――MESSAGE#8 初登板
カクテル光線が眩しい初めての一軍ベンチ。翔子は落ち着かない。ベンチでの居場所が見つからないのだ。仕方なく、ベンチの一番隅にちょこんと座る。そして、かつてのマスコミ、ファンの多さ。なんとも言えぬ期待と不安で翔子の胸が高鳴る。いかつい選手の中に、紅一点。自然と他の選手の顔もほころぶ。
しかし、その中には顔をいささか引きつらせている男達もいた。大森監督もその一人である。
(もしかして監督さんは、私が一軍に上がったこと、快く思っていないんじゃないかしら?)
山神から大森が女嫌いだと言うことを聞かされていた翔子は、ふとそんなことを思った。
(まさかね。でも、たとえそうだとしても、私が活躍すれば文句はないはずよ)
翔子のプロ初登板は、思いもよらぬ時に、思いがけない形で、そして想像も出来ない相手に対し巡ってきた。
その試合は、年に一度あるかと言うほどの乱打戦だった。対埼玉パイレーツ戦。十三対十二と一点リードでむかえた九回の表。マウンドには抑えのエース・島崎がいる。抑え投手の不在というチーム状況により、本来、先発ローテションの一角である彼が、リリーフに回っていた。その彼の今夜の調子は今一つ。
不安が的中した。
連打を浴びて島崎がマウンドに立ち往生する。さらには埼玉パイレーツの二番打者・楢橋の打球が島崎の右膝を直撃したのだ。軸足を薙払われてマウンド上に崩れ落ちる島崎。
トレーナーがマウンドにすっ飛んでいく。トレーナーは後から鷹揚な足取りでやってきた大森に、即座に交替を進言した。
そしてマウンドから渋い顔でベンチに戻ってきた大森がボソっと言う。
「……沢村、おまえ行け」
むっつりした顔のまま、大森が言う。
「えっ。私が?」
「いいか、沢村。落ち着いて投げろ」
「ハ、ハイ」
突然の登板命令。東海イーグルスの投手は翔子しか残っていない。一点リードの九回表、二死一塁。翔子が後続を抑えればチームは勝ち、そして翔子にもセーブが記録される。
『東海イーグルス、選手の交代をお知らせします。ピッチャー島崎に代わりましてショーコ。背番号四十七』
天にも達しようかと言うほどの歓声が渦巻く。そして場内アナウンスは続く。
『三番、サード、沢村……』
翔子が投球練習を始め、一球、また一球とボールを投げ込む度、歓声が上がる。その一方、翔太に対する声援のボルテージも高まっていく。
異様な興奮に包まれつつ、マスコットバットを投げ捨てた翔太が、ゆっくりと左打席に入った。慎重に足場を馴らし、ピタリとバットを構える。
「凄い気迫……。お兄ちゃん、なんか、本物のスラッガーって感じ」
翔子は大きく息を吸った。
「落ちついて、落ちついて。低めに散らしていけば大丈夫」
翔子は自分に言い聞かせる。キャッチャー・北山のサインをうかがう。サインは明瞭。アウトコースへ逃げるカーブ。
「よし!」
セットポジションで一塁ランナーをうかがってから、翔子は初球を投げ込んだ。
「げっ!」
ボールが指先から離れた瞬間、翔子の喉から声が漏れた。カーブがすっぽ抜け、ボールはストライクゾーンのど真ん中を目指す。
(うわーっ、タンマ! 今のナシ! お兄ちゃん、打たないで!)
