第五話

(十六)


 グラウンドが完成したといえる状態になったのは、ちょうど春休みのはじめ頃だった。どうにか間に合わせた、といったほうが、表現としては正しいのかも知れない。
 更衣室兼器具庫としてコンテナが運び込まれ、ネット代わりに、使い古しの漁網がグラウンドの四方を取り囲んでいる。
 きちんと土を盛って作ったマウンドの他、ブルペンもつくり、木の角材を埋め込んでプレートにしている。
 ベースはかなり痛みの激しい中古品だ。街に出てリサイクルショップで埋もれていたのを発見して買ってきた。
 夜間照明として、夜釣り用の誘漁灯を転用している。漁師を廃業した家に残っていたものを、自家発電装置と一緒に格安で譲り受けたものだ。自家発電装置が特有の振動を伴う唸りをあげ、照明が灯らせた時は、期せずして歓声があがったものだ。
 グラウンド全体をカバーするほどではないにしろ、内野の一角で練習を続けるには充分な明るさだった。とはいえ、当然ながら燃料が必要になるため、いつでも自由にナイターが出来るというものではない。
落成記念ということで、冲鷹高の卒業生や中学生の中から参加者を募り、来年度から野球部への昇格を申請する予定の同好会との記念試合を行うこととなった。野球部に対する理解を深め、また将来の部員確保を意図したものであることは言うまでもない。
 同好会は、この半年近くの練習成果の披露の場であり、かもめをマウンドに送る。もっとも選手が八人しかいないため、ライトには聖志が監督兼任で入る。
 OBと中学生の合同チームは、田岡が先発した。
 試合は、グラウンドを作りながらもボールに毎日親しんでいただけあって、同好会が投打ともに合同チームを圧倒する一方的な展開となった。
 かもめの制球力にはまだまだ不安な面も残っていたが、その球のキレは去年からさらに増しており、あるいはと期待させるだけの輝きを遺憾なく放っていた。
「今年の夏が楽しみだな」
 滅多打ちに遭ったにもかかわらず、試合が終わった後で田岡はうれしそうに言った。彼だけでなく、新生野球部の活躍に思いをはせるOB達の顔は一様に明るいものだったが、グラウンド造成に際して骨を折った田岡にしてみれば、ここまで漕ぎ着けられた感慨はひとしおだろう。
「ベテランの監督が率いてくれるのが一番だと思うんだが、他のなり手を今から見つけるのも大変だ。経験のない俺みたいな人間が引っ張っていくとなると、いろいろとまた無理を言う機会があるかもしれない。そのときは、頼む」
「あんまりアテにしてもらっても困るな。こっちはこのグラウンドに土をいれる稟議をまわした時点で、手持ちのポイントをほとんど吐き出してしまってるんだ」
 苦笑しながら首を振る田岡だったが、必ずしも嫌がってばかりはおらず、まんざらでもない様子だった。


(十七)


 新学期がはじまり、入学式が終わるとすぐ、秋上が以前から太鼓判を押していた通り、五名の新入部員が採石場グラウンドにやってきた。紅白戦をやるには少ないが、ともかく九人以上そろって対外試合が可能になったことは大きかった。
 少ないながらも部費が割り当てられ、それらは早速ユニフォームやグラブ、スパイクなどの個人の用具の他、ボールやバット、ヘルメットと言ったチームに必須の用具となって消え去った。これまで軟式用グローブでがんばっていた者もいるくらいだから、ようやくスタートラインに立てたというところだ。
 もちろん、部費だけでそれらの費用をまかなえるはずもなく、ほとんどは聖志の懐からの持ち出しだった。
「まったくとんだ仕事を引き受けたもんだよ」
 聖志はぼやきながらも、真新しい練習用ユニフォームに身を包んだ選手が総勢十三名、誇らしげにグラウンドに揃ったのをみると、眉を下げて泣き笑いの顔を作るしかなかった。
 それはともかく、聖志にとって掛け値なしにありがたかったのは、かもめが親友だという西津秀美をマネージャとして連れてきてくれたことだ。
「選手達には、目的があるからこそ無理をさせる。だけど、マネージャには否応なしに無理がかかることになるよ」
 得難いマネージャとはいえ、言葉で実状を飾って、あとで失望されても困るので、聖志はあえて厳しい仕事になると強調した。
 特に困るのは水の問題だ。もともと島の水道事情はあまり良くない。
 田岡の働きのおかげで、グラウンドへの散水用に採石場が稼働していた頃に使われていた工業用水が補修されたのと、汲み取り式のトイレが設置されただけマシだったが、飲料水は自分たちで水筒を持ってくるなどしなければ確保できない。
「仕方ないですね。かもめがやる気になってるのに、黙ってみてる訳にもいかないですし」
 秀美は肩をすくめてみせるが、はきはきとした口調からは既に覚悟は決めている様子がうかがえた。

