常識では考えられません。第一、無線がまともに使えない状況となれば」
「それで?」と、早川。
「まだ先を言わせる気ですか?」
 聞き返しながらも、まだ乱れる髪と白衣の裾を気にするリツコ。この合成風力の嵐の中では徒労に等しいのだが、半ば本能的な動作なのだろう。
「では、艦内にいる海上自衛隊員の破壊工作? それも考えにくい。ウルザブルンに詰める私達を相手に五分の勝負を挑める専門家がそういるとは思えない。繰り返しになりますが、システムの全容を知っている人間はごく限られている」
 フィンスタビライザーによる安定性を失って前後左右に揺れる中、早川はフネと一体化したかのように微動だにしない。リツコは銃口を向けたまま話し続ける。
「ならば、答えは一つ。犯人は、この中にいる」
「どうしてそれが私だと?」
「そんな芸当をやりそうなのは貴方しかいないからです。全く、大したマッチポンプですね……」
「赤木博士らしくもない、無茶苦茶な理論ですな」
「兵は拙速を尊ぶものです。そして、人の心はロジックでは計れない……」
 しばしの沈黙。
 身をすくませていた早川が、身体の緊張を緩めつつ俯く。視線をリツコから外し、波打つ海面に向ける。表情は厳しい。
「どうにも、自分が安っぽい人間に思われて仕方がないですな」
「理由をお聞かせ下さい。私には知る権利があります」
 早川は小さく頷いた。
「”向こう”に居る妻に、このフネを見せたかったんですよ。それだけのことです。幸い、THANATOSのプログラミング言語であるAdaは使い古された存在で、時間と倫理観に欠ける専門家さえあれば、ウイルスプログラム自体は容易に作れる」
 早川はふう、と息をついて続ける。「後は、どこで仕掛けるか、だけですな。公試中に実戦に駆り出され、大事をとって貴女達を乗り込ませる羽目になったのは、唯一最大の誤算です」
 早川の言う”向こう”が、死者の世界を指しているとリツコが気付くのに、数拍を必要とした。
「乗組員を巻き添えにしてまで? 自殺願望の持ち主には見えませんが」
「……何しろ、チャンスは一度きりでしたからな。同じ釜の飯を食った仲間を巻き添えにするつもりはありませんでしたよ。通常の公試運転中ならば、総員退艦の命令も間に合ったでしょうし。第一、技術屋の私が、海に出たこのフネに乗り込めるのは、今回が恐らく最初で最後だ」
「呆れた……。では貴方は、世界一高い棺桶を作ったんですか? このフネ、私が六万年ばかり働かないと買えないような値段なんですよ」
 別に自分の所有物というわけでもないが。その言葉を飲み込んでリツコは険しい顔で早川を睨む。
「私の妻がどうという事のない病気で亡くなったとき、私の心も死んだんですよ、特に良心の部分は」
 リツコは銃を降ろした。自分には全く似合わない存在だと思いつつ、白衣に隠したギャルコのホルスターに戻す。と、揺れが収まっているのに気付く。THANATOSは順調に回復しつつある様子だった。
「行きましょう。今はTHANATOSの復旧に全力を注ぐときです」
 そう言ったリツコはきびすを返した。なぜだか判らないが、一歩間違えば自分が早川の立場に立っていたのかも知れない、そんな気がした。
「ま、好きな子にはつい悪戯をしたくなる、言ってみればそういう感じでしょうな」
小走りに通路を進みながら、早川がそんな言葉を口にしつつリツコを追い抜いた。
「冗談ではありません。誰が、そんな」リツコが全身で嫌悪感を露にする。途端に死人のようだった表情に精気が戻る。「一つの約束を守って下さるなら、全て不問に付しますよ。全てプログラム構築上のミスとして処理しても構いません」
 自分でも驚くような台詞だった。が、不思議と気分は軽くなった。これまでで初めて、早川に対して明らかに優位に立っている事を自覚したからだ。
「はて、今更保身に走る柄でもありませんが、伺いましょう」
「孔子も言っています。”過ちを犯さないことが大事なのではなく、二度同じ過ちを繰り返さないことが重要なのだ”と。これに懲りたら、二度と莫迦な真似はやめて下さい」
 リツコの俊英な頭脳が目まぐるしく計算する。この男はどう応えるだろうか――。
「判りました。少なくとも、顔見知りにいきなり拳銃突きつけられるような真似だけは、二度と致しませんよ」
 リツコにして見れば、はぐらかされた気分だった。それにも関わらず、その表情は満足げだった。
「結構です」

