マリーンズの閃風 第三話

 1993年4月。
 神戸グリーンスタジアムにおいて、千葉ロッテは開幕戦を迎えた。千葉ロッテの開幕投手は三年連続で小宮山。対するオリックスは星野。千葉ロッテは昨年の貧打を忘れさせる猛攻で、スコア8−1と大勝し、初戦を飾った。
 その後、千葉ロッテは連勝と連敗を繰り返し、6勝8敗の五位で四月の日程を終えた。昨年のこの段階では首位を走っていたのだから、少し不本意な成績と言えなくもない。
 だが八木沢監督は焦らなかった。昨年、結局最下位になったのだから今の成績はそれほど関係ない、と。
 今の時点の首位は日本ハムであるが、いつまでも西武や近鉄のうえに乗っかっていられないと選手・コーチを問わず誰もが感じている。今の自分たちと、どれほどの差があるわけでもない。
 今年の千葉ロッテの打撃陣が、ここまで一試合も完封されていないことも彼の自信につながっていた。
 それに、今の八木沢には、念願の機動力野球の一部を体現させる秘密兵器がある。佐藤和が、四月が終わった時点で新納を実戦で使える、と言ってきていたのだ。
 もっとも佐藤和が言ってこなくても、球団側の方から新納を使え、とうるさく言ってきている。
 八木沢は打線の援護がなければ宝の持ち腐れ、と新納を温存してきたが、もうその必要はなかった。
 八木沢は5月1日の対西武戦を新納のデビュー戦に決めた。
 ただ、千葉ロッテにとって残念だったのは、同じ日に巨人の松井秀喜も一軍に上がることが決定しており、新納のことがほとんど報道されなかったことだった。千葉ロッテの球団関係者はがっかりしたが、当の新納は平気だった。注目されないことは陸上時代に慣れている。結果を出すことだけが俺の仕事だ。新納はそう考えていた。

 1993年5月1日。
 西武ライオンズ球場に乗り込んでの、対西武四回戦。千葉ロッテの先発は小宮山。対する西武は左のエース、工藤を立ててきた。
 千葉ロッテは初回、制球に苦しむ工藤を攻め、フォアボール二つとヒット一本で、二点を先制。西武は二回、五番・鈴木健のホームランで一点を返した。
 その後、小宮山と工藤の投げ合いが続き、一歩も譲らないまま八回表まで来た。
 この回の千葉ロッテの先頭打者は七番・初芝。初芝は工藤のストレートをきれいにセンター前に弾き返した。
 ノーアウト、ランナー一塁。すると三塁側スタンドから「新納、新納」のシュプレヒコールが上がった。
 八木沢は不敵な笑みを浮かべた。観客が代走を要求するなど、飯島以来の事だろう。八木沢は一人うなずくと、主審に代走・新納を告げた。
 背番号99を背負う新納がグランドに現れると、スタンドの歓声はいっそう大きくなった。
 新納は一塁ベースにまで来ると、念入りに屈伸運動を繰り返した。落ち着け、落ち着けと心に言い聞かせる。かつてこれほどの歓声を一人で受けたことがあっただろうか、と新納は考える。そう、東峰体育大の三回生の時、インカレで10秒19を出した時ですら、これほどの歓声ではなかった。まして、あれは走り終わって記録を残してからだ、走る前にこれだけの歓声を受けたことはない……。
 新納はこれだけのことを瞬時に考えると、マウンド上の工藤を見た。工藤は左投手であるため、投球の際に体がこちらに向いていることになり、右投手より盗塁が難しくなる。新納は少し不安になったが、考えても始まらない、と気持ちを切り替えた。
 試合再開。バッターは八番・青柳。新納は、三塁コーチのサインを伺う。自由に走れ、と出ているのが見えた。じりじりとリードする。
 工藤は一球牽制球を投げてきた。続いてもう一球。さすがに相当警戒している。最初に盗塁を許した投手にはなりたくない、という気持ちがこわばった顔に表れていた。
 新納は(次はホームに投げる)と読んだ。走者に気をとられて打者に打たれたとあっては、余計にみじめだろう。
 工藤がセットポジションから足を上げる。ホームに投げる時の癖が見えたと新納は思った。
 が、スタートを切った新納が次の瞬間に見たのは、工藤がこちらを向いて牽制球を投げる姿だった。
(失敗った!)
 新納は足を止め、一塁に頭から飛び込む。だが、間に合わない。その場に居合わせた誰もがやられた、と思った。デビュー戦で牽制死か、観客の一部は悲鳴を上げ、顔を覆った。
 だが、さらに状況は一転した。緊張した工藤の投げた牽制球は、一塁手・清原が跳び上がって差し出したファーストミットの五センチ先を飛び越していったのだ。
 新納は起き上がると二塁目がけて走りだした。清原が球に追いつき、二塁に送球したとき、新納は悠々と二塁に達していた。