「監督として、ご挨拶をお願いします」
 野球部の全員が顔をそろえたところで、鮎川が例によって調子に乗って聖志を促す。
「挨拶と言われてもね」
 しばししかめ面になった聖志は、意を決してプレハブの部室の壁にかけたホワイトボードの前に立った。十三人の部員とマネージャ一人の注目が向けられると、かつて何万という観客に見守られて白球に挑んだ経験者であっても、内心でたじろぐものがあった。
 記念すべき初練習の場に、野球部長になったという女性の教師が顔を見せていないのは少々気になるが、学校から離れた場所にグラウンドがあることでもあるし、熱心でないのはやむを得ない。聖志は気を取り直すように小さく咳払いをしてから、ホワイトボード用のペンを手に取った。
「まず、方針の意思統一をしておきたい。これから目指すのは甲子園大会出場だけど、その為にはなにより、強いチームを作らねばならないから」
 ホワイトボードの中央に『チーム作り』と書き、それを丸で囲む。そしてその丸から六本の枝を延ばし、その先に同じく丸を描いていく。
「俺は、この目標について六つのテーマを挙げる。すべてはこのテーマに沿って行動することになるから、覚えていて欲しい」
 六つの丸に、『基礎技術』、『打順・ポジション』、『筋力トレーニング』、『連係プレー』、『チーム分析』、『自己管理』といった項目が書き記される。
「さらに言えば、これらのやや抽象的なテーマは、さらに六つの具体的な練習メニューや部の運営スタイルとなる」
 基礎技術の項目からはじまり、素振り、キャッチボール(ボール回し)、スライディング、遠投……、と、それぞれの項目につき六つずつの小項目が書き加えられると、ホワイトボードはほとんど埋め尽くされてしまった。
「この中には、自己管理の欄に書いたように、食生活にまで口うるさく指示を挟むことも含まれている。はっきり言って、気楽なものにはならないと思うけど、せめて自分たちがどういう目的をもって、なぜそれをしなければならないのかを理解した上で練習に励んでもらいたい」
 そう締めくくると、部員達はしばしぽかんとしていたが、やがてまばらな拍手で応じた。
「……なんか、凄いですね。他の野球部って、みんなこんな高度なことやってるんですか?」
 やがて、秋上が後頭部をかきながらぼそりと言った。他の部員も同じような感想をいだいていたらしく、顔を見合わせながらしきりにうなずいている。
 聖志は秋上の言葉の意味を計りかねた。
「高度かな? 素振りやキャッチボールなんてのは基本中の基本だと思うけど」
「いえ、そうではなく。監督の説明の仕方が、なんかカッコ良くて。はじめてみますよ、こんな形の説明って」
 尊敬のまなざしを向けるのは秋上だけではない。かもめをはじめ、部員達はみな目を輝かせている。それは、この監督についていけば、もしかしたら本当に甲子園にいけるかもしれないという期待の現れだった。
 偏見だとヘソを曲げられてしまうかも知れないが、やはり良くも悪くも純朴だな、と聖志は嬉しくなる。こんな野球バカ達とこれから野球がやれる事に静かな喜びを感じていた。
 それをあまり顔に出さないように意識して、その代わりにあえて露悪的ににやりと笑う。
「そうか。実はな、これは俺が前に勤めていた会社でやっていた行動分析のテクニックなんだよ。そのまま使わせてもらっただけさ」
 会社勤めの経験はあながち無駄でもなかったらしい。しきりに感心している部員達を前に、聖志はなんとかやっていけるのではないか、と漠然とした期待を抱いた。

(十八)


