『バトル・オブ・甲子園』
第二十四話”懸念”




(1)


 準々決勝の最後の試合となった大栄高対江之川高戦は、夕焼けが西の空に広がり始める遅い時間に開始された。横合いからの太陽光線が目に入ると、一瞬目がくらむ事になる。油断は禁物だった。
 ここで勝って県の四強に残れば甲子園への道が大きく開けるのは間違いない。ふんばりどころとあって、さすがに応援にも力が入る。
 もちろん、小山田率いる大栄高の女子応援団もスタンドの階段に陣取って彩りを添えている。

 一回の表裏は両者ともに三者凡退。高梨も、江之川高の川村投手も、無難な立ち上がりを見せた。
 二回表。四番・榎本、五番・大谷と連続して凡ゴロに倒れる。オーソドックスな右投げの川村の球はきびしいところをことごとく衝いてくるため、大栄高のバッター達は打たされる恰好になっていた。
「ここは俺が口火を切るしか無いってか?」
 六番の打順に入る市川が大口を叩くと、他の部員達に一斉に文句を言われる。ともあれ、彼の自信満々の様子は、チームに活力を与える効果がある。
 しかし、市川が外角に逃げるシュートを泳ぎ気味に叩いた打球は、セカンドの定位置後方へと力無くあがった。
 ポテンヒットを期待するが、さすがにここまで勝ちあがってくるチームは守備にも不安はない。前進してきたライトが難なくさばいた。
 二回裏。
 一年生ながら江之川高の四番を打つ亀嶋が放った強い当たりの打球が、ワンバウンドで高梨の正面に飛び込んできた。
 反射神経だけでこのボールにグラブを差し出した高梨だったが、ボールはグラブの土手で跳ね、咄嗟に蓋をしようとした左手の指先をも弾いてグラウンドに転がった。
「ちっ」
 グラブからこぼれ落ち、マウンドから転げ下ちようとしているボールを、高梨は直接左手で掴んで一塁に送球した。ファーストの榎本ががっちりとミットでこれをおさめ、事なきを得た。
 左手の指先を気にする高梨のもとへ、市川が装具を鳴らしながら駆け寄ってくる。
「だいじょうぶか?」
「とりあえず、折れてはいないようだけど、失敗したな。突き指してなきゃいいけど」
 赤くなった中指と薬指の先を親指でこすって感触を確かめながら、高梨は顔をしかめる。ボールが当たったのが人差し指や親指でなかったのは不幸中の幸いだった。とはいえ、場所が場所だけに放置しておく訳にもいかない。
 大事をとって、ベンチに戻って治療をする。
 もっとも、治療と言ってもコールドスプレーをふるぐらいしか出来ない。
 コールドスプレーの缶を手にした綾瀬の見立てでは、「突き指している訳ではなさそう」とのことだが、あまり自信はなさそうだった。マネージャとして八面六臂の活躍をしている綾瀬も、応急治療の知識まで期待されるのは酷な話だった。
「交代するか?」
 志摩監督が訊ねてくる。まだ序盤での思わぬ投手交代はチームの志気を削ぎかねないと判っているだけに、監督の顔にははっきりと不安の色が浮かんでいた。
「いえ。これぐらいならなんとかなりますよ」
 特に強がるふうもなく、高梨はこたえた。
 実際、骨折や突き指のような重い痛みではない。ただボールが勢いよく当たって痛い、というだけだ。
 充分に冷やしてから、念のため主審に治療した指先を見せる。後になって変化球のキレを増すための「仕込み」があったなどと文句を付けられるのを防ぐためだ。同様の理由で、テーピングをする訳にもいかない場所なのがつらい。
 試合が再開されるが、案の定、制球が定まらない上に、球が走らない。高梨はマウンド上でしきりに首を傾げるが、連続してヒットを浴びノーアウト、一、二塁のピンチを招いてしまう。
(くそ。落ち着け……)
