第三話

(八)


 九月になり、夏休みを終えた学生達は二学期を迎えている。放課後、高校の正門脇で聖志が軽トラックを停めて待っていると、やがて野球同好会の面々がぱらぱらと姿を見せた。
「よっしゃ、そろそろ行くか。昨日の一番手は誰だっけ」
「あ、オレオレ」と、鮎川が得意げに前に踏み出す。
 彼が助手席に乗り込んだところで、聖志は採石場跡地に向かって軽トラックを走らせはじめた。他の六人はランニングでその後を追う格好になる。
 もちろん、その差はぐんぐんと開いていく。
 先に到着した聖志は、鮎川を促して作業の準備をはじめる。
 採石場の跡地の一角には、二十メートル四方ほどの白い砂地が広がっている。田岡に作業を止められるまでに運び込んだ砂だった。雑草を刈り取って採石場の隅に運び、飛び出した岩をノミで砕いて逆にくぼんだ場所を埋める。運び込んだ海岸の砂をフルイにかけて貝殻やゴミを取り除いて敷き詰めていく。それらのほとんどが、人海戦術に頼ったものだ。
 やがて、ランニング組が次々と姿を見せる。一番乗りを果たした者が、今日の学校までの帰り道を、軽トラックに乗って戻れるというルールだ。
 この日の一番乗りは倉田だった。他の面々も相次いで到着する。
 全員が顔をそろえたところでまず最初にはじめるのは、入念なストレッチングだった。土木作業をトレーニングの一環と考え、その前に身体を柔軟性を高めておくのは無駄ではないはずだった。無理な力作業で身体を痛めるのも怖い。
 聖志は指示を出しながらも自ら率先して身体をほぐしてから、土木作業に取りかかる。
 不思議な光景だった。砂漠のオアシスとは言い過ぎで、むしろ逆に荒れた岩場の真ん中に砂漠が出来ていく状態なのだ。
 決して見栄えのよい景色ではないが、陣地を広げるように整地された部分が少しずつでも日々広がっていくのを見るのは、気持ちの良いものだった。
「そろそろ内野はなんとかなってきたかな」
 全員でひとしきり今日のグラウンドづくりの作業を終えたところで、ようやく今度は二人一組となってキャッチボールとなる。試合で使っていた使い古しのボールが四つあるので、かろうじて全員がキャッチボールに参加出来る。
 が、ゲージのたぐいが手元にないので、打撃練習は新聞紙を丸めて作ったボールのトスバッティングがせいぜいだ。もっとも、素振りの段階からやり直す必要のある者もいるので、高度なことが出来ない環境はかえって好都合かも知れないと聖志は考えている。
 基礎の基礎ですら、指導者のいないまま見よう見まねで身につけている同好会のメンバーの中には、妙な癖がついてしまっているものが少なくない。しかし、資質的にはけっこう粒ぞろいなのは救いだった。
 二年生は同好会の代表である秋上の他、柴橋、鮎川、倉田の他、先日の試合には顔を出していなかった横路をいれて五人。一年生は深田の他、やはり家の都合で試合に出ていない持友というメンバーがいた。都合七人。沖野を人数に含めても八人で、試合が出来る最低人数である九人にすら満たない。
