『バトル・オブ・甲子園』
第二十一話”心機”




(1)


 早朝に学校前に集合し、貸切バスに揺られること二時間半。ようやく到着した旅館の前で、高梨が主将として簡単な挨拶をして、合宿が始まる。
 あらためてこうやって皆の前で話をするのはどうにもやりづらかった。中学の時も主将をやっていたのだが、どうも向いてないのかなという気になる。

 夏合宿には、引退した三年生や社会人となったOBも、余裕があれば手伝いに来る。
 進学校というほどではないにせよ、大学受験に向けて勉強を始める者も少なくないので、強制ではない。が、自由な立場で口を出せるこの場を楽しみにしているOBは少なくない。
 もっとも、一週間泊まり込んでという訳にはいかない。
 初日に宮本と山口、二日目には根川が顔を出した。
 そして三日目の朝、宮本の先代、つまり二代前の主将である正岡がやってきた。
 彼は引退後、親の営む雑貨屋の手伝いをしている。
 差し入れとして持ってきたジュース一箱も、店の売り物だった。
「お前も主将になるところまで来たんだなぁ」
 正岡は、相変わらずのごつい顔をほころばせる。
「どうにも頼りないんですが」
「言うなって。大体、お前らの学年で、主将がつとまりそうなのって他に誰がいるってんだ」
 豪快というか強引というか、無茶なことを言う口振りも当時と全く変わっていなかった。わずか一年ほど前まで毎日聞いていた声が、なんだか懐かしく思えた。
「ご実家の商売のほうはどうなんです?」
「うん? まあ、田舎だからちっこい自営の店でもなんとかやっていけるんだろうけど、正直厳しいな」
 高梨が振った問いに、正岡が顔をしかめる。
 彼に言わせれば、これからの時代は経営者としての才覚が無ければ、ただ親から受け継いだだけで自営業が勤まるほど甘くはないとのことらしい。
「先輩なら大丈夫ですよ」
 主将としてチームを率いている姿を知っているだけに、高梨などはそう思う。
「給料とか、どうなってるんです?」
 横から市川が下世話な事を聞く。
「給料なんてもんじゃない、小遣い程度だよ。なんていうんだ、ああ、専従者給与ってのか? 税金対策にテキトーな金額をオレに払ってあることになってるみたいだが、実際のところ、月十万ほどだぜ? まあ、家にそのまま住んでいてメシも喰ってしてる訳だからいいようなもんの。代替わりするわけでもないし、先が思いやられるよ」
 などとひとしきりぼやいてみせるが、表情は決して暗くない。相変わらず本音の掴みづらい相手だった。

 一日の練習につきあってくれた正岡は、夜のうちに家に戻らねばならないとの事で、夕方には帰り支度を整えていた。
 帰りがけに、ウォームダウンを終えたばかりの高梨をダグアウトに呼ぶ。
「とぼしい小遣いから捻出して、土産のつもりで買ってきたんだ。ま、古本屋で買ったのもあるから、値段的にはたいしたこともないんだが」
 正岡が、担いでいたバッグから出してベンチに置いたのは数冊の本。野球関連の本ばかりだ。
「わざわざありがとうございます。でも、どうしたんですか」
「ガラじゃないってんだろ。判ってるさ。ただ、高校時代、こういうのをもっときちんと読んでおいたら良かったと思うことが最近多いんでな」
「腕の調子、まだ悪いんですか?」
「ん? いや、それは問題ない。今でも町内会で野球大会なんかあったりするから参加してるけど、おかしくなった事はない。だけどもなあ、今年のお前らを見ていると、なんか勿体ないことしたかな、って思うこともあるのさ」
 言いながら、正岡が置いた一冊を手にしてぱらぱらとめくる。プロ球団のコンディショニングコーチとして第一線で活躍していた人物の著作である。
「例えばだな、ストレッチは声を出してイチ、ニと反動つけてやるもんじゃないそうだ。静かに、三十秒やるなら十秒ごとにじわじわと入れる力を増していって筋肉を伸ばしていく。言われて見りゃそうなのかと思うけど、知ろうとしてなきゃどうにもならんわな」
 久々の野球部の雰囲気が楽しかったのか、それとも思うところがあるのか正岡は多弁だった。
 高梨は神妙に聞き入る。
「これで勉強して、ちょっとは甲子園に近づけますかね」
「お前達なら行けるだろう」
 正岡らしい安請け合いである。
「輪島城東には、ちょっと歯が立たない気がするんですが」
「なに、おんなじ高校生じゃねえか。絶対勝てないってことはない。よっく本の中身を読んでおけよ。どこにどんなヒントになるきっかけが埋もれてるかわかりゃしねえからな」
「はい」
 漠然とした向上への道筋が、おぼろげながらでも見えてきそうな気がした。もって生まれた能力で劣るのならば、頭を使ってその差を少しでも埋めていくしかない。

