第十一話

(三十七)


 阿久津島へと凱旋を果たした冲鷹高野球部に対し、学校と父兄会、そしてOB会が講堂で祝賀会を開いてくれた。
 ただ、祝賀会とはいうものの、この手の大会で好成績をあげ、祝い事をおこなった経験のある者がいない。
 なにかと勝手の判らないところが多く、聖志の目から見るとあか抜けないものとなったが、そのぶん手作りのあたたかみがあった。
 その気遣いが判るだけに、普段は食生活の管理を口うるさく言う聖志も、今日ばかりは大目に見ざるを得なかった。
「先輩達がみな休んで応援に行ってしまうから、どうもテレビ観戦になっちまいそうだよ」
 田岡が泣き笑いの表情でぼやく。野球部としては創部一年目であるが、その前身である野球同好会のOB会長という仕事を引き受けている。
 もっとも、冲鷹高に正式な同好会として登録したのは二年前に秋上が中心となっており、田岡が在籍していた頃は本当にただの草野球チームにすぎなかったのだという。
 実際の活動記録もないのにOB会長に祭り上げられたのは、その手の集まりがないと格好が付かないというだけの話だった。
 それなのに甲子園に駆けつけられないのでは、割に合わない事この上もないだろう。
「冲鷹高始まって以来、いや阿久津島始まって以来の快挙です。良くやってくれました」 
 立原校長は上機嫌で、聖志の手を押し抱かんばかりである。
 町長も、当初のグラウンドづくりを渋ったことも忘れ、掌を返して美談仕立てでマスコミの取材に応じているようだった。
 いちばん戸惑っているのは、冲鷹高の教師達だろう。降って沸いた話に、驚くよりも先に厄介ごとが一気に増えて素直に喜べないかもしれない。
 聖志は周囲の人々の悲喜こもごもを眺めながら、選手として甲子園に出場した時はまともに考えたこともないような裏側の現実を見せつけられる思いだった。

(三十八)


