第四話

(十三)


 翌日。聖志は採石場に向かう軽トラックを冲鷹高の正門前に乗り付け、部員達が顔を揃えるのを待つ。
 真っ先にユニフォーム姿の鮎川がやってきた。
「どうでした?」
「休み時間とかに聞いてないか? ばっちりだよ」
 ついでに宿も確保した、と付け加える。すぐ近所に住む鮎川にはいずれ気づかれることだから、下手に隠し立てしてよけいな詮索をされてもつまらない。
「そんな事があったんですか。俺は沖野とはクラスが違うから。ま、一件落着ですね」
「一応は。だけど、問題が一つ残った」
「秋上のことですか」
 鮎川の問いかけに聖志は難しい顔つきでうなずく。
「どうもわからない。秋上は、沖野を参加させたくないのかな?」
「そうじゃないと思いますけどねえ。なにしろ……」
 鮎川が周りを見回して声を潜める。
「いちいちもったいぶるな。まだ誰も来てない」
「実はですね、秋上は沖野のことが好きだったんですよ。というか昔、告白して玉砕してるくらいで。今はしれっとしてますが、腹の中ではどうだか。どうも、そのあたりが関係してるんじゃないかなぁ、とは思うんですが」
 鮎川の言葉は思いがけないものだった。
「ふぅん、秋上がねぇ。見かけによらない、とか言ったら怒られるんだろうな。あんまり沖野が注目されるようになると困るって感じか?」
 秘境にひっそりと生息する天然記念物のようなかもめを世間の目にさらすより、自分だけの宝物にしておきたいという気持ちは、なんとなく判らないでもない。
「けど、沖野本人がやりたいって言ってる以上、ダメとは今更言えないしな」
「そりゃそうです。沖野がピッチャーをやってくれないと、始まりませんから。秋上みたいなフラレ馬鹿のことなんか、気にする必要はないっすよ」
 鮎川が調子よく愛想をうつ。もしかしたら鮎川もかもめに気があるのだろうかと一瞬聖志は勘ぐりたくなったが、当の秋上が他の仲間達とやってくるのが見えたので、言葉にするのはやめにした。
 一番最後に姿を見せたかもめは、紺色のジャージ姿だった。
「ユニフォームとか持ってないのか?」
「なんにも無いですよ。わたしの家、貧乏だから」
 そう屈託無く笑われると、聖志としては返す言葉もない。
 聞けば、ユニフォームはおろか、スパイクもグラブも持っていないという。
「練習用ユニフォームは正式に部に昇格してから、まとめて購入するつもりです」
 横から秋上が言い添える。バツが悪そうな顔をしていたので、聖志はあえて何も言わずにいる。悪意があってかもめの合流を遅らせていたのでなければ、とがめだてする必要はなかったからだ。
「それじゃあ、とにかく揃えなきゃいけないのはグラブとスパイクだなあ」
 高校に野球部のない島に、それらの用具を扱うスポーツ用品店があるはずもない。それぐらいは、教えられなくても感覚で判った。
「つまり、街に出るしかないわけか」
 なんだかんだと出費がかさんでいる。しかし、ここで渋っていては先に進めない。
「ついでだから、ボールや他の用具もそろえよう」
「わあ、お金持ち。当然、如月さんが買ってくれるんですよね」
 かもめがはしゃぐ。
「言うなよ。こっちは退職金をつぎ込んでるんだからな」
 聖志が顔をしかめ、対照的にかもめ達は一斉に笑い声をあげた。 
 
