『バトル・オブ・甲子園』
第五話”漸進”




(1)


 放課後。
 高梨は校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下の掃除当番を割り当てられていた。
「とりあえず、樋口とも話をしておかないとな」
 ホウキを動かす高梨が言った。
「そうだな。一度はっきりさせておかんと、どうにも腹が据わらない」
 チリトリを動かして高梨のホウキが送り込む土埃を集める市川の言葉に、高梨もうなずく。
 樋口のバッティングが一年生の中では図抜けているのは確かだった。守備もそこそここなす。だが、その反面、プレッシャーに弱い側面が時折かいま見えるような感もある。味方の実力を推し量れないことほど、投手にとって気色の悪いことは無い。
 なにしろ、次の練習試合の相手は強豪校・井町南高である。恐らく勝てないだろう。しかし、同じ負けるにしろ、不甲斐ない試合はしたくない。
 高梨は監督ではないから、レギュラーである樋口が何を考えてプレイしているのかを知ったところで何が出来るわけでも無い。しかし、多少はコミュニケーションをとっても罰はあたらないだろうと考えている。
「なに考えてるか判らないところがあるからな」
 その点で、二人の考えは一致していた。その筈だった。

 二人はさっそく、その日の部活が始まる前、部室で着替えながら樋口に話しかけていた。
「このあいだ校舎裏の焼却炉の横で、女子と話してたろ? あれ、お前の彼女か?」
 開口一番、市川がとんでもないことを聞く。
「おい、そんな話かよ?」
 樋口が口を開くより先に、高梨があきれて声を挙げた。自分の考えている「話をすべきこと」と、市川の考えとが全く別個であったことを今更気づく。
「決まってる、そこいらへんをはっきりさせておかないと、こっちは腹が座らないんだ」
「市川君の腹が座ろうが座るまいが、僕には関係ない」
 樋口の反応は案の定だった。もっともこの件に関しては高梨も同意見だ。どのみち、背番号の無い市川が井町南戦に出場することはない。彼が試合に集中できないからといって、大局に影響はない。
「まあ、そういうなよ。お前に彼女が出来たとなりゃ、お前目当ての女子がグランドに練習見にくることもなくなる。その女子に気を取られて練習に身が入らない連中には、そのほうが身のためだ」
 市川は大まじめな顔で言う。本心ではないだろうが、よくそんな適当なことを言えるものだと高梨は素直に感心した。
「とんでもない三段論法があったもんだな」
 思わず、そんな感想を漏らす。
「俺の彼女って訳じゃない。……石毛に告白されて、どうしようか迷ってるって相談された」
 唐突に、樋口がぼそりと言った。あるいは、その手の話に詳しそうな市川に相談したがっているのかも知れなかった。
「石毛? あいつがか?」
 市川が声を跳ね上げる。ある意味当然だった。市川から一年生の正捕手の座を奪った、小柄ながら筋肉質の体つきが特徴の選手である。今日はまだ部室に顔を見せていない。
 意外と言えば意外だった。石毛もまた高梨同様、野球以外に興味の無さそうな顔つきだったからだ。
「で、どう答えたんだ」
 案の定、興味津々といった調子で市川が尋ねる。
「好きにしたらいいって答えた。僕がどうこういうことじゃない」
「鈍いな、お前」市川が呆れたような声をだす。「そりゃ、彼女はお前に『やめとけ』って言ってもらいたかったんだぜ」
「……そうなのか?」
 樋口がはじめて、表情らしきものを浮かべて聞き直す。その目は小学生のようにあどけなく高梨には見えた。
「たりめえだ。でなきゃ、誰がそんなことを男に相談するものか」
 市川は反論を許さない強い口調で言い切った。
「しかし――」
 樋口はなにか言い訳じみたことを口にしかけたらしかったが、ちょうど部室に石毛をはじめとする一年生部員が団体で入ってきた為に、その話は打ち切りとなった。
「なにしろ井町南戦だからな。気合い入れて練習だ」
 主立った顔ぶれが揃ったところで正岡が檄を飛ばす。恐れを知らぬ一年生部員が気勢をあげる。一方で二、三年生はいささか元気がない。戦う前にすでに相手の名前に気圧されている感があった。