 そのあたりは秋上に言わせればあまり心配していないという。先日の試合に参加していた中学三年生が二人いて、彼らの入部は確実。そして他にも三人ほど、誘えば入部しそうなアテがあるとの話だった。
 だが、ともかくグラウンドをどうにかしなければ何もはじまらない。
 日が西に沈むと、ナイター設備など望むべくもない採石場跡地の練習も終了となる。
 岩くれや、フルイにかける前の砂山にめいめいが座る。皆で飲む運動後のスポーツドリンクは最高にうまいが、これも毎日となると出費はばかにならない。
「砂浜から持ってきた砂を敷いただけだから、何か他の土を混ぜないと、内野の守備練習で踏ん張りが利かない感じですね」
 横路が白いグラウンドの一角を眺めながら、眼鏡の似合う端正な顔を曇らせている。学年でも十番以内に入る頭脳の持ち主だという話だが、その彼にも名案は思い浮かばないらしい。
「第一、足腰の鍛錬にはいいけど、ボールが弾まないですし」
「内野だけでも、どっかから黒土を手に入れなきゃとは思ってるんだが――」
 砂利道を踏みしめる自動車のタイヤの音が聞こえ、聖志は言葉を半ばで途切らせた。
 みれば、田岡の軽自動車が坂道を上ってくるところだった。
「話し合いの結果が出たのかな」
 期待と不安を半ばずつ抱えながら、聖志は腰を上げた。自然と秋上達もそれに倣う。
 運転席から降りた田岡を、聖志達がぐるりと取り囲む格好になった。
「ずいぶんと物々しいな」注目を浴びて田岡が苦笑を浮かべる。
「話はついたか」
「ああ。単刀直入に言うぞ。やはり、島の財産である砂浜を勝手に使わせるわけにはいかないんだ」
「それじゃあ、このまませっかくの場所を遊ばせておくつもりなのか」
 気色ばむ聖志を前に、田岡は大きく首を振った。
「いいから最後まで聞けって。というか、ちょっとこっちに来い」
 そう言うや、田岡は採石場の南側にむけてさっさと歩き出した。聖志達は顔を見合わせ、首を傾げながらついていく。
「砂浜の代わりに、お前達には、あの山をやる」
 立ち止まった田岡が指さしたのは、採石場の南隅から見えるこんもりと盛り上がった小山だった。採石場跡地よりも雑草と若木がびっしりと生い茂って青々としている。
「山……? 山なんかもらってもな」
「判らないか? あれはここから石を切り出す前にその上を覆っていた山の土を捨てた結果だ。つまり、土を積み上げた一種のボタ山なんだよ」
 聖志ははっと息をのんだ。
「そうか。その土が使えるなら、砂浜の砂よりいいグラウンドが作れるかも知れない」
「そういうことだ。まったく、稟議をまわして方々に頭をさげて。許可をもらうのに、えらい苦労したぞ。ちょっとは感謝してもらわないとな」
 厳しかった田岡の表情が、ようやくゆるんだ。それとは対照的に、今後の作業手順を脳裏に描きはじめた聖志は、鋭い視線を小山に向け続けていた。

