(1)
夏休みの後半は、練習試合を積極的に行うことになった。
高梨は志摩監督と相談の上、毎回のように打線に手を入れた。打順の組み替えだけでなく、ポジションは常に実戦結果に基づいて変更していくようにした。
あまり良いこととはいえないが、まだレギュラーを完全に固定できる状況ではなかった。
一つには、一年生部員が練習試合の度に実力を増していくように思われたからだ。
素質面で恵まれているのは一年生部員のほうが多いのか、彼らの成長はすばらしく、基礎体力的には既に二年生と遜色ない者もいる。
試しに組んでみた柴村、葉田の一、二番コンビの打順が、ことごとく起点となって得点につながった時もある。
入部当時から注目を集めていた上坂、新城の他にも、外野手として小林が守備範囲の広さをみせつけてレフトのレギュラーを伺い、俊足の浅野もセンター・樋口が相手では分が悪いものの、頭角を表してきた。
星野、岡村、児島といった、これまであまり目立たなかった部員も、一歩先をゆく彼らに負けじと競い合っている。頼もしい限りだった。
対照的に、二年生部員にはやや精彩を欠き、また伸び悩んでいる者がみられる。それが高梨の悩みの種だった。
中でもセカンドのレギュラー扱いを受けている大谷は、打撃ではしばしば大きな当たりをとばすのだが、いかんせん守備がおぼつかない。一試合に一つか二つの割合でエラーをしている有様だ。
ショートの横山、サードの岸野といった二年生部員も、どうしても三年生の抜けた穴を埋めるには力不足に見える。
ショートには葉田、サードは星野という一年生がそれぞれ虎視眈々とレギュラー獲りを狙う気持ちを隠さないのに、それを迎え撃つ覇気がいまいち感じられない。萎縮しているようにさえ見える。
綾瀬がきっちりとデータを管理していることもあって、通算打率やエラー率などの記録は数字となって如実にあらわれる。
それを励みにしてくれればよいのだが、大谷や岸野は、打率が悪い為に思い切ってバットを振り切れず、中途半端な当たりになってしまう、という悪循環に陥っているようだった。
打撃の不振はどうしても守備にも悪影響を及ぼす。
そして内野の守備陣に不安が残ると、バックを信頼できず、ピッチャーは打たせてとる投球が出来ない。河野も相手が先輩だけに文句も言えないが、無理に三振を狙って痛打を食らう場面が幾度かあった。
「今は練習あるのみだな。しっかり練習をやってきたという自信と実戦経験が加われば、みんないいもの持っているんだから……」
誰もが自分の中の必死を出して頑張っている。それが判るだけに高梨も無理な要求を突きつけるつもりはなかった。実戦でなにかを学び取れるよう、なるべく多くの機会を作ることしか出来ないのだから。
そんな状況の中、瞬く間に練習の日々は過ぎて八月三十一日、夏休みの最終日となった。この日は、夏休み中の成果を確かめるべく紅白戦を実施する。
もっとも、一通りの練習を終えた後だから、試合開始は三時過ぎから。対外での練習試合と違って、行うのは一試合だけだ。
一年主体と二年主体という分け方でなく、学年混成で、ほぼ同レベルになるように考慮したチームの作り方をしている。
河野を先発にたてる紅組は志摩監督が、白組は高梨が自ら率いて相対することになる。
打線のバランスをとる関係もあって市川は紅組に所属している。高梨は今回は石毛ではなく、上坂とバッテリーを組む。
「先発で組むのは初めてだな。頼むぜ」
「遠慮なく、思い切り投げ込んでください。絶対に逸らしません」
自信に満ちた表情で上坂がミットに拳を突き入れた。
一年でありながら、堅太りの上坂は市川や石毛よりも一回りがっちりとした体格の持ち主で、打撃練習では長打性の当たりを連発し、打線の中核を担う事が期待されている。
見かけ通りのどっしりとした構えで安心して投げられる相手であるか、そしてそれ以上に配球に冴えがみられるかが守備面での課題となってくる。
前レギュラーだった高根は二年の時からレギュラーを張っていた。二年のキャッチャーである市川と石毛が上坂のライバルとなるが、高根からポジションを奪えなかった二人が相手だから、あわよくば、との思いは持っていて当然だ。
先攻の紅組は、一番打者に柴村をおいていた。
クラスでは『ぬーぼー』なるあだ名がついているという見かけに寄らず、柴村は越川や樋口、一年の浅野と並び、チーム屈指の俊足でもある。
上坂が出したのは内角を衝く速球のサイン。高梨はうなずいて注文通りに投げ込む。
柴村は初球から手を出した。窮屈そうに腕を畳みながらバットを振る。ボールの下腹をこすっただけで、打球はバックネットへと飛んだ。
普通ならのけぞってかわしてもおかしくないようなきわどい球だ。反射的にバットを振っただけとはいえ、曲がりなりにも当てるだけの対応力は持っていることを示していた。
続く上坂のサインは、なんと先ほどと全く同じ場所への速球。
(こいつ、俺の制球力を試すつもりか……?)