(2)

 
 その晩。
 前年は足腰の鍛錬を兼ねた山登りが日程にあったが、今年は夜にレクリエーションを行うだけでみっちり練習メニューが組まれている。
 それだけに、今晩を皆が楽しみにしていた。
 夕食をすませた後、花火をしようということになっていたのだ。
 各自がお金を出し合い、合宿前に調達を終えて持ち込んできている。
「花火だけじゃさびしいから、スイカ割りでもしようぜ」
 誰が言い出したのかそんな話が出て、スイカも用意されていた。旅館の近くの幹線道路沿いで地元の農家が直売していたのを買ってきたものだ。
 食事もそこそこに、旅館の裏手にあるバーベキュー場に繰り出す。練習時には見られないほどに行動が素早い。
「みんな、こういうことになると張り切るんだから」
 手回しの良さに、日頃はつい仕切ってばかりの綾瀬も苦笑いをみせる。
 もっとも、彼女を始めとして女性陣は浴衣に着替えていたりするから、結構ノリ気であることは疑いようがない。
 いきなり景気良く連発式の打ち上げ花火が夜空に駆け上った。思いのほか大きく反響する炸裂音に、矢沢と崎辺がきゃっと声をあげた。
「勝手におっぱじめやがって」
 毒づいて高梨は空を見上げた。それほど大きな花火ではないので光の環はすぐに消える。
「しかしなんだな。女子がいるといないとでは気分が全然違うよな、こういうのは。にしても、なんで浴衣の女子はこうも見栄えがいいのかなぁ」 
「前から思ってたけど、市川の言い回しは時々オヤジみたいな感じだよな」
「ほっとけ。……まあいいや。さて、スイカは用意してあるけど、棒がないぞ?」
 目隠し代わりのタオルを首に引っかけ、特にやる気満々の市川が周囲を見回す。
「バットでいいんじゃないんですか?」
「それがマネージャとはいえ野球部員の台詞か。情けない。バットは球を打つためにあるんだ。スイカなんぞに使うもんじゃない」
「は、はい……」
 横から高梨に厳しい口調で一喝されて、矢沢がしゅんとなる。
「まあまあ、高梨君もそんなに怒らないで。棒きれなら、そのあたりから調達してこれるから」
 そう矢沢をかばった綾瀬が、ゴミ捨て場から手頃な棒を拾ってくる。バーベキューをするのに薪のつもりでもちこまれたのかもしれない。
「さすが」
「あんまり誉められてもうれしくないけどねっ」
 言いつつ、綾瀬はまんざらでもなさげだった。気持ちが高ぶっているのか、語尾が跳ね上がる。
「じゃあ、早速やろう」
 棒を受け取った市川がスイカを叩き割るイメージで素振りする。
「待った。全員が出来る訳じゃないんだ。クジで決めよう」
 用意したスイカは三つしかない。花火と違って事前に準備していた訳でなく、その場の勢いでやることになったのだから、これは仕方がない。
 全員参加でクジ引きした結果、一年の柴村、二塁手候補の二年生・大谷、そして市川が当たりを引いた。執念が実ったというところか。
「昔から、こういうのだけは強いよな、お前」
 高梨も感心半分、呆れ半分だった。
「まあな。綺麗に割ってやるからな」
「平衡感覚はどんなスポーツでも必須の能力だからな。いいところ見せてくれよ」
 自分が外れたので気楽な高梨は無責任なことを言う。 