が、次の瞬間、翔太のバットが一閃した。ボールは強烈な打撃音を残し、すさまじい勢いで飛翔すると、センターバックスクリーンに突き刺さった。
翔子はうつむいたままロッカールームにいる。
(……)
汗に混じって涙が頬を伝うチームメイトが気を使って声を掛けてくれるが、翔子の耳にはまるで入らない。
兄、翔太に打たれたことで完全に自分を見失ってしまった翔子のデビューは結局、[投球回一 被安打四、与四球二、失点四]と散々なものとなってしまった。
――MESSAGE#9 苦悩
兄、翔太との対決のショックをぬぐい去る間もなく、翔子は再び二軍のグラウンドにいた。翔子のその顔は、涙を必死にこらえている顔だった。
わずか数日間の一軍。その一軍で投じた初球を兄が打つ。
翔子には数日前の出来事が白日夢だったかのようにも思える。
デリケートな思いやり、ましてや複雑な乙女心など縁遠い山神でさえも、翔子のショックの深さを想像するに難くない。しかし、心とは裏腹に山神の口から出てくる言葉は厳しいものだった。
「バカヤロー! いつまでも、くよくよしてんじゃねぇ! いいか翔子。お前はまだルーキーだ。ルーキーで一軍に入れる連中など、ほんの一握りだ。二軍で当然なんだ。一度打たれたからと言って、それがなんだというのだ!」
しかしそうだろうか。山神は自分自身の言葉に疑問を持っている。新人が入団すると同時に、それと同じ数の選手がユニフォームを脱いでいる。入団と同時に競争と淘汰が始まっているのだ。「大学に行ったつもりで」などという時間は、本来与えられていないのかも知れない。スカウトの山神は、素質がありながらそれを開花させる前にプロをやめなければならなかった者達を、誰よりもよく知っていた。
「特に翔子は、なんと言っても史上初の女性プロ選手。早い段階でモノにならなければ、世間の評価は厳しいものになる。そうなった時、あのオーナーが態度を一変させないとも限らない。……翔子、落ち込んでいる暇なぞ無いんだぞ」
二軍グラウンド。
川崎は今日もここに来て取材を行っている。仕事とはいえ、はっきり言って今の翔子に会うのは辛い。
(今回の彼女の一軍昇格。大森監督は強く反対していたが、オーナーの達の願いで仕方なく、と言う事らしい。いくら、そういう背景があったとしても、たった一試合打たれたからといって、また二軍落ちとは、十八歳の少女にはあまりに残酷な仕打ちとなってしまった。いや、彼女もプロの投手、同情などしては余計に彼女が惨めになってしまうだけだ。ん。あれは?)
川崎はベンチの奥に、ここではあまり見かけない顔を見つけた。
(あそこにいるのは大森監督か? 何故だ? こんな所に来るはずがない。大森監督と言えば、一部の週刊誌に「沢村翔子を二軍に落とした張本人」
などと叩かれてる時の人。その監督がマスコミの目も気にせずに、彼女に会いに来たというのか?)
「監督、わざわざ、こんな所まで来て頂いて」
山神が大森に頭を下げる。
「いや、なに。この近くに私用があって、そのついでにな。それよりも、言っておかなければならん事がある。沢村をなぜ二軍に落としたか。そのワケは」
「いや、監督。その先は言わんで下さい。一部の報道では、監督は女嫌いでそれで沢村を二軍に追い返したなどと言われていますが、わしはそんな事、少しも思っておりません。的確な例えでないかも知れませんが、ボクシングで言えば、ダウンにダウンを重ね再起不能となるよりは、先を見越しダウンする前に早めにタオルを投げ入れただけの事。わしは、そう思っております」
「確かに、わしには女嫌いの所があるかも知れん。だが、それと監督としての采配とは別物。実力さえあれば、それが男であれ女であれ、わしは戦力として使う。いいな。そのことだけは、覚えていてくれ」
「はい、判っております」
「しかしな。正直言って、まさか沢村がここまでのレベルになるとは思ってもみなかったぞ。山神、改めて沢村のことはお前に頼んだぞ」
そう言ってから、大森は山神の後ろに隠れるように立っている翔子のほうを見た。
「監督。私……」翔子がためらいがちに口を開く。