高梨はその思いは表情に出さず、狙い澄ました一投を上坂のミット目掛けて投げ込む。
柴村は腰を引くことなく、再び打ち返した。
強い打球だったが、センターの正面へと飛ぶ。浅野が右手をグラブに添え、がっちりと捕った。
「選球眼に自信がないのかも知れんが、バッティングが積極的と言うよりすこし淡泊だな。もうすこし粘って揺さぶれるようになったら、いい一番バッターになれる……」
高梨はその後、ただがむしゃらに抑え込もうとはせず、相手の力量を把握しようと務めてみた。サインも上坂に出させた上で、あえて時折首を振って打ちごろの球を投げ込んでみたりもする。
時折ランナーは出るが、急造の打線はつながらず、得点に至らない。それは紅白どちらも同じだった。
「主将、遊んでますね。力抑えてますでしょ」
上坂は不満げな顔を隠さない。
「安心しろ、なにもお前の配球が不満な訳じゃないんだ。全員三振に取る気で投げ込んで圧倒しても、練習にならん」
「余裕っすね」
「負けてもいいと思ってるからな」
市川が二塁打を放ち、越川にタイムリーを打たれて高梨は一点を失った。もっとも、河野も榎本に長打を浴びて同じように得点されて、結局一対一で引き分けのまま七回をもって練習試合は終了した。
練習試合とはいえ、真剣でない訳ではない。練習をこなした後の試合であり、終わったときには皆くたくただった。
「疲れたときには甘いものですよ」
そういって部室で矢沢が配るのはクッキーだった。
「お前なあ、こっちは喉がからからだってのに、なんでまたこんなパサつくのを」
市川が口をへの字にする。
「実はこれ、柴村君が作ったんですけど……」
矢沢が目を伏せ、恥ずかしげに言うと、視線が一斉に柴村に向けられた。
「よくやるなあ」
一年の誰かが声を挙げると、柴村は相変わらずのぼやっとした雰囲気の照れ笑いをみせる。どう返事をして良いのかわからないでいる柴村に代わり、矢沢が胸を張る。
「へへ、凄いでしょ」
「だったらなんでお前が自分の手柄みたいな顔して配ってるんだ」
「いや、まあ。へへ……」
市川のツッコミは正論といえばあまりに正論であり、矢沢も苦笑いを浮かべるしかない。
「普通、こっちが先だと思うぜ」
高梨が二人のやりとりを横目に、スポーツドリンクの入ったペットボトルを手に取る。綾瀬が冷やしておいてくれたものだ。
通常の倍に薄めにすると体内への吸収率が高くなる、とものの本に書いてあったのを高梨は受け売りして、部費で調達している粉末のスポーツドリンクはほとんど味がしないぐらいに薄めてある。
高梨以外の部員も、喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲んで、それからおもむろにクッキーに手を伸ばす。
練習の後だから、当然お腹はすいている。かなりの量があったクッキーはどんどん部員達の胃袋に収まっていく。
「けっこううまいぞ」
「素人が作ったとは思えん」
なかには、
「見かけによらん、というか、柴村の場合はこれもありかと思えるところが凄いよな」
という、誉めているのか良くわからない意見もでる。
「ああ、そうだ。明日から二学期が始まるからな。宿題やってないやつは死ぬ気で終わらせろ。補習食らうようなやつはケツバットだ」
高梨が部室の全員に聞こえるように宣言すると、どっと笑いが起こった。大栄高野球部は体罰とは無縁だったし、もし言葉通りなら高梨自身が真っ先に尻を叩かれる羽目になりそうなのが目に見えていたからだ。
もっとも、高梨の言葉を笑い飛ばせる余裕がある者ばかりでもない。自分のやっていない宿題を他の誰かがやっていたら写させて欲しいという類の話が、一斉に部室のあちこちで起こる。
一番人気なのが、二年では樋口、一年では葉田だった。特に葉田は入部時の挨拶で、これからの時代こそID野球であり、と蕩々と語ったこともあり、野球部一の秀才との評価が部内で定着している。
実際に定期考査では学年で十番以内に入ってくるから、口ばかりという訳でもない。当然彼は七月中にほとんどの課題を終えてしまっていた。