 高梨はことさらに深呼吸して気を鎮める。これから打順は下位に回る。焦ることはないのだ、と自らに言い聞かせる。
 六番に入る川村に対しては、注文通りにカーブを引っかけさせてショートゴロに仕留めた。ダブルプレーが決まり、ツーアウト三塁へと変わる。
 だが、ここで高梨は少々投げ急いでしまった。ストライクを狙いすぎ、続く打者に痛恨のセンター前ヒットを放たれて、先制を許してしまったのだ。
 後続はなんとか抑えたものの、試合の流れが相手に傾きつつある感触は気持ちの良いものではない。
「すまん」
 ベンチに戻ってきた高梨は、顔をしかめながらチームメイトに頭を下げた。
「まだ始まったばかりだ。すぐ取り返せる」
 市川をはじめ、仲間達が口々にそう声を挙げてくれる。
 これは決して、ただの気休めではなかった。三回表の先頭打者、七番・横山が大栄高の初ヒットを生んだのだ。八番・小林もポテンヒットで続く。
 奇しくも先ほど、大栄高が先制を許したのと同じ状況になってきた。ここで打席にはいるのは九番・高梨。
 先ほどの回では江之川の川村投手は、この状況でショートゴロを打ってダブルプレーに倒れたのだが、高梨は同じ轍を踏む訳にはいかない。
(なんとかいい形で上位打線に回したい……)
 先走りそうになる気合いを自らなだめながら、高梨は打席に入る。
 初球。伸びのあるストレートが高めへと入ってきた。ここぞとばかりに強振するが、バットは空を切った。
 背中に汗が吹き出る。
「落ち着いていけよっ! 手元で伸びるぞ!」
 ベンチから叱咤の声が飛ぶ。川村投手の球は初速から終速にかけての減速が少なく、手元でも勢いを失わない。その分、ボールが沈み込む率も低く、高梨がイメージしたよりも上を通過していたのだ。
 高梨はその事を頭の中で確認しながら改めて軽く素振りをいれ、打席で構え直す。
(驚くほど球が速いって訳でもないんだからなぁ。狙い球さえ外さなけりゃ打てる筈だ)
 二球目。ストレートより変化球を狙うつもりでタイミングを計っていると、カーブがやや甘く真ん中に入ってきた。再び、迷わずバットを振る。今度はバットがボールを捉えていた。
 当たったのがややバットの根元に近い位置だったため、飛んだ勢いは決して強烈ではなかった。が、一、二塁が埋まっている為にファーストとセカンドの間が広く開いていた。これにより、高梨の打球は一、二塁間を渋く抜けていった。
 浅く守っていたライトがこれをダッシュして捕り、矢のような返球でノーバウンドでキャッチャーミットに叩き込んできた。二塁ランナーの横山は三塁ベースを回ったところで本塁突入を断念し、慌てて三塁ベースへ戻る。
 ノーアウト満塁と、チャンスが広がった。
 ここで一番・越川が打席に入る。
 初球は外角いっぱいに決まる厳しい球。越川のバットは出かかったところで危うく止まった。
 二球目。チェンジアップにひっかかって見事な空振りをみせ、相手ベンチから盛大にやじられてしまう。
 これで気負いすぎた越川は、結局ボテボテの当たりをマウンドの川村の前に転がしてしまった。川村はフィールディングもそつなくこなし、ホームと一塁でダブルプレーを決める。
 これにより、ツーアウト、ランナー二、三塁へと変わる。
「くそっ」
 二塁ベース上で高梨が歯がみする。
「まだ行ける。焦るな」
 三塁側のベースコーチに入る石毛の声が飛ぶ。渋い顔で高梨は頷いた。まだ勝負の流れが向こうにあるように思われたからだ。
 しかし、ツーアウトになって川村の中にも無意識のうちに隙が出来ていたのかもしれない。二番・岸野への初球は、やや棒球になってストライクゾーンへ無防備に飛び込んできた。
