『Sweep! カーリング娘と雪女』
第七話




(十三)


 和子達のみならず、学生全てにとって待望の夏休みがやって来た。
 寮生の中には実家へと帰省するものも多いが、和子も千雪も根が生えたように寮から動くつもりはない。連日アリーナとの往復の日々である。
 とはいえ、実戦練習だけでなく、基礎体力トレーニングも怠るわけにはいかない。走り込みは全てのスポーツの基本である。
 和子と空音は足腰の鍛錬のため、淡海学園高校の校舎と一段低い位置にあるグラウンドとの段差にあるコンクリートの階段を、ダッシュで繰り返し駆け登っていた。
 夏休み中であるから、一日中練習が出来る。とはいえ激しく陽光が照りつける下でのトレーニングは『にわか体育会系』の和子にはきつい。従って外での練習は気温の上がりきらない朝の早い時間帯に行うようにしていた。
 千雪は別格として、テニス部で鍛えているゆかりに比べると、基礎体力の面で二人が劣るのは明らかだった。特に和子は自慢ではないが体力は人並みかそれ以下でしかない。
 カーリングにウェイトトレーニングはそれほど意味がなくても、力強く正確なショットを放つには、それだけハックを蹴る力が必要になってくる。
 地道なトレーニングだけに、すぐに目に見える効果が表れる訳でもない。しかし、やらなければいつまでたっても前には進めないのだ。
「あー。疲れた。たまらん!」
 背中が土埃まみれになるのも構わず、空音が荒い息を吐きながらコンクリートの上に寝転がる。和子も出来ればそうしたかったが、やはり横になるのはためらわれ、階段に腰掛けるにとどめた。
 しばらくの間、ふたりして呼吸を整える。
 球技大会の際にはスタンドにもなるその階段からは、グラウンドが一望できた。
 サッカー部と陸上部が練習を行っている。向かって左手にあるテニスコートに目を転じればゆかりの姿も見えるはずだが、空音はともかく、眼鏡をかけても視力が〇・六しかない和子には距離がありすぎた。
「テニスと両立させるのって、やっぱり無理なのかな……」
 一番の気がかりは、ゆかりがあの試合の後、一度も練習に顔を出してこない事だった。
「三年が引退して、主将になってるもんな。なにかと大変やろし、あんまり文句は言いたないけどな」
 空音の口調も歯切れが悪い。今度ばかりは、いつものようにゆかり相手に空音が無理を押しきる訳にもいかないらしい。
 千雪は千雪で、ようやく本格化してきた各集落別のチーム編成の指導も手がけねばならず、自分達の事にばかり関わってもいられない。
 今度『レディ・レックス』に負けてしまえばそれ以上の指導が行えなくなってしまう。そんな事態は考えたくもないが、現実の可能性として目を背けることは出来ない。
 だからそれまでに、千雪は自分の持てる技術や経験の全てを教え伝えようとしているようだった。
 千雪のカーリングに対する情熱を今更ながらに感じ、しかし、と和子は首を振る。
(けど、ダメだよ。いくらカーリングの神髄を教えてくれたって、千雪がいなくなっちゃったらもう淡海の人達はカーリングをやらなくなるよ。千雪抜きのカーリングなんて、わたしだって考えられないもの)
「なんか言うたか?」
「ん? 別に。えっと、そろそろ練習試合もやっていきたいと思うんだけど、どう思う?」
「そら、ええ考えや。実戦でないとわからん事もようけあるしな。そのためには、ゆかりにももうちょっとその気になってもらわんといかんねんけどな……」
 ふん、と呼気をもらした空音が、腹筋の力だけで起きあがった。
「なんかいいアイデアとか無い?」
「ない。ウチからゆかりにテニスをやめてカーリングをやれとはよう言えん。まあ、なんとかなるやろ。ほな、ウチは先にカーリング場に戻ってるで」
 きっぱり言って立ち上がった空音は、背中の埃を払った。ゆかりの話から逃げようとしているのは明らかだった。