 その晩。
「すごい数だな」
 かもめの家の一階の居間におかれたちゃぶ台の上からこぼれおちそうなほど山積みになったファンレターをみながら、聖志は呆れ声をあげた。
 冲鷹高が甲子園行きを決めて以来、沖野かもめの名前も一躍全国に広まっていた。女子選手で、しかも義足ということもあって、実力を二の次にした注目のされかたをするのは、ある程度やむを得ないところがあった。
 それにしても、いくらテレビや新聞で取り上げられたにしろ、住所まで公開されているはずはないのに、と聖志は不思議に思った。
「これ全部が全部、暖かい声援だったら良かったんですけどねぇ」
 かもめは肩をすくめてファンレターの束の中から一つをとりだし、無言で差し出した。
「読めば判るってか。えーと。……こりゃ確かにひどいな。なんでこんなことをわざわざ言ってくるんだ」
 あまりにも差別と偏見に満ちた内容に、聖志は顔をしかめた。
「健常者ですらなかなか出場できない甲子園に、身体障害者が足を踏み入れるなんてけしからん、って訳です」
「こういうのは、もっと怒っていいと思うぞ」
 聖志の言葉に、かもめは力無く首を横に振る。
「わたしだって、立場が逆だったらどう思ってたか判らないですから。もし、私たちが予選で負けて、片腕の選手が出場を決めていたりしたら、絶対に嫉妬したと思う。ううん、もし、わたしの足が両方とも無くて、車椅子でないと試合にでられなかったら、障害者が健常者と一緒に野球をやってるなんてうらやましくて、仕方なかったに違いないんです」
 かもめの顔には、冗談めかした笑顔はない。
「そういうものかな。そりゃ、俺だって肩を壊して野球が出来なくなったときは、野球が出来る立場の人をうらやましいとは思ったけど」
「健常者は、あんまり露骨に障害者を差別しちゃいけないってブレーキかけられるようになってますでしょ。いろいろと学校でも教わるし」
「まあ、確かに。腹の中でどう思ってるかは別として、面と向かって差別的なことが言えるのは、よっぽどの馬鹿だ。ああ、俺は別にかもめの事をどうこうなんて思ってないぞ」
 聖志が重苦しい顔になると、対照的にかもめの顔つきが穏やかなものになっていく。
「判ってますよ。そうでなきゃ、カントクは一緒に野球やろうなんて考えないでしょうし。表に出す差別ならのけ者にするだろうし、心の中に止める差別なら、危ないことはさせたくないって家の中に閉じこめようとするはずだもの」
 かもめの静かなほほえみに、聖志はまともに顔をあげられなかった。
「俺は、片足があろうがなかろうが、出来る、と思ったから声を掛けたまでで」
「うん。それが一番うれしい。でもそれって、わたしの義足が片方だけだったからですからね。障害者同士の差別って、ちょっとすごいですよ。ブレーキがかからないから。自分より障害が重い相手に、自分はアイツより上だって目であからさまにみてる人もいます」
「そういう話は、出来れば聞きたくはなかったな」
「障害者が清廉潔白な聖人だと思いたがる気持ちはわたしにも判ります。そのほうが、なにかと気が楽だもん。ホントにそうだったら、どれだけいいか」
 自分に言い聞かせるような呟きだった。
「いや、障害者も人間なんだから、それが自然なんだろう」
「やだな、別にわたしは障害者の立場からカントクに文句をつけてる訳じゃないですよ。特別扱いせずにわたしを仲間に入れてくれたことに感謝してるだけです」
 かもめの目は、しっかりと聖志に向けられていた。そのまなざしに応えるだけの覚悟があるのかどうか、今の聖志にはよく判らなかった。
 玄関から声が聞こえた。
「あれ、お母さんかな?」
 時計を見て、首を傾げたかもめが腰を浮かす。まだ母親が仕事から帰ってくるには早い時間だった。
 娘が野球部で大活躍しているというのに、表だってそれを喜ぶ様子もないかもめの母親のことを思うと、聖志の心中は複雑だった。
 干物工場での仕事はよほど忙しいのか、かもめの母親は休むことなく毎日朝早くから職場に出かけている。女手一つで娘を育てていくには仕事は確かに大事なのだろう。それが判るだけに、なんとも言葉をかけづらいのだ。
 と、かもめがあたふたとしながら戻ってきた。
「大変。カントク、すぐどこかに隠れて」
「どうした、そんなに慌てて」
「えっと、その、部長が来ちゃったから」
「別にいいじゃないか、やましいことしてるわけじゃないし」
「わ、わ」
 やけにうろたえるかもめをよそに、聖志は玄関へと足を向けた。
「こんばんわ」
 牛尾は聖志とかもめを見比べ、口元だけ笑顔を作る。 
「沖野さんと同棲なさっているという噂を耳にした事はありましたけど、本当でしたのね」
「噂もなにも、もう一年近くになりますよ。というか、人聞きの悪いことを言わないでください。元旅館だから、空いている部屋を借りているだけです。沖野の親御さんにも話を通してますし、きちんと家賃も払っています」
 聖志は憮然となった。
「もちろんです。それぐらいのことは判っていますよ。そうでなければ、この場での話で事が済むはずがありませんよ」
 粘つくような台詞を聞きながら、聖志はいっそう顔をしかめた。牛尾から、わずかにアルコール臭を感じたからだ。
「だったら、わざわざややこしい言い方をしないでください」
「野球部長という肩書きがあるおかげで、ずいぶんといろいろな場所に引っ張り回されてしまいました。これぐらいの冗談は許されてもいいと思いますが」
「……」
「と、とにかくあがってください」
 二人のやりとりをおろおろとしながら見ていたかもめが、うわずった声で牛尾を促した。
「わたしが言うのもおかしな話かもしれませんが、この時間の抜き打ちの家庭訪問というのは、教育上あまりよろしくないのでは?」
 いったい何しに来たんだ、と単刀直入に聞けないのが、聖志の中からサラリーマン根性の抜けきらない証かもしれない。ついつい言い方が遠回しなものになってしまう。
「まだ監督さんに、おめでとうと言ってなかった事に、他の人からさんざんおめでとうと言われた後になって気づいたものだから、それで」
「わざわざわたしに言う必要はないんじゃないですか。野球部長なら、言われる立場になるというのは判りますけど。それに、これから話をする機会はまだまだあるわけですし」
 話の流れが見えない聖志は、自然と探るような口調になる。
「お酒の勢いを借りている今でなければ、こんなことはとても話せません」
「ずいぶんと穏やかじゃない話ですが」
 身構える聖志に、牛尾は遠くを見るような目になって話しはじめた。
「貴方に謝りに来たんです。私は冲鷹高に赴任して今年で五年になります。最初はこんな田舎、と思っていました。でも島の単調な暮らしも、慣れてしまえばそれなりに快適でした。それだけに、日常を壊す貴方の存在は疎ましいと同時にまぶしかった。野球部長を引き受けたのも、グラウンドを造り、それから野球部を作るなんて、うまく行くはずがないと思っていたからです。失敗するのを間近でみてやろうという気持ちですね」
 けれど、貴方は成功した、と牛尾は続けた。前置きどおり、アルコールのおかげでいつに無く饒舌だった。
「貴方の成し遂げたことにまともに向き合うのは勇気のいることです。なにもやろうとしていなかった自分と向き合わざるをえなくなるから」
 そんなことは、と聖志は首を振った。率直なところを口にする。
「わたしは世間からみればドロップアウトした人間ですよ。せっかくの会社勤めを放り出して放浪の旅に出て、流れ着いた島でおんぼろ野球部の監督になってしまうんですから。これじゃ甲子園にでもいかなきゃ収支があわないってものです」
「ふふ、確かにそうかもしれませんね」
 アルコールの助けも借りていたのかもしれないが、腹にため込んでいた思いを言葉にしたせいか、牛尾はすっきりとした表情をしていた。
「私には野球のことは判りません。島の人間にとっての希望となった野球部の助けにはなれません。私が言うのもおかしな話ですが、どうか野球部をよろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げる牛尾を前にして、聖志は大きく報われる思いだった。