 あまりの絶好球に岸野のほうが驚きながらバットを振る。打球は、先ほど高梨が放ったのと似たようなコースに飛び、ヒットとなった。当然、打つと同時に三塁の小林はスタートを切っている。悠々とホームベースを踏んだ。同点。強肩のライトと無理に張り合う気のない高梨は三塁でストップした。
「頼むぞっ、樋口ぃ!」
 内野席の大栄高応援団が躍り上がって喜んでいる様を横目に、三塁ベース上から高梨が声を張り上げる。打席の樋口は少し青ざめた表情ながら大きく頷いた。
 樋口は川村の投じる球筋を慎重に見極めるように、きわどい球を続けてカットした。そしてカウント二−二からの七球目を、狙い過たず捉えた。打球は三塁ベース寄りに構えていたサードの横をかすめ飛んで抜けていった。高梨が逆転のホームを踏み、次の打席に向かう榎本とハイタッチをかわす。
「球離れのタイミングがだいぶ見えてきたぜ」
 先ほどは凡打に倒れた榎本が、高梨に自信をのぞかせた。
 打席で構える榎本の雰囲気に、川村のほうが呑まれている様子だった。萎縮した腕から放たれた球は試合開始直後の球威を失っていた。
 榎本が手元に充分引きつけてから強振する。打球は低い弾道を描いて大きく伸び、背走するセンターの頭上を飛び越え、そのままバックスクリーン横へと突き刺さっていった。
 スリーランホームラン。榎本は小さくガッツポーズを見せて悠々とダイヤモンドを一周する。
 ここで江之川のベンチが動いた。はやくも川村をマウンドから降ろし、左投げの林を送り込んできたのだ。
 林は五番・大谷をセカンドゴロに打ち取り、後続をたった。
 林は川村とは対照的に投げる球のほとんどが変化球という軟投派であり、目先を変えられた大栄高打線はこの後、凡打の山を築く事になった。 
 一方、指先に打球をあてて以来、制球がいまいちの高梨も決して最高とは言い難く、毎回のようにランナーを背負う。その分、守備陣が奮起し、ゲッツーやファインプレーでピンチを凌ぐ。
 試合が動いたのは六回。
 ここまで江之川高の二番手投手・林からヒットが出ていなかった大栄高だったが、ワンアウト・ランナー無しの状況で四番・榎本がレフト線に深々と打球を運んだ。さらに、レフトが焦ってセカンドへの返球を逸らした。それを冷静に見ていた榎本は、好判断で三塁を陥れた。
 続く五番・大谷はきっちりと犠牲フライを放って榎本をホームに迎え入れ、大栄高は追加点をあげた。
 この後、高梨は七回裏の途中でマウンドを河野に譲った。次の試合を見越しての温存策だった。河野は終盤の江之川高の反撃を受け、ひやりとする一幕もあったが、八回にも一点を加えた打線の援護もあり、結局七対四で逃げ切った。
 大栄高の九安打に対して江之川高は十安打と、安打数では相手が上回った。終わってみれば厳しい試合となった。
 ともあれ、大栄高はこれで準決勝に進出である。
 同時に、去年に続いて、近隣県の有力校が一堂に会する地区大会への出場を決めた。この地区大会の戦績は、秋季大会の勝ち上がり方を含めて、春のセンバツに出場する為には非常に重要になってくる。
 次の対戦相手は城西農。もう一つの準決勝は、輪島城東高対井町西高である。
 もう一つの準決勝が事実上の決勝戦などと言われているのを聞くと、最初は強豪同士が潰しあってくれる好都合な組み合わせと思っていた高梨達も、その下馬評をひっくり返してやりたいという思いに鼻息が荒くなる。
「こうなったら、輪島城東か井町南をぶっ倒して絶対に甲子園出場だ」
 引き上げの為にベンチの片づけを行いながら、市川が旗振り役になってぶちあげる。皆、意気軒昂であり、市川につられて口々に景気のよいことを言い放つ。
「決勝の事を考えるのもいいけど、まずは準決勝で勝ってからなんだからね」
 本当は一緒になって喜んでいたいのであろう綾瀬が、苦笑しながらなだめ役に回っていた。