(九)


「あら、またコンビニのお弁当ですか?」
 旅館の部屋に戻ろうとしていたところを、すっかり顔なじみになった仲居に見つけられ、聖志は照れ笑いを浮かべた。手には弁当の入った袋がさげられている。
 ちなみに聖志が弁当を買った店はコンビニとはいうものの、全国展開をしているコンビニエンスストアではなく、雑貨店に毛が生えた程度の店にすぎない。それでも品揃えが結構豊富なのと、商売敵が島内にないせいか、それなりに繁盛しているようだ。
「いやまあ。結構長いあいだここに泊まることになりそうなんで、節約しておかないと、持ち合わせにも限りがありますんで」
「そうですか。力仕事のあとだと、しっかり食べておかないと身体に障りますよ」
 母親が子供に諭すような口調でいわれてしまうと、聖志としては返す言葉がない。
(それにしても、もう俺がどこでなにをしてるのかバレバレなんだな)
 狭い島のことで、プライバシーなどあったものではないと実感できる。
 そそくさと部屋に入り、弁当を前にして腕組みをして考え込んでしまう。
「せめて、どこかで部屋を借りられたらと思うんだけどなあ」
 探せば、空き部屋ならあるだろう。しかし、実際に部屋を貸して商売になるような土地ではないから、交渉はやっかいそうに思え、ため息がもれた。

(十)


――光を放つ 我が拳  光を放つ 我が拳
  爆発寸前 星となる
  ぞっこん 萌え萌え  ロンリーウルフ
  平和の光が  沸き立つ希望を仰ぎ見よ ヘイ!