「何だ。言ってみろ」
「い、いえ。別に」
「わしのこと、恨みたければ恨めばええ。憎しみの心がお前の闘争心をより大きくする事もある」
「恨むだなんて。そんなことは思っていません」
「沢村、今度は実力で一軍に上がって来い。わしは、その日を楽しみに待っているぞ」
「ハイ。監督」
(実力で一軍に上がって来い、か。そうよね、やっぱり一軍は厳しい所。実力が無ければいつかはボロが出てしまう。でも、崖下に落とされたライオンの子供。力いっぱい頑張っても 這い上がれない子もいるわ。もしかしたら、私は這い上がれない方のライオンの子かも知れない)
翔子は力無く肩を落とした。
(悔しいけれど、このままやめてしまえば楽になるのかな。でも)
そして、いつものように翔子は黙々と練習を続けた。しかし、その姿からは覇気と言ったものは全く感じられない。
その姿を見つめる山神は頭を抱える思いだった。
(張り切っているのは今日もわしだけか。あれ以来、翔子が笑っているところを見た事がない。今朝、大森監督がここに来たときは、少しは元気になるかと期待していたが、それも全くの期待外れに終わってしまった。怒ってみてもダメ、優しくしてもダメ。わしには乙女心など全く判らん。いったい、どうすればいいんだ)
夕日が沈みかけた頃、翔子の長くつらい一日が終わろうとしていた。
「あの。山神さん」
「ん? 何だ?」
「あの。私」
「私、自信がなくなってしまったんです。あの夜、お兄ちゃんに打たれるまでは、自信のようなものが少しは私にもあったんです。でも、その後もワケも判らないままイヤってほど打ち込まれてしまって。それで。私は間違った世界に入って来てしまったんじゃないかって。そんな事を思ってしまうんです」
「……」
「すみません。山神さんにまでご迷惑掛けて」
「何を言っている。わしはお前を信じている。……何というか、きっかけ。そう、きっかけだ。漠然としているが、ちょっとしたことでも、それが、より大きなものを引き出してくれるかも知れんな」
翔子は冴えない顔で問い返す。
「きっかけ、ですか」
「何と言っていいのか判らんが、間違いなく言えるのは。お前は必ずプロで通用する投手になれるということだ。でなけりゃ、わしはクビを賭けたりせん」
「クビ?」
「い、いや。何でもない、こっちの話だ」
「……」
「翔子。今のお前にとって一番大切なのは、練習とかそんなものでなくて、時間かも知れんな」
「時間……」
「そう、時間。時間がすべてを解決してくれるかも知れん。お前はまだ若い。たくさんの時間を持っている。そんなに焦ることはない。無駄に思える時間を過ごしていても、それで何かのきっかけを掴めば、それでいい」
そういった考え方がプロで通用するかどうかは別として。山神は喉まで出かかったその言葉を飲み込んだ。
今は自信を取り戻させることだけを考えねばならない。そう己に言い聞かせる。
「そうだ、明日にでも気晴らしに街にでも行ったらどうだ?」
「で、でも。明日は休日じゃないし」
「そうか、お前はまだ知らんかったな? 明日は球団設立記念日で休みだ、休み。みんなお休みじゃ!」
そう言って山神は殊更に笑って見せた。
学校の設立記念日じゃあるまいし、球団設立記念日で練習が休みになるものだろうか、と翔子は思った。しかし翔子は山神の好意を有り難く受ける事にした。苦笑に近い笑みを浮かべて頭を下げる。
「山神さん、ありがとうございます」
――MESSAGE#10 きっかけ
翔子の心の中を冷たいものが通り過ぎていく。弱気と、失望と。翔子持ち前の明るさも、今ではすっかり時の彼方に封じられてしまった。
気晴らしにと街へ出かけてみるが、翔子の目に止まったものは兄妹の対決をおもしろおかしく書き下ろした週刊誌だった。なんだか自分が世間の笑いものにされているような、そんな錯覚に陥ってしまいそうで、思わず現実から逃げ出したくなってしまう。
(もう、やめようか)
翔子の脳裏をふと、弱気の想いが駆け抜ける。同時に、親身になって指導してくれた山神のことが頭に浮かぶ。
(このまま、やめてしまっていいの?)