(2)


 高梨達が着替えを終え、球場の外に出ると既に辺りは夕闇に包まれていた。そんな中、大栄高の応援団が待ちかまえていて一斉に拍手を送ってくれた。照れくさくはあるが、誇らしい瞬間だ。
「おめでとうございます。今日も大活躍でしたね」
 人垣の中から進み出た小山田が高梨にすり寄ってくる。傍らに付き従っている崎辺の存在は目に入らない様子だ。
「ありがとう。まあ、今日はあんまり調子よくなかったから、どうも活躍なんて言われると身の置き所がないよ」
「そうでしょうか……。あの、手、怪我したんですか?」
 小山田の目が、高梨の左手に向けられる。その表情が不安げに曇った。
「まぁ、ちょっと。怪我ってほどじゃないんだけどな」
「明日は無理ですか」
「いや、出るよ」
「頑張って下さいね。明日も応援に来ますから」
「ああ」
 他愛のない会話をして、駅に向かう皆のところに戻ると、矢沢と崎辺が、少し怒ったような顔をしていた。
 しばらくのあいだ、妙に気まずい空気になる。
「なーんか、レベル高すぎって感じですよ、先輩」
 矢沢が渋い顔をして、言う。高梨は頭二つは背の低い後輩を見下ろしながら返事に困ってしまう。
「なんのレベルだよ」
「だって、中学の時はベスト四なんて一度もなかったじゃないですか」
 小山田の話ではなかったことに何故か胸をなで下ろしながら、高梨は反論を試みる。
「勝ったのに文句を言われてもなあ。俺一人でどうこうって訳じゃないだろ。頭数が揃ってるんだよ。なぁ、市川」
「お、珍しく高梨が俺に話を振ってきたな。いや実際、俺達の学年でこんなに伸びるとは入部したときは思ってなかった。ホントに甲子園も夢じゃない」
 最初はにやついていた市川だが、先輩達はずっと先を行っているように見えたのになぁ、と柄にもなく感傷的な言葉をはく。
「昔みたいに、馬鹿言い合って勝ったり負けたりしているほうが楽しかったですよ。今は肩に力が入っちゃって、楽しめないんですよ」
「別に矢沢を楽しませるために野球やってる訳じゃないんだからな」
「わたしは、先輩達が勝ち進むのを見ていると嬉しくなります」
 無口な崎辺が、珍しく口を挟んできた。高梨達の戦いぶりにけちをつけられたと思ったのか、高梨の肩をもつ発言になる。
「そうだよ、仲間なんだからさ。矢沢みたいなのが変わってるんだよ。ここまで来たら、勝ち負け関係なくなんて言ってる場合じゃないんだ」
 崎辺の援護を受けて意を強くした高梨が語気に力をいれる。矢沢は不満げに頬を膨らませた。
「ぶぅぅ。まあ、崎辺さんは選手だからそういう気持ちになれるんだろうけど。あーあ。綾瀬先輩は大活躍だし、樫尾先輩は樋口先輩の側にいるだけで大満足だし、わたしだけなんか居場所がないなぁ」
 勝つための野球だからと汲々としているつもりはない。高梨としてはそのはずなのだが、矢沢の目にはそうは映らないようだ。
「俺達は綾瀬に約束してるんだよ。甲子園に連れて行くって。それがマネージャを引受けるときの条件だったんだ。ま、それだけが理由で必死こいてる訳じゃないが」
 当の綾瀬は、準決勝に向けての情報収集のため、球場を出たあとは別行動だ。この場にいたらこの約束は公言出来なかったかもしれない。
「へぇ。じゃ、わたしもなんか約束してもらおっかなぁ」
 初耳の矢沢は感心したようにうなずき、いたずらっぽい目になった。
「たとえばどんなのだ」
「うーん。甲子園に行けたら、ケーキ食べ放題とか」
「誰が」
「わたしが」
「で、その約束になんの意味があるんだよ」
「わたしがマネージャ業を頑張ってやれます」
 矢沢が胸を張る。
「意味がわからん」
 首を振る市川。
「ですからぁ――」
 こうやって矢沢とたわいのない話をするのも結構久しぶりだと高梨は気づく。中学時代を思い出し、張りつめた気分を和ませる効果があったようだった。

「ウチの野球部はいままで甲子園出場経験がないから、そういうチームは常連校よりも選考で有利らしい」
 帰りの電車で、気の早い誰かがそんな事を言い出す。強豪相手をのんでかかるのも良いが、あんまり先走るのもなぁ、と高梨は釘を刺しておくことにした。
「それより前に、決勝までいくことを考えろよ。相当に実力があるとアピールできなきゃ、甲子園出場経験なんて関係ないんだ」
「ま、そりゃそうだ」
 市川が話をしめ、笑いが漏れる。プレッシャーに固くなることなく、自然体で試合に臨もうとしている。たくましくなったものだな、高梨はそう思った。

(3)