 フルイにかけられて出た石ころや木の根を一輪車に乗せて運ぶ鮎川が、なんとも頭の悪そうな替え歌を喚くように唄っている。元は冲鷹高の校歌らしい。
 作業中の単調で面白くもない気分を紛らわせる為には、バカみたいな替え歌を作るぐらいしか楽しみがないのだ。しかし、よほど気に入ったのか、エンドレスでリピートされると、さすがに苦言の一つも挟みたくなる。
「なんか、元の歌詞がさっぱり想像出来ないな。公式戦で替え歌はやめとけよ」
「どうせ、正式な歌詞はスピーカーででっかい音で流されるんだから、別に替え歌でも大勢に影響はないでしょ。というか、公式戦があればいいですね」
「まったく。調子に乗るなよ」
 そう声を掛ける聖志は、「うぃーっす」と適当な返事をよこして屈託無く笑う鮎川とは対照的に、表情が冴えない。 
 土の問題がとりあえず解決したとはいえ、まだまだ問題は山積していた。
 気分一新で取り組む次の日からの作業において最初に行ったのは、雑木林も同然の状態となったボタ山に、山頂までの道を切り開くことだった。人間が適当に土砂を積み上げて作ってしまった山だけに、下手に麓から無計画に削りだしたのでは、土砂崩れのおそれがあったからだ。
 採石場から軽トラックの荷台に全員が乗り込み、ボタ山の山頂に向かうのが日課となった。そこで鉈やノコギリで雑木を切り倒し、根っこを掘り返し、スコップで削り取った山土をどんどん荷台に載せていく。フルイを使って石を取り除くのは採石場に戻ってからだ。そうしないと、ボタ山に石ばかり残っていくことになる。
 聖志達を悩ませたのは、心ない採石関係者が放置していった様々な産業廃棄物だった。
「なんか、掘っていたらタイヤが出てきましたよ」
 山から下りてきた柴橋が、うんざりとした顔で聖志に報告する。
「いいじゃないか。タイヤならいろいろと使える。タイヤ引きとか、バットの素振りで芯で叩く練習とか」
「普通の大きさのタイヤならともかく、ダンプのタイヤですよ。あんなもの引いたら、腰がちぎれますって」
「うーん、何個かつなげてローラー代わりに使えるようにならないかな」
「あ、それいいですね。本物を買うお金なんてどこからも出てきそうにないですから」
 などという、いじましくも笑えないやりとりを時に交えながらも、掘り出された土は片端からフルイにかけられた上で採石場に敷き詰められていった。
 幸いにも、ボタ山から運び出した土は目が細かく、砂浜の砂と混ぜ合わせると適度に締まり、非常に良いコンディションのグラウンドが作れそうだった。
「土の質だけなら、甲子園にも負けてないぞ」
「そういや、如月さんは甲子園の土を触ったことがあるんすね。田岡さんが自分のことみたいに自慢してましたよ」
 鮎川が笑い声をあげる。聖志は曖昧な表情を作っただけで答えなかった。
 嘘をつくつもりもなかったが、あえて甲子園出場経験者だと自慢する気にもなれなかったのだ。結局のところ、人生の成功者になりそこねたという屈折した思いが心の奥に沈殿していた。
 咳払いして、話題を変える。
「それより、沖野はどうなんだ」
 結局、それが聖志にとっての目下の懸案だった。ゼロからスタートする野球部にどれほどのことが出来るのか見てみたいのは事実だ。だからこそのグラウンドづくりだが、その野球部の中心に沖野かもめがいるのといないのとでは、話が大きく異なってくる。
「えっと、いちおう話はしてるんですが」
 かもめに話を付けてくれるように、聖志が前から頼んでいた秋上だが、新入部員の獲得と異なり、どうにも歯切れが悪い。
「やっぱり、如月さんにデッドボール当てたの、気にしてるんじゃないですか」
 と、鮎川が横から口を挟む。
「どうかな。俺が重傷だってんならともかく、こうやってピンピンしてるわけだし。というよりも、あんまり野球が好きじゃないとか」
 と答えつつ、年頃の女の子の考えることは判らないからな、と思い直す。試合経験が多ければ、不可抗力としてデッドボールを当ててしまうこともやむを得ないと思えるようになってくる。現に聖志自身も、何度も当ててきた。だが、それをかもめに求めるのは酷なのかもしれない。
「それはないと思いますけどね」
「考えてみれば、このグラウンド作りにしても、こっちが勝手にやってることだからなぁ。沖野のためにやってるんだなんて恩着せがましいことは言えないよな」
「でも実際のところ、沖野がいなきゃ、話にならないんだし。ただでさえ頭数が足りないっていうのに、ねぇ」
 と、鮎川が腕を組む。つられるように聖志も思案げな顔になったが、ややあって吹っ切るように膝をぽんと叩いて立ち上がった。
「仕方ない。オレが直接話すよ。家の場所、判るか」
「え、はい。自分の家のすぐ近くですから」鮎川が手を挙げる。
「じゃあいったん学校に戻ってから行くから、その時に鮎川は助手席に乗ってくれないか」
 指名された鮎川は相好を崩す。学校から家までの距離は歩いて通える距離とはいえ、疲れた身体を引きずって歩いて帰るよりは、やはり自動車に乗れるのはうれしいのだろう。
「あ、オレも行きますよ」
 秋上が申し出るが、聖志は首を振った。
「いいよ。大勢で押し掛けたら向こうも困るだろ。第一、軽トラに三人乗りはキツいしな」
 荷台に乗せて見とがめられでもしたら元も子もないのだ。
「はぁ」
 聖志の返事に、秋上が目に見えて肩を落とす。責任感の強い男だな、と思いながらも、変なほめ言葉のような気がして聖志はそれを口にはしなかった。