(三十九)


 八月初旬。
 冲鷹高野球部は海を渡り、その日の昼から予定されていた甲子園での練習に取りかかった。
 生まれて始めて甲子園の土を踏む部員達は朝から興奮のし通しだった。
「かー、やっぱ広いなあ」「そうか? グラウンドと大きさだけならそう変わらないはずだけど」「スタンドがでかいんだよ」「土の感触がやっぱり違うな」「芝生っていいなあ」
 口々に騒いで、練習どころではない。
「しゃべってないで、さっさと始めろ」
 聖志は苦笑いをしながら檄を飛ばす。気持ちは充分に判るのだ。だが、与えられた時間は一時間足らずしかなかった。この短い時間の中で、出来るだけ甲子園の特質を肌でつかんでおく必要があるのだ。
 外野陣はフェンス際まで走り、打球がフェンスを直撃した時のクッションボールの処理について確認する。内野陣はノックを通してボールのバウンドや、ファウルグラウンドの広さを身体で覚えようと努めている。
「なんか、感動で涙が出そう」
 マウンドに立ったかもめが湿った声を出す。
「いまから泣いてどうする。それに、わかっていることをいまさらくどくどしく言う訳じゃないが、ここまで来られたのは沖野一人の力じゃないぞ」
「もちろん、そうです。カントクと、野球部全員の力です」
「それだけじゃない。義足ながら野球に打ち込み、実力を発揮して甲子園出場までこぎつけた選手や、女子でも男子に劣らぬ力を持っている者がいることを証明して、規約改定を果たした女子選手達がいてくれたからこそ、余計なことに煩わされなかったんだ」
「はい」
 かもめは表情を引き締めてうなずき、高さや足元の感触を確かめながら投球練習を行う。
 山中にも練習時間を与えなければならないから、投球数は限られている。
 秋上を座らせているが、二人とも全力投球は見せなかった。
 その間、聖志はグラウンド狭しと走り回り、短い時間で選手達が甲子園に身体で馴染めるよう、気を配っていた。
 最後の仕上げに打撃練習を行う。バッティングピッチャーとして、マウンドにはかもめでも山中でもなく、聖志自身があがった。懐かしい景色に、当時の記憶が蘇る。それを楽しむようにキャッチボールでウォーミングアップを行う。
「思い切り打って行け。ただし大振りにならずにバットを振り抜くことを忘れるなよ」
 肩が暖まったところで選手たちにそう声をかけ、一番打者となる倉田から順に打席にいれさせる。時間がないのでそれぞれ一打席勝負だ。
(よし)
 聖志はゆったりと余裕を持って振りかぶり、右打席で構える倉田のインコースにねらいを定めてストレートを投じる。
 伸びのあるストレートに差し込まれ、倉田はバットの根っこにあててポップフライを打ち上げてしまった。
「あ、畜生。一球で」
「はいはい、邪魔になるから。次、お願いします」
 悔しがる倉田を押しのけ、横路がさっさと打席に入る。
 が、横路は立て続けのストレートをことごとく空振りして三振してしまう。
「バットに当たらないと話にならないって」
 後に控える選手達が笑い声をあげた。
 その後も、聖志のピッチングは不必要なまでにさえ渡った。部員十三人全員を相手にテンポのよい投球を続け、ヒット性の当たりは深田の放った三塁線への一本しか浴びなかった。