「わあ」
 助手席にのって採石場跡地にやってきたかもめがはしゃぐような声をあげる。
 見晴らしの良い景色の向こうにむき出しになった岩肌がそそりたつ奇観もさることながら、砂山が幾つも作られ、また平らな地面に広がる眺めがなによりも目を引く。
「なにからはじめるんですか」
「まずウォーミングアップ。それから山に入って土砂を堀り出す組と、フルイをつかって石を取り除く組と、きれいになった土を敷き詰める組に分かれる」
「へえ。で、わたしはなにをすれば?」
「今日の所はフルイ組だな。楽そうに見えるかもしれないが、ずっとやってるとこれがけっこう重労働だ」
 二十分ほどかけてストレッチを行う。その後、それぞれが作業に取りかかる。
 山から土を運び出す為に聖志が軽トラックを運転して山道を登っていく。他の面々はローテーションを組んで様々な作業を割り当てられている。
 内野はほぼ完成しており、これまで学校のグラウンドで使っているベースを持ち込んで内野守備と走塁の練習が出来るようになっている。
 用具倉庫がないので、ベース類をいちいち持ち帰らねばならないのが目下の悩みの種だったが、これは使い古しのコンテナを運び込む事で解決できる算段がついていた。
 作業はおよそ一時間。その後、待望の練習となる。
 素振りや新聞紙で作ったボールを使ってのトスバッティング、キャッチボールや内野のノック、ベースランニングといったきわめて基礎的なものだが、限られた時間を有効活用する必要性を聖志も選手達もひしひしと感じているため、手持ちぶさたになる暇などないくらいに中身は濃い。
 かもめをいれても八名という少人数だから出来るきめのこまかい練習だった。
 もっとも、今日からはその毛色も少々変わったものになる。ピッチャーであるかもめが加わった以上、彼女は投球練習をメインにすえて別メニューをこなすことになるからだ。
 グラブはともかく、スパイクはどうにもならない。元々足の踏ん張りがきかないからあまり関係ない、とかもめに言われてしまえば、この件に関しては保留しておくしかない。
 グラブをはめて、格好がとりあえずさまになったら、まずは投球フォームの矯正など考えずに、思い切り投げさせてみる。
 できあがったばかりのマウンドには、山の中から掘り出した廃材を切ってプレートの形にして埋め込んである。
 かもめがスニーカーをその上に乗せた。キャッチャーズボックスでは秋上がミットを構えている。数球ばかり軽く投げ込んでから、本格的なピッチングを開始する。
 球威は前回見たとおりだが、相変わらずの荒れ球で、秋上も捕球には苦労している。さすがに困ったような顔をみせるかもめだが、聖志は小さく首を振った。
「思い切り投げてどれぐらいの速さになるのか、とりあえず見てみたいだけだから」
 実際は、球の速さよりも胸を張り、腕を真上から振り下ろす独特のフォームに目を凝らしている。どのようなメカニズムで速球が生み出されているかを知りたかったのだ。
 ほっそりとした見かけによらない強靱な腹筋と背筋の持ち主であることは間違いない。そして、もしそれらが足の傷害を克服するために自然と身に付いたものであるならば、肩、肘、手首を極めてやわらかく、しなるように使えるのは天性の才能だろう。
 そのフォームから投石機を連想し、ついでにカタパルト投法という呼び方まで思いつく。しかしカタパルトとは異なり、球離れの位置が身体のかなり前に来るため、速球の威力は倍増しているようだった。
「どんな握り方をしてる?」
 しばらく投球をみたあと、聖志は訊いた。
「えっと、こうですけど」
 かもめがボールを持った。縫い目に指先がきちんとかかっているのを確かめる。
「うん、間違ってない。指は、沖野ぐらいの身長にしては長いほうかな」
「そうだと思います」
「手首とか指とか、どれぐらい曲げられるかな」
 言われたかもめはボールをグラブにおさめ、右手首を前後に曲げてみせる。やはりかなりの柔軟性があった。
 ほっそりとした指先をみながら、不意に聖志の胸に恐れがよぎった。これから野球に本格的に取り組み、ボールを投げ、バットを振る以上、指先も掌もマメだらけになるのだ。
「これから練習をしていく訳だけと、突き指とかしたらすぐに治療をすること。ほっとくと、こんな風になる」
 聖志は自分の左手をかもめの眼前に向けた。薬指の第一関節が奇妙な形に節くれだっている。中学時代、ボールを捕り損ねて突き指したものを、医者に診せずに放置していたためだ。同じような指をしている者を、聖志は他にも何人も見ている。
「わかりました。でも――」かもめははにかみながら義足の左足に視線を落とす。「覚悟はそれなりに出来てるつもりですよ」
「判った。とにかく無理はしないように」
 元々左足がないぐらいだから、突き指で指が変形するぐらい気にしない。そんな台詞がかもめの口から出るのを恐れ、聖志は早口で応じた。
「それで、わたしの投げる球は、如月さんから見てどうですか」
 聖志の焦りに気づいているのかいないのか、かもめは誉めてもらいたげな目を向けてくる。しかし、コントロールの悪さは彼女自身も自覚しているだけに、言葉一つ間違うだけで自信を失うか、へそを曲げてしまう可能性が予想できた。
 これは思ったよりも大変なことを始めてしまったかも知れない。密かにそんな思いを抱きながら、聖志は咳払いの後に口を開いた。
「ボールをツブす感じが出来ている」
「それはどういうものですか」
 かもめが澄んだ瞳で聖志を見つめる。
「ツブすというのは専門用語じゃなくて、俺が社会人のチームにいた頃に使っていた言葉だ。高校の時は切ると言っていたような気もする。とにかく感覚的なものだから、正確な説明になってるかどうか判らないけど」
 聖志はそう前置きをして説明を始めた。
「うまいたとえじゃないかも知れないけど、机の上にビー玉かなにか丸いものを置くとする。その上に指を乗せ、やや手前に引く感じで力を込めて押していく。すると、最後にはパチンと弾かれてビー玉はバックスピンがかかった状態で前に押し出される。これが『ツブす』のイメージなんだ」
「なるほど」
「手首のスナップが利いてバックスピンがかかった球は、バッターの手元で伸びてくる。沖野は特に意識することなくこの球を投げるための手首の使い方を身につけているんだ。なんにせよ、ピッチャーをやるために生まれてきたような身体だな」
「ありがとうございます。でも、コントロールが」
「判ってる。しかしそれは鍛錬の問題だ。足腰の強化は言うまでもないが、なによりも投げ込みを重ねてフォームを固めるのが第一だ。経験さえ積めばコントロールも安定するが、速い球を投げる力はそう簡単に身につけられるものじゃない」
「はい。よろしくご指導お願いします」
 喜びを押し隠した神妙な顔で、かもめは頭を下げた。 

