マリーンズの閃風 第二話

 一九九三年二月五日。
 千葉ロッテの二軍メンバーは例年通り、鹿児島・鴨池球場へとやってきた。ただ人数は昨年より少なくなっている。一軍メンバーが二十二年ぶりに海外キャンプを行っているからだ。
 新納は居残り組の二軍メンバーのなかにいた。戦力になるかどうか判らない者を連れていける訳がないな、と新納は納得していた。
 練習が始まり、ランニングと柔軟体操が終わるとすぐ、新納には醍醐二軍監督直々に別メニューが言い渡された。二軍外野守備走塁コーチ・佐藤和史に走塁を一から鍛え直してもらうのである。

 この佐藤和は、少し変わったプロ野球人生を歩んだ男である。
 彼は一九七九年にドラフト三位で投手としてロッテに入団。途中に内野手に転向し、一軍で初ヒットを放ったのは一九九○年のことだから、実に十一年もかかったことになる苦労人である。
 一九九二年のシーズン途中に引退。通算成績打率.258で23安打。本塁打はゼロ。十三年のプロ生活の証としては、あまりに寂しい記録である。
 しかし、このロッテ一筋の真面目人間を、千葉ロッテは見捨てなかった。現役引退と同時にコーチとしての地位を与えたのだった。
 佐藤和は、新納を一人前の選手として育てることに決意を新たにしていた。あるいは新納を育てることで、自分自身の名をもプロ野球史に刻み込もうと考えていたのか。
 佐藤和は、ストップウォッチを振り回す様にしてホームベースのところまで歩き、新納を呼んだ。
 新納がやってくると、佐藤和は新納に対し、初めての指示を与えた。
「ま、とりあえずダイヤモンド一周走ってみ」
 佐藤和の指示に新納は従い、ダッシュした。練習中の二軍メンバーの多くがこの練習に注目していた。
 新納がホームベースに駆け込む。すばやく佐藤和はストップウォッチを止めた。
「えーっと、14秒31、か」
 佐藤和が記録を読み上げると、二軍メンバーは、様々な感想を漏らした。思ったより遅いという者。初めてにしては速いという者。ただ一つ共通しているのは、このままでは使い物にならない、その認識であった。俊足を売り物にするのではせめて13秒台に乗せなくてはならない。プロ野球はそれほど甘くはないのだ。
 結局、新納はこの日4回走ったが、14秒台の壁を破ることは出来なかった。
「陸上の練習を続けてきたことを考えれば仕方のないことであるしなあ」佐藤和は言葉を選びながら新納を励ます。「練習しだいではもっと速くなるだろう」

 大腿の形からして新納のそれは野球選手のものとは違った。野球選手は前後左右にすばやく動くために、大腿を輪切りにしたと考えると、円になるように筋肉がつくのが理想と考えられている。
 新納は陸上の練習で大腿の前後しか鍛えていなかった。当然輪切りにすれば、前後に長い楕円になるだろう。これではベースをうまくまわることはできない。
 また、盗塁を成功させる要因は足が速いことだけではない。スライディングをスピードを落とさずに出来るかどうかが非常に重要になる。このことも新納を悩ませた。
 そして新納に求められるのは、大腿の左右の筋肉を鍛え、スライディングの練習をすることだけではない。盗塁をするには、相手投手の癖を知っていなければならない。ビデオで繰り返しチェックして、ホームに投げるか、牽制球を投げてくるかを見極めるのだ。いくら足が速くても、これが出来なければ盗塁は出来ない。
 もちろん、投手側もそのことをよく知っていて、できるだけ癖のないフォームを身につけることに神経を砕く。
 盗塁数の日本記録1065個を持つ福本豊は、相手投手の腕の筋の動きや5ミリのひざの曲がりを見抜いて盗塁したという。相手も知らない程の小さな癖を捜し、それを記憶して一瞬の判断で走れなければ盗塁など出来ない。毎日新納は練習終了後に宿泊しているホテルでビデオにかじりついて、癖を覚えることに専心した。



