『Sweep! カーリング娘と雪女』
第九話




(十七)

 十月十一日。試合当日。  前回はぐずついた空模様だったが、この日は見事な秋晴れだった。時期的に稲の刈り入れはほぼ終盤に差し掛かっているが、忙しい農家もある。果たしてどれくらいの村人がアリーナに足を運んでくれるのか、和子には想像もつかない。
 もちろん、最終的にあてになるのは自分達の力だ。悔いを残さぬよう、和子達は早めの昼食を取り、昼過ぎにはリンクに出て調整を行っていた。
「かといって、試合をやる前に疲れ切ってたら話にならんわなぁ」
 一番最初にリンクに来ていた空音は、時間をもてあまして何度も自分のブラシとスライダーを磨いている。
「アタシ達の宿敵は、いつ頃にこっちに着くの?」と、ゆかり。
「試合は二時半からだから、移動の疲れをとるとかお昼ご飯を食べる時間を考えると、そろそろじゃない? 新幹線で明石まで来て、レンタカーかなんかでここまで来るって話だから」
 和子が問いかけに応じた。生来の几帳面さで何日も前から繰り返し予定を確認していたので、今日のスケジュールは全て頭に入っていた。
「ちぇ、向こうはええ具合にウチらをなめてるわ。本気やったら前日に乗り込んで一泊ぐらいするやろ」
 空音が品のない舌打ちをし、苛立たしげにブラシの柄を振り回す。
「もう、危ないんだから。……でも、勝てるかな」
 和子はブラシをぶつけられないように空音の元を離れ、エンドライン後方にあるベンチに腰掛けると、不安げに呟きを漏らした。
 練習は一生懸命やってきた。実戦経験も村の人たちを相手の練習試合で積んできたつもりだ。ホームゲームである有利性を最大限に活用するための手も尽くしてきた。それでもやはり、いざとなると自信が失われていく。
 と、和子の手袋に柔らかな感触が伝わった。
「大丈夫ですよ」
 千雪が隣に座り、そっと掌を重ねてきたのだ。和子は小さくうなずいて、しっかりと千雪の手を握りかえした。

「なんなんだぁ、これ。ワールドカップでもはじまるってか?」
 アリーナの駐車場に停まったミニバンから降りた左右田が、あきれて呟く。
 『レディ・レックス』のメンバーを出迎えたのは、淡海学園ブラスバンド部の演奏だった。
 カーリングの国際大会の前などで演奏されるカーリング発祥の地・スコットランド伝統のバグパイプとはいかなかったが、いま演奏されている『スコットランド・ザ・ブレイブ』はブラスバンド部の力量もあってなかなかの聞き応えがあった。
「愛里さん……」
 その迫力に、周防が脅えた声を出し、そっと愛里の袖を掴んでくる。
「私たちにとって、ここはアウェー。だけど、プレッシャーがかかってるのは向こうもおんなじ。びびったら負けよ」
「はい……」
 周防は愛里の叱咤に、強ばった表情でかくかくとうなずいた。

 午後二時。休憩と昼食を終えた愛里達が、自然教育園の宿泊施設からアリーナへと移動すると、アリーナの両サイドにある観客席は既に村人で埋まっていた。
 『レディ・レックス』がリンクに姿を見せただけで、敵意のこもったどよめきが起きる。
「待ちくたびれたで」
「あら、時間通りだと思うけど?」
 腕を組んで睨み上げる空音の挑発を、愛里が軽く受け流して千雪に目を向けた。
「髪、結局切っちゃったんだね。あれから少しは伸びた? ホントに勿体ないことするんだから」
 今日は大事な一戦であるにも関わらず、雨も雪も降っていない。愛里の脳裏に、千雪が雪女の異名を返上した理由は髪を切ったせいかという考えがよぎった。だが、千雪の固い表情の前では、そんな冗談を口にだせる空気ではなかった。
「今日の試合では、あのような失敗は致しません。この髪型は、勝利に対する決意の表れとお考え下さい」
「……今は恨まれるかも知れないけど、千雪にとってどちらの道が最良の選択なのか、私は判っているつもりよ」
 愛里にとって、千雪の宣言は空音のあからさまな挑発よりも、よほど精神的に響いた。目をそらしてそんな言葉を口にするのが精一杯だった。