 翌朝。
「結局、指は大丈夫だった?」
 試合前のウォーミングアップに向かう高梨に、綾瀬が尋ねてくる。昨日は試合直後から別行動だったので、やはり気になっていたのだろう。
「ん、ああ。やっぱり特に突き指とかじゃなかったんだけどな……」
 言いながら、高梨は浮かぬ顔で指を屈伸させてみせる。
「どうかしたの?」
「なんか冷やしすぎて、感覚がおかしくなっちまったみたいなんだ」
 綾瀬がその返事を聞いて眉を寄せる。
「もう。この大事なときに」
「大事なときだと思うから、ちょっとやりすぎたんだよ」
 高梨としてもあまり強くは反論できない。いかにも言い訳じみた口調になる。
「まあ、仕方ないわよね。で、どうするの? 試合には出られそう?」
「行けるところまではいくさ。辛くなったら河野に任す」
「そのあたりの割り切りの良さは高梨君のいいところよね。こだわりが無さ過ぎる気もするけど」 

 大栄高は高梨がジャンケンに勝って先攻を取った。整列して挨拶を交わし、一回表の守備につく。
「そういう訳だから、今日は球があんまり走りそうもない」
 試合開始を前に、高梨はマウンドに市川を呼び寄せて指の調子を説明する。
「しゃあねぇな」
 市川が口をへの字にして首を振る。
「ま、かえって相手のタイミングが狂ってくれるとありがたいんだが、そんな甘い相手じゃないよな」
 高梨もさすがに浮かぬ顔にならざるを得ない。
「ま、なるようになるって」
 市川は高梨を安心させるように笑顔を作って、マウンドから駆け下りていった。市川を送り出すと空を見上げた。
 あいにくの曇り空で、白い雲を背景にするとボールが見づらくなってしまう。加えて風向きが不安定で、ボールを打ち上げると思わぬ結果を呼びそうな感じだった。
 練習の感触では、今日は指のかかりのせいかストレートがあまり走ってこない。となれば、変化球でかわしていくしかない。
 高梨の速球を警戒している城西農の先頭打者を、カーブの連投で三振に打ち取る。続く二番打者も直球狙いの構えの裏をかいてフォークで空振り三振に仕留めた。
「お、案外いい感じかもな」
 変化球主体の配球が、高梨のこれまでのピッチングを研究してきた相手の意表をつく恰好になっているらしい。指先のかかりぐあいに気を付けながら、三番打者に対しても変化球で勝負をかける。
 三番打者は肩口から入るカーブを無理に打ちに行き、打球を引っかけた。サードの岸野がなんなくさばく。
 とはいえ、いつまでも相手も判断を誤り続けていてくれるはずがない。油断は出来ない。高梨は先の展開を思い、淡々とした調子でベンチに引き上げる。