「人に頼ることばかり考えるんじゃないぞ。さっさと着替えて、帰ってから片づけろよ」
放っておくといつまでも騒いでいそうな部員達を、高梨は部室から追い立てる。
やがて、ひと気のなくなった部室の真ん中にある長机にノートを広げ、シャープペンシルを手に取った。
しばらくして、部室のドアがノックされた。
「いま、大丈夫かな?」
ドアの向こうから聞こえてきたのは綾瀬の声だった。中で部員が着替えているときは女子マネージャは当然入ってこられないから、高梨が着替えを促して部員達を追い立てているのにあわせて外に出ていたのだ。
「おう。いいぜ。まだ残っていたのか」
「高梨君が出てきてないと思ったから……。あ、あんなこと言って自分は今頃宿題やってんだ?」
机のノートをめざとく見つけた綾瀬がからかう。
「違うよ。こいつは練習の記録をつけてるノートだ」
「へえ……。どうかしたの?」
「最近迷ってるんだ。練習の内容、これでいいんだろうかってな」
高梨は壁に張った、秋季大会までの練習メニューに目を向けた。その後の半年間のスケジュールまでおおまかなところが記されている。現在、グラウンド使用権の関係で週一回体力トレーニングの日を設けているが、秋季大会が終わればこれが週二回になり、やがて冬場の筋力トレーニングへと移行していくことになる。
現時点では体力的に言って一年生と二年生では完成度が異なっている為、暫定的であるが学年によって練習メニューは二通りになっている。
しかし、個人差を細かく検討すれば、二種類だけでいいのかという思いがあるのだ。
三十人足らずの部員しかおらず、ベンチ入り人数より背番号を持たない部員のほうが少ないぐらいのこぢんまりとした部であるからこそ、そういう細かい配慮が必要であるはずなのだ。
それでも、全員の能力を正確に把握し、ベストのチーム編成を考えるのは高梨にとって簡単ではない。かといって志摩監督に任せきりにもしたくない。難しいところだった。
強豪チームのように、二軍や三軍を編成するのは、指揮を執る側にとっては実に合理的なやり方なのだろう。多すぎる部員を実力に応じて目が行き届く人数にわけることで、レベルにあわせた練習が出来る。
高梨の悩みは、部員の数こそ小規模だが、それと同質のものだ。学年別ではなく、レギュラーと控えを完全に色分けして相応の練習を行うべきなのか、それとも控えが伸びる機会をより多く与えるべきなのか。
特に、一年生部員の将来性を考えると、二年だからというだけでベンチ入りを確約したような扱いをして良いものか考え込んでしまう。学年よりも実力優先は、大栄高の伝統でもある。
「投球練習は俺も河野も自分のペースでやるからいいけど、野手の練習がなぁ。走塁練習がおろそかになってるのは判ってるけど、打線を鍛えておきたいし、守備がおぼつかないのも困る。まったく、手が回らないよ」
「高梨君は出来る限りのことをやってると思うわ。自信、持ってもいいんじゃない?」
綾瀬が微笑んで励ましてくる。
「弱気になっている訳じゃないさ。ただ、もっと上を目指したいんだ」
「頑張って。高梨君ならきっと出来るわ」
「その安請け合いは市川譲りだな」
「あ、なんか心外だわ」
ぷうと頬を膨らませた綾瀬に、ようやく高梨は笑顔を見せた。
(2)
九月一日。
夏休みが終わり、二学期が始まる。
始業式では、話し好きの校長が壇上で張り切ってあれやこれやと話しているが、秋季大会のチーム編成をどうするかで高梨の頭はいっぱいで、今後の授業のことなど何一つ聞いていないし、考えてもいない。
始業式の後、教室に戻ってホームルームを受ける。今後の日程が伝達され、学級委員が選出された他は、たいした話もなく終わる。
「そろそろ例の話を決めてしまいたいんだけどね」
ホームルームが終わり、教室を出ようとした高梨は、クラスメイトである依岡に言われて、首を傾げた。
「なんだ、その例の話ってのは」
本気で判らずに率直に訊ねると、依岡がむっとした 顔になる。