 市川が先陣を切る。
 ただ目隠しするだけでは面白くないというので、目が見えない状態でさらに身体を十回ほど回して平衡感覚を無くした上で地面におかれたスイカに向かわせる。
 もちろん、まともにまっすぐに歩けるはずもない。
 市川は回転につられてあらぬ方向に引っ張られて最後には転んでしまう。その滑稽な姿に笑いが満ちた。
 大谷も、慎重に身体の傾きをどうにか保ちながら足を進めるが、どうしてもたたらを踏むような格好になった。どうにか棒をスイカに振り下ろしたものの、真上から強く入らなかったので、食べにくい形に割れてブーイングを買った。
 最後に柴村だけが、ふらつきながらも姿勢を保ち、周囲の声に耳を傾けて正確に棒を振り下ろしてスイカを見事に真っ二つにした。
「将来有望だなぁ」
 やんやの拍手喝采に、目隠しをはずした柴村がいつものぼやっとした顔で照れ笑いをみせる。
 不細工な形に割れたスイカも、旅館で借りた包丁を使って一通り切り終えたところで、あとはめいめいがスイカをかじりながら花火を始めた。
「正岡先輩も、せっかくだから残ってたら良かったのにね」
 アサガオ柄の浴衣を着た綾瀬が、柴村が割ったスイカと線香花火を片手ずつにもって、ライターで花火に火をつけて回っている高梨に声をかけてきた。
「そうだな。けど、先輩も仕事があるし、仕方ないよ」
 高梨が綾瀬の差し出した線香花火に火をともす。
「先輩達とか見てると、将来のこととか考えちゃうよね」
 パチパチと爆ぜはじめた花火を見ながら、綾瀬がぽつりと呟いた。
「ああ、全く。甲子園に行けても行けなくても、残り一年だ。その先なんて、まともに考えたこともなかったけど」
 高梨は星空を見上げる。
 もし、甲子園に行けず、たいした記録も残せずじまいで野球部を引退することになったらどんな気持ちだろう。なまじ、この一年で甲子園へと一歩ぐらいは近づいた手応えがあるだけに、挫折感はひとしおだろう。
 野球なんかやっていなければ、もっといろんなことがやれは筈なのに、と後悔するだろうか。
 自分一人ではない。綾瀬だって野球部のマネージャに引っ張り込まれなければ、こんな場所で浴衣を着なくても、夏祭りに遊びに行けたりした筈なのだ。せっかくの夏休み、本当はみんな遊んで過ごしたいに違いない。だからこそ、今晩一日にその思いのたけをぶつけようとしている。
「どうかしたの?」
 綾瀬が不思議そうに声をかけてきた。
「いや、俺も花火やるわ」
 なんとしても甲子園に足を踏み入れねば、収支があわない。だからそのために全力を尽くそう。他にも意見はあるだろうが、今の高梨にはそう思いこむ以外になかった。
 花火をいれたビニル袋から、手つかずのロケット花火を一束取り出し、ずらりと一列に並べて地面に突き立て始めた。
「ちょ、ちょっと高梨君!?」
「お、いけいけ! ぶっ飛ばせ!」
 あわてる綾瀬を横目に市川が喚声をあげる。
「いったれーっ!」
 気合いとともに、高梨は矢継ぎ早にロウソクの火を導火線につけていく。
 ロケット花火のけたたましい噴射音と乾いた炸裂音が連続すると、皆が全ての憂さも吹っ飛べとばかりに雄叫びをあげた。  

(3)