「そんな無責任な」
 追いかけたかったが、和子はまだ息があがっていて動くに動けなかった。仕方なく石段に残ってしばし呼吸を落ち着けていると、背後からどたどたと足音が響いてきた。
 何事かと和子が顔を上げて振り向くと、校舎を周回するコースを走り終えた男子テニス部の一年生達が、膝や腰に手を当てて荒い息を吐いていた。
「五分休憩してから筋トレにいくぞ。水を飲むんなら今のうちやからな」
 彼らを先導していた淵上が声をかけると、すっかり精根尽き果てた風情の一年生部員たちはだれた返事をして水道栓に向かって歩いていく。
 鼻を鳴らしてその様子を見送った淵上が、自分を見ている和子に気づいた。
 淵上はやれやれと頭を振りながら和子の横に来て腰をおろした。
「よぉ。そっちもランニングか」
「うん、いまちょうど階段ダッシュが終わって休憩してるところ。淵上君って、去年からずっと男子テニス部のキャプテンだよね。いろいろ大変だね」
「まあな。カーリングも嫌いやないし、やってもええけどアリーナは涼しいからなぁ。あんまり長いことおったら温度の変化がありすぎて、身体がおかしくならへんか?」
「それは言えてるかも」
「入り浸ってしまいそうになるから、夏場はあまり顔を出さないほうがいいかも知れんと思ってるんや」
 流れ落ちる汗を拭きながら、淵上は日焼けした顔を少しゆがませる。一年生部員に比べるとほとんど堪えていないように見えるが、暑さにはそれなりに参っているらしい。
 淵上の横顔を伺いながら、和子の目線は自然と引き締まった彼の四肢に向けられていた。テニス部で鍛えているからか、それとも酪農業の手伝いの結果なのか、スポーツに対しては素人の和子には判断できない。
 隣に座っていても、他の女子生徒が噂するように馬糞の匂いなど感じ取れなかった。きっとタチの悪い偏見なのだろう。その発見がなんとなくうれしく、和子は自然と表情をほころばせていた。
「ん? どうかしたか」
「えっ、別になんにも。淵上君みたいに部活があると、カーリングの練習ばかりやってるわけにもいかないよね」 
 視線に気づかれて慌てた和子は頭を振り、言葉を選びながら尋ねた。
「芝辻のことか? あいつが抜けて、カーリングのほうはメンバーが足りないんか」
 和子の微妙なニュアンスの言葉に何かを感じ取ったのか、思いがけず淵上は核心を突いてきた。 
「練習に来ないだけで、抜けた訳じゃないとは思うんだけど」
 和子も自信を持って断言できず、語尾が力なく濁る。
 しばし思案げな顔で空を眺めていた淵上だが、不意に思いもかけないことを口にした。
「なあ、芝辻の代わりに俺が出られんかなぁ。この間の試合を観て、あんな風に強い相手と戦える佐伯らがうらやましくなったんや」
「ええっ? 男子はまずいよ。それにやっぱり、前とおんなじメンバーじゃないと駄目だと思う。そりゃ、村の代表チームというなら、わたしなんかが参加できる訳ないけど、それじゃ意味がないし」
 せっかくの好意を無にするのも気が引けたが、こればかりは無理な話だ、と思い切って断る。
 逆差別だ、と腹を立てないかと和子は心配したが、むしろ淵上のほうがすまなさそうな顔になった。
「そら、そうやろな。ヘンなこと言うて悪かったな」
「ううん。心配かけてるみたいで、ごめん」
 慌てて和子も首を振る。
「いや、俺のことは別にええけど。それより、おんなじメンバーで戦うっていうんやったら、それこそなんとかして芝辻を呼び戻さなきゃまずいんとちゃうか」
 淵上は自分のことのように深刻な顔つきになって腕組みをした。これ以上、心配をかけるのは良くないな、と和子は今まで抱えていたためらいを胸の奥に押し込めた。膝に力を込めて腰を浮かせる。
「そうだよね。私、これからゆかりのところに行って、ちょっと話してくる」