 両チームが一緒になって、試合に用いる中央のシートを使ってウォーミングアップを行う。メンバーおよびポジションは、どちらも前回と全く同じ。不破コーチと淡海学園の体育教師が審判を務める。
 コイントスで、和子はまた第一エンドの後攻を『レディ・レックス』に奪われてしまった。和子は小さく地団駄を踏む。
「もうっ。大事な試合なのに」
「焦ることないでしょ」ぽんとゆかりに背中をたたかれる。「先攻でも点を取れないわけじゃないし。ナンバーワンを先に抑えて早めにガードする戦法とか、今までの練習試合で覚えてきたんだから。信頼してるわよ、スキップ」
「ありがとう。そう言ってもらえると助かる」
「じゃあ」
 明るい声のゆかりが、笑って右手の甲を差し出した。
「なんや?」
 きょとんとした顔でその手を見つめる空音が訊ねる。途端に、ゆかりはむすっとした表情になる。
「普通、やるでしょ。試合の前には。みんなで声あわせて」
「あ、なるほどな。さすがにテニス部は体育会系のしきたりに詳しい」
 納得顔の空音が、ゆかりの手に自分の掌をのせる。
「そういえば前は、こういう儀式もなかったですね」
 と言いながら千雪も右手を重ね、最後に和子が千雪の手の甲を軽く握った。
「もうジタバタしてもはじまらないから、みんなで全力を尽くしましょう」
 そう言ってから、和子は見よう見まねで声を張り上げる。
「淡海ー、ファイトーッ!」 「オーッ!」
 観客席が和子達の声にあわせて、一気に盛り上がる。
 稲穂と山並みを意匠化した淡海村のマークを描いた青い小旗が揺れる。観客席は満員で、立ち見の人も大勢いる。当たり前のことだが、全員が和子達の応援に来ているのだ。
 もちろん、前回同様に淵上がテニス部員を連れてきている。テニス部員だけでなく、淡海学園の生徒達も多くが顔を揃えている。
 応援をしてくれるよう頼み、それなりに手は打ってきた。だからその成果を素直に喜ぶべきなのだろうが、その数は和子自身の想像を超えていた。
 きっと、ゆかりや空音の両親もこの中にいるのだろう。
 ふと、自分の両親もこの中にいたらどんな気分になるのだろうか、と観客席を見上げた和子は思った。
 それはあり得ない仮定だった。
 あの両親は、自分という娘がいたことすら、もう忘れているかも知れない。親としての期待は全て妹にかけているのは間違いない。
(埒もない……)
 時代劇のような言い回しが頭の中をよぎった。苦笑しようとしたが、それすらも緊張でままならないのに気づく。
 親に恨みはない。
 こうして千雪達と出会えたことを思えば、感謝してもいいぐらいだ。ただ、こうやって村の代表として戦っていることを知って欲しいという気持ちも否定できなかった。


(十八)