(十一)


 日が落ち、薄暗くなった道をヘッドライトを灯した軽トラックが走る。
 ハンドルを握りながら、聖志はどうやってかもめを説得しようか考えていた。否応なく、飛び込みの訪問セールスをしていた時の頃を思い出してしまう。愛想笑いと頭を下げることばかりが身に付いた四年間だったような気がする。しかし、今必要なのはセールス用の話術ではなく、本物の説得力であるはずだ。
(同好会のメンバーだってんなら、まだ話は早いんだけど)
 元々野球同好会は、去年の春、入学したばかりの秋上が中心となって作ったものだった。
 部に昇格するには二年間の活動が行われていなければならない、との校則があるため、野球部として活動できるのは来年の春を待たねばならない。
 それまでは部費も部室もない。そんな環境で野球に打ち込んで成果を出せるのか。
 むしろ本当にかもめの才能を認めているなら、もっときちんとした野球部のある高校に転校して、一からその素質を磨き上げるよう薦めるべきなのかも知れない。
(それを言い出さないのは、俺のエゴかも知れないな)
 いずれにせよ、かもめの真意をじっくりと聞いてみるつもりだった。そうでなければ、説得のしようがない。
「ここですよ、ここ」
 助手席の鮎川が指さした家をみて、聖志は少しばかり驚いた。漠然と抱いていたイメージとはかなり違っていたからだ。
「すごい家だな。旅館みたいだ」
 厳めしい門構えの向こうに、広い庭のある二階建ての立派な日本家屋が建っていた。
「それ、当たりですよ。本当に旅館でしたから。今はもう、やってないんですけどね」 
「俺の泊まってる民宿よりかなり格上にみえるな。たいした観光地でもないのに、この造りは大げさすぎたかもな」
 阿久津島の古い道はどこも狭く、ただ通るのでさえ結構苦労するのだが、門の前には車を停められる幅のあるスペースがあった。ありがたくそこに軽トラックを横付けする。
 エンジンを切り、軽トラックから降りると、着ている服のあちこちから砂がこぼれた。
「なんだか砂まみれですよ」「いやまったくだ」
 二人してその場で飛び跳ねたり腕を振ったりして砂を落とすが、綺麗になるはずもない。
「民宿で、文句言われません?」
「けっこう言われるよ。ひと山できるほどだってな。けど、こういう家を前にすると、よけいに気になってくるな」
「昔からの建物ですからねえ。あ、沖野の家は、母子家庭なんです。話に聞いたところじゃ、親父さんは蒸発してしまって、その後、お母さんは結構苦労してるみたいですよ」
 鮎川が周囲を気にしてからこっそりと耳打ちする。デリケートな家庭の事情に踏み込む可能性があるから気をつけろ、といいたいらしい。
「そうか。この島の中じゃ、プライバシーなんぞあったもんじゃないってことだな」
「そういう言われ方をすると言葉もないっすけど。山の中でも、田舎ってのはそんなもんじゃないんですか?」
「言われてみりゃ、ウチの里でもおんなじようなもんだったな」
 いま気づいた、と言いたげな聖志の口振りに、鮎川は肩をすくめた。