 工藤がようやく一球目を青柳に投じると、すかさず新納は三塁へと走った。捕手・伊東は投げられず、新納は初盗塁を決めた。
 気落ちした工藤の投じたカーブを青柳はとらえ、レフト前に運んだ。新納が生還しスコア3−1。結局このまま試合は終了し、千葉ロッテは対西武戦3勝目を挙げた。

 千葉ロッテは残る二連戦を一勝一敗で終えた。新納はこの試合のどちらにも出場し二盗塁を決めた。
 パリーグの他のチームは、首位の日ハムが近鉄に三タテを食らい、一勝二敗で切り抜けた西武に結果的に首位を明け渡した。オリックスは最下位の福岡ダイエーに一勝二敗と負け越していた。
 続く第五節・第六節、千葉ロッテは七勝三敗と大きく勝ち越し、直接対決で西武から首位の座を奪いとった近鉄についで、一気に二位にまで浮上した。
 その後の第八節は、千葉ロッテにとって最初の難関とも言えるものとなった。なぜなら、5月25日からの対西武三連戦のあと、28日から近鉄との首位攻防戦があるからだ。
 だが千葉ロッテは善戦した。西武戦を一勝一敗(一試合雨天中止)で終え、好調な近鉄相手に二勝一敗と勝ち越してみせたのだった。
 この結果千葉ロッテは首位近鉄との差が1.5ゲームとなり次のオリックス二連戦の成績いかんによっては、首位に立つ可能性も出てきた。
 この千葉ロッテの好調に、新納が関わっていたのは確かだ。13試合に出場し盗塁九個。場合によっては盗塁王も夢ではなくなっていた。
 なにより特筆すべき――新納自らが誇っているのは、新納はいちども盗塁を失敗しておらず、成功率100パーセントを誇っている点であった。
 マスコミが後ればせながら騒ぎだしていた。

 第九節・6月1日の千葉マリンスタジアムでの対オリックス戦。この日の観客は2万5000人を記録した。ちなみに今までの記録から、新納を見に来た客が5000人はいるというのが球団関係者の見方だった。また、新納の出番がたいてい終盤の七、八回であるため、それに合わせて球場に来る観客もおり、中盤を過ぎたあたりから観客が増えるという珍現象がしばしば起きていた。
 それはそうと、スタートダッシュに成功したとは言えないにしても、西武と1ゲーム差で四位につけるオリックスは、決して侮れない敵だった。
 この日の千葉ロッテの先発は前田。オリックスの先発は、今期絶好調の伊藤敦。
 伊藤敦は千葉ロッテ打線を、七回まで三安打無失点と完全に封じ込める力投を見せ、土井監督の期待に応えた。一方の前田は三回に一点を失いながらも好投し、打線の援護を待った。
 九回裏の千葉ロッテの攻撃は五番・宇野から。宇野はセカンドゴロに倒れたが、続く六番・愛甲が四球を選び、出塁した。
 こうなると、待ってましたとばかりに一塁側の千葉ロッテ応援団は大騒ぎ。八木沢ももちろん代走・新納を送る。これで同点に出来る、と千葉ロッテの首脳陣は確信した。新納が代走に出た日は9勝4敗。これは単なるジンクスではない。新納が生還したのが10試合もあり、そのうちの8試合は決勝、あるいは同点に追い付くホームを踏んでいるからだ。
 一塁に立った新納は自信にあふれていた。
 伊藤敦の初球に新納は走った。捕手・中島が二塁へ送球する。このとき新納はショート・小川が妙な動きをするのが見えた。どうやら送球が三塁側へ逸れたらしいと新納は直感した。
 新納は二塁にスライディングすると反射的に体を起こし、三塁へ向かおうとし、二塁を離れた。
 だが、新納はもっと周囲の状況に注意すべきであった。なぜなら、逸れたはずの球は三塁手・本西のグローブに収まり、小川に転送されてきたからだ。
(なぜ、こんなところに三塁手が?)
 新納は何が起こったか理解する前にタッチ・アウトとなった。
 これこそ、土井監督が球史をひも解き、考え出した新納封じだった。彼が参考にしたのは巨人が、今彼が率いるオリックスの前身、阪急と日本シリーズで対戦したときの策だった。当時の巨人・牧野コーチは、阪急・福本の足を封じるため、様々な作戦を立てた。
 そのなかに、わざと捕手に暴投させて二塁手にカバーさせ、三塁に転送するというのがあった。土井はその作戦を応用したのだ。
 一度手の内を見せてしまえば二度と使えない作戦だったが、見事に成功し、新納をアウトに出来て、土井は満足だった。
 この結果、千葉ロッテは反撃の手を失い、完封負けの憂き目を見た。
 さらに千葉ロッテの憂き目は続く。このオリックス戦であわよくば首位に、と目論んでいた千葉ロッテは逆に連敗を食らい、三位に転落してしまった。
 続く西武戦にも一勝二敗と負け越し四位となり、千葉ロッテもここまでか、と言われるようになってしまった。
 新納も先の失敗以来慎重になり過ぎ、盗塁をしかけられなかったり、スタートが遅れて失敗することがしばしば起こるようになった。