 両サイドの観客席から和子達に向かって投げかけられる声援は、決して統制が取れているとは言えない。
 これほど大挙してのカーリングの応援など、村人達にも経験はない。どんなノリで行うべきかすら手探りなのだ。二時間ほどかかる長丁場、一投ごとに盛り上がっていたのでは息切れしてしまうだろう。
 とはいえ、手探りの応援ではあっても、確かに自分達の背中を押してくれていることは確かだ。その思いを肌で感じながら、和子はハウスの中に肩幅に足を開いて立ち、迷いのない所作でブラシを動かした。ハウスの前縁にぎりぎりにかからないポイントにストーンを止めるよう、空音に指示を送る。
 アリーナに満ちる観衆のざわめきが高まる中、リンクにへばりつくような低い姿勢で滑り出た空音が、最初のショットを放った。
 ただそれだけで、ストーンの行方を見守る人々が放つ空気が変わった。息をのむ気配がはっきりと伝わってくる。
(こんな雰囲気は、想像しきれてなかったな……)
 『レディ・レックス』に与えるべきプレッシャーは、一歩間違えば自分たちに跳ね返ってくる。観客がもたらす雰囲気の影響力を思わずにはおれない。しかし、後悔はしない。ここにいて見守ってくれる人たちは紛れもなく自分たちの味方なのだから。
 和子はスウィーピングとそれをストップする指示がしっかり届くよう、いつにも増して鋭く響く声をあげていく。その甲斐あって、空音のストーンはほぼ狙い通りの位置へと滑り込んで止まった。
 途端に、息を詰めていた観衆が津波のようなどよめきをあげ、次第にそれが拍手へと変わっていく。
「ただの一投で拍手だなんて、こんな試合は始めてだわ」
 愛里は眉をひそめ、唇を噛む。今になってアリーナの雰囲気に文句は付けられない。
(落ち着かなきゃ。小細工に惑わされちゃいけない。正面から力押しで、勝つ。勝って、千雪を取り戻さなきゃ)
 一投目から空音にティーを狙わせた和子に対し、愛里は受けて立つことに決めた。地力でかなわないからこそ、ホームゲームという地の利に頼ろうとしているのだ。ならば自分たちは長年培ってきた経験を信じ、正攻法で押し切るまでだ。
 リードの左右田に、積極的な勝負を仕掛けさせる。
 左右田の一投目は、ティー手前に止まっていた空音のストーンを強く弾いてテイクアウトする。
 負けじと放たれた空音の二投目は、左右田のストーンに引き寄せられるように滑り、かすかに触れたところでとまった。二つ並んで止まったストーンは、後ろのストーンが支えになって簡単にはテイクアウト出来ない。
「よし」
 和子の満足げな小さな呟きが、彼女の後方でストーンの動きを見守っていた愛里の耳にも届く。
  これは『フリーズ』と呼ばれる戦術だ。
 位置的にはどちらがナンバーワンか、ひと目で言い切るには微妙な場所だった。が、真上からのぞき込んでみると、若干ながら空音のストーンが中に入っている。
「このままで行ければ……」
 考え込むと独り言が多くなるのは和子の悪いクセだ。特に、今のような相手に手の内を読まれてはいけない場面では。
「そう簡単には渡さないからね」
 愛里が冷ややかな声で言い放ち、和子の表情を強ばらせた。
 この後、両セカンドがダイレクトにティーを狙ったショットを放つ競り合いになった。
 フロントエンドでハウス内の布陣を固め、後半をフリーガードゾーンでの攻防で逃げ切るつもりだった和子にとっては、やや読みがはずれる展開となった。
(まずったな。下手に『このまま行ければ』なんて言っちゃったから、こっちの弱気を見透かされた)
 ティー付近で混戦模様の布陣を、千雪の力強い一撃ではじき飛ばす。しかし、あいたティーへと、すかさず周防の一投目が滑り込んでいた。
 これをテイクアウトしようと狙った千雪の二投目は痛恨のミスショットになった。和子がスウィープを止めさせるタイミングがやや早すぎ、ナンバーワンにヒットはしたものの、押し出すことができなかった。
「申し訳ありません」
 和子と交代でハウスに立つことになる千雪がスライダーを滑らせて近づいてくる。その顔に、落胆の色がありありと浮かんでいる。
「ごめん、こっちの指示が早すぎた。千雪が悪い訳じゃないよ」
 和子も頭を下げる。スウィープの指示を出すのはスキップである和子の責任だ。千雪が放ったストーンのコースと回転にミスはなかった。
 ゆかりと空音も近寄ってくる。次の『レディ・レックス』のショットの邪魔になるから、シート上で立ち話は出来ない。側面の通路に場所を移しながら額を突き合わせて小声で話す恰好になる。