 聖志は鮎川を家に帰し、あらためて門前に立った。
 元が旅館だからか、門の近辺にインターホンは設置されていない様子だった。門扉は開かれたままになっているので、そのまま庭の中に入る。
 飛び石を歩きながら、庭の様子を観察する。荒れているとはいかないまでも、十分な手入れがなされていないように見受けられた。家の様子から相手の懐具合を探るのが、セールスマン時代に身に付いた習性になってしまっている。玄関先の整頓具合一つで、相手の性格判断までやってのけるのが常だった。
 そうやって相手の購買意欲が『脈あり』か否かを素早く判断出来なければ、結局無駄な時間をつかい、お互いに不満の残る結果になってしまうからだ。
 そんな生活にいい加減、嫌気がさして辞表をたたき付けて来たというのに、未だに染みついた習性から逃れられずにいる。
 幅の広い玄関の横の柱に、とってつけたようなインターホンを見つけて押す。返事があるまでの間に、つい反射的にネクタイを直そうとしてしまう自分に気づいて嫌気がさす。
 やがて、インターホン越しではなく、直接玄関の引き戸が開いて、かもめが顔をのぞかせた。ショートパンツにTシャツというラフな格好が、重厚な造りの家には少しばかり似つかわしくなかった。
「あ、この間の」
 バツが悪そうな顔になったのは、まだデッドボールの一件があるからだろうか。
「やあ。ちょっと話があって来たんだ」
 つい、聖志は営業用の作り笑いになって明るい声を出してしまう。商売をしにきたんじゃないんだぞ、と自分に言い聞かせるが、一度作ってしまった笑顔は、途中で取り消す訳にもいかない。案の定、かもめは怪訝そうな顔になった。
「いいですけど、まだお母さんは帰ってきてないです」
「いいんだ。話があるのは沖野だから。えっと、俺達が島の南にある採石場でなにをやってるか、なにか聞いてるかな?」
「一応は。野球同好会を野球部にするために、グラウンドを作ってるって」
「そう。で、その件で話をしたいと思って来た訳で」
「判りました。中にあがってください。あんまり綺麗にしてないですけど……」
 かもめが引き戸を開いて身体を引っ込める。遠慮なく聖志は玄関に足を踏み入れた。
 さすがに元旅館だけあって造りは立派なものだった。が、整頓が行き届いているというよりは、装飾品の類がほとんどない玄関周りは、なにか殺風景なものを感じさせた。
(めぼしいものを売り払わなきゃ、生活できなかったなんて話じゃないだろうが……)
 一抹の不安を抱きながら靴を脱ぐ。足の裏を何度もはたいてこびりついた砂を落とす。ひょこひょこと歩くかもめに連れられ、玄関をあがって左手にある和室に案内される。
「どうぞ」と、やたら分厚い座布団を勧められる。
「どうぞお気遣い無く、ってところだよ。こっちとしては」
「はあ。あ、わたしの足はこんなですから、だらしなく座りますけど」
 そう言いながら、かもめは左足を投げ出すように伸ばしたまま、足を開き気味にして腰を下ろした。ショートパンツ姿だから、義足をつけている部分は隠すものもなく露わになっている。膝の上に細いベルトが通っていて、膝のすぐ下までソケット状の器具に覆われている。これだけがっちりと膝をしめつけているのでは、正座するのは難しいだろう。
「さて、と。どう切り出したらいいものか、正直考えあぐねてる」
 まじまじと左足の義足を見るのも気まずく、かといって目線をそらすのも失礼な気がしたこともあり、聖志はかもめの顔を真正面から見据えながら、言った。
「と、言いますと」
 上目遣いで、聖志の言葉を待っていたかもめが少し首を傾げた。
「グラウンドづくりの事を知ってるなら、俺達が合間をぬって、狭い場所でも出来るような野球の練習を工夫してやってることも知ってると思うんだ。それでも、沖野はこれまで一度も顔を出そうとしないもんだからな」
「え? ああ、それは……」
「こっちも無理強いは出来ないことだし、沖野がそんなふうに毎日練習をしてまで野球をやるのはイヤだって言うなら、残念だけど仕方がない。でも、俺としては、沖野が公式戦であの速球を投げるところをなんとしても見てみたいんだ。だから、今すぐではなくても、気が向くようなことがあったら――」
「ちょっと待ってください。どういうことなんですか」
 眉をつり上げ、かもめは歯切れの悪い聖志の言葉を中途で遮った。
「いや、気に障ったら謝るよ。俺としては、いや、他の連中もそうだが、あくまでも沖野の気持ちを尊重して」
 聖志が言い訳じみた口調で話すのを、かもめはまともに聞いていなかった。
「つまり、如月さんは」食い入るような目つきになって身を乗り出す。「わたしが野球をやる気がないから、グラウンドづくりにも練習にも参加しないって、言うんですね」
 そう呟くや、かもめは顔を伏せ、肩を振るわせた。
「お、おい」
 とまどう聖志が腰を浮かす。やがて、かもめが顔を上げた。こみあげてくる感情をかみ殺しているかのような、泣き笑いの表情をしていた。
「ああ、なんてことなんだろ……。そんな話は、最初に教えておいてくれたら」
「どういうことだ?」
「参加したくなかったんじゃないんです。みんなと一緒にグラウンドを作って、野球をやりたくて仕方なかったのに、誰も、一緒にやろうって言ってくれないから我慢して……」
「なんだって」
 聖志は目をしばたたいた。秋上の、どこか後ろめたそうな表情を思い出す。
「なんでそんなことで我慢しなきゃなんないだ。やっぱり、この間の試合でデッドボールあてたのを気にしてたのか」
 こくん、とかもめがうなずく。
「それもあるし、わたしは正式には同好会のメンバーに入ってないし」
「なんでそんなことを気にしなきゃならないんだ。沖野の球は全国で通用する威力を持っている。それは、俺自身が身をもって知ったんだから、間違いない」
 かもめはいきなり跳ね上がるようにして立ち、大声をあげた。
「じゃあ、わたしも混ぜてください。明日から、すぐに!」
 その一声で、大きな懸案が払拭された。