(2)


 明確な目標が与えられているとはいえ、一週間の練習で、いったいどれほど実力があがるものか。楽観論者たる高梨にしても、どうにも景気の良い解答を導けずにいた。
 抑えようのない不安と、責めて一矢報いて奴らを驚かせてやるという、自棄気味の闘志をないまぜにして、電車で井町南高に現地集合する。
 天気は快晴。既にすっかり夏の日差しを帯びた陽光が外野の芝生に反射してまぶしい。
(芝生?)
 グランドを一望した高梨が、真っ先に思ったのはその点だった。さすがに甲子園出場経験を豊富に持つ高校は、設備からして違っていた。
 大栄高も専用グランドは持っているが、井町南高と比べるのはいかにもおこがましかった。三塁側にすら内野スタンドがあり、下手な市営球場よりも設備が整っているのだ。

 試合前。
「策はないか?」
 三塁側ブルペンで、並んで投球練習を行う正岡が高梨にそんなことを聞く。
「そんなの、考えるのは俺じゃないですよ。監督か主将が考えることでしょう」
「う、なんだか腹が痛くなってきたな、おい。高梨、代わりにオーダー書いてくれんか?」
「主将……。もうその手には乗りませんって。それで負けた原因を全部おしつけられたんじゃかなわない」
「おい、まだ試合が始まってもないのに、負けを前提に話をするんじゃない」
 いつになく真剣な口調で正岡がたしなめる。
「とはいいますけどね。なんだって監督はこんな話を持ってきたんですか?」
「しらん」正岡はみょうにきっぱりと言い切る。「少なくとも、俺が入部した頃からあった話だ。ずいぶん熱心に頼み込んでいたからな」
「ですけど、どうせなら勝てる相手とやって、自信つけたほうがいいと思いますよ」
「その勝てる試合をみすみす落としたのは俺達だ」
「そりゃまあそうですけど」

 大栄高が練習時間を終え、続いて井町南高の選手達がグラウンド上に散る。
 マウンド上に登った渡が、大栄高にみせつけるかのように投球練習を始める。
 背を丸め、高々と左脚を蹴り上げて上体が突っ込むようにして投げ込むフォームはいかにもメジャー風であった。投球後に身体が一塁側に流れるのが特徴的だった。
「やっぱり、速いな」
「とはいえ、140キロ出てないくらいじゃないか?」
「フォームに幻惑されるんだよ」
 三塁側ベンチ前で素振りをしながらタイミングを計っていたレギュラー陣がめいめいに感想を口にしている。
 高梨もその投球を食い入るように眺める。やはり格の違いを思い知らされる。その球もさることながら、身のこなし一つとっても堂々たる自信に満ちているように見えた。
 高梨の傍らでは、正岡は何故か先ほど「策はないか?」と尋ねてきたときとは全く違って、どこか楽しげな顔をしていた。
 高梨には彼の考えていることまでは判らない。判りやすいのかそうでないのか、どうにも判じかねる主将ではあった。

(3)