「頑張れよ。ちょっと気難しいけど、悪いやつやないと思うで」
「うん」
 淵上の気遣いに、和子は大きく頷いた。

 校舎横にフェンスで四方を囲ったテニスコートが二面ある。だが、ゆかりの姿はコート上にはなく、その横にある壁打ちのスペースにあった。
 考えてみれば、ゆかりと一対一でじっくり話をした経験がないことに和子は気づいた。いつも間に空音をたてていたような気がする。それを自覚したとたん、急に緊張してきた。
 ゆかりは和子が観ているのも知らず、リズミカルな壁打ちを一心に続けている。
「ゆかりっ」
 フェンス越しに上ずった声をかけると、ゆかりは壁から跳ね返ってきたボールをゆるく打ち返した。戻ってきたボールを素手で受け止めてから和子のほうに向き直る。
「なにか用事?」
「カーリング、もうやらないの?」
 ゆかりが渋い顔になった。他のテニス部員の目が気になるらしい。
「ちょっと、場所を変えましょ」
 和子が言うと、ゆかりは小さくうなずいた。

 二人は校門を出て、西に向かって道沿いにしばらく歩く。
 先に立つゆかりが言葉を発しないため、後からついていく和子も話のきっかけがない。
「確かに場所を変えると言ったのはわたしだけどさ、どこまで行くの?」
「すぐそこよ」
 そんな短いやり取りをしながら五分ばかり歩き、左手に見える竹林を回り込むように左に曲がっている道を進むと、小さな川にかかる古めかしい橋に出た。和子にとっては、幹線道路からいっそう離れた場所でもあり、まったく行動半径の外になる。
「この景色、どう思う?」
 橋の中ほどで足を止め、下流に視線を向けたゆかりが、不意にそんな問いを発した。
「どう、って急に言われても」
 和子はあらためて周囲を見回した。
 やかましいほどのセミの合唱が、川向こうの雑木林から聞こえてくる。
 白いシャツを着て麦藁帽子をかぶった小学生ぐらいの男の子が、竹の柄のついた網を担いで土手を走っている。その後ろから遅れまいと懸命に駆けているお河童頭の女の子は、男の子の妹だろうか。
「いつの時代かわからないよね」
 和子が苦笑を浮かべて、そう答える。ゆかりは小さくうなずいた。
「ここに住んでいる人は、これが当たり前だと思ってるけどね。携帯電話が普及して、家にはパソコンがあってインターネットをやっている時代でも、この景色にはなんの違和感も感じない。感じるのは貴女や、アタシみたいな余所者だけ」
「え?」
 和子が首をかしげるのを見て、ゆかりは露悪的な笑みを浮かべた。
「言ってなかったと思うけど、アタシもこの村の出身じゃないの。こっちに引っ越してきたのは中学一年のとき」
「そうだったんだ。知らなかった。空音も教えてくれなかったし」
「アタシの家は小作農よ」
 ゆかりの口から発せられた思いがけない古めかしい言葉に、和子ははっとした。
 その様子を楽しむような目をしながら、ゆかりは「あまり自慢にもならないんだけど」と前置きして、身の上話をはじめた。
 ゆかりの一家が引っ越してきた理由は主に二つあったという。
 一つには、ゆかりのテニス肘の問題だった。名門テニス部がある私立高校への進学を夢見ていたゆかりは、テニスプレイヤーとしての未来を断たれて失意のどん底にあった。
 それを見かねた両親が、家族そろっての転居で心機一転を図ろうとしたのだ、という。
「でも、じゃあどうして高校でわざわざテニス部に?」
「中学の三年間肘を休めたから、もうほとんど痛まないの。本気で打ち込まなかったら、それほど深刻になる必要は無いしね。いまから猛練習したところでプロにはなれない。けど、趣味で楽しむ程度なら問題ないから、淡海のテニス部は、その意味じゃうってつけって訳」
「そのために引越ししてくれるなんて、いいご両親じゃない。わたしなんて」
 和子は、受験に失敗して体よく追い出された事実をあらためて思い出してしまう。