(十二)


 ややあって、かもめがぽつりと尋ねた。
「如月さんは高校生の時ピッチャーだったんですよね。甲子園にも行ったって」
「ああ。一応、社会人でも投げてた。といっても、すぐに腕を痛めてしまったから、ほとんど試合の記録は残ってないんだ」
 そう説明した聖志は、かもめの視線が向けられていることに気づいた右腕を振って、「今は特に傷まないけど。ボールを投げ続けたら、どうなるかは判らないな」と付け加える。
「ふうん。それで、わたしにも公式試で投げられるチャンスはあるんですか」
「野球部を作って、高野連に登録すれば、地区大会に出場することは出来る。だから、試合にでるだけなら簡単のはずだ」
 聖志の言葉に、かもめがすぐに相好を崩す。
「嬉しいな。夢みたい。誰もそんなこと言ってくれなかったから、考えたこともなかった」
「夢は基本的には、自分でつかみ取るべきものだからな」
 我ながら白々しい台詞だと思ったが、かもめは聖志の意に反して考え込む表情になった。
「そうですね。如月さんでなくても、グラウンドを作ることは出来てたはずですもんね。行動を起こさなければ、なにも手に入れられない」
 目を伏せて視線を自分の左足に向け、自らに言い聞かせるように、小声で呟く。
 片足を失った結果、いったいどれほどのものを彼女は追いかけるのをあきらめてきたのかと考えると、聖志は胸がつまる思いがした。
「まあ、なんだ。とにかく来年の夏まであんまりのんびりしてるヒマはないんだ。他の高校球児が十年かけて身につけていく技術や知識を、一年足らずで全部詰め込むつもりでかかるからな。しかも、グラウンドを造りながらと来た」
「無茶ですねぇ」
「ああ、全くだ。いったい誰のせいだか」
 顔を見合わせ、ひとしきり笑った後、野球談義に花が咲くことになった。といっても、かもめはそれほど過去の名選手や名試合に興味はないらしい。自分でプレイする野球にしか関心がないようだった。
 それは、健常者に羨望の思いを抱くことを、半ば無意識のうちに拒否していた結果ではないか、と聖志は感じた。だが、これからは少なくとも彼女が引け目を感じねばならない理由は何もない。健常者と同じようにプレイできるはずだ。
 きっと、エースとしてピッチャーマウンドに立てるのだから。
 あの速球で球界をあっと言わせる日が来ることを想像すると、聖志は我が事のように気持ちが高まるのを感じていた。
「ところで、その足のことだけど、なんていうか、どうしてそうなったんだ?」
「うわ、そんなにストレートに聞かれたのははじめて」
 かもめが目を丸くする。
「普通なら聞いちゃいけない類の話だってのは判ってるよ。けど、病気とか先天的な障害だったりしたら、激しい運動をさせるべきじゃないから。確かめておかないと」
 聖志はバツの悪い思いをしながら弁解じみたことを言う。もっとも、当のかもめはさばさばした顔つきで、気を悪くした様子はなかった。
「別にいいですよ。遠慮ばかりされてるのもいやですし。それに、これは病気が原因じゃないです。六歳の時に、お父さんが運転してた車の後ろの席に乗ってて、まだ止まってないのに降りようとして、壁と車のドアとの間に挟んだんです」
「手術してつなげることは出来なかったのか」
「すぐ病院に行けてたら良かったんだろうけど、ちょうどその時台風が来てて、船が街までわたれなかったんだ、って後から聞きました。傷口もすっぱり切れた感じじゃなくて潰れちゃったから、どっちにしろ無理だったかも」
「そうか。大変だったな」
「ホント、大変です。このせいでお父さんとお母さんの仲は悪くなってお父さんは家を出ていっちゃうし」
 笑顔を作ってみせるかもめだが、さすがに屈託のない、とまではいかない。少なくとも聖志にはそう見えた。
「そうなのか」
 旅館を続けられなくなった原因がそこにあるのだとしたら、彼女の心の痛みはどれほどのものだろう。
「甲子園に出られたら、お父さんは観に来てくれるかなぁ」
 かもめがぽつりと漏らしたつぶやきに、聖志は掛ける言葉を思いつけなかった。

