
第十話
(三十四)
試合後。聖志は着替えを済ませた後、いったん自由行動にした。
ちょうど昼食時になっているので、ほとんどの部員が応援団として来ている家族の元に顔を出すことになっていた。
市民球場は城址跡を整備した公園の中にあり、春には花見客でにぎわう。高校生にもなって遠足じゃあるまいし、と照れる者もいたが、滅多に島の外に出る機会のない家族と共に、芝生のあちこちでシートを敷き、弁当を広げる光景がみられた。
それを横目に、聖志は一人コンビニ弁当である。下手に気を遣わせたくないので、こそこそと球場近くのひと気のないベンチに隠れるように座る。
「いくらなんでも、なあ」
意味のない呟き。去年の春、一人旅をはじめるようになってから一年以上、手料理にありつく機会から遠ざかっていることをしみじみと実感する。食生活の管理ばかりは、部員達には偉そうなことを言えない。
「あ、こんなところにいたんだ。探しましたよ、監督。私も一人きりだから。誰かと一緒にご飯食べたいなあ、と思って」
声がしたので顔を上げると、かもめがひょこひょこと歩いてくるところだった。セーラー服姿であるから左足の義足はひと目でそれと判るが、いまさら隠す気もないらしい。
にこにことしながら、かもめは聖志の隣に腰を下ろす。
「お母さんは来てなかったのか」
「仕事、忙しいから来られないって。あんまり興味ないみたいだし」
確かに、かもめの母親は、自分の娘が野球をやっていることに対し、干渉しない代わりに応援もしていない様子だった。日々の仕事に追われ、それどころではないのだろうか。それとも、かもめが義足を引きずる様をみて、別れた夫を思い出さずにはいられないから、野球の観戦を避けているのだろうか。
かもめの家で間借りするようになってかなり経つが、顔を合わせることがあまりないために、なかなか踏み込んだ話も出来ないでいるのだ。
ふと、今日の試合で序盤のたちあがりが悪かったのも、完投できるか不安だったのもさることながら、自分の親だけ観戦に来ていないという事実が、なんらかの影響を与えていたのではないか、と聖志は思った。
「予選は仕方がない。甲子園まで行ったら、なんとしても観に来てもらわないとな」
「そうですね。甲子園にいったら、お父さんは来てくれるかも。でも、スタンドのどこにいるかなんて、全然わかんないでしょうけど」
すこしさびしげな口調でかもめは応じた。
(三十五)
弁当を食べ終えた後、聖志達はあらかじめ打ち合わせていた通り球場の正面入り口前に集合し、第二試合を観戦することになっていた。
準決勝第二試合、港島高対三浦高戦には、大勢の応援団がスタンドに詰め掛けていた。聖志達は、さきほど自分達がいた一塁側の内野席に陣取った。一塁側は三浦高側になっている。すでに両チームのウォーミングアップは終わり、グラウンドの整備が行われている。
秀美が手早く全員分のスポーツドリンクを買ってきて配りまわっている。聖志はありがたくそれを受け取った。
「わたし達って、こんな風にみえてるんですね」
頭に日よけのタオルをのせ、聖志の隣に座るかもめが、グラウンドに向けた目を細める。
「勝ってこうやって次の対戦相手の試合をみられるなんて最高だな」
鮎川の言葉に、数名が同意の声をあげた。
「なんだか、緊張がぴりぴり伝わってくる感じだ」
「どっちが勝ち上がってくるかな」
などと言い合っていると、両チームの選手がベンチから姿を見せた。ベースをはさんで整列し、挨拶を交わす。応援団が相手に負けじと声援と鳴り物を響かせる。
先攻は港島高。三浦高は守備位置につく。マウンドに立つのはもちろん、エースナンバーを背負う立花だ。
「あ、立花さん、今こっち見なかった?」
かもめが隣に座った秀美に尋ねる。
「そうかも。立花さーん」
勝利の余韻でそれなりにテンションがあがっているのか、秀美がいきなり立ち上がって手を振った。しかし、そんな声は両校の応援団の音量に圧倒され、届くはずも無い。
と、かもめは秀美と小突きあって何事か打ち合わせると、声を合わせ「せーの、立花さーん」と再び叫んだ。
「そんなんじゃ聞こえねーよ。俺達も呼んでやる」
やおら鮎川が立ち上がり、音頭をとった。部員全員で声を合わせての三回目の「立花さーん」はようやくマウンドでキャッチャー相手に肩慣らしをする立花の注意を引いた。
「あー、こっち向いたよ!」
「うおー、俺達が応援してるぜー」
「勝って俺達のところまできやがれ」
きゃっきゃと騒ぐかもめと秀美、そして好き放題に言い飛ばした男子部員達は肩を叩き合ってゲラゲラと笑い転げている。
「こら、こら、お前ら調子に乗りすぎだ」