 海岸線は大混乱に陥りつつあった。日本側の反撃が始まったために、揚陸作業のはかどっていなかった第三波の揚陸艦隊には、物資がまだ残されたままだった。
 それらが揚陸も終えないうちに逃げだそうとしたため、補給を受け取れない上陸部隊との間で悶着が起こっていたのだ。
 突如、敵艦隊接近の報を受けて岸壁から離れようとしていた揚陸艦の一隻が爆発した。凄まじい火柱が立ち上り、そのままずるずると沈んでいく。
 その動揺から立ち直る間もなく、複数のフネが同時に火を噴いて爆沈する。

 3・道程

 水平線の向こうから、急速に接近してくる艦隊の姿。
 その中核となるのは、超長砲身を振り上げた砲撃護衛艦『たかちほ』。
 毎分六発の連射で、ここを先途とばかりに吼える。艦隊戦で思わぬ醜態を晒したのを未だ恥じ、汚名を雪ごうと猛っているようにも見えた。
 砲弾は様々であった。恐るべき事に、これは実弾射撃演習を兼ねていた。
 徹甲弾が、揚陸艦隊の護衛に回っていたいたいけな駆逐艦を撃ち抜いて消し飛ばす。自己鍛造砲弾が無数の小弾子をまき散らしたかと思うと、密集していた小型の輸送艇の頭上から死の洗礼を浴びせかける。気化砲弾の爆風によって転覆するフネもいる。
 海上に流れ出した油に引火し、逃げ遅れた上陸用舟艇を火の海が包み込む。
 砲撃はフネだけではあきたらなかったか、そのまま物資集積所に移る。
 T−80戦車数両が閃光に包まれて消える。ドラム缶が爆発して跳ね上がる。何より貴重な弾薬が誘爆を起こし、懸命の消火活動を行う極東共和国の将兵に牙を剥いて襲いかかる。

 勝敗は決した。角田が誇らしげに関係各位に打電する。
「我、使徒ヲモ滅ボサン!」と。

 Dデイプラス七日。
 実質的な戦闘は集結していた。極東共和国軍の死者・行方不明者は約一万五千、日本側のそれは六千八百名を数えていた。ただし、脱走による行方不明が三千のオーダーに昇るとの噂が広まっていた。
 国道十八号線。
 陸上自衛隊高田駐屯地跡地を左手に見ながら、第五師団第二十七連隊所属第一大隊第二中隊隊長・衣笠コウジ一尉は感慨深げに息を吐く。彼は愛車である七四式戦車の砲塔上ハッチを押し上げ、上半身を車外に露出していた。
 彼の七四式は、ひとことで言ってひどい有様だった。”マジックナイト”作戦時の進撃中、T80の主砲弾が砲塔上縁を掠めたのだ。車載機銃が台座から根こそぎ持って行かれ、砲塔には消化剤をぶちまけた白斑状の跡が残ったままになっている。
 路肩に突っ込んで道をあけている彼の戦車の横を、幌を張ったトラックが南に駆け抜けていく。荷台後部に開いた幌の隙間から、捕虜となった極東共和国兵士がすし詰めになっているのが見えた。
「俺達が、勝った……」
 衣笠の、独り言というには大きすぎる呟きに、車内の操縦手、砲手、装填手がそれぞれ小さく反応を見せた。その全てが好意的なものだった。誰もが戸惑いがちながらも、日本側優勢な状況での休戦を勝利と捉えていた。
「だが、何のための勝利なのだ……?」
 今度の呟きは、車内には届かなかった。衣笠は再び自問する。
 自衛隊創設以来、恐れながらも深層心理のどこかで待ち望んでいた北の暴風。相手はソ連からロシア、そして極東共和国と名を変えたが、その本質は変わることはない。
 そして自衛隊は勝った。だが、彼らは領土欲の為に来寇したのではなかった。UN打倒、ただその一念で、その不利を百も承知でこの列島に這い登ってきたのだ。
すくなくとも、UNが万人に支持されているわけじゃないって事だな。衣笠は納得できないままそう結論づける。厄介なことに、まだ暴風は収まっていないらしいと思う。それはこの状況下では、独り言にすることすら憚られる考えだった。