「っと、もうこんな時間か」
 聖志は壁にかかった時計に目をやり、口の端をゆがめた。かもめを相手に野球の魅力を語っている間に、知らず知らず、随分と時を過ごしてしまっていた。
「誰かいい人が帰りを待ってるんですか」
 いたずらっぽくかもめが上目遣いで尋ねる。しかしそれは本気の好奇心というよりは、その場の雰囲気から、冗談を言わねば間が持たないとの義務感から口にしたような響きがあった。
「まさか。民宿暮らしで、懐がだんだん寒くなってくるんでどうしようか考えあぐねてるところだよ。ここで泊めてもらえればどれだけありがたいか」
 聖志は冗談で切り返したつもりだったが、かもめは笑い飛ばさなかった。むしろ真剣な面もちで身を乗り出す。
「部屋はたくさん空いていますから、使ってもらっていいと思いますよ。営業してないから、食事とかは無理ですけど」
「そいつはありがたい。けど、そんな勝手に話をしていいのか」
 そこへ、折良く玄関から物音が聞こえた。
「かもめ、誰か来ているの?」
 少し険のある声が聞こえる。
「あ、お母さん帰ってきた」
 ひょこりと立ち上がったかもめが部屋を出ようとするより先に、すいと襖が開いた。
 やはり親子だけあって、面立ちはどことなく似ている。しかし、化粧気のない顔には、隠しようのない疲れが浮かんで見えた。
「どちら様でしょうか」
「如月と申します。高校の野球部創設にご協力しようと、グラウンド作りを手伝ってます」
「土方さんですか。前にトラックが停まっていますが」
 さぐるような目つき。相当に警戒されているようだが、自分が留守の間に一人娘のいる家に男があがりこんでいる状況を考えれば、警戒しない方がおかしい。
「まあ、そんな感じです。学生時代は野球をやっていたもので、娘さんに野球の話などしていました」
「そうですか」
「あのね、お母さん。わたし、如月さん達と一緒に野球をするから。グラウンドを作る仕事の手伝いもするつもり」
 横から口を挟んだかもめを、母親はちらりと見たが、すぐに聖志に向き直った。
「よろしいのですか。この子の足のことは、いまさら申しあげるまでもないでしょうが」
「はい。かもめさんの投げる球は男子顔負け、これから一年、一生懸命に練習すれば野球部を甲子園に導くことも可能かもしれません」
 勢い込んでそんな言葉を口にするが、母親にはさほどの感動を覚えなかったようだ。
「この子がやりたいというのでしたら、お手数でしょうが、お願いいたします」
 そっけない口調と共に頭を下げる。聖志は反対されなかっただけでもマシか、と気を取り直し「こちらこそ」と礼を述べた。
「それでさ、如月さんは島の外の人だから、ずっと民宿に泊まっててお金が大変なんだって。ウチで泊めてあげられないかな」
「本当に寝る場所さえ確保できればいいんです。ご迷惑はおかけしません」
 唐突な申し出だったが、母親は少しばかり考える表情になり、それからおもむろに顔を上げて言った。
「そうですね。お泊めするのは結構ですが、無料でというわけには」
「お母さん!」
 かもめが非難の声をあげるが、聖志はそれを手で制した。
「いや、タダで泊めろと無理強いするほうが不躾です。お幾らぐらいでしょう」
 母親が口にした金額は、民宿に泊まり続けるよりもかなり低額の、まずは良心的なものだった。聖志に断る理由はなかった。 
 かもめに空いている部屋は、二階にあがったところの一番手前の部屋だった。
「トイレは廊下の突き当たりにあります。ちょっとこの部屋からだと離れてしまいますけど、奥の方の部屋は、物置みたいになっちゃってて使えないから。うわ」
 かもめが部屋の電気をつけて中に入ると、うっすらと積もっていた埃が舞った。
「ごめんなさい。使わないところ、あんまり掃除とかしてなくて」
 かもめが顔を赤らめる。それを横で見ながら聖志は頬をかいた。
「まあ、これだけのでかい家に二人暮らしじゃ、手が回らないのも仕方ないよな」
「お母さんは今、干物工場で働いてるんです。女手一つじゃやっぱり旅館はやっていけなくて。わたしの足も、こんなだから」
 そういいながら、かもめは押入の襖を開け、布団を引っ張り出そうとする。聖志もただ見ているわけにもいかず、手を伸ばして手伝う。
「俺みたいに仕事もせずにふらふらしてるような奴を見れば、やっぱり腹が立つだろうな」
「ごめんなさい。そういうつもりじゃ、ないと思うんですけど」
 かもめが肩をすぼめて恐縮している。
「沖野が謝ることじゃないさ。むしろ、部屋を確保できて助かってる。食事と風呂と洗濯はまあ、なんとかするさ」
 うつむく沖野をみると申し訳ない気がしてきて、聖志は殊更に明るい声をだした。


 第四話に続く

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