 翌朝。合宿四日目。
 全員でランニングと柔軟体操を行い、ミーティング通りにポジションや学年によっていくつかの班にわかれてそれぞれの練習にとりかかる。
 県予選ベスト四入りしたという実績は自信を生み、さらに上を目指そうという意欲も与えてくれた。練習にもおのずと力が入る。
 河野だけでなく、柴村、新城、葉田、上坂といった一年生部員は、入部当時にひきずっていた中学生の影を払拭し、一段とたくましさを増している。二年生部員もレギュラーの座を確約された訳ではない。
 高梨は主将として、ポジションの見直しから計っていく必要があった。
「とりあえず手をつけないでもよさそうなのはファーストの榎本とセンターの樋口、ライトの越川ぐらいかな。あとは総入れ替えだ」
「俺をレギュラーにしてくれよな」
 市川が冗談ともつかぬ声で言ってくる。
「わからんぞ。石毛もそう悪くないからな」
 押し出しの強い市川と、じっくりと構える石毛は、配球のクセひとつとっても好対照で、一概にどちらが上とは言い難いレベルにある。
 さらにいえば、一年のキャッチャー・上坂も長距離打者として期待がもてる。
 心情としては市川がレギュラーになってくれることを高梨も望んでいるのだが、立場上、チームとしての総合力を考えないわけには行かない。
「とにかく頑張ってくれよ。俺にはそれしか言えないんだからさ」
 高梨はそうあしらって、ブルペンに向かう。市川もごねることなく、「やれるだけやってみるけどもな」と苦笑しながら打撃練習組のところに走っていった。
 ブルペンで、高梨は正岡にもらった本を広げ、書いてある通りの練習を試してみることにした。
 肩の高さまであげた両腕を水平に左右にのばし、指先で直径二十センチほどの円を描くようにぐるぐると回しはじめる。
「なんですか、それは?」
 ボールを投げ始める前に妙なことを始めた高梨をみて、崎辺が興味深げに聞いてくる。
「ピッチャーの腕を作るための体操」
 高梨が、腕を回しながら顎で本を指し示す。
 それを読んだ崎辺も素直に真似して腕を回し始めた。
 どうということのない運動なのだが、時間をかけると腕の疲労も結構なものになってくる。
 一通り腕の筋肉をほぐし、身体を温めたところで高梨は懸案だったフォーム改造にとりかかる。本格的に投げ込むわけではないので、キャッチャーではなくネットが相手だ。
 球威を殺してしまうような変則フォームでは意味がない。グラブの突き出し方一つにもコツや工夫がある。時には崎辺にフォームをチェックしてもらっての助言も得ながら、より球筋の読みづらい投げ方を模索する。
 高梨の球は、キレはあるが球質は重くない。球のキレや球質、球威といったものは科学的に分析した場合、ボールにかかる回転が関係していると考えられている。
 球の回転が多い場合、空気抵抗が少なく、初速と終速の減速率が少なくて済む。これが手元で伸びる、と表現される球である。高梨のストレートはこれにあたる。
 ちなみに、ここでいう空気抵抗とは摩擦抵抗ではなく、自らが空気を切り裂くことによって発生する乱気流によって後方に引き戻される力と考えたほうがわかりやすい。
 逆に回転が少なく、抵抗が大きいために打っても飛ばない球を重い球と表現する。
 高梨の投げるストレートは、当たれば飛ぶ球という事になる。
 それだけに、「打てるものなら打ってみろ」と速球で押していくピッチングでは、強豪チーム相手では通用しない。
 チェンジアップを覚えて攪乱を計ったり、フォーム改造に取り組むのも、ひとえに相手のバットにボールを芯で捉えさせない為の策なのだ。
 踏み込みのタイミングや腕の振りなど、試行錯誤しながら投げ込んでいると、ふと崎辺の視線に気づいた。
 真剣な面もちで高梨のフォームを見つめている。
「悪いな。こっちも、自分のことに手一杯で、教える余裕もないんだ。なんとか工夫して練習してくれないか」
「え、あ、はい。その……、先輩のフォームを見ているだけでも、勉強になりますから」
 崎辺は高梨に声をかけられて我に返ったような顔になり、あわてて首を振りながら早口で言った。  

(4)