 過去二度に渡る練習試合とはいささか緊張度の違う試合が始まる。
 ともかく、井町南高といえば名うての強豪チームである。そのことは高梨も重々承知している。
 下手をすると完封どころか完全試合を喰らう可能性もある。悲壮感漂う中、正岡がジャンケンに勝ったことで後攻になった大栄高ナインが守備に散る。
 マウンドに登る正岡の表情に恐怖の色はない。それだけがベンチで見守る高梨にとって救いだった。
 めった打ちにあうかと思いきや、正岡の球は井町南高打線に掴まらない。メンバー表に記された選手の名前を見る限り、あきらかに相手はレギュラークラスを押し立てている。
 にもかかわらず。一番打者はファーストゴロ。後続もショートゴロと三振に切って取る最高の立ち上がり。
「フォーム改造の効果が現れてますね」
 高梨が正直に感心して、ベンチに引き上げてきた正岡に声を掛ける。
 だが、やはり一筋縄ではいかぬ正岡は、どこか憮然としていた。あれっと首を傾げた高梨だが、正岡の弁を聞いて納得する。
「連中、俺の球のおそさに戸惑ってやがる。どうやったって自分のチームのピッチャーを基準にして球の速さを推測するからな。俺の全力投球が連中に取っちゃチェンジアップなんだ」
「でもまあ、討ち取れているし、いいんじゃないですか?」
「抜かせ」正岡は頬を紅潮させて高梨に喰ってかかる。「そんな子供だましの話がいつまで通用すると思う?」
「それはまあ、そうですが」
 その時、強烈な打球音が高梨の耳を襲った。
 大栄高の先頭打者・安原が渡の球を痛烈に弾き返し、レフト前に運んだのだ。大栄高ベンチが一気に湧く。
 志摩監督が二番打者・石原と一塁ベース上の安原にサインを出す。高梨はそのサインに、わずかに懸念を抱く。ヒットエンドランの指示だったからだ。
 素直にバントで送ったほうがいいんじゃないか、というのが正直な感想だったが、結果的には志摩監督の采配のほうが奏功した。
 渡の初球を石原が右方向に弾き返す。ピッチングマシンを通常より数メートル前に置いて速球対策の打撃練習を積んだ甲斐あって、渡のストレートに振り遅れていない。
 一塁ランナーの安原が勇躍スタートを切る。
 しかし、一・二塁間を真っ二つに破ったと思われた打球は、セカンドが横っ飛びに飛びついて抑えていた。スタートを切っていた為に二塁には送球できず、一塁に転送してフォースアウト。
「やはり守備範囲が広いなあ」
 同じセカンドのポジションである石原が首を振りながらベンチに戻ってくる。しかしともかくランナーを得点圏に進めることが出来た安堵からか、表情は必ずしも暗くない。
 三番・滝沢が打席に入る。
 よく判らぬ内にピンチを呼び込んだことで、渡の表情が心持ち真剣味を増したように見えた。格下相手とは思えぬ丁寧な配球で攻めてくる。
 しかし、滝沢は低めに集められた変化球を狙い打った。振りは右方向狙いの筈だったが、打球は何故かレフト前に飛んだ。敵味方、誰もがなんだかなあ、と思うような中途半端なあたりだったがその分幸いして、ボールは内野と外野の間におちた。
 いつも暴走気味でタッチアウトを喰らうことの多い安原の走塁だが、今度ばかりは果断さが良い結果を生んだ。躊躇無く三塁ベースを蹴って本塁に飛び込む。返球はそれから一秒後だった。
 思いがけない先取点にベンチは一層わき返る。普段は落ち着きのない表情しか印象にない志摩監督も、派手にガッツポーズをみせて安原を出迎える。
 なおもワンアウト一塁。四番・児玉も滝沢に負けじと渡のストレートを綺麗に打ち返した。打球は今度こそライト前に飛び、一塁ランナーの滝沢は一気に三塁まで進出する。ただ、大栄高の感覚では悠々セーフと思われたタイミングが、ライトの強肩による返球が想像以上にはやく、一瞬ひやりとさせられた。
「お、こりゃいけるんじゃないか」
 三年生の誰かが、予想外の好展開に頓狂な声を挙げる。
 高梨も、相手の油断につけ込めばもしかしたら、凄い結果になるかも、と思いながら正岡の表情を伺う。相変わらず、喜んでいるのか怒っているのかいまいち判らない顔だった。
 いっきに押せ押せムードに乗りかけた大栄高だが、詰めが甘いのが常だった。
 五番・宮本の当たりは悪くはなかったが、ファーストの正面を衝くライナー。児玉はベースに戻れずダブルプレー。得点は一点に終わった。