(十四)


 とはいえ、常識はずれのフォームから繰り出される速球が、かもめに無理に普通の投球フォームを覚えさせて、かえって球威が失われるようなことがあっては困る。
 指導の経験などない聖志にとっては、なにもかもが手探りでやっていくしかない。
 実家に長らく放置してあった野球のトレーニング練習法の参考書と、時間管理手法について記されたビジネス書とをあわせて段ボール一箱分、宅急便で取り寄せた。練習後、沖野家の二階に借りた部屋でこれらを引っぱり出して読み直すのが日課になった。
 速球一本槍ではなく、変化球も覚えさせる必要があった。握り方を一通り教えて投げさせてみたところ、カーブはなんとか磨けば実戦で使えそうだったが、他の変化球は時間がかかりそうだった。
 とりあえず聖志が得意としていた小さく曲がるカーブと大きく曲がるスローカーブの二種類に絞って変化球の練習を行うことにする。速球の威力があれば、二種類のカーブを織り交ぜるだけで充分に投球の幅をもたせられるはずだった。練習の合間の休み時間などは、秋上を交えた配球の組み立てについての講習をもっぱら行っていた。
 だが、投げ込みやウエイトトレーニングもさることながら、やはり一番の問題になるのはかもめの義足の問題だ。
 かもめの左足は切断箇所が膝に近く、膝関節をほとんど使えない状態になっている。
 走るといっても、健在な右足で二歩すすみ、バランスをとるように左足で一歩踏み出すという、スキップを跳ねるような動きが精一杯だった。
 靴べらをL字に折り曲げたような弾力性のある陸上競技用の義足は必要ではないが、かもめの使っている義足は激しい運動に耐えられるものではなかった。 
 それでも、かもめにもフィールディングや走塁といったプレイも教えていかねばならない。かつてセンバツで甲子園に出場した義足の選手は、チーム一の打率を誇り、盗塁までこなしていた。しかし、かもめにはそこまで機敏な足運びは期待出来なかった。
 障害の程度も異なるし、これまで必要としていなかったのだから致し方ないが、健常者に見劣りしないだけの動きを一年足らずでマスターするのは難しいかもしれない。
「策を考えておく必要があるな」
 ちゃぶ台に向かい、広げたノートにあれこれと書き込みを加えながら聖志は独り言を呟く。フェアプレイ至上主義の高校野球らしからぬ奇手奇策の類も、この際やむをえないだろう。選手生活の中で聞き知ったそれらのうち、いくつかは実戦で用いる覚悟を固めた。