 4・その後

 新横須賀港が見える高台。

「なあ、見えるかい? あれが、俺の作ったフネだ。君の望んだ戦艦って訳じゃないけど、戦艦を相手に戦っても負けないフネだ」
 花束を手にした早川の周りには誰もいなかった。彼の前にあるのは物言わぬ墓石だけだった。だが、彼はそこに最愛の妻の存在を確信した口調で話し掛けていた。

 新横須賀には、特五護衛隊群のうち、旧式艦を除いた大部分のフネが入港しようとしていた。いわゆる凱旋であった。
 休戦から二週間近く経っての凱旋は、三海峡を封鎖した機雷を除去するのに、それだけの時間が必要だったからである。
 国民には極東共和国の侵攻自体、大々的に報じられたわけではなかった。しかし、本土決戦が行われた事実を隠蔽することなど出来はしない。人々は、その紛争が日本の勝利に終わり、その立役者が特五護衛隊群にあることを、どこからかの情報で知っている。そしてその勇姿を見物しようと新横須賀に訪れているものも少なくない様子だった。喜んでいるのかどうかは判らない。
 『まるやま』を露払いに、今しも入港してくる『たかちほ』の姿が望見出来た。接岸するところは、ビル群に阻まれて見ることは出来ない。

 墓地前の幹線道路に、ルノーが滑り込んだ。助手席のリツコが歩道に降りる。
「ちゃっちゃと済ませてよね。これからあのフネを見に行くんだからさあ」
 ミサトが言った。
「見たって仕方ないわよ」浮かぬ表情のリツコの言葉。
「そりゃあリツコは乗ってるから言えるのよ。こっちは遠くから見るのだって初めてなんだから」
「判ったわ。こういうことになるとミサトは子供なんだから……」

 近づく足音に気付いた早川が振り返る。
「これはこれは」
「地に足を付けてあの艦をご覧になった感想は? 貴方の作った、世界最強の軍艦ですよ」
「いや、まあ、はは」
 早川は、皮肉めいたリツコの言葉に苦笑いを浮かべた。以前なら考えられないような態度に、リツコは言葉の接ぎ穂を失った。
 そのわずかな沈黙に耐えきれなかったか、早川が口を開く。
「私の座右の銘を贈らせていただきますよ、赤木博士」
 そう言って微笑を浮かべる。リツコが小首を傾げて言葉を待つ。
「人は一人だからこそ生きていける。自分の内心に自分だけの世界を作り上げられるから、人は自分が自分であることを認識できるのです」
「何のあてこすりなのか、私にはさっぱり判りません」リツコは少しだけ肩を竦めて応じる。「貴方には不似合いな言葉にも思えますが」
「私はか弱い、ただの人です。強い人間であるなら、逃げ込む精神世界など必要ない。現実世界を理想郷に近づけようと努力するだけです」
「『たかちほ』がまさしく理想郷なのでは?」
「あれは充足の願望を満たすひとつの形に過ぎません」
「ではまた、何かしらの悪巧みを?」
 物騒な考えを抱いているのでは、警戒しながらリツコが問いかける。その懸念を打ち払うように早川が首を振る。
「もうそんな気力は失せましたよ。しばらくは大人しく、のんびりと過ごすつもりです」