 正岡が「子供だまし」と自嘲したピッチングだが、二回、三回とも綺麗に三人で切って取る。
 一方、渡のほうは次第にエンジンがかかり始めたのか、いまいちキレの感じられなかったストレートが凶器じみた速さを帯びてくる。
 大栄高打線は、流れは自分たちに傾いていると信じて懸命に食らいつき、打ち返す。
 しかし内野の間を抜けると思った打球はことごとく飛びつかれて押さえられていた。捕球してから投げるまでの間も短い。内野安打を期待して全力で一塁に走る選手の努力をあざわらうかのように正確に一塁手のミットに投げ込んでくる。
 追加点をあげられぬまま三回が終わり、四回表。
 さすがに井町南高というべきか、打順がきっちり一巡したところで正岡の投球フォームと球筋、そして球速を分析し、牙を剥く。
 いままであれほど軽々討ち取っていたバッターを相手に、急激に球数が増え始める。ヒットを重ねられ、気がつけば三失点していた。
 五回、六回はランナーを背負いながらも得点を許さなかったが、再び七回に掴まり一点を失ったところで志摩監督は根川に交替させた。
 結局、いいところは初回の一点だけ。あとは本気を出した渡の前に、凡打の山を築くことしか出来なかった。五安打で渡の完投を許した。高梨が試合前に気に掛けていた樋口は無安打に終わった。
 根川も二点を失い、最終的なスコアは一対六。格の違いをみせつけられる結果に終わった。

(4)


 井町南高はJR線沿いにあり、大栄高の選手達は大部分がJRで現地集合していた。
 帰りの電車。
 昨今の趨勢から坊主頭こそしていないものの、日に灼けた体つきの良い高校生が集団で電車内の一カ所に寄り集まっていると、周囲が引くほどの迫力を伴う。
 勝てなかったとはいえ一対六というそこそこまともな得点差に満足しているのか、正岡は上機嫌だった。四失点で済んだことで、自分のフォーム改造に多少なりとも手応えを掴んだのかも知れない。
 肘を故障しているというのは思い過ごしだったのだろうか。高梨は正岡の投球内容を思い返しながら考える。
「なにしろ志摩監督が三年がかりで実現させた井町南高との練習試合だからな。とりあえず面目は保ったんじゃないか」
 しばらく正岡の様子をみていた高梨に、不意に正岡のほうが話しかけてきた。独り言のような言葉だった。
「でも、負けましたが」
 それに対して、高梨は率直に言う。このあたり、高梨の物怖じしない性格は実に投手向きだった。
「井町南に勝てたら、本当に甲子園に行けるぞ」
「そりゃそうです。その為に練習してるんですから」
 高梨の言葉に、正岡はにやりと笑った。
「その意気だ。意気込みの正しさがままならない現実を変えるとは限らないがな。だからこそ、若いもんはそれくらい鼻息が荒くないとな」
「はあ」
 奇妙な言い回しに、高梨は曖昧な返事をかえすことしか出来なかった。もしかしたら、最後の最後までこの主将の思考を理解することは無理なのかも知れない、と彼は思った。

(5)