 新納はグラブもバットも持たずに走塁の練習をし続けた。結果、二次キャンプが始まるころまでには、ダイヤモンド一周をどうにか13秒9で走れるまでになっていた。
 鹿児島鴨池球場をアリゾナ帰りの一軍に明け渡し、同じ鹿児島の湯之元球場で行われる二次キャンプでも、新納には特別メニューが与えられた。ただ、内容はより高度になって、二軍の投手相手に実際に盗塁の練習も開始した。
 まだ荒削りな二軍投手の牽制、リードに腐心する若手捕手の送球をかいくぐって、新納は果敢に走った。

「どうだ?」
 紅白戦。佐藤和が、代走の役目を終えてダグアウトに引き上げてきた新納に尋ねる。新納は二盗を決めたものの、得点に結びつけることは出来なかった。
「二軍の投手が相手ですからね」
 新納も現状には満足していない。一軍クラスの投手が相手だとまだまだ苦しいだろうと考えていた。どうしても、一瞬の躊躇が、飛び出すタイミングを狂わせて出遅れるのだ。度外れた俊足でカバーしているが、そんな力任せの走塁では一軍クラスの牽制には歯が立たないだろう。
「まあ、これは数をこなすより仕方がないな」
 佐藤和もそう言って渋い顔をする。
「……まだ課題が残ってますし」
「バントか?」
「はい」
 セーフティバントができるようになれば、ただの代走屋でなくなる。
「醍醐二軍監督は……」佐藤和が唸るような声を出す。無理をさせるな、といってきているが、まだ余力は残っていそうだしな。
「バットを持たなきゃ、野球しとる気にならんだろう」
 そう言って破顔した佐藤和を前に、新納も苦笑で返す。
 現に新納は、バント練習だけは他の選手と同じ練習に参加している。新納にも異論のあるはずがない。

 二人があれこれと話し合っているところに、強烈な打球音が耳を突いた。
 白組の攻撃。打席の林博康が強烈な打球を放ったのだ。
「だいぶ調子があがってるみたいだな……」
 新納は我が事のように目を細めた。

 新納もようやく最近になって、他の選手と自然な会話ができる様になっていた。キャンプの最初のうちは、新納は陸上出身ということで、かなり引け目を感じていてろくに話もできないでいたのだ。
 特に、林博康と市場孝之のふたりと親しくなった。
 林は、新納とおなじ鹿児島市の出身で、新納の一年後輩にあたるが、鹿児島実から高卒で入団しているので、今年が三年目にあたる。新納は一年の時しか野球をやっていなかったので、直接対戦する機会はなかったが、同郷ということもあり、なにかと新納の世話を焼いてくれる。
 もうひとりの市場は、なかなか変わった経歴の持ち主である。市場は中学三年のとき、大相撲の佐渡ケ嶽部屋に入門。序二段までいって、琴市場のしこ名まで持っていた。だが、どうしても野球が忘れられず二年で廃業し、プロ野球への道を進むことにした。高校ぐらいは出ておいたほうがいい、と考えて全く無名の国際海洋高校に入学。二年遅れであるため、高校野球規則により、試合には一年間だけしか出場できなかったが、一塁手兼投手として活躍。高校卒業後、二年間ロッテの球団職員となり、九二年にようやくプロの選手になることが出来た。新納とは同じ年齢であり、特異な経歴をもつ者同士、気があった。
 まだ、ふたりとも一軍でたいした成績を残していないが、今年こそ、の一念に燃えていた。新納も大いに刺激され、より練習に力をいれていくのであった。