(十五)


 秋の色が深まる季節になると、グラウンドの全容が見えてくるようになっていた。
 完成した暁には両翼百メートル、中堅百二十メートルの、甲子園と遜色のない広さを持つことになるが、外野部分は草を刈り取っただけでまだ手つかずの部分が残っている。
 それでも、練習の為にレフト側の整地を重点的にすすめたおかげで、外野の守備練習も出来るようになっていた。遠投でのバックホームやタッチアップといった練習などが本格的なものになっていく。
 しかし同時に、日没が日に日に早くなっていくため、十分な練習時間がとれないのがきびしいところだった。
 聖志はクールダウンを終えた選手達の中から、秋上を呼んだ。
「何度も同じ事をきいて悪いんだけど、新入部員の確保は大丈夫だろうね。あと、正式な部活動への昇格も」
 帰り支度をするかもめの姿をちらりと見てから、聖志が聞く。どうしても八人きりでは練習メニューを組むにも限界がある。
 なにしろ、実戦に向けた打順やポジションを固めることさえ不可能なのだから。いまのところ、かもめと秋上のバッテリー以外、具体的にはなにも決まっていないも同然だった。
「ええ。なんとか前から話してました五人全員、入部を確約させてます。それに、部長になってくれる先生にも話を付けました」
 顔を上げて秋上がはっきりと応える。前回、かもめの件では少々後ろめたい思いを感じているせいか、口調には気負いがあった。
「へえ。どんな先生?」
「牛尾っていう現国の女の先生です。あんまり野球には詳しくないと思います。他に引き受けてくれる先生がいなかったので」
 また何か隠している訳でもないだろうが、秋上の歯切れが悪くなった。野球を知らない野球部長になることが聖志の気に障ったらどうしようか考えているらしい。
 もっとも、聖志はさほど気にならなかった。自分の高校時代の経験から考える限り、さほど野球部長が大きな存在ではなかったからだ。
「まあ、そこは仕方ないな。野球は判らなくても、野球部に理解があってくれれば贅沢は言わないほうがいい」
「そうですね」
 秋上がほっとしたような顔になる。
「そうなると、あとは監督をどうするかだよなあ」
 聖志のなにげないつぶやきに、選手達が顔を見合わせて妙な表情をする。
「えっと、それは」
「どうした。あてがあるのか」
「というか。俺達は、てっきり如月さんが監督をやるものだとばかり。なあ」
 秋上が他の部員達に向けて言うと、一斉に皆がうなずいた。
「俺か? まあ確かに、いろいろとお節介なこともやってきたけど、監督になりたくてやってた訳じゃないぞ」
「と言われても、他にアテもないことですし」
 秋上が困り顔になる。なにしろ、野球部長を見つけるのも一苦労だったのだ。誰も好きこのんでこんなでたらめな野球部の監督になろうと手を挙げる大人がいるはずもない。 
「そうだ!」
 いつの間にか話を聞きつけて選手達の輪に混ざっていたかもめが、ぽんと手を叩いた。
「カントクって呼んであげてなかったから実感が湧かないんだよ。これからは如月さんのことをカントクって呼ぼうよ」
「そうか。確かに沖野の言うとおりだ」
 秋上が膝を叩き、あらためて真剣な面もちで聖志に向き直った。
「これからは、監督と呼ばせてもらいます。俺達は、如月監督についていけば、もしかしたら本当に甲子園に連れて行ってもらえるかも知れないと思って、今日まで練習してきました。よろしくお願いします」
 秋上に続き、他の選手達七人全員からも一斉に頭を下げられる。
 聖志は困惑はしたが、悪い気はしなかった。
「判った。監督どころか、コーチの経験さえないんだが、そこまで見込まれた以上は、やれるだけやってみるよ」
 聖志の返事に、期せずして拍手が起きた。

 第五話に続く

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