 この後、千葉ロッテはどうにか第12節・6月25日からの対オリックス戦で雪辱し、結果的に三位に浮上した。しかし上をゆく西武、近鉄を捉えられないまま、いたずらに日程を消化していた。このままではいつまた四位に後退することになるか、分かったものではない。
 この千葉ロッテの窮状を救ったのは、調子を崩した宇野に代わり、出場選手登録をされた丹波健二であった。
 第15節・7月13日からの東京ドームでの対日本ハム戦。一時は首位に立ったものの、今や福岡ダイエーと五位争いをしているチームに勝ち越せないようでは先が思いやられる。とばかりにコーチ陣の檄が飛ぶ。
 この試合、千葉ロッテの先発は新人の武藤。日本ハムは西崎を立ててきた。
 しめりがちの千葉ロッテ打戦であったが、この日はホールのツーランや堀のタイムリーなどで5点を挙げた。
 日本ハムも負けてはいない。ウインタースとシューのアベックホームランが飛び出し、武藤をマウンドから引きずり下ろした。
 スコア5−7と二点差を追う千葉ロッテは七回表に、西崎の後にマウンドに登った芝草を攻め、二死ながら満塁のチャンスを得た。
 ここで宇野に代わり、五番に入った丹波に打順が回ってきた。丹波は五試合にスタメンで出場し、四割近い打率を誇っているものの、いまだホームランは出ていない。
 しかし丹波は、今日は打てそうだ、という気がしていた。というのはここ東京ドームは丹波にとって記念すべき、縁起のいい球場だからだ。
 丹波は社会人時代に東芝の四番を打っていた。そのとき、毎年東京ドームでおこなわれる都市対抗野球で、91年に九本のホームランを放って関係者を驚かせたことがあるのだ。それまでの記録は四本だから、いかに丹波の長打力が凄まじいか伺える。
 昨年こそ、金属バットに慣れた体と独特のフォームがプロの球についていけず、わずか一安打に終わったが、いつまでも同じ失敗をするほど頭は悪くない。
 芝草の初球、丹波は強振した。だが三塁側スタンドに飛び込むファール。次の球は明らかにそれと分かるボール。
 つづく三球目。低めに伸びるストレート。丹波は今度こそ真芯で捕らえた。
 するどい打球は快音を残し、左中間に飛び込む満塁ホームラン。一気に逆転した千葉ロッテは、武藤のあとを継いだ伊良部から、河本へと継投して逃げ切った。
 続く対近鉄三連戦の初戦は落としたものの、新納のホームスチールなどがあって、残る二試合に勝利して二位近鉄との差を三とした。
 そして優勝の可能性を残しつつ前半戦を終了しオールスターゲームを迎えたのである。