「それだけならね。ありがた迷惑だと思うけど、納得できなくもない。本当は、農業のすばらしさに目覚めた自分達がこの村に来たかっただけ。アタシは都合のいい言い訳に使われただけなのよ」
「そうだったの。だからさっき、小作農って言ったんだ」
「ええ。余所者だから自分の田畑があるわけないし、空音の家が持っている土地の一部を借りているのよ」
 『レディ・レックス』と試合を行う際に、渋るゆかりに空音が放った殺し文句が、父親に言いつける、というものだったことを和子は思い出した。やっとその意味が理解できたが、あまりいい気はしなかった。
 たとえ空音の言葉が冗談めいたものだったとしても、親に弱みをみせるような真似をするのが、ゆかりには耐えられなかったのだろう。
 言葉では反発していても、実はそれなりに親のことを大事に思っているのではないか、和子にはそう思えた。
「このまま一生、こんな時間に取り残されたような村で過ごすのか、アタシはすごく不安に思ってる。第一、こんな田舎高校を卒業しただけで、まともなところに就職できると思う?」
「それは、そうだけど。今はそんな話をしてるわけじゃないし」
「関係あるわ。アタシは、こんな村のためにカーリングなんかやりたくないって言ってるのよ。試合に勝って、千雪をこの村に引き止められたら、カーリングで村おこし、なんて馬鹿げた思惑に乗ることになるわ。アタシはそんな試合に出たくないから」
「だからって、テニスは趣味レベルだっていうなら、カーリングに本気になってもいいんじゃないかな。村のためとか、そんなの関係なしにさ。大きい目標があると、やっぱりやりがいが違うと思うよ」
 なんとかゆかりを説得しようと和子がもっともらしい言葉を並べ立てた途端、ゆかりが目を吊り上げた。
「大きな目標? じゃあ貴女にいったいどんな大きな目標があるっていうのよ。『レディ・レックス』に勝つこと、なんて言わないでよ。そんな数ヶ月先の話のどこが大きいの? 高校を出たあとの人生設計もろくに立てられないあなたにそんな説教されたくないわ」
 ゆかりに真正面から否定されて、和子も瞬間的に頭に血をのぼらせた。
 腹が立つのは、図星を突かれたからだという自覚はある。今まで、和子も漠然と気づいてはいたのだ。それを直視する勇気が無くて、後回しにしてきたことも判っている。
 だが、いまここで、よりにもよってゆかりに自分の思いを冷笑される筋合いは無い。そう思った和子は、自分を抑えることができなくなっていた。
「目標なら、あるわよ。わたしは千雪と一緒にオリンピックにまで行くんだから!」
 空音が時折、オリンピックについては話をしているのを横で聞いていたことはあった。しかし、和子は他人事のように聞き流していたつもりだった。だから、自分でもはっきりと自覚していなかった思いだった。
 はっきりと言葉に出してみると、その響きの無謀さに自分であきれかえる思いだったが、それに満更でもない気になっていた。
「へぇ。案外、馬鹿なことを考えているのね。オリンピックに出て、自分の失敗気味の人生を一発逆転したいって?」
 ゆかりが鼻で笑って辛らつな言葉を投げかけてくるが、和子はたじろがない。むしろ一歩踏み込んで、前のめりになりながらさらに言葉を重ねる。
「馬鹿でもいい! そういうゆかりはなんなのよ。結局なんにも出来ずに、それこそ馬鹿みたいに立ち尽くしてるだけじゃないの!」
「なんですって」
「何かを変えて新しいものを手に入れようとするなら、何かを失うことは覚悟しなきゃならないし、なにもせずにぼんやりしていても、確実に時間は経っていくんだから! 自分から踏み出そうとしていないゆかりに言われたくないわよ!」
「なっ」
 二人の視線が激しくぶつかりあった。
 負けるもんか。絶対に目をそらせるもんか。と、和子は歯を食いしばりながらゆかりの目をにらみつける。