「崎辺さんの話よ。三年の先輩が引退して、いよいよ選手層が薄くなってね。新キャプテンとしては、気を揉んでいるところなのよ」
依岡がため息混じりに言う。
「ああ。崎辺のことか」
言われて、そんな話もあったなと思い出す。
ソフトボール部は県大会の決勝で敗退していた。準決勝止まりだった野球部と大差ないのだが、過去の実績からいくと上出来の野球部とは違い、不本意な結果なのだろう。
「そろそろ転部の話を決めないと、秋季大会とかにも間に合わないし、チームにとけ込むのも難しくなるしね」
「待った。そっちがどう思おうと勝手だけど、崎辺にその気はないと思うぜ。実際、試合に出せたらと考えると残念なぐらいだ。相手のチームが了承してくれたら、練習試合の二本目で中継ぎぐらいやらせてみたい」
高梨の言葉に、依岡はどうにも納得できかねると言いたげに頭を振る。
「練習試合だけで満足できるはずがないわ。そこまで力を付けてきているんだったらなおさら」
「自分たちの物差しだけで判断しようとするなよ」
高梨の声が鋭くなる。
口調こそ静かだったが、依岡が半歩下がって心持ち身構えたほどだ。
「ま、高梨君も野球部のキャプテンだから、そう簡単に自分ところの部員を外には出せないわよね。せめて一度会わせてくれない? 直接あって話を聞きたいから」
「会うぐらいなら別に構わないけど、あんまり妙なことを吹き込むなよ」
「あら、自信なくなった?」
「そんなことはないさ。もし本当に崎辺がソフトボールでやり直したいっていうんなら止めない。けど、あいつは練習試合にしか出られなくても野球をやりたいと言うと思う」
高梨と依岡はそれぞれ練習用ユニフォームに着替えて、野球グラウンドの一塁ベンチで落ち合う。
「矢沢、ちょっと崎辺を呼んできてくれないか?」
たまたま近くを通りかかった矢沢を呼び止めて頼む。
「いいですけど、なんかあるんですか?」
「ソフトボール部の引き抜き。えらく高く買ってもらってるみたいでな」
矢沢は目を丸くして高梨と依岡の顔を見比べる。
「へえー。わっかりました。すぐ呼んできます〜」
敬礼のまねごとをした後、弾かれたパチンコ球のような勢いで矢沢はベンチを飛び出していく。
「なかなか元気なマネージャね」
矢沢の後ろ姿を見送った依岡が呟く。
「おいおい、崎辺だけでなくて矢沢まで欲しいなんて言い出すつもりか?」
高梨がからかったが、依岡はそれを冗談とは受け取らなかったようだ。
「正直、そうしたい気分よ。もちろん、出来るなら綾瀬も欲しいしね」
「そんなに部員が足りないのかよ」
依岡がうなずく。
「頭数じゃなくて、使えそうなのがね。なんか、暗いのが多いのよ」
依岡が熱血すぎて周りが引いてるだけじゃないのか、と高梨は言いたくなったが、話がややこしくなっても困るので黙っておく。
やがて、矢沢がランニングをしていた崎辺を連れてきた。
「ではー」
手を振りながら矢沢はやりかけの仕事に戻る。
「ソフトボール部から話があるそうだ」
「はい……」
崎辺は、傍目にもはっきりと判るほど表情を強ばらせる。緊張というよりは脅えを感じているようだ。
「野球部がイヤだったらソフトボール部に来ないかという話だそうだ。俺としてはもちろん残って欲しいとは思うが、崎辺の気持ちを尊重したい」
「でしたらわたしは――」
口を開きかけた崎辺を、依岡が手をあげて制する。
「ちょっと待って。返事はわたしの話を聞いてからにしてくれる?」
「はあ……」
「ここじゃ高梨主将の目もあるし、本音も言えないでしょう。二人で話がしたいのよ」
余裕の笑みを見せた依岡が、おどおどとしている崎辺をバックネット裏へと誘う。
「あの二人が並ぶと、なんか倒錯的ですよね。妖しい世界みたい。『ああっ先輩やめてくださいっ』みたいな」
妙な声が聞こえたので高梨が振り返ると、矢沢がいつの間にか戻ってきていた。
「お前なぁ……。つまらんこと言ってないで仕事しろよ」
「せんぱいを呼びに来たんですよ。今度はせんぱいにお客さんです」
「誰?」
「女子応援団の小山田さん」