 合宿中は、旅館の大広間で一堂に会して三食を摂る。
 基本的にご飯のおかわりはセルフサービスという形になっているのだが、根が世話焼きな綾瀬達が自分から茶碗を持っていってくれるので、結局みなが茶碗を差し出す格好になる。
 もっとも、全員が底なしに食べまくる訳でもない。すでに合宿四日目の昼食であるから、舌が慣れていない者は家の食事が恋しい頃だ。それに夏の暑さと激しい運動、さらにはプレッシャーで胃が参っている者もいるようだった。
 食事面での改善の余地は当然あるだろうが、高校生レベルではなかなか実践出来ることではないよな、と考えながら高梨は御飯茶碗を空にする。
「さっきやってた腕回し、正岡先輩に教わったの?」
 さっそく高梨の茶碗を手に取りながら、綾瀬が訊いてきた。
「まあな。正確にいうと、先輩にもらった本に載ってた」
「そうやって、自分の考えを押し通さずに周りの見をどんどん採り入れていくのって、なかなか出来ることじゃないわよ。ちょっと感心しちゃった」
「優柔不断なだけかもな」
「そんなことはないと思う。必要なことを自分で考えて選んでるでしょ?」
 いいながら、綾瀬が手早くご飯をよそって高梨に差し出す。
「わりぃな」
「いいって。しっかり食べて、目一杯練習してくれたら」
 にこっと綾瀬が笑う。   
「そう言われると、どうもなぁ。あ、そうだ。悪いついでに頼んでおきたいんだけど、練習メニューの記録も、いままで以上にきちんとつけていこうと思うんだ。協力してくれると助かる」
 これまでは、一日の練習でなにをやったかを機械的にメモするだけだった。それでは不十分だと高梨は考えていた。限られた時間で効率的に技術を向上させていくためには、無駄な時間の使い方を出来るだけなくしていきたい。
「判った。これからは、高梨君が個人的につけていたノートを、野球部の方針として強化していくのね」
「気づいた事とかも、なるべく詳しくな。なんせ、俺は書いておかないとすぐ忘れる」
「了解。樫尾さんと矢沢さんにも言っておくわ」
「それと、あと一つ」
「なに? わたしに出来ることなら協力するけど」
「綾瀬でもなきゃ、出来ないようなことだよ。去年、知多大附属知多高との練習試合を組んでもらったろ。今年もなんとかならないかなと思って」
 秋季大会まであっという間だ。紅白戦も悪くないが、出来るだけ早い段階で新チームの手応えをつかんでおきたかった。
「うーん。近くで合宿やってるチームがあったらなんとかお願いしてみるけど」
「頼む」
 頭を下げる高梨に向かってうなずいた綾瀬が、くすりと笑う。
「なんか変なこと言ったか?」
「ううん。どんどん高梨君のチームになっていくんだな、って思ったらつい」
 それから、綾瀬は少しだけ表情を真面目なものにして付け加える。
「来年の夏は、期待できそうね」

(5)


 合宿の最終日までに、綾瀬が首尾良く練習試合の話をまとめていた。
 相手は宮ノ社高。甲子園での優勝経験もある強豪校である。全国屈指の競合地区で、今年は決勝で惜しくも涙を飲んだ。並の甲子園出場校よりも実力的には上だろう。
「やっぱり県ベスト四ってのは、ちょっとした肩書き代わりになるわ。話もしやすかったし」
 とは綾瀬の弁であるが、だからといって一介のマネージャが飛び込みで練習試合を取り付けてくるのである。並大抵のことではないはずだ。
 綾瀬抜きでは、大栄高野球部はまともに機能しない、との思いを高梨は新たにする。
「まったく、たいしたものだな」
 ベンチから、グラウンドでウォーミングアップを行う宮ノ社高の選手達を見ながら、志摩監督が呟いた。
 無口な監督は日頃、独り言を漏らすこともあまりない。
「確かに、一流チームですからね」
「そのチームと練習試合をする段取りをつける綾瀬はいったいどんな手を使ってるんだ」
「さあ。こっちはもう、任せっきりですから」
 監督と主将が間の抜けた会話をしている間に、宮ノ社高のウォーミングアップが終わる。