 いくらかもめの球に惚れ込んでいるからとはいえ、彼女一人の力だけで勝ち抜いていく事に聖志はこだわってはいない。
 それに、かもめが引退した来年以降も、野球部は続いていくのだ。
 とりあえず一年生たちの実力を把握するために、キャッチボールや素振りなどをさせてみる。上級生に比べてかなり見劣りがするのはやむをえない。これまでの練習が無駄ではなかった事を、あまり喜んでばかりもいられない現実が証明してくれた。
 一週間ほど新入部員の基礎練習を見た上で、地肩の強そうな山中という部員を選んで投手として練習メニューを組むことにする。
 山中の投球フォームはまだまだ荒削りだが、腕を振りぬく際に遅れて出てくる肘の使い方も天性の才能があり、磨けば光る素質の持ち主に思えた。
 なにより、彼には時間がある。じっくり鍛え上げていく先々の楽しみがある。
「沖野の球がいくら速いからといって、真似しようと思うなよ。あれは、彼女にしか投げられない球だ。全身のばねを使って投げるフォームを身につけてくれよ」
「はい」
 これまで半年にわたって指導を受けているかもめ達とは違って、緊張している様子が初々しい。腕の振りやボールの握り、蹴り足の踏み込みといった基本的な動作を、文字通り手取り足取りで教える。
「沖野が万一の時は、リリーフに立つ可能性は充分にありえる。そりゃもうものすごい勢いでいっぱしのピッチャーに成長してもらわないと。ぼんやりしてる暇はないぞ」
 聖志の言葉に、山中は口元を引き締めてシャドーピッチングを繰り返す。その動作にしばらくのあいだ目を光らせていた聖志がふと気づくと、ブルペンのとなりのマウンドで、かもめがボールも投げずに自分を見ていた。
「どうかしたか」
「カントクはわたしにはなにも教えてくれない。変化球だって、カーブとスライダーだけで」
「そういうなよ。俺はコーチとしての勉強はなにもしてない素人同然なんだぜ。沖野みたいに常識はずれな球を投げられるピッチャーになにを教えられるってんだ」
「どうせわたしは普通じゃないです」
 かもめはぷいと横を向き、そのままブルペンを出ていってしまった。一塁側のファウルグラウンドの後方に作られた、グラウンド整備の時に取り除かれた小石の山に登って座り込んでしまう。
 怒鳴りつけて呼び戻すわけにもいかず、聖志は頭をかく。
「参ったね、どうも」
 忍び笑いが聞こえたので振り返ると、秀美が口元をおさえていた。
「監督が悪いとは言いませんけど、一度頭をさげておいたほうがいいと思いますよ」
「言葉が悪かったかな。去年からずっと沖野には、俺の出来る限りの指導はしたつもりだったんだが。あとはあの速球の制球力を磨き、スローカーブとスライダーの握りに慣れるためにも、ひたすら投げ込むだけなんだがな」
「そうはいっても、監督の気持ちが自分から離れてるんじゃないか、ってきっと不安なんですよ。これまで、投球練習の時は監督を独り占めだったんですから」
「どうもわからないな。俺が現役だったころは、たとえ正しいと判ってることでも、監督やコーチに頭ごなしにいわれると、無性に反発したくなったもんだ。ピッチャーってのはみんなそういう人種だと思ってたけど」
「監督。かもめは確かに野球部の部員でピッチャーですけど、その前に女の子なんですよ」
 秀美はそういってから、意味ありげな笑顔を作った。
 ところが。
「仲がいいんだな。友達思いだ」
 と、聖志が何気なく口にした言葉を耳にして、秀美は途端に顔をこわばらせた。
「そんなんじゃ、ありません。そんなんじゃ……」
 どうやら、かもめだけではなく秀美の機嫌も損ねてしまったようだ。聖志は、やれやれと首を振りながらかもめの元にむかった。