翔子の顔から笑顔が消えてどれくらいたっただろう。依然として翔子は失意の底からなかなか這い出せずに苦しんでいる。
(あと少し? もう少しなの? 何かが足りないの? 何が足りないの?)
迷いの吹っ切れぬまま、数日が過ぎた。
その日、午後の練習を早めに切り上げた翔子は、近くの喫茶店で山神と待ち合わせをしていた。
喫茶店「散歩道」。
ここには雑誌などの取材で、二、三回来たことがある。しかし、一人で来たのは今日が初めてである。お店の中にはなかなか素敵なBGMが流れている。テーブルの上には注文したオレンジジュース。その氷に夕日が反射している。
(喫茶店って、今の時間は意外に空いているのね。お客さんが五、六人いるだけ。この人たち、私が沢村翔子だ、ってことに気付いてないよネ?)
翔子は窓の外を見ながら、テーブルを指でリズミカルに叩いている。彼女は山神を待っていた。
「話しがある、喫茶店で待っていろ」
と言われてここに来たのだ。わざわざ、喫茶店で話さなければいけない事があるのかどうか、彼女には判らない。
(山神さん、何やってるの? 早く来てよ! 約束の時間から、もう十五分も遅刻よ! 回りのお客さんに気付かれちゃったらどうしよう)
窓の外を見ていた翔子は、視界に川崎の姿を捉えた。
(え、どうして? 川崎さんがお店の中に入って来た!)
「ハァ、ハァ、ハァ。遅れてゴメン。場所が判らなくてさ。この辺り、ずっと探し回っていたんだ。ハァ、ハァ、ハァ。どれくらい待った?」
驚く翔子の前で、川崎が大きく息をつきながら聞く。
「あ。あの、山神さんはどうしたんですか?」
「山神さんて? どういうこと?」
「……?」
翔子には訳が判らない。
「僕は山神さん言われてここに来たんだけど。そうか。山神さんは、君には僕がここに来るなんて言わなかったんだ?」
川崎はそう言いながら翔子の向かいに座る。
「そうですか、山神さんが川崎さんをここに呼んだんですか。でも、どうして山神さんがこんな事を?」
「僕の経験を君に話してやってくれ、って山神さんに言われたんだけど。僕には人に話せる程の経験なんてないし、ましてプロの投手に話すことなんか何も。だから、初めは断ったんだけど。何でもいい、どうしても、って言われて。それで、ここに来たんだ」
「経験って、何の経験ですか?」
「うーん、恥ずかしいから小さな声で言うけど。投手の経験」
「えっ。川崎さんも昔、ピッチャーやっていたんですか?」
翔子が身を乗り出して聞く。
「ああ。高校、大学とずっと無名だったけどね。大学四年の春、山神さんが僕を見に来てくれたんだ。僕はうれしくてね。なにしろ、プロのスカウトが来てくれたんだから。もしかしたら、僕もプロの選手になれるかも知れない。なんて勝手に思い込んだりして。でも、結局は夢破れて、こうしてスポーツ新聞の記者になってしまったんだけど」
川崎は肩をすくめた。
「山神さんと川崎さんて、昔から知り合いだったんですか?」
「まあ、知り合いと言えば知り合いだけど。山神さんが僕に下したのは、プロでは通用しないという評価。山神さんが君に下したのは、十分プロで通用するという評価。だから正直に言うと、時々、君をねたましく思ってしまうこともあるんだ。……こんな話、君の為になるのかなぁ。為にならなかったら、正直に言っていいよ」
「いえ。もっと、いろんな経験、聞かせて下さい」
「経験か。僕の経験なんて試合に出ては打たれ、出ては打たれ、たまに好投すれば、今度は味方のエラーで足を引っ張られ。そんな経験ばかりだからな。あ、そうか! そういうメッタ打ちにあった体験談が今の君に必要なのか」
「……」
(し。しまった! つい言ってしまった! どうする)
川崎は慌てて謝る。
「ゴ、ゴメン。君の気にしてる事を。つい」
「別にいいんです。いつまでも気にしていちゃ、ダメなんです。私がメッタ打ちにあったのは一回だけど、川崎さんは何十回も何百回もメッタ打ちにあっているんだもの」
「ちょっと待った! いくら僕でも、さすがに何百回はメッタ打ちにあってないよ。これでも一度はプロのスカウトが見に来たほどの逸材だよ。メッタ打ちされた経験は、せいぜい二十回位かな」
川崎が訂正する。
「えへへ。ごめんなさい」
「ハハハ。君が笑ってくれたから、僕がここに来た甲斐があったってものだな」
「……」
翔子は黙って下を向く。
(また俺、何か変なこと言ってしまったのか?)