「ずいぶんと楽しげな練習でしたね」
 練習後、一通りの取材が終わるのを見計らって、船場が歩み寄ってきた。
「お恥ずかしい。懐かしさが先に立って、つい選手達よりもはしゃいでしまいました」
 聖志は本気で照れていた。後になって思えば職務放棄も同然で、監督失格もいいところだ。
「いえいえ。彼らも充分に楽しんでいるのが伝わってきましたよ。あれほど楽しそうに練習をするチームというのは、最近ではちょっと記憶にないくらいだ」
「自分たちでグラウンドを作ってきたような高校の野球部ですからね。立派な設備で試合が出来るというだけで、テンションがあがるんですよ」
「楽しげなだけではなく、よく短期間でこれだけ鍛え上げたものだと感心しますよ。もっとも、相手はどこも強敵。なにか策はお考えですか」
「新聞記者のようなことを聞きますね」
 聖志の切り返しにも動じる様子を見せず、船場は静かな笑みを崩さなかった。
「失礼。あなたを見ていると、スカウトとしての立場をつい忘れてしまう。いや、そうではないかな。忘れてしまうのは、貴方が選手ではなく、監督だという事のほうかも。いいピッチングをみせてもらいましたよ」
 船場の言葉に心を一瞬動かされた聖志は、この人は自動車を売らせても成功しただろうな、などと場違いなことを考えてしまうのだった。

(四十)


 甲子園練習の翌日、一回戦と二回戦の一部の組み合わせを決定する抽選が行われた。
 抽選会場に赴いたのは聖志の他、主将の秋上とマネージャの秀美の三人。
 冲鷹高がエースとして押し立てる義足の女子選手は確かに注目されてはいるが、義足の選手も女子選手も甲子園史上初の存在ではないため、それだけで話題になる事は少ない。
 むしろ、部員数十四名、創部実質一年目の冴えないチームが出場を決めた番狂わせが目を引いている様子だった。
「さすがに緊張しますね」
 秋上は、ごつい体格に似合わず額に汗を浮かべている。
「しっかりしてくれよ。他の連中をにらみ返してやれ」
 と、他人事のように構えていた聖志だったが、秋上が抽選のクジを引き、対戦相手が決定するとさすがに顔をこわばらせた。
 相手高は優勝候補の一角に名を連ねる東翔学園。言わずと知れた、聖志の母校だった。
(甲子園で吉川監督に再会出来れば、なんて考えていたけど、まさか一回戦でぶち当たってしまうなんて)

 宿舎にしている旅館の夕食では、さすがに部員達もいつもと騒がしさの質が違っていた。
「秋上のくじ運のなさにはがっかりだ」
「言うなよ。俺だって好きで東翔学園を選んだ訳じゃないんだ」
 てんでに矛先を向けられ、秋上が肩身の狭い思いをして縮こまっている。 
「そう気落ちするなって。勝ち進んでいけばいずれ当たる相手のうちの一校だ」
 聖志はやれやれと首を振った。
「そりゃそうかもしれませんが、せめて一回戦ぐらい勝って帰りたいですよ」
「最初から負けた気になってどうする」
「カントクの母校が相手じゃ、やりにくいですよ」
 かもめが肩をすくめている。
「そんなことは関係ない。向こうも俺達のデータが少なすぎて、対策を考えるのに頭を抱えているはずだ。完成されたチームにとって、出会い頭の一発が一番怖いんだ」
 逆に言えば、それぐらいしか付け入る隙はなさそうだ、とは聖志は口に出来なかった。
 内心の思いが雰囲気で伝わったのかは判らないが、部員達の不安の色は消えなかった。
 聖志は咳払いする。あまり長々とした説教や演説は苦手だったが、言うべき事は言っておかねばならないだろう。
「確かに強敵である現実から目を背けるべきじゃないと思う。けど、試合をやる以上、勝ち負けは必ずついてまわる。半分のチームが一回戦で負けて去っていくのは最初から判っているんだ。だから、ありきたりかも知れないけれど、悔いを残さない事が肝心だと思う」
 勝ち進み、優勝することだけが悔いを残さないことに直結するものではないはずだ。全力でプレイして、自分の持てる力を出し尽くすことが出来るか出来ないか、それが大事だ、と聖志は付け加えた。
「さすが監督、いいこと言うなあ」
 鮎川の混ぜ返しで、部員達の間から緊張の色が薄れた。
「まあ、沖野の球はたとえ東翔学園でもそう簡単にはうち崩せない。だから、沖野ががんばっている間に、おまえ達もよく打ってよく走ってよく守って、つまり全力を尽くしてくれ。俺は東翔学園の吉川監督を見習ってどっしりベンチで構えて動かずにいるよ」
 本気ともつかぬ聖志の言葉に、ようやく笑いが漏れるのだった。 

 第十二話に続く

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