おもわずぎょっとなる高梨に、矢沢が吹き出す。
グラウンドに通じる階段に、小山田が立っていた。チアリーダーの格好ではなく、制服姿だ。
「久しぶりです、高梨キャプテン。遅くなりましたが、キャプテン就任おめでとうございます」
小山田はにこにことしているが、高梨はどうしてもバツの悪い顔になってしまう。
「あ、ああ。どうも」
「夏の予選、最後は残念でしたね」
今更のような話だが、これは致し方ない。顔をあわせる機会がなかったのだ。どちらも夏休みの部活動があるからその気になれば言葉を交わす事ぐらいできたのだろうが、高梨のほうでそうなることをなんとなく避けてしまっていた。
「まあ、実力通りといえばその通りだから。悔しくないといえば嘘になるけど、もっと頑張らなきゃな、って思うだけだよ」
格好を付けずに、とにかく無難な返事をしたつもりなのだが、それでも小山田は大げさに感心してしまう。
「凄いですね。そういう前向きな姿勢って素敵だと思います」
「素敵っていうか、まだあと一年あるって思うからかもな……。先輩達はそんな簡単に割り切れないと思う。次は俺達も最後のチャンスになってしまうからな」
「そうですね。あと、春と夏だけですね。あの、わたしはあんまり詳しくないので判らないんですが、秋季大会で優勝したら春の甲子園に出られるんですか?」
「優勝イコール甲子園って訳じゃないけど、県大会ベスト四に入って、ブロック大会で活躍すれば、その可能性が高くなるのは間違いないよ」
去年、大栄高はブロック大会に駒を進めたものの、実力差は気合いだけで補えるものではなく、あえなく一回戦で敗退していた。その程度では春のセンバツには、候補チームに名を連ねることすら出来ない。
「その秋季大会なんですが、去年の反省もふまえて、一回戦から応援に参加することになりました」
「それはありがたい」
「そこで、出来れば事前に練習をしておきたいという話になりまして。野球部は近いうちに練習試合をやりますか?」
「再来週の土曜日に予定が入ってる。相手は井町北高。ウチのグラウンドでやるよ。けど、なんで?」
「その時に、試合にあわせて通しで練習をしたいんですが、構わないでしょうか」
「学校の中だから大丈夫じゃないかな。応援が邪魔になるようじゃどっちにしろ困るだろうし」
高梨が快諾すると、小山田が嬉しそうな顔で頭を下げた。
「ありがとうございます。みんなも喜ぶと思います。部長としての仕事が無事に済んで良かった……」
「そうか、小山田さんが女子応援団の部長なんだ」
「はい。高梨さんみたいに立派には出来ませんので、いろいろとご迷惑をおかけすると思います」
相変わらず目上の人間に対するような丁寧な語調だ。
「いや、こっちこそ頼りない主将だよ。問題があるようだったら言ってもらわないと気づいてないこと多いから」
「とんでもないです。ありがとうございました。それでは失礼します」
何度も振り返っては頭を下げる小山田を見送り、高梨はふうと息をついた。
どこから見ても隙のない美人で、好意的に接してくれることはありがたいのだが、どうにも肩が凝ってしまう。
「やれやれ……。おっと、そういや崎辺はどうなったかな」
一塁側ベンチに戻ると、ちょうど依岡と鉢合わせした。崎辺の姿はない。
「崎辺は?」
「練習に戻ったわ」
「で、あいつはなんて言ってた?」
依岡は首を振る。
「全く理解できない。とりつく島無しって感じで。説得にもなんにもなりゃしない」
怒っているというより、むしろ脱力している感じだった。
「やっぱりな」
「それに、練習試合の二本目で中継ぎ云々って話、高梨君はあのコにしてなかったの?」
「ん? そう言われれば面と向かってそういう話を直にしたことは無いかもしれないな。崎辺も大体判ってるだろうし」
「とんでもないわ。その話をして、ウチだったら公式戦で活躍できるわって言おうとしたら、あのコなんて言ったと思う? 『キャプテンは私のことをそこまで買ってくれてたですか?』だって。その後はあのコ、舞いあがっちゃって、もう話にもなんにもならない」