 自分の気持ちにうそはない。だから、絶対に引かない。
 ほんの数秒の出来事だったが、和子には無限と思えるほどに感じられる間をおいて、ゆかりが小さく鼻を鳴らして肩の力を抜いた。
 そしてそのまま、何も言わずに学園のほうに向かって走り去っていった。
 追いかけなきゃ、という思いとは裏腹に、大見得をきってゆかりとにらみ合った緊張が今になって襲ってきて、和子はその場にへたりこんでしまった。

 (十四)



 その日の夜。
「はぁ……。こんなんじゃまだダメだ……」
 寮のテーブルに乗せたマグネット式囲碁盤を見下ろしながら、和子はためいきをつく。
 もちろん、二人で囲碁をやっていた訳ではない。千雪を仮想・愛里に見立てての机上練習だった。
 結果は和子の惨敗だった。
「ですが、作戦そのものは間違っていませんでしたよ。誤差を判定する表の数字は、和子さんたちの実力を低く見積もりすぎているように思います」
 テーブルの対面に座る千雪が柔らかな声で言った。
「うん……、だけど、これぐらいで見ていてちょうどいいぐらいだと思う」
 和子はノートにびっしりと書き込んだ誤差表に目を向けて呟くように応じる。
 『レディ・レックス』の四人および千雪がショットする際と、空音、ゆかり、和子のショットをシミュレーションする場合では、用いる誤差表を変えてある。和子達のほうがミスショットをする確率が高いから当然の措置だ。
 当然、精緻なショットが要求される作戦を立てても、実際のショットでミスすればかえって窮地を招く。
 自然と和子の立てる作戦は安全策へと流れる。二点、三点を一挙に奪うような組み立ては最初から捨て、序盤にナンバーワンを確保してあとはガードを固める手筋だ。
 特に自分がラストショットを放つこともあって、エンドの最後で大逆転を狙うような展開にならないように腐心しているところさえある。
「消極的な手ばかりでは、相手を安心させてしまいますよ。特に愛里さんは――、『レディ・レックス』は後攻ならどんどん二点、三点を狙って攻めてきます。こちらが一点狙いに終始するなら、追いつけなくなります」
「判ってるけど……。前の試合でぼこぼこにやられちゃったというより、ほとんど自滅だったから。どうしても手堅くいきたいんだ。でも、それじゃダメだよね」
 がっくりと肩を落とした和子は、壁に掛かった一枚物のカレンダーに目を向けた。
 試合まで、あと二ヶ月。
 ショットの精度を高めるために、リンクでは連日ストーンを滑らせ続けている。地道な練習の甲斐あって技術はそれなりに向上してきているが、短期間で『レディ・レックス』を凌駕するはずもない。
 狙いすました精密なショットは、力強くハックを蹴った身体をどっしりと安定させる下半身によって生み出される。その為、走り込みやウェイトトレーニングも取り入れているが、それが肉体改造と呼べるほどに効果を現すのはもっと先の話だろう。
 和子にとっては、『レディ・レックス』相手の試合での最後のショット――ストーンの辿るべき軌道のイメージがはっきりと目に浮かんだあの一投が心の拠り所と言えた。曲がりなりにも一度は出来たのだ。あのショットを偶然ではなく、確実に決められるようになりたい。
 しかしカーリングはダーツでもボウリングでもない。どんなに狙い通りの場所にストーンを滑り込ませても、それだけでは勝てない。狙いそのものが誤っていたらなんにもならないのだ。
 難しい。それに、自分だけでなくゆかりの問題もある。
 説得するはずが口喧嘩になってしまった。あれではゆかりをカーリングに呼び戻せるはずがない。
(せっかく、ゆかりが身の上話までうち明けてくれたってのに、わたしったら……)
 頭を抱える和子を前に、千雪も言葉を掛けかねている様子だった。
 しばらくの間、無言の時間が流れた。
「ワコ、千雪、おるかー?」