 左足を伸ばして地面に腰を落としたかもめは、傍らに立った聖志を無視したまま、小石を拾い上げてお手玉をして遊んでいる。
「沖野のことを、特別な才能のあるピッチャーだと言いたかっただけなんだ。言い方が悪かったのなら謝るよ」
 目線をあわせようと聖志がしゃがみこむ。かもめは手を止めたが、無言のままだった。
 仕方がない。聖志は切り札を使うことにした。
「……まあ、実を言うと、そろそろ沖野には新しい変化球を覚えて欲しいと思っていた頃なんだけど」
「本当ですか」
 効果はてきめんだった。沖野は一瞬喜色を浮かべかけ、慌てて表情を戻す。
 聖志は、内心でほくそ笑みながら真顔でうなずく。
「ああ。これまで大きく落ちる変化球と鋭く曲がる変化球ということで、スローカーブとスライダーを練習してきた。で、さらにピッチングの幅を広げるために、今度は小さく沈む変化球をマスターしてもらう」
「小さく、沈む……?」
 言葉を繰り返して首をかしげるかもめに、聖志は手にしたボールの握りをかざした。
「普通のストレートの握りに見えますが」
「握りかただけで言えば、その通りだ。ポイントは縫い目への指先のかけ方にある」
 聖志が握っているボールは、中指と人差し指を上にすると、縫い目がU字型に見えている。通常、右投手の場合なら、握り方は同じでも、縫い目はC字型になっているはずである。そのほうが指のかかりが大きく、回転がかかった伸びのある速球が投げられるからだ。
「これがツーシームだ。昔は単にシンキングファストボールって速球の一種として扱われていたんだけど、フォーシームと言われる普通のストレートと使い分ければ効果がある。速さはほとんど同じで、ボールが沈み込む軌道で飛び込んでくるから、タイミングがあっていてもボールの上っ面を叩いて凡ゴロになる」
「なるほど。じゃあ、さっそく投げてみます」
「よし、やろう。こいつはまだ山中には教えていない。きちんと通常のストレートが投げられるようになるまで、教えるつもりはないんだ」
「判りました」
 見え透いたおだてだったが、かもめはさきほどまでヘソを曲げていた事も忘れ、いそいそと立ち上がった。聖志から受け取ったボールを見よう見まねで握ってみながら、そのまま嬉しそうにブルペンへと向かって歩き始める。してやったりと聖志はその後を追う。
 変化球とは言っても、握り方を変えるだけで肘や手首のひねりは不要だから、習得に際してデメリットはさほどない。これで機嫌が治るなら安いものだ。
 新しい変化球を投げ始めたかもめのフォームを見つめる聖志の元へ、秀美が近づいてきた。少し離れた場所で立ち止まると、肩をすぼめながら手招きしている。
「どうした?」
 なにか皮肉めいたことを言われるのを覚悟して身構えたが、秀美が口にしたのは全く別の内容だった。
「監督は、かもめのことをどう思ってるんですか」
 かもめの耳に届かないよう、秀美は声を潜めて尋ねる。
「どう、って。いいピッチャーになれると思ってるよ」
「そうじゃなくて。野球選手として以前に、人間として、ううん、女としてどうか、って話です」
 ますます声を押し殺しながら、きわどい事を訊かれて聖志は絶句した。眉の下がった情けない表情になる。
「そういうことは、考えた事もなかったな」
 ややあって、遠くを見る目になった聖志はぼそりと言った。
「ホントですか?」
「ああ。俺には兄弟がいないから妹みたいってのも実感がないし、かといって娘みたいな、なんて口が聞けるほど歳とってる訳でもないし」
「……はあ」
 顔をしかめ、間の抜けた生返事をする秀美だった。

