”幼なじみ”で行こう! 第一話

 

 
 夕暮れ時。いや、もうほとんど西の空の赤みは消え、紺から黒へと空は表情を変えつつある。
「当番制のハズなのに、どうして僕が毎日夕御飯を作ってるんだろう?」
 不毛なぼやきを漏らしつつ、シンジがコンビニエンスストアから出てきた。その途端、いきなり彼は前の駐車場でたむろしていた不良連中五、六人に絡まれる羽目になった。運の悪い奴である。
「随分と豪勢に買い物してるじゃねえか」
 中の一人が、ひどく巻き舌な口調で突っかかってくる。その間にも、他の連中がシンジの退路を断つように後ろに回り込んでくる。
(なんでこんな奴らを相手にしなくちゃならないんだよ……)
 シンジはげっそりした表情で、正面に立つ相手の胸に視線を落とす。まともに顔を見る気もしない。
「オカネモチ、なんだろ、なあ?」
「すこおし、ビンボーな俺達に貸してくんないかなぁ?」
 悪意の籠もった猫なで声は、すぐに実も蓋もない罵声に変わる。
「なんとかいえよ、こらぁ!」
シンジは仕方なしに顔を上げた。前にいる、直視したくもない男の肩越しに、別の人が立っているのが視界に飛び込んできた。髪の長い女性だ。
その女性がパンパンと手を叩く。
「はいはい、それくらいにしておきなさい」
 まるで、保母さんが幼児に対して叱っているような柔らかな口調。本気でこの非常事態を解決しようとしているのか、疑わしく思える。
 が、振り返って攻撃目標を変更しようとした不良連中の何人かが、驚愕の表情を浮かべて狼狽える。
「お、おい……」
 仲間同士で、小声で何やら会話をかわしたかと思うと、全員が妙な愛想笑いを浮かべてその場を離れていった。
 その場には、シンジと件の女性だけが残された。
「有り難うございました」
「いえ、どういたしまして。こういうのはきっと、お互い様だと思うから」
 そう言って優しげに微笑む相手に、シンジは警戒感を強める。
(こんなに大人しそうに見える人だけど、さっきの連中があんなに慌てるなんて。連中は、この人を知ってるって事だよな。誰なんだろう。もしかして、本当はすっごく恐い人なのか……?)
「大丈夫かな? ああいう不良さん達に目を付けられると――、ん?」
 恐い考えに陥りつつあるシンジの様子を不思議そうに見ていた女性が、小首を傾げる。
「あれ? 貴方、もしかしてシンくん?」
「え?」
 自分のことを”シンくん”と呼ぶ女性に、思い当たるのは一人しかいない。遠い記憶の向こうにいる女性、の筈だった。その瞬間までは。
 記憶の底にある少女の幻影が、今目の前にいる女性の姿と重なり、一つになった。大きく息を呑み、恐る恐る問いかける。
「……ひょっとして、……井上ナルミさん?」
「やっぱりそうだ! シンくんと、こんな所で会えるなんて」
 突然抱きすくめられて、シンジは目を白黒させた。
 これが、全ての始まりであった。締まらない状況ではある。
 

 
 コンフォート17マンション。
「シンジ、遅いわよ!」
 玄関の呼び鈴を受け、ドカドカと足音を響かせて、アスカが勢いよくドアを開いた。タンクトップに短パンというラフな格好。
 が、彼女の前に立っていたのは、見慣れぬ一人の女性。
「今晩わ、惣流=アスカ=ラングレーさん」
 丁寧にお辞儀する相手のペースに呑まれ、アスカも、
「ど、どうも」
 と頭を下げる。頭の上にクエスチョンマークを幾つか浮かべながら顔を上げて、ようやくその女性の傍らに、シンジが立っているのに気づく。
「女連れでご帰宅なんて、シンちゃんにしてはやるじゃな〜い」
 既にアルコール充填を完了しているミサトが、廊下の向こうから缶ビール片手に姿を見せた。
 