 ルノーの後ろに九三式高機動車が停車した。運転席から名取が降り立つ。
 名取はルノーの運転席でリツコを待っているミサトに一礼し、墓地の敷地内に入ると早川とリツコの元に歩み寄った。
「早川一佐。時間です」
「おう」
 気の抜けた返事をして、早川がきびすを返した。
「赤木博士。貴女とはまだ縁が切れていない気がしますよ」
「ご冗談を」
 リツコが苦笑する。二人はそれぞれの戻るべき場所へと帰っていく。後には、花の飾られた墓石が残された。

「なにが、”後ろを見ながら敵を撃て”ですか。あの時の話、ホントのことだったんですね」
 ルノーが走り去ったのを見届けてからエンジンをスタートさせ、走り出した九三式高機動車。運転席で、名取が非難の声をあげる。車幅があるせいで操縦席と助手席の間隔が広く開いていて、つい声が大きくなる。しかしどこか、からかうような声音も中に混じっている。
「あの時言ったはずだが? ”敵を欺くにはまず味方から”ってな」
 助手席の早川がそう応じるが、いつもの傲然とした空気は薄く、照れるような口調である。
 それを聞いた名取は、憑き物が落ちたという噂は本当だったなと得心する。
 彼女は話題を変えた。
「いいんですか、このクルマ本当に戴いて?」
 名取がハンドルを握るレストア九三式高機動車は、元々早川の愛車だった。
「君の趣味ではないとは思うけどね」
「……はあ」図星なので返事に困る名取。
「実は今度、しばらくドイツのほうに出張することになった。当分日本に戻って来るつもりはないから」
「ドイツですか? 何があるんです?」
 名取の問いに早川が嬉しそうな顔をする。
「ツェット・ツヴァイ」
「……ああ、あの”ZII”ですか」
 ドイツがつい先日公表した大艦隊建造計画のことだった。
「視察という形にはなるが、『たかちほ』建造に携わった者として意見を求められれば、可能な限り答えたいもんだね」
「THANATOSのことは黙っててくださいよ。いくら同じUN軍だからって、軍機はあるんですからね」
「判ってるよ。オレの作ったフネだ。なるだけ長い間、世界最強の地位にいて貰いたいってのは人情じゃないか……」
「誰が世界一だって決めたんです?」
「作った本人が言うんだ、間違いなかろう?」
 おどけた物言いに、名取が思わず噴き出した。

 エピローグ

 それからさらに二週間が瞬く間に経過した。
 『たかちほ』は損傷を癒すのもそこそこに、UN遣米艦隊旗艦として内戦続くアメリカ合衆国へと派遣されていた。変更されることのないコールサイン”ビッグT”は、南部連合将兵の恐怖の的になった。
 石本と神通は『たかちほ』のTHANATOSオペレータとして、忙しくも充実した日々を送っている。神通は告白のタイミングを計りあぐねていたが、石本もまんざらでも無い様子だった。
 帆足は『たかちほ』に配属されたRFV−Xのパイロットを務めていた。何故かなし崩し的に、技術者である筈の天霧がそのまま後席員として派遣されていた。
 名取はUN太平洋艦隊に配属された『しなの』のTHANATOSオペレータとして、宮村艦長と共に、電磁砲の命中率向上に悪戦苦闘していた。実戦配備の日取りは全く未定だった。
 リツコはネルフ本部技術開発部技術局第一課所属のE計画責任者としての地位に専念していた。第拾壱使徒の侵入からネルフ本部を護った時には、強烈な運命の皮肉を感じずにはいられなかった。
 早川は言葉通りドイツへと渡った。すっかり人畜無害の存在になって物見遊山をしているとのもっぱらの噂だった。本心を掴ませないための演技なのか、それとも本気で腑抜けになったか、断言出来る者はいなかった。
 そして誰もが共通した認識を持っていた。それは、混乱と戦いはまだまだ続くということだった。
 ただ、全てが暗転する”約束の日”までの、具体的な残り時間までは知りようもなかったが。

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