(十九)

 五月になり、練習は本格的なメニューが盛り込まれるようになっていた。
 攻撃面では盗塁、バント、エンドラン、タッチアップといった走塁面が主となり、守備面ではランダウンプレーやダブルプレーなど、機敏な連携が要求されるプレイが主だ。
「練習だからミスしてもかまわないが、なぜミスを起こしたのかをしっかり考えるんだ」
 聖志はそう繰り返す。
 正直なところ、本格的な経験のない部員達には高度な連係プレーをやれるだけの実力が伴っていない面もある。しかし、じっくりと基礎固めをしている時間はない。
 背伸びするぐらいの高度さは、結果として選手達の意欲を高め、成長を促進する効果がある。聖志はその可能性に賭けていた。
 好むと好まざるとに関わらず、聖志は自ら練習の中に参加して手本となる動きを示していた。基礎トレーニングにしても、実際に自分も部員達と同じメニューをこなしていた。
 まだまだどっしりと腕を組んで、ベンチで部員達の練習を『監督』するなどという立場にはなじめなかった。
「練習はキツいけど、監督が部員より一生懸命練習してるんじゃ、文句もつけられない」
 鮎川がこぼす。部員全員の本音だっただろう。
 とにかく、時間が足りない。雨だからといって休めないのだが、梅雨時も近づいており、雨が続いた際に学校の体育館が使えるように話を付けておく必要があった。
 これまでは、非常階段の下などで、広いグラウンドを必要としない基礎的な身体能力を高めるストレッチとウェイトを用いたフィジカルトレーニングをもっぱら行ってきた。
 しかし、せめて全員が窮屈な思いを感じずに素振りが出来る程度の場所となると、体育館ぐらいしか思いつかない。学校に事前に承諾を取り付けておく必要があった。高校には他の部活動もある。
 学校の敷地内のこととなると、監督は引き受けているものの基本的には部外者である聖志には権限がほとんどない。ここはやはり野球部長に相談を持ちかけるしかなかった。
 職員室に入った途端、教師達から向けられる視線に、少しばかりたじろぐ。空気が完全に、部外者に対するものだったからだ。
 しかし、気後れしていても仕方がない。聖志は野球部長である牛尾の席に足を向けた。
「あら監督、ここに来るなんてずいぶんと珍しい」
 殊更の嫌みという訳でもないのだろうが、棘があるように感じてしまうのは職員室の持つ空気のせいか。聖志は感情を抑えながら、野球部の雨天練習について説明した。営業マンとしての経験が、忍耐強さと頭を下げながらの押しの強さを彼に与えていた。
「話はわかりました。全部の時間を独占するわけには行かないと思うけれど、基本的には問題ないと思うわ」
 牛尾からかえってきたのは案外と好感触の返事だった。
「助かります。他の部活動とのかねあいもあるでしょうし」
 頭を下げた聖志の言葉に、牛尾は意味ありげに微笑んだ。その冷ややかな笑みに聖志は内心で身構える。
「ここの体育会系の部活動はどこも盛んではないから、その点は大丈夫よ。高い目標を持って取り組んでいるのは、野球部ぐらいかも」
「そうですか」
「ところで。そろそろ試合がやりたい頃なんじゃないかしら」
 やや身を乗り出すようにして、牛尾は思いがけない言葉を口にした。
「そりゃ確かにそうですが、練習試合の段取りをつけるのも簡単な話ではないですからね」
 聖志は渋い顔で答えた。素人が力任せにつくりあげてしまったグラウンドは、土のコンディションこそ甲子園級だと自負していても、設備面では河川敷の草野球グラウンドよりもひどい有様で、とても他校の野球部を招いて試合が出来る状態ではない。
 だから、どうあれ練習試合をやるにしても、こちらから出かけていかねばならないのだ。総勢わずか十数名の野球部とはいえ、島外に出て練習試合をやるとなれば、それなりに予算も必要となる。
「監督である貴方にそこまで任せるつもりはないわ。実は前々から打診はしていたのよ。貴方達をびっくりさせようと思って、今まで黙っていたのだけれども」
 再び、牛尾は意味ありげな笑みをみせる。
「それをこうやって話してるって事は、相手になってくれるところが見つかった訳ですね」
 牛尾はこくりとうなずく。
「ありがたい話ですが、相手はどこです?」
「三浦高よ」
 聖志の顔がさっと引き締まる。県下でも屈指の強豪校だったからだ。
「そりゃまたいったいどういういきさつで」
「前に私は三浦高で働いていたこともあるの。その関係で、知り合いを通じてお願いしていたのよ。向こうは来る者は拒まず、ということらしいわ。向こうの監督は、自分の野球部のことだけじゃなくて、野球という競技そのものの発展を視野にいれてるようだから」
「このご時世に、わざわざ新しくでっちあげた酔狂な野球部に対するご祝儀って訳ですか」
「そう悲観的にならなくても。向こうの野球部は三軍制を敷いているという話ですけど」
 聖志が考えを巡らす余裕を与えるかのように、牛尾は言葉を切る。二軍か三軍が相手をするのなら、レギュラークラスに迷惑はかからない、と言いたいのか。
 一瞬にしてわきあがるどす黒い感情を、聖志はぐっと抑え込んだ。
「ま、相手にしてくれるってんなら、こっちとしては断る理由もないです」