聖志はさすがにしかめ面でたしなめるが、監督という立場でなければ一緒になってはしゃいでいたいぐらいの気分だった。
若さが発散するまぶしさから目を背けるようにふとバックネット方向に目を向けた聖志は、そこに船場の姿を見つけていた。
当然、一番の目当ては立花に違いない。聖志はすぐ戻るから、と言い置いて席を立った。
「ご無沙汰しております」
「ああどうも。この間は不躾なことをいたしまして」
いわば仕事中であるはずの船場だが、気さくに挨拶をかえしてくる。
「部員達にはいい刺激になりましたよ。スカウトが自分の練習を見に来てくれた、と」
「そうですか」
名刺入れをわざと落としていった件についてはどちらも敢えてふれなかった。
「今日の立花の調子はどうですか」
「かなりいい感じに仕上がってきていますよ。二番手の大村君がリリーフで活躍しているおかげで、港島の一条君ほど疲れていないのが大きい」
「となると、ウチはやっぱり三浦とやることになりそうですね」
「いや、見事な手腕です。桑島二高から四点差をひっくり返すとは」
「掛け値なしに選手達の頑張り、それにつきます。監督業というのにはどうも、まだなじめません。いまだに、グラブを持ってグラウンドに飛び出していきたくなります」
「それも悪くはないでしょう。貴方はまだ若いのだから。肘の検査は受けられましたか」
「一応は。まあ、悪くはないようです」
「なるほど。この夏が終わったら、一度ウチのテストを受けに来られてはいかがですか」
「はは、覚えておきます」
どれだけ社交辞令なのかは判らなかったが、聖志には素直にうれしかった。
だが同時に、この夏が終わったら、という言葉の響きの重さを、いまさらながらに思い知っていた。夏が終わった後のことを、部員達はどれだけ考えているのか。
プロを夢見ている者もなかにはいるかもしれない。大学や社会人で野球を続けるつもりでいる者も。
そして、かもめはどうなのだろう。
試合は下馬評通りの投手戦となった。港島高の若きエース・一条がぐいぐいと力で押せば、三浦高の立花は多彩な変化球で港島高打線を翻弄する。
スコアボードにゼロを並べながら、どんどん回が進んでいく。
一条は毎回のようにランナーを背負いながら、要所を三振で仕留め、またバックのファインプレーに助けられて切り抜けていく。
一方、港島高打線は立花攻略の糸口すらつかめない様子で、凡打の山を築いていた。
ぎりぎりのところで踏ん張ってはいるが、わずかでも隙をみせれば堤防が決壊するようにあっという間に崩壊しそうな危うさをはらんでいた。
「やっぱり三浦高は強いな」
両チーム無得点にも関わらず、冲鷹高の選手達はそう口を揃えた。どちらかが決勝での対戦相手となることが決定しているから、気楽な観戦にはほど遠く、みな真剣にグラウンド上の選手達の一挙手一投足に目を光らせている。その彼らの目にも、両チームの力量の差は明らかだった。
「どうなんだ。決勝は三浦高とやりたいのか」
「そりゃあ、一度コテンパンにやられた相手ですから。やりかえさないと」
水を向けた聖志に対して、鮎川は口ばかりは威勢がいい。
「それにしても、つくづく完成度の高いチームだ。俺は正直、港島を相手にするほうがまだ気楽だと思う」
「あー監督、セコいっすよ、それ」柴橋が大声を出す。間髪いれず聖志も怒鳴り返す。
「うるさいぞ。だいたい、お前らさっきの試合で、あやうく序盤で試合決められてしまうほど追い込まれたのをもう忘れたのか。あんまり過信してると痛い目にあうぞ」
試合は速いテンポで進み、二時間足らずで九回の攻防を迎えていた。
港島高はワンアウトから、フォアボールでランナーを出した。制球がよく、コースを衝く配球がここまでほとんど狙い通りに決まっていた立花にとって、今日はじめてともいえる誤算のフォアボールだった。
とはいえ、打順は下位にまわることもあり、ダブルプレーを狙った守備陣形を敷く三浦高の選手達に、さほど悲壮感は感じられない。と、続くバッターに対する初球で、ランナーが走った。キャッチャーが間髪入れず二塁にボールを投げるが、タッチをかいくぐって盗塁を成功させる。
「ここで走るか、普通」
横路がうなり声をあげ、何人かが同意のしるしにうなずく。今日の立花の出来を思えば、貴重なランナーを危険にさらすような作戦は、聖志にも考えられなかった。
「誰もがそう思う。だからこそ成功した作戦だな。采配ってのは、そういうものだ」
聖志は三塁側の港島高のベンチに目を向けた。腕組みして立つ優勝請負人と呼ばれた谷野監督の姿を目で追う。
(俺には、そんな作戦を自信を持って命じるなんて出来そうもない)