依岡はがっくりと肩を落とす。
「そうしょげるなよ。テンションなんて人それぞれなんだから、そう外にばっか目を向けずに、もういっぺん部員の顔を見回してみろよ」
「そうする。少なくともいまウチにいるってことは、それだけでソフトボールが好きだっていう証拠だもんね……」
崎辺に相手にされなかった事がよほどショックだったのか、高梨の説教臭い台詞にも反論せず、依岡は素直にうなずいていた。
(3)
九月十二日。土曜日。
練習試合だというのに、チアリーディングやブラスバンド部が応援を行うのはかなり異様な光景ではあった。
「なんか、相手が気の毒だよな」
市川が首を振りながら言った。
井町北高の選手が応援団の存在に目を丸くしている。
「相手の学校での練習試合だったら余計申し訳ないところだった」
高梨も、呆れ半分に呟く。同意したのは自分だから文句もいえない。
彼等の事情も判らなくはない。応援は試合の流れにあわせて、イニング単位で動かねばならない。三年生が抜けて、どこも手探りなのだ。ただ、その中心となっているのが小山田だと考えると、高梨にしてみれば少々気後れするのは否めない。
一試合目は高梨が、二試合目に河野がそれぞれ先発する。
来週にははやくも秋季大会の抽選があり、その翌週には開会式がある。組み合わせの結果が出ていないので一回戦がいつになるかははっきりしないが、いずれにせよ今日の練習試合が事実上、大会前の最後の試合となる。
今日、ベストと考えたレギュラーメンバーのポジションと打線がうまく機能してくれないと、秋季大会に不安を残してしまう。
特に高梨の気にかかるのは、セカンド・大谷、サード・岸野、ショート・横山、レフト・中川の四人。
高梨は結局悩んだ末に、第一試合は二年生主体のメンバーを組んでいた。
実力差に目をつむって情に流された、というほどではないが、やはり明確な差がなければどうしても上級生を選ぶのが人情だろう。
もっとも、この四人に関しては、もし今日の試合でミスが出たり打撃でアピールできなければ、一年生の控えと入れ替えて大会に臨む腹を決めていた。
特にショートの控えである葉田は、急場に動じない冷静なプレイが魅力だ。打球の反応速度や球際の強さを見せつけ、やはり一種の天才と評するしかない外野の控え・柴村ともども、打線に加えたい存在だった。
岸野、横山も当然それは判っているだろうから、死にものぐるいでプレイせねばならない。競い合って伸びてくれれば、高梨としては言うことはない。
対照的に手薄なのがセカンドで、大谷にクリンアップの一角を占めるレギュラーとして期待をかけていた分、一年生の中にもめぼしい部員がいない。ここで大谷が使えないとなれば、急いで他のポジションからコンバートも考えねばならない。
(外野は、ライトの越川とセンターの樋口は動かさなくてもいいから、レフトしか空いていない。中川の出来次第では小林、新城、柴村のうち一人を誰かと入れ替えた上で、残る二人のうちどちらかを内野に回すか……。一番器用そうなのは柴村だが……)
大谷に対して直接言葉にこそしないが、うまくやってくれよと高梨は祈るような気持ちだった。
このような事情があるから、いつも以上に大事な一戦である。第二試合でも崎辺の出番はおそらく作れまい。
「悪いな、期待させるようなこと言っちまったかも」
ベンチでの応援に終始することになる崎辺の顔をみるのが、高梨には少し辛い。
「いえ。まだ自分が投げられるレベルにないことは判ってますから。特別扱いは無しというのが、入部の時からの約束でしたし」
表情を見る限り、崎辺の言葉に嘘はなさそうだった。
それだけに一層なんとかしてやりたいとは思う高梨だったが、やはり崎辺のことよりも野球部の勝利を優先せねばならない。主将というのは面倒なことばかりだ、というのが偽らざる本音だった。
第二十三話に続く
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