 聖志はグラウンド横の部室に戻ると、三浦高相手の練習試合について部員達に説明した。
 もちろん、練習ばかりで実戦から離れている彼らにとっては歓迎すべき話だった。一様に喜色を浮かべ、目を輝かせている。
「向こうは百人からの部員を抱え、三軍制を敷いている。だから、練習試合を組んでもらっても、そのまま甲子園級の選手と対戦するとは限らないぞ」
 二軍や三軍の相手をさせられるのは屈辱的なことだ、聖志はそう考えていた。しかしそれは、野球名門校の出身者ならではの考え方だったようだ。
「いいですよ、それでも。相手が弱かったら勝てるかもしれませんし。とにかく、自分たちがいまどれだけの実力があるのか、試してみたいですから」
 秋上の返事が、部員達の気持ちを代弁していた。
「判った。どっちにしろ、そろそろスタメンと打順を決めておこうと思っていたところだ」
 聖志の言葉に、部員達が色めき立つ。
 ホワイトボードの前に立った聖志は、すらすらと名前とポジションを書き連ねていく。もっとも、守備位置については練習でほとんど確定していたから、むしろ部員達の興味は打順に向けられていた。

 一番 倉田 背番号六 ショート    右投両打 三年
 二番 横路 背番号四 セカンド    右投右打 三年
 三番 柴橋 背番号三 ファースト   右投左打 三年
 四番 秋上 背番号二 キャッチャー 右投右打 三年
 五番 深田 背番号五 サード     右投右打 二年
 六番 藪中 背番号七 レフト     左投左打 一年
 七番 持友 背番号八 センター    左投左打 二年
 八番 鮎川 背番号九 ライト     右投右打 三年
 九番 沖野 背番号一 ピッチャー  右投右打 三年

 以前から考え抜いたものなので、ホワイトボード用のペンを持つ聖志の手がとまることはなかった。
 その下に、控え選手も書き加えていく。控えのピッチャーである山中が背番号十をつける他、背番号十一は控えキャッチャー兼一塁コーチの由比、背番号十二番は内野控え兼三塁コーチの水戸、背番号十三は左投げということで外野の控えとなる亀井となった。
 そのほか、背番号十四をつける選手がいる。ゴールデンウィーク後になってから、同じクラスの由比に誘われて入部した寺元だ。同好会として不定期に行ってきた草野球に参加したこともないらしく、秋上が事前にマークしていなかった新入部員である。
「他の体育会系の部活動はあんまり熱心に練習していない様子なので、野球部で鍛えてもらいたいと思っています」
 という入部時の挨拶の言葉ばかりは頼もしいが、一ヶ月の出遅れも考慮してまだ基礎トレがメインのため、彼だけは明確な役割は無い。もちろん、いて困る存在ではない。伝令役をこなしてもらう可能性もある。
 いずれにしろ頭数が限られているから、決める側としてはさほど悩む場所がないというのが聖志の本音だ。二、三年生全員がレギュラーとなるし、一年生にも背番号が行き渡るから、不満がでるはずもない。
 俊足の倉田、小技の効く横路、長打力のある柴橋、秋上、深田のクリーンアップについては動かしようがなく、実戦の結果で入れ替えがあるとすれば六番から八番までの組み合わせ程度だ。一年生で唯一レギュラーとなった藪中については、他の一年生よりバッティングでも守備でも頭一つ抜け出ているのは明らかだったので、控えに回った部員にも異論はないはずだった。
 かもめの打撃については、残念ながらほとんど期待は出来なかった。逆に、倉田の頭を抑えるために敬遠などされてしまうと厳しいが、かといって打順をあげても対策にはならない。ここはある程度割り切るしかなかった。
 以前から用意だけはされていた背番号が、秀美の手から部員達に配られた。嬉しそうな部員達の表情を見ると、聖志もつい頬がゆるんでしまう。
「なんか、本物の野球部になった、って感じですよねえ」
 手渡された背番号九を眺め、しみじみとした口調で鮎川が言う。
「なにを言ってるんだ、元々本物の野球部じゃないか」
 聖志の呆れた声に、部員達はどっと沸いた。


 第六話に続く

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