「そら、仕方ないわ。あのスピードと回転からしたら、あのタイミングでやめておかんと、そもそもナンバーワンの横をすっぽ抜けてたんやし」
 と、空音。悔しいのは確かだが、誰も責められない事は彼女にも判っている。
 結局、このミスがエンド終了まで祟り、第一エンドは『レディ・レックス』が難なく二点を先取した。
「まずいな……」
 落胆の思いを顔に出すまい、と思いながらもついまた独り言が和子の口から漏れる。
 出来れば第一エンドでは先制しておきたかった。
 後になればなるほど、地力の差は大きくものを言ってくる。判りきったことだった。そのために手は打ってきたつもりだ。しかし、場慣れした愛里達はこの程度の観衆では動じないのか。
 出鼻をくじく以外に手はないと思っていただけに、落胆も大きい。
 その時、ごうっ、と地鳴りのような音が轟いて、和子は我にかえって顔を上げた。
「あぁ……」
 思わず、和子の口から言葉にならない声が漏れた。
 観客席を埋めた村人達が旗を振り、和子達に口々に声援を送っているのだ。
 練習で試合を行ったシニアチームや、淡海学園のクラスメイト達の姿がある。淵上率いる男子テニス部の面々がいる。千雪が基礎の基礎から教え込んでいた小学生達の顔も見えた。
「勝負はこれからや!」
「頑張って!」
「諦めるのは早いで!」
 和子の胸が熱くなり、同時に恥ずかしくなった。
 いつの間にか、自分は村の人達を『レディ・レックス』にプレッシャーをかけるための道具としてしか見ていなかった。しかし彼等は、心から自分達を応援してくれている。そこには、打算も駆け引きもない。
 しばし茫然と観客席を見上げていた和子の肩を、ゆかりがきつめに叩いてきた。
「あ痛っ!」
「こんな時に、ボケっとしてるんじゃないの。……まあ、色々とガンバって、ってところだけどね」
 振り向いた和子は、ちらりと観客席の淵上に視線を向け、意味ありげな事を口にした。その表情はこの場に少し似つかわしくない寂しげなものだった。
「ゆかり……。なんだかよく判らないけど、頑張るのは頑張るよ、もちろん」
「そうです。まだあと五エンドあります。焦らずに行きましょう」
 千雪が和子達の顔を見回しながら落ち着いた口調で言った。
 前の試合でも千雪は皆を似たような言葉で励ましたが、それを受け止めるそれぞれの気持ちは今回は全く異なっている。
 千雪の励ましに力強くうなずき返した和子は、ゆかりや千雪の気遣いも、村の人達の気持ちも無にしない、と自らを懸命に奮い立たせた。
 第二エンドは、点を失った和子達が後攻になる。
 左右田の一投目はセンターライン上を滑り、ハウスの前縁にかかる位置で止まる絶妙のショットとなった。第一エンドでの空音のショットとほぼ同じ位置だ。
 ただ、ぎりぎりのところでハウスに入ってこないのがさすがだった。
(ハウスに入っていればテイクアウトを狙うだけなんだけど……)
 渋い表情の和子は、空音から見てハウスの左手前側をブラシの先で示す。
 これは今回は相手のストーンに関わらず、リード第二投以降でナンバーワンを直接狙うための、文字通りの布石だ。
 つまり、ハウス内の左右どちらかの手前に止め、さらにその外側にヒットさせることでセンターライン上のラインを使わずにティー付近へとストーンを送り込もうという作戦である。
 空音は狙い通りの位置にストーンを入れてきた。
「おっしゃ!」
 会心のショットに、空音がブラシを高々と突き上げて得意げな顔で観客席に手を振る。拍手の嵐は『レディ・レックス』のメンバーの会話をかき消すほどに、アリーナ内に響きわたる。
 それでも、やりにくそうな顔はみせたものの、愛里の作戦は決して揺らがない。
 左右田の一投と山根の二投で、ハウスへの侵入を拒むきびしい位置にガードストーンを次々に並べてきた。ガードとはいうものの、ハウス内は空音の一投目が入っている他は、未だ空っぽだ。
 先攻にも関わらず、後半の四投で充分にティーをねらえるという余裕をみせているとしか、和子には思えない。
(先攻をとったら速攻、後攻だったらじっくり後半勝負って単純な手は使わない、ってことかしら。やってくれるわね)
 和子は、第一エンドでミスショットをした千雪に思い切ったラインを指示を出すことをためらった。『レディ・レックス』のガードストーンに当ててしまい、さらにそれをハウス内に送り届けてしまう展開を恐れたのだ。
「相手がドアを閉じてるんなら、こっちはこじあけるしかないわ。千雪は絶対うまくやるし、アタシ達もちゃんとスウィーピングする」
 悩んでいる姿を気遣ってか、ハウス近くまで滑ってきたゆかりに声をかけられ、和子はうなずいた。