 七月一日。その日は地区予選を控えた抽選会が開かれ、正岡は主将として監督と共にクジを引きに抽選会場へと出かけていた。
 いよいよ地区大会が始まる。
「相手はどこかな?」
 練習前のランニングの後、ストレッチングを開始した市川が、梅雨の名残じみたやや雲の多い空模様に目をやりながら呟く。日差しの強烈さを思えば、このくらいの天候がちょうど良かった。
「さあな。せめて一試合くらいは勝てるような相手にしてもらいたいよな」
 相手を務める高梨が他人事の口調で応じる。
 ふいに、市川がなにもかも嫌になったような投げ遣りな顔をする。
「ったく、練習試合ですらまともに勝ったことが無いんだぜ? なんとかなるのかよ」
「なんとかなるさ」
 高梨は明るい声を出した。なにしろ俺達は一年坊主だ。あと二年のうちになんとかすればいいんだ。
「えらくきっぱりと割り切るな、お前」市川が呆れたような声を出す。が、しばし思案げな表情になってから歯を見せた。「考えてみりゃ、背番号のない俺にはどうにもならねえんだったな」
「俺だって、どうにも出来ない。控えピッチャーに過ぎないんだ」
 似たような会話は、ストレッチングを行っている一年生の間のあちこちでかわされていた。同じメニューをこなしている二、三年生も監督と主将がいない為にどこかだらけた雰囲気の中にも落ち着かない様子だった。
 ウォーミングアップを終え、ブルペンに赴いた高梨は石毛を相手に投球練習を開始する。
 隣りでは根川が四日市と組んで同じように投球練習を行っている。正捕手の高根のほうは、控え選手中心に実施している内野守備練習を仕切っていた。
 さすがに場数をこなしているせいか、根川と四日市のコンビはなかなかに相性がよいらしかった。とらえどころのない顔つきの根川を、お調子者の四日市があれやこれやと言葉を掛けながら上手い具合にリードしている。
 それを横目で見る高梨は、本音をいえばやはり市川にキャッチャーを務めて貰いたいのだが、市川は依然として遊撃手扱いで内野守備練習に参加している。
 今の段階では、無理にキャッチャーをやらせることは出来そうもない。それに、この石毛というキャッチャーは無口だが、野球に真面目に取り組むという点に関しては高梨や樋口にも劣るものではなく、好感が持てた。
(井町南の渡みたいな、豪快に投げ込むピッチングはどうやったって俺には無理だ。となればどうする? いまさら変化球投手になるってのもしゃくに障る。持ち味が剛速球ではなく、快速球だってだけなんだからな)
 快速球を活かすための変化球。無い物ねだりにならないように気を払いながら様々な球種を試す。
「カーブのキレは悪くない。フォークが確実に決まれば結構行けると思う」
 八十球ほど投げて小休止を取ったときに、石毛がそう評した。高梨も頷いた。
 そういえば。とフェンスの支柱にもたれて腰を下ろしていた高梨は石毛の顔を間近で見ながら思った。この男、確か樋口の幼なじみに告白したとか。あれはどうなったんだろう? あれからなんの話も聞かないが。
「なあ、石毛……」
「なんだ?」
 眉が太く、目が落ちくぼんでいる為にいまいち表情が掴めない石毛が聞き返す。高梨は市川のように興味本位で他人の恋路に首を突っ込もうとしていることに気づき、慌てて咳払いした。
 市川の言葉を反芻する。石毛にとって、失恋と恋の成就のどちらが野球に対してプラスに働くのか、高梨にはとても判断できない。
「や、なんでもない。一回戦の相手がどこかな、と思っただけだ」
「弱いところだといいなあ。さっさと負けると気分悪いからな」
 高梨の考えなど思いも寄らない石毛は、根川の投球に目を凝らしながら応じる。
「石毛もそう思うよな」
 意味もない言葉を口にしたことで、高梨は柄にもなく照れた。ことさらにゆっくりとした動作で立ち上がる。休憩終了の合図だった。石毛も無言でそれに倣った。あれこれ考えていても自分たちでは何もできない。ただ粛々と練習をこなすのみ。
 これが石毛ではなく市川だったらひとくさり感想を述べているところだろうが、石毛は何も言わずにキャッチャーズボックスでミットを構える。高梨も石毛との呼吸を掴み始めていた。悪くない。そう思えた。
「あ、今から練習再開かな?」
 高梨がロジンバックを掴み、掌に入念に白い粉をはたきつけているところに、綾瀬がやってきて遠慮がちの声を出した。
「そうだけど。なにかあった?」
「あったっていうか、その……」
 綾瀬にしては珍しく、言葉を濁した。
「なんだよ、気になるじゃないか。勿体ぶらずに早く言えよ」
「うん。さっき、主将と監督、抽選から帰ってきたんだ」
「なに?」高梨が顔色を変えた。「で、相手がどこか、聞いたのか?」
 綾瀬がこくりとうなずいた。
「それがね……」

 第六話に続く

 一塁側ベンチに戻る

 INDEXに戻る