 レギュラーメンバーを揃えた一試合目。いまだ正式な背番号の決まっていない状態ながら、一年生も名を連ねる。
 打順を組むにあたっては、経験を積んだ二年生を中軸に据える方向で考えた。これまで下位打線に甘んじていた樋口を思い切って三番打者に抜擢する。
 正岡の代理で打順を勝手に組んだ時は、樋口を四番においた。その時は期待通りとはいかなかったが、彼も一年前と同じではあるまい。
 四番には榎本を起用する。キャッチャーは迷った末に石毛を起用することにした。市川は強敵相手にも臆しないが、その分当たって砕けろ的なリードをみせる。
 手探りな面が多い現状では適任ではないだろう。むしろ彼がベンチにいるだけで志気を高めてくれるはずだ。
 先発の高梨にしても、不安がないわけではない。おおむねフォーム改造は形が見えてきていたが、まだ完成した訳ではない。
 通用してくれることを祈りながらマウンドに登った。
 先頭打者にいきなり三遊間を破られはしたが、石毛の丁寧な配球が奏功して、どうにか後続を抑える。
 ただ、打ち取りはしたものの、打席に入る宮ノ社高の打者達の自信あふれる立ち振る舞いに圧倒されていた。
 強豪校との対戦でしばしば感じた、格下と侮る態度ではない。どんな相手が来ても自分たちのプレイが出来ると確信した強烈な自負の表れにみえた。
「これが、本物の一流チームの姿か」
 一回裏、宮ノ社高の先発投手が投げ込んでくる速球のキレに、先頭打者の越川が度肝を抜かれる。全くタイミングがあわずに三球三振でベンチに引き上げてくる。
「球が見えない」
 場数を踏んでいる越川にして、この反応である。先が思いやられるところだったが、三番・樋口が詰まりながらもレフト前に運ぶ。
 四番・榎本も一塁線を破ってチャンスを広げたが、残念ながら得点には結びつかなかった。
「お前、よく打てたなあ」
 ダグアウトを飛び出した越川が心底感心した様子で、ベンチに引き上げてくる樋口にグラブを手渡す。
「カンで打ってるだけだよ。悔しいけど、僕たちとはレベルが一段も二段も上だ。得点するのは難しそうだ」
「樋口にそう言われたら、俺はどうしようもないぞ」
 横で聞いていた高梨が口をへの字にする。

 結局、樋口の見立ては正しかった。宮ノ社高のエースを、大栄高打線は最後まで捉えきることが出来なかった。五安打を放つのがやっと。三塁を踏むことさえ出来なかった。
 高梨はしぶといピッチングで完投したものの、失策やフィルダースチョイスなども絡み、二対ゼロで大栄高は負けた。 
 勝ち負けは別としてまずまずの結果だったと高梨は自己評価する。
 ただ、守備練習にも時間を割いたつもりだったのだが、失策が出たのは残念だった。
「一週間の合宿じゃ、そんなに結果はすぐに出ないのかな」 
 それなりに善戦しただけに、綾瀬も残念そうだった。
 
 二試合目は河野が先発。
 最初こそ宮ノ社高打線はアンダースローに戸惑っていたが、いつまでもこちらのペースで勝負してくれるはずもない。
 合宿の疲れもあったのか河野の球にもキレを欠き、打者一巡したところでつかまり、五失点。
 六回からは一年生の二番手投手・小林をマウンドに送る事になった。
 控え選手の層の厚さではまったく勝負にならない。十三対ゼロと、完敗だった。

「どうにもならないのかな」
「これからだよ。じきに秋季大会だ。公式戦で勝てば問題ないよ」
 肩を落とす綾瀬を、高梨はそう励ました。
 新体制になって初の対外試合での敗戦。
 いい方向でバネにして欲しい、高梨はそう思うものの、主将とはいえ、各選手のモチベーションまで管理出来るわけではないのがもどかしかった。

 第二十二話に続く

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