 唐突に、聞き慣れた大声がドアの外で響いたかと思うと、空音が大きなスイカをかかえ、ドアの隙間から顔を出した。
「しっ、部外者立ち入りがバレたら、困るのはわたし達なんだからね。……で、どうしたの、それ?」
「四人でスイカ割りしようと思って持ってきた」
「今どきスイカ割りなんて……、えっ、四人って、もしかしてゆかりも来てるの?」
「おう。このスイカは、ゆかりが淵上君から貰ったんやから」
 と言いつつ、まるで自分の手柄のように空音は顔を輝かせている。
「違うわよ。カーリング部のみんなで分けてくれって預かっただけ。アタシは、仲間扱いされるのはイヤだったけど、一人で食べる訳にもいかないから持ってきただけよ」
 ゆかりが慌て気味に空音の頭の上から顔をドアの隙間に突っ込み、声をあげる。
 すぐに和子と目があい、互いに気まずそうな表情になる。和子の傍らの千雪は二人の空気に気づいた様子だったが、空音にはそのような機微は通じない。
「なぁ、はよぅスイカ割りやろう」
「うん……」
 正直、和子はあまり気乗りはしなかった。
「いきましょう、和子さん」
 千雪がゆったりとした笑みを見せて立ち上がった。こうなれば和子に否はない。後に続くしかなかった。

 寮の外に抜けだし、普段は駐車場として使われている学校裏手の空きスペースに向かう。数時間前まで夏日にさらされて焼けた空気は、未だに充分な熱量を帯びている。風がないので余計に蒸し暑い。常夜灯が蛾をまとわりつかせながら、地面にぼんやりとした光を投げかけている。
 スイカを置いた空音が周囲を見回した。
「さて。スイカはあるけど、棒が無いねぇ。しゃあない。カーリングのブラシの柄でも使うか?」
 何気ない空音の一言に、和子と千雪が同時に反応した。
「ダメよ!」「ダメです!」
 二人は相手の声の鋭さに驚いて、互いに顔を見合わせる。
「えらいうまいこと声が揃ったな。心配せんかて、冗談や」
 空音が苦笑いを浮かべて和子達に手をふる。
「冗談にしてもタチ悪いよ」
「そうです。カーリングの用具はカーリングの為だけに使うものです」
「まあ。棒ぐらいだったら、ゴミ捨て場かどこかで調達できない?」
 笑顔をみせたゆかりが言ってその場を離れ、すぐにどこからか木の棒を拾ってきた。
「スイカ、一個しかないけど誰が叩く?」
 他の三人を見回しながら空音がタオルを振り回す。
「空音が一番乗り気なんだから、やっていいよ」
 和子の投げ遣りにも聞こえる言葉に、てきめんに空音は喜色を浮かべた。
「そうか? 悪いなぁ」
 と言いつつ、さっさと自分で手にしたタオルで目隠しをする。
「最初からそのつもりだったくせに」
 ため息をつきながらも和子は空音の一撃の巻き添えを喰わないように後ずさる。
「準備ええで。回してくれー」
 棒を構えた空音の身体を、千雪とゆかりが二人して数を数えながら何回転もさせる。
「あわ、たた、もうええで」
 空音に言われて二人は、スイカに正対する位置で空音の身体を止めた。
「真っ直ぐに行けばいいから。はい、ゴー!」
「よっしゃあ!」
 ゆかりに押し出され、空音は気合いをいれて足を踏み出すが、直後に身体が右に傾いてたたらを踏む。
「と、と、と!」
 妙な声を上げながら踏みとどまる様に、思わず和子は吹き出していた。
「ほら、だいぶ右にずれたわよっ」
「おーいスキップ、ナンバーワンはどこや。ぶったたいたる」
 自然とカーリングになぞらえた言葉が空音の口から飛び出した。和子はやれやれと頭を振りながらも、指示を重ねる
「身体を左に向けて、……左だって、左。ちょっと、どこまで行くつもりよ」
「このへんかぁ?」
「まだ左だって」
「時計回りのターンがかかってるのは判っていたのですから、もう少し左を目がけてリリースするべきでしたね」
 和子の隣に立った千雪が肩をすくめる。その言葉が耳に届いたらしく、空音がふらつきながらも反論してくる。