 
 リビング。
「へえ、つまり、シンちゃんの幼なじみって訳?」
「はい。とは言っても、最後にあったのも、もう何年も前のことですけどね」
 興味津々、と言った様子でミサトがテーブルの対面に座るナルミにあれこれと訊ねている。ナルミも律儀にその問いに応じている。その横でシンジは盛んに照れはするが、昔の話がまんざらでもないのか笑顔である。一人アスカだけが面白く無さそうにミサトの隣でそっぽを向いている。
「二人でよく遊んだんだ?」
「僕もナルミさんも、親元から離れて、居心地の悪い思いをしてましたから、気があったんだと思います」
「むぅ。シンくん、昔みたいに”なっちゃん”って呼んでよぉ」
 ナルミがわざとらしく頬を膨らませる。
「そんなの、出来ないですよ。恥ずかしいじゃないですか。もう子供じゃないんです」
「そういわれても、こんなに可愛い顔してるんじゃ、ねえ?」
 顔をひきつらせるシンジ。別の感情から同じく顔を歪ませるアスカ。二人の顔を見比べながら、ミサトがさらに質問攻めを再開する。
「ね、二人してどんなコトしてたの?」
 そう聞きながら、ミサトはアスカの様子を見ていた。シンジとナルミが何か言う度に機嫌が悪くなっていく様が、おかしくて仕方がないのだった。
「えーと、蝉を採ったりしてたかな……」
 はっきりしない記憶を辿るシンジが、その記憶を補強してもらおうとしてか、ナルミの横顔を伺った。が、ナルミはとんでもないことを口走る。
「シンくんはお医者さんごっこが好きでした。ね?」
 その瞬間、空気がひっくり返った。
 アスカが、頭が床に付くほどの勢いでのけぞる。そこに、”お医者さんごっこ”の単語に何を連想したのか、ミサトが口に含んだばかりのビールを霧状にしてアスカの顔に噴射した。その対面では、シンジがつんのめってテーブルに頭突きをかましている。当のナルミだけが、何が起こったのか判らずぽかんとしている。
「きゃあ〜!? ミサト、何すんのよ! 莫迦シンジも! お、お医者さんごっこって一体……!」アスカは、ミサトにビールを吹きかけられた事よりも、ナルミの言葉に衝撃を受けたようだった。酸欠の金魚のように口をぱくぱくさせている。
「あは、アスカ、ごめんごめん。って、二人してなにやってたの?」
 アスカの姿など何処吹く風、ミサトがテーブルに身を乗り出す。
「ナルミさぁん……。妙な言い方しないでくださいよ。お医者さんには違いないですけど、”獣医”なんですってば。それに、そんな昔のことを……」
 シンジが獣医という単語に力を込め、泣きを入れる。
「そうそう。シンくんが獣医さんで私が看護婦さんの役。近所の犬とか猫とかを相手に、診察をやるんですよ」
 懐かしそうに話すナルミ。ミサトは半分は安堵、残りは期待はずれ、といった風情で話を聞いている。
「あ、はは。そういうコト。……ところで。井上さんはどこに住んでるの?」
 ミサトがやや気まずそうに話題を変える。ナルミが住所を口にすると、ミサトがポンと手を打った。
「そこ、すぐ近所じゃないの?」
「そう……ですね、確かに、歩いて五分ほどでしょうか」
「スープの冷めない距離、か。くう〜。シンちゃん、良いわねぇ、幼なじみの美人のお姉さんなんて、そうそう居るもんじゃないんだから」
「良くないわよ!」
 何故かシンジの代わりにアスカが応える。そして憤然として腰を上げ、そのままバスルームに大股で行ってしまう。
「あらら、どうしたのかしら?」
「ミサトさんが吹いたビールが気持ち悪かったんじゃないですか?」
 ボケボケの二人。いや、今の空気を読み切れずにきょとんとしているナルミも含め、ボケボケトリオの結成であった。

 否。
 バスルームにて、「そりゃ、ちょっとばかり美人かも知れないけど……。でも、胸なら負けてないんだから」と呟くアスカも、やはりどこかへっぽこ化しているのであり、ボケボケカルテットと称するべきなのかも知れない。


第二話に続く

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