 やがて、二次キャンプを終え、いよいよオープン戦が始まった。
 新納は二軍に同行していながら、一試合も出場していない。新納は早く試合に出たい、と首脳陣に訴えたが、醍醐二軍監督は決して首を縦にふらなかった。
 気を滅入らせている新納に佐藤和が言った。
「なあ新納。俺はおまえをただの客寄せなどとは思っちゃいない。それにただの選手だとも思っていない。おまえには存在だけで相手を威圧できる選手になって欲しいんだ」
「存在だけで、ですか?」
「そうだ。試合の終盤に新納が代走に出てくる。それだけで相手投手が一点取られることを覚悟する。そんな選手になって欲しいんだ。その為にはどうすればいい?」
「……」
「必ず盗塁を成功させればいい。そのイメージで、相手を威圧出来るんだ。今のおまえにそれは難しいだろう。だから、今は練習に専念するんだ。今試合に出て盗塁を失敗し続ければ、相手投手は、なんだ新納は見かけ倒しだ、ということになる。それだけは避けたいんだ。判るな?」
 新納は静かにうなずいた。



 昨年のオープン戦では、首位で終えるなどして盛り上がった千葉ロッテであったが、今年はそんなこともなく、淡々と試合を消化していた。
 そんな中、唯一の話題らしい話題といえば、話題の東大卒投手・小林至の初勝利だった。ストレートが120キロ余りしか出ないこの投手の初勝利は、かなり運に助けられたものであったが、選手達の士気は高まった。あいつが出来るなら俺だって、という訳だ。
 新納は部門が違うこともあって、あまり小林至と話をしたことはなかったが、たまに話をしたときには頭の回転の速さを言葉の端々に感じることができた。また、新納が驚いたのは、小林至の体力であった。体力に関していえば、二軍で五本の指にはいるだろう、と新納は思った。球速も、わずかずつではあるが増しているという。
 新納は小林至の努力に唸る思いだった。誰もが必死になって一軍への切符をつかもうとしているのだ。そして八木沢監督はそれに応え、登板の機会を与えた。俺もきっと使ってもらえるだろう、と新納は思った。ある意味で、小林至の勝利を一番喜んでいたのは新納かもしれなかった。



 オープン戦が終わり、一軍枠の発表が行われた。登録人数70人のうち40人が一軍の試合に出場可能。そのうち一軍登録をされるのは28人で、ベンチ入りできる選手は25人である。当落ぎりぎりの選手には、40と二28という数字が重くのしかかってくることになる。
 新納は一軍40人枠には入ったものの、28人枠には入っていなかった。林も市場も、そして小林至も40人枠に入ることは出来なかった。6月の入れ替えで選ばれるまで、彼らは一軍の試合に出ることは出来ない。
 一軍メンバーが発表になったその夜、新納は寮の食堂で林と話す機会があった。
「結局、二人とも二軍スタートだな」
 新納はそう言って笑った。どこか屈託が残っていた。
「新納さんはすぐに出られますよ。上の人達がいつまでも放っておきませんよ」
「そんなもんかな。もしそうなら、早く上に上がりたいもんだ」
「実はですね」
 林は鼻をこすり、一拍おいて続けた。
「僕は一年目の時に一軍に上がりましてね、初打席初ホームランを打ったんですよ」
「へぇ、それは知らなかったなあ」
 自慢げに話す林は、純朴な野球少年そのままだ、と新納が感じていると、、
「監督が金田さんでしたから。八木沢さんになってからはさっぱり」
 林は言外の意味を匂わせた。やはり林とてただ野球が出来るだけで満足してしまう男ではない。何が何でも一軍へ、一軍へとの思いが、時にあらぬ方向に言葉を滑らせる。
「ま、一軍に上がれるよう、お互いがんばろうや」
 きな臭い匂いを感じた新納はそういって締めくくり、食堂の席を立った。今は盗塁だけのことを考えていたかったが、どうしても八木沢監督の事を考えてしまう。
 名将と呼ばれるようになるか、ダメ監督で終わるのか、全ては俺達の頑張りにかかっている。
 それは己の身一つで勝敗の全てを決定づけて来た陸上出身の新納にとって、新鮮な思いを抱かせるものだった。プレッシャーではあるが、決して不快ではなかった。



 そして男達のそれぞれの思惑を乗せて、長いペナントレースが幕を開ける。
 

第三話に続く

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