(そうだ。怯えていてもダメなんだ。あれだけ練習し続けてきたんだから、みんなの力を信じなきゃ)
 いつも仲間に励まされてる頼りないスキップだな、と苦笑いしながら気持ちを切り替えて、ブラシを旋回させてその先端で一点を指す。ゆかりの言葉通り、ガードをこじ開ける一撃を千雪に託すのだ。
 千雪の一投目。ラインは狙い通りで、ガードストーンの斜めに当たる。弾かれた『レディ・レックス』のストーンはハウスをかすめ、サイドラインまで滑ってアウトとなった。千雪のストーンはハウスぎりぎりで踏みとどまる。
 これでセンターライン上のガードストーンがなくなり、ティーまで一直線のラインが、がら空きになった。
「よし、これでなんとか――」
「ふふっ、ガードをどけてくれてありがとうございます」
 愛里がことさらに嫌みっぽく言った。和子はむっとした表情をみせかけ、どうにか自制する。
 さすがに長野一部リーグ準優勝の実績は伊達ではない、というべきか。彼女の指示に基づいて狙いを定めた周防が放った一投は、さきほど千雪が弾いたガードストーンがあった場所を通過してハウス内に入り、ティーをわずかに行き過ぎたところでぴたりと止まった。
 だが、もう和子はひるまない。指し示したのは先ほどの周防が入れてきたストーンを直撃するコースだ。
「今度はお返しよ」
 千雪の二投目。そのショットは正確で、周防のストーンと全く同じラインを滑ったが、勢いが足りない。先ほど周防が放ってナンバーワンとなったストーンに張り付くような形で止まってしまった。
「どっちがナンバーワン?」
 空音がハウスを覗き込んでくる。渋面を作った和子はブラシの柄を腋に挟み込み、両手でバツを作った。
「ダメ、千雪のストーンのほうがちょい手前」
「あちゃあ」
 それを聞き、空音はがくっとつんのめる仕草をみせた。
「もう一押しでひっくり返せますわ。お願いです、和子さん」
 和子とスキップの位置を交代する際、千雪が耳元でささやいた。
「判ってる」
 スキップ同士の勝負、自分のショットにこのエンドの勝敗がかかる。そう思った途端、和子の背筋にぞくりとしたものが走る。
 まぎれもない緊張。が、一方ではその緊張を楽しんでいる自分がいる。
 『神の視点の持ち主』愛里が一投目を放つ。センターライン上から心持ちずれた位置をまっすぐに滑り、ハウス内に入ったところで止めてくる。
「ウエイトのかけ具合が絶妙やな」
 荒っぽいショットのクセを未だ残す空音が舌を巻いている。が、もちろん感心してばかりもいられない。
 スキップ代理の千雪が指示したのは、今さっき愛里が入れてきたストーンを叩くコース。これをティー方向へと弾き、玉突き状態で、ティー目前のところで止まっている自分たちのストーンを押し込ませるのが狙いだ。
 自チームのストーンに当ててハウス内に入れる作戦を『レイズ』と呼ぶが、千雪が考えているのはさらに高度な複合技となる。
(やれる。こういうピンポイントのショットを確実にこなせるように、練習を重ねてきたんだから……)
 和子は、自信をストーンに乗せてショットを放つ。ほぼ指示通りの場所へストーンは送り込まれ、愛里のストーンにヒットする。
「行ったっ……!」
 思わず右拳を突き上げて声をあげてしまう。
 が、愛里のストーンは右側へとよれて滑り、ティー付近のストーンには触れなかった。 「真っ正面に入っちゃったかぁ。ちょっとだけ、ずれてくれないと……」
 もちろん、愛里のストーンが狙いにくい位置にあったのも、ショットを放った愛里の計算のうちだろう。弾いたストーンを狙った位置に押し込むのは、自分の投じたストーンを狙った位置に止めるよりも遙かに困難なのだ。
 単にストーンをヒットさせるだけでは駄目で、正確な方向から滑り込ませなければ今回の和子のショットのように狙いを外してしまう。
 悔しさを押し殺して和子が見守る中、愛里の二投目はさきほどのショットとほとんど同じ場所に止めてきた。
 さすがに観客からも感嘆の声が漏れる。村人の多くがなんらかの形でカーリングに触れているだけに、その技術の高さを肌で感じ取れるのだ。
 神の視点は、いったいどこまで見通しているのか。考えれば考えるほど、相手の術中にはまっていきそうな予感に、和子は背筋を震わせた。
(ここは無理できない……)
 胸の中でそう呟き、このエンドでの得点をあきらめた。
 下手に先ほどと同じ狙いで愛里のストーンを弾いて味方ストーンを押し込もうとすれば、逆に相手に二点を与える可能性もある。
 やむなく、わざと狙いをずらしてストーンを弱く滑らせてサイドを割る。