「ほな、ウチはストーンかい!」
「最初に言い出したのは空音でしょうが」
 などと言い合っている間に、どうにか空音はスイカの間近にまで足を進めた。
「そこでいいよ。やっちゃって」
「生き様みとけっ!」
 意味不明の気合いと共に棒きれが振り下ろされる。ぼこんと音がして、スイカの上半分が砕かれた。
「見たか!」
 目隠しを外した空音は鼻高々だ。
「っていうかさ、時間かかりすぎ。それにどうせ割るなら綺麗に叩いてよね。これじゃ下半分が食べられないよ」
 和子は飛び散ったスイカの中から、食べられそうな部分を見つけて拾い上げる。傍らにしゃがみ込んだ千雪がそれを手伝う。
「包丁を持ってくれば良かったですね」
「ま、四人で全部いっぺんに食べるには大きすぎるから、空音かゆかりか、家に残り半分は持って帰ってよ。……あれ?」
 めぼしい欠片を拾い上げて顔を上げたところで、和子は肝心の二人が視界の中にいないことに気づく。
 見回すと、背後からしゅーん、と甲高い音が響いて頭上へと駆け上ったかと思うと、数拍後に破裂音に取って代わった。
「ひゃっ……! なに、今の?」
 和子が肩をすくめて振り返る。
「ロケット花火や」
 空音の得意げな声が返ってくる。
 見れば、空音はフェンスぎわの地面に空音がずらりとロケット花火の軸を突き立てているところだった。
「なんでそんなものがあるわけ?」
「お盆休みに遊ぶつもりでな」
「って、お盆はまだだいぶ先じゃないのよ」
「わかっとる。せやけどこれからあと二ヶ月、どのみち盆も正月もない練習の日々になるんやからな。今のうちに遊んでおかにゃ損やろ」
「空音……」
 その覚悟に、和子は言葉が咄嗟に出てこない。
「ま、あのコは遊びたいだけだろうけどね」
 くすくすと笑いながら、しゃがみ込んでいる和子の横にゆかりが歩み寄り、「ひとつ頂戴」と手を差し出してくる。
「ねぇ。こんなこと聞くのもどうかと思うんだけどさ」
 持って食べられそうなスイカの欠片をゆかりに渡しながら、和子はどんな顔をすればいいのかよく判らなかった。
「どういう風の吹き回しって聞きたいんでしょ? ま、スイカに釣られたってところよ」
 ゆかりはスイカをひとかじりして肩をすくめる。だが、和子には信じられなかった。
「嘘。ゆかりはそんなコじゃないもの。空音ならともかく」
 いろんな意味で失礼な和子の言い草に、ゆかりは鼻で笑った。
「じゃあ、昼間の大口がどこまで本気なのか見せてもらいたいから。これなら満足?」
「うう、あれは嘘じゃないけど、あくまでも努力目標だから」
「言い訳は聞きたくないわね。今度の試合でアタシ達が勝つことになったら、あなたは村一番のチームのスキップになるのよ。オリンピックに出られるような人材を育てたい、って村長が言った以上、その先頭に立つことになるんだから」
「そんな……。なんだか大変なこと言っちゃったな」
「楽しみましょう、和子さん、ゆかりさん」
 千雪が、ロケット花火が打ち上がる様を静かな笑みをみせて見つめながら言った。
「え?」
「空音さんの仰った通りです。これからの二ヶ月、今日このときを思い出せばどんな辛いときでも乗り切れる、そう思えるほどに、精一杯楽しみましょう」
「……判った」
 ハメを外すのは今晩限り。ならば、千雪の言うとおり楽しまなければ損というものだ。
「ねぇ、他に花火は無いの? 手に持つようなの。線香花火とか」
 和子の呼びかけに、空音が胸を張る。
「あるでー。家から根こそぎ持ってきたから」
「じゃあ、花火大会だね。あ、スイカ、せっかくだから空音も食べなよ」
 その後、時間の経つのを忘れての四人だけの夏祭りは遅くまで続いた。


 第八話に続く

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