川崎が戸惑っていると、翔子がいきなり顔を上げた。
「川崎さんの決め球って何だったんですか?」
「得意なボール? シンカーだな、やっぱり」
川崎はすかさず断言した。
「シンカー……」
「自慢じゃないけど。あ、いや、ホントは自慢なんだけど、僕は大学三年の時までは、何でもない普通の投手だったんだ。でも、その年の夏、シンカーを覚えてね。それからは、結構いいピッチングができるようになって、ついには山神さんが僕を見に来てくれたっていうワケさ」
「へーっ。シンカーか」
「シンカーのキレだけなら、パイレーツの白崎にも負けない、ってまあ、自分では思ってる」
「白崎さんのシンカーって言ったら、プロでも指折りですよ! 凄い……」
「そうだ、ボール持ってない? ボール」
「ボール? 持ってませんけど」
「そうだよな、普通ボールなんか持って喫茶店に来ないよな。そうだ、ちょっと待ってて」
そう言うと、川崎はカバンからノートを取り出し、ページを一枚破ってそれを手で丸めた。
「ほら。これが、川崎流シンカーの握り方なんだ。言っておくけど、これは企業秘密で誰にも教えた事がないんだ」
回転を掛けないフォークと異なり、シンカーはストレートと逆回転、すなわちバッター側から見た場合上から下への回転を加える。変化球の握りには投手ごとに微妙な差違があり、それは秘中の秘であって他人に見せる物ではない。
「この握り方で投げると、シンカーが投げられるんですか?」
翔子は腕を組んで川崎のシンカーの握りを見つめている。
「あ、そうだ。このシンカーの握り方だけど。僕はアンダースローだったんだ。だから、いくらこの握り方をしてもアンダースローでないと。ほら、白崎もサイドハンドだろ。シンカーってのは、フォークが投げられないピッチャーの使う球、みたいなところがあるから」
「アンダースロー、か」
翔子がふむふむと頷く。
「あ。まさか、変に期待を持たせちゃったなんてことはないよね?」
「え? ええ」
翔子は慌てて首を振る。
と、その時。
ピー。ピ、ピー。
川崎の持っていたポケベルが鳴りだした。
「いっけねーっ! 締切時間、とっくに過ぎてる! ゴ、ゴメン。俺、行かなくちゃ。それじゃ」
川崎が急いで席を立つ。
「悪いけど、コーヒー代、出しといて! そのかわり、次はおごるからさ!」
「あ、はい。有り難うございました。いろいろお話、聞かせて頂いて」
「じゃ。また」
川崎が去った後、翔子は丸められたノートを前に考え込んでいた。
(シンカー。シンカーか。私にも落ちる球があれば、もっともっといいピッチングができるのかな? 私、女の子で指がそんなに長くないからフォークボールは投