 城西農先発の吉田は右サイドハンドから繰り出す速球が持ち味の投手だ。しかし、綾瀬が過去の戦績を調べたところによると、どうやら大きく落ちる系統の変化球を持っていないらしい。それが判っているだけでも大栄高打線にとっては狙いが絞りやすくなる。
 大栄高の先頭打者・越川の打球はセカンドを強襲した。セカンドはグラブの先で弾いた球を慌てて拾い上げて送球したが、越川はチーム一の俊足を飛ばし、一瞬早く一塁ベース上を駆け抜けていた。
 勝ち進むに連れてふくれあがっていく応援団がやんやの喝采を送る。
 二番・岸野に対して志摩監督は送りバントのサイン。しかし、大舞台で固くなったのか、まともに送らせるつもりのない吉田の外し気味の球に無理にバットをあわせようとして、二球続けて失敗してしまう。
 志摩監督が苦り切った顔で強襲に切り替えさせたが、結局空振り三振してしまった。
「すまん……」
 岸野が青い顔でうなだれる。ただでさえ貧相と言われる顔だけに、肩を落としているとなんとも哀愁がただよってしまう。
「心配するなって。まだ始まったばかりじゃないか」
 高梨をはじめ、仲間達が口々に励ます。
 結局この回は得点に至らなかったが、四回裏に試合の流れが大栄高に傾きだした。
 ワンアウト、ランナーなしの状況で二巡目の打席に入った越川が、鋭い辺りのセンター前ヒットを放った。
「よっしゃ!」
 ベンチで見守る高梨も思わず声が出る。
「とにかく点が欲しいところだな」
 しかし、先ほどの送りバント失敗で萎縮している岸野はまたも凡退し、肩を落としてひきあげてきた。
「負けても次の大会に進めるんだから、慌てずに全力を尽くそう」
 榎本がネクストバッターズサークルに向かいながら、戻ってきた岸野を励ます。このあたりは同じ二年生でも、一年間レギュラーとして場数を踏んでいる経験の差がでる。
 三番・樋口は逆らわずに外角へ逃げる変化球を綺麗にライト前に弾き返した。ランナーがたまる。
 四番・榎本は強引に引っ張り、打球はレフト前へ飛ぶ。浅い位置だったので越川は無理をせず三塁で止まった。
 満塁のチャンスに、試合数が増えるに連れてクリーンアップとしての風格を増している五番・大谷が期待に応えて三遊間を破る鋭い当たりを放った。次打者の市川が躍り上がって越川と樋口を本塁に迎え入れる。
 一気に押せ押せムードになる。勢い込んだ市川もライト前ヒットで三点目をあげる。七番・小林はピッチャーゴロに倒れたが、八番・横山も市川の打球をなぞるような位置へのライト前ヒットで四点目を奪った。
 高梨に打順が回る。攻撃陣が速いテンポで積極的にどんどん打っていくため、指先を気にしながらキャッチボールで肩をならしていた高梨は気持ちの切り替えが遅れた。この回に自分が打席に立つことを考えていなかったのだ。
 さらに追加点をあげてやれ、と気持ちを奮い立たせるものの、マウンド上の吉田投手もここで大栄高の流れを切っておかなければ点差が致命的なものになってしまうことをよく理解していた。
 ここを先途と力投する吉田のストレートに対し、高梨のバットは空を切った。あえなく三振に倒れ、大栄高の攻撃が終わる。
「くそっ。よくあの球をみんな打てるな」
 ベンチに引き上げながら高梨はぼやいた。 
 準決勝の対戦相手ともなれば、押し立ててくるエースの球速は軒並み百三十キロ後半は出してくる。
「何言ってんだ。お前の球のほうが速いよ」
 高梨のグラブを持ってきた榎本が笑った。高梨が手にしたヘルメットと金属バットは、ベンチに戻りぎわに三塁コーチの石毛が預かっていく。
「自分で自分の球は打てないからな。高梨を相手に練習していなかったら、俺達も打てるようになってたか判らないな」
 感謝するような石毛の口振りに、高梨は感慨深いものを感じた。自分一人では戦えないことを痛感する。高梨もまた、榎本や樋口達を相手にピッチングの腕を磨いてきたのだ。
 七回裏まで、高梨は慎重な投球で一失点で切り抜けた。その間、打線はしぶとくヒットをつないで追加点を二点あげていた。決勝に備えて無理をせず、八回の頭から高梨は河野に後を託すことになった。
 河野は五点差をもらっているので落ち着いてアウトを一つずつあげていくことに専念して、城西農の必死の反撃を一失点で封じた。
 スコア六対二。堂々の勝利である。

(4)


 高梨達は制服に着替え、そのままスタンドに登って昼から行われる輪島城東高と井町南高の第二試合を観戦することにした。
 下馬評ではほぼ互角。輪島城東高の強力打線を、井町南高の投手陣がどこまで押さえ込めるかが勝負の鍵とみられていた。
 二大強豪の直接対決は、スコア四対一で井町南高が会心の勝利をおさめた。井町南高は継投策で輪島城東高の猛攻をわずか一失点で凌ぎきってみせた。
 井町南高は二回戦では強打の鬼浜高を下して勝ちあがってきているだけのことはあり、投手力および守備力ではやはり県下随一の実力を誇っている。
「今度は俺達が相手だ」
 市川の不敵な呟きに、高梨は苦笑を浮かべながらうなずいた。今日の試合結果を見る限り、明日の決勝は投手戦になる可能性が高い。
(明日までに、調子を崩してしまった指先の感覚が取り戻せればいいが)
 隣の市川に気づかれないように左手の指を屈伸させつつ、高梨は一抹の不安を感じていた。

 第二十五話に続く

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