 『レディ・レックス』が一点を追加して、三対ゼロと点差を広げた。 「あかんなぁ。またうちらの自滅ってことなん?」
 空音がぼやく。本人も気づいていないだろうが、その表情からはいつもの余裕が失われはじめている。
 まだ序盤の二エンドを終えただけだが、得点差以上に攻略の手がかりさえつかめないという思いが、知らず知らずのうちに焦りを呼ぶ。
「そうじゃないよ。相手がミスを出さないだけで」
「それってやっぱりこっちがミスしてるってことよ」
 ゆかりもさすがに肩を落としている。
「気持ちだけは切らずにいきましょう」
 千雪がその場をしめる言葉を発し、皆が頷く。確かにまだ、気持ちを切るには早い。  
  身体が熱い。和子がジャージの上着を脱ぐと、空音達もそれに倣う。
「前の試合の時は、上着を脱ぐほどに汗をかく暇もなかったよね」
 言いながら和子はポロシャツの袖を腕まくりする。空気は冷えているが、心も身体も燃えていた。
 第三エンド。
 一投目でハウス内に入れてきた左右田のストーンを、空音はすかさずテイクアウトしようとした。が、気負いすぎたためか、コースは良かったのだがスピードがつきすぎた。
 和子がスウィーピングを止めさせるタイミングが遅れたこともあって、ストーンを弾いたのはいいが、空音のストーンもティーラインを超えてさらにすべり、アウトになってしまう。
「しまった……」
 きっちり左右田が二投目をハウス正面手前で止めてくる。和子は顔をしかめた。
 試合も三エンド目に入ってきて、リンク上の氷表面のペブルも序盤よりは溶けてきている。観客席を埋め尽くすほどの人間が発散する熱量もまた馬鹿にならない。このカーリングアリーナをホームグラウンドにして慣れ親しんでいる和子にしても、このコンディション下でのプレイは初体験だ。
(策に溺れたかな……)
 また弱気になりそうになり、頭を振る。
 序盤のイメージを引きずったままショットすると、やや強すぎるのだろう。だが、それだけのことだ。自分達だけが極端に不利になった訳ではない。
 気を取り直し、左右田が放った二つのストーンの位置関係を確かめる。  ルール上、ここでハウスに入っていないストーンにヒットさせるとファウルとなり、一投を無駄にしてしまう。左か右かどちらかから、カムアラウンドと呼ばれる回り込むショットで行くしかない。
 これまでの滑り具合から氷の目を判断して、和子は空音からみて左側を指示した。  強さの指示は先ほどより弱め。
 今度は空音のストーンは注文通りのところに入ってきた。ティーラインはやや超えたが、ハウスを示す外周円の中につけてくる。とりあえずこれがナンバーワンだ。
 山根の一投目は先ほど左右田が入れたストーンより、やや外にずれて右側で止まった。
 ハウスの愛里がわずかに首を傾げたところを見ると、致命的ではないものの、ミスショットらしい。
(本当ならもっと奥にまで滑ってくるはずだったのかも)
 和子は知らず知らずのうちに、そんなちょっとした仕草にさえ相手の隙を探っていた。

 この後、ハウス手前での攻防となった。意外にも空音二投目のストーンがナンバーワンのまま互いのラインをつぶしあう展開が続き、ようやく和子達は一点を挙げた。
「美しくないなぁ」
 ゆかりは不満げだった。たしかに、ハウス前でストーンが絡みあって後半に手が無くなる展開は見た目にもハイレベルなものではない。
「そう言わんと。どんな形でも一点は一点。これで二点差なんやから」
 いつもと違い、空音がなだめ役に回る。
 前回は七対ゼロでギブアップしたから、これが『レディ・レックス』から奪った初得点だ。
「結局、向こうのセカンドの一投目のミスに乗じて点がとれた。こっちも、さっきみたいなミスはもう出来ない。ミスをしたほうがエンドを落とす」
 初得点にも浮かれていられない高レベルの戦いだ。和子は気持ちを引き締めた。


 第十話に続く

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