港島高を相手にするほうが気楽、などと口にしたことを聖志は内心で後悔した。ここまで勝ち上がってくるチームだ。どっちが勝ち上がってこようと、脅威に違いないのだ。
ノーアウト、ランナー二塁から、今度は送りバントでランナーは三塁に達した。
ワンアウト三塁と、港島高の先取点のチャンスが広がる。
ファーストとサードはスクイズを警戒して思い切り前に出る。セカンドとショートもバックホーム体勢だ。外野陣も、打順が下位に回っている事も考慮してするすると前進していた。自分のところに飛んできたら、なにがなんでもホームは踏ませないと身構えている。
「俺達の場合はバント警戒が問題ですよね」
かもめの目を気にしながら、秋上が呟く様に言った。聖志も小さくうなずく。
「そのための練習は充分につんできたが、そのとおりだ。結局のところ、ランナーを三塁まで進ませないことがなによりなんだが。ノーヒットでもこんなチャンスを作れてしまうのが野球の怖いところだ」
スクイズか、それとも犠牲フライを狙って強打してくるか。
初球。三塁ランナーが突っ込む。やはりスクイズだ。しかしバッテリーは読んでいた。ボールを大きく外にはずす。バッターが打席から伸び上がってバットを突き出すが届かない。が、ボールはキャッチャーのミットすらかすめて後方へと飛び去っていった。
パスボールだ。三塁ランナーは手を叩きながらホームを踏む。
三浦高の応援団から悲鳴があがる。同時に聖志達も一斉に頭を抱え、天を仰いでいた。
「秋上、しっかり頼むぞ」
三年生部員の間から口々に声が上がる。今日の試合で序盤にパスボールを連発しているだけに、まったく他人事ではないのだ。
「判ってるって」
秋上が肩身が狭そうに身をよじりながら応じる。
立花は大崩れせず後続を退けたが、スコアボードに刻まれた一点があまりにも重い。
九回裏の三浦高の攻撃は一番から。
簡単にツーアウトを奪われ、これまでかと思われたが、ここから三番、四番がしぶとく一条の球に食いつき、ランナー、一、二塁とする。五番打者は粘ったあとでフォアボールを選んで出塁した。
ここで、六番バッターの立花に打順が回ってきた。三浦高ベンチは代打を出す気配もない。今日の試合でも一条相手にヒット二本を放っているのだ。
「立花さーん、がんばってー」
かもめと秀美が声をそろえる。試合前のからかい気味の声援とは異なり、その応援はあくまでも真剣なものだ。
カウント一―一からの三球目、立花がバットを振りぬくと、打球はきれいな放物線を描いて舞い上がった。スタンドがどよめき、ボールの行方を目で追う。センターが背走し、ウォーニングゾーンに踏み込んだ。それでも届かないとみるや、一気にフェンスによじ登った。間髪入れず、落ちてきたボールに向かってグラブを差し出す。歓声があがった。
「捕った、のか?」
信じがたいことに、ホームランボールを本当にセンターは捕球していた。それを確認した線審が右腕を掲げる。
試合終了を告げるサイレンが鳴り響いた。
フェンスから飛び降りたセンターが、両腕をかかげて一目散にマウンドまで駆けていく。
「三浦高、負けちゃいましたね。なんだか嘘みたい。あれだけ押していたのに。あんな形で一点とられて、すごいのを打ったのに捕られちゃって」
ふとみれば、ため息をもらしたかもめは涙ぐんでいた。自分でも気づかないうちに、本当に三浦高に肩入れして応援していたのだろう。
「それが野球というもんさ。形じゃなく、結果だけがすべてなんだ。あれだけランナーを出しながら攻め切れなかった事も思えば、負けるべくして負けたとしかいえないわけだしな。もし、三浦高に同情してるというのなら、俺達が敵討ちをしてやらないとな」
かもめは目元をぬぐい、神妙な顔つきでうなずいた。
(三十六)
決勝戦は、よほどの苦戦を覚悟していたが、思わぬ展開をみせることになった。
一条の球にキレが失われていたためだ。連日の連投、特に準決勝では無失点に抑えたものの、毎回のようにランナーを背負った結果、投球数は百五十球にも達していた。
劇的な辛勝を経て、自分達より格下にしか思えない対戦相手である冲鷹高を前に、気合が乗り切れない部分があったのかもしれない。
二回に二点、三回に四点と失点を重ね、序盤でほぼ試合の行方は定まった。
かもめは味方の大量援護にも油断することなく、のびのびとしたマウンドさばきで港島高打線を封じ込めた。
八回に風に助けられた本塁打で一点を奪われるが、失点となったのはそれだけだった。
冲鷹高は創部一年目にして、甲子園行きの切符を手に入れたのだ。
第十一話に続く
一塁側ベンチに戻る
INDEXに戻る