 7月20日、21日のオールスターゲームはパリーグが二勝して、パリーグファンの溜飲を下げた。千葉ロッテの選手も例年にない活躍を見せた。
 新納はオールスターゲームには縁がなかったが、それに先だって行われたフレッシュスターゲームに出場して快速を見せつけた。
 そして後半の最初は第16節・7月24日からの福岡ドームでの対福岡ダイエー戦。初戦を打撃戦で第二戦を投手戦でそれぞれ勝利した。
 続く第三戦。
 千葉ロッテの先発は園川。福岡ダイエーは村田。
 この試合は、第一戦を上回る乱打戦となった。まず初回に園川が捕まり、3点を献上。対する千葉ロッテも序盤に調子のあがらない村田を捕らえ、五回までに6点を奪った。負けじと六回裏、福岡ダイエーは佐々木誠が満塁ホームランを放ち園川をマウンドに沈めた。
 千葉ロッテは、村田と変わった池田に七回こそ三者凡退を喫したが、八回、猛烈な反撃に転じた。
 この回、六番・初芝がセンター前ヒットで出塁すると、とりあえず同点にと考えた八木沢監督は新納を代走に送る。新納はきっちりと盗塁に成功し、七番・愛甲のライト前ヒットで一気にホームを駆け抜けた。これで同点。
 だが千葉ロッテの攻撃は止まらない。八番・青柳はライトフライに倒れたが、九番・平井の右中間を深々と破るタイムリーニ塁打を放った。
 この後、一番・堀が四球を選び、二番・西村がライト前ヒットを放ちさらに一点を加えると、根本監督は、左の下柳をマウンドに送った。三番・マックス、四番・ホールと左打者が続くからだ。
 だがマックスを三振に討ち取った下柳は、ホールを攻め切れず四球を与え満塁としてしまった。そして五番・丹波に特大の満塁ホームランを打たれてしまったのだ。
 この結果、一挙七点を挙げて千葉ロッテは打者を一巡させた。つまり初芝の代走・新納に打順が回って来たのだ。
 「誰が代打に出るのかな?」新納はとりあえずネクストバッターズサークルに入ったもののバットも持っていない。
 ところがいつまでも代打は出てこない。不思議がっていると、八木沢監督が近づいてきた。
 お役御免だとばかりに新納がベンチに戻りかける。
「何をしとる、さっさと打席にはいらんか」八木沢が眉間にしわを寄せる。
「そのまま、うて、と?」
 新納が面食らって間抜けな返事をする。
「練習の合間に、盛んにコーチや選手にバッティングを教わっていただろうが」八木沢は言った。ほぼ勝利が確定した二死・ランナーなしという機会を利用し、その練習の成果を見ようというのだ。
「参ったな……」
 ベンチに引っ込んだ八木沢の後ろ姿を見送った新納は力無く呟く。なにしろヘルメットもバットも自分のものをもっていないのだから。
 新納は、体格の比較的似ている平井のヘルメットとバットを拝み倒して借りると、左バッターボックスに立った。
 福岡ダイエーの内野陣はこれをみると、極端な前進守備をとった。意地でもセーフティバントを許さないという構えだ。とてもバントできないと新納は感じた。
 しかも左対左。ただでさえ打てそうにない新納には辛い話だった。
 新納は、愛甲と平井のフォームを足して二で割ったような構えをとった。
 下柳の初球。内角高めのストレートがうなりながら飛んできた。
 ストライクであったにもかかわらず、新納はバッターボックスから、のけぞるようにして飛び出した。自分にぶつかってくる様に感じられたのだ。すかさず福岡ダイエーのファンから強烈なヤジが浴びせられる。
 新納は気を取り直してバッターボックスに戻る。膝が震えているのが外野からでも見えているのではないかという気がした。
 二球目は外角のまたストレート。だが全力ではない。だから新納がほとんど目をつむって振ったバットにかすった。
 球はわずかに角度を変え、審判をかすめてバックネットまで飛んでいった。
 新納は一瞬手がしびれてバットを取り落とした。新納はそれを拾い上げ、その手をじっと見た。もし今手袋を取れば、これまでの練習で出来た固いまめがはっきりと分かるはずだ。そう考えると少し気分が落ち着いた。自分だって全くの素人じゃない。
 三球目も内角低めのストレート。下柳は三球勝負に来たのだ。
(ストライクになる)
 新納は直感した。そうなればバットを振らない訳にはいかない。
 新納の振り出したバットはその先端で球を捕らえた。だが無理なスイングであったためバットに負担がかかり、球を弾き返すという役目を終えた瞬間、グリップからぽっきりと折れ、一塁コーチの足元へとすっ飛んでいった。
 だが問題は折れたバットではなく、弾き返された球のほうだ。その球は三塁手・森脇の頭上にあった。
 もし普通の守備位置についていたなら、なんの問題もない内野フライだった。しかしツーストライクになってもバントと信じ、前進守備をとっていた森脇はその打球に飛びついたが、抜かれた。
 記録は文句なしの安打。新納はその後盗塁も決め、千葉ロッテファンをおおいに喜ばせた。

 新納にとって、じつに試合出場61試合目にしての初打席、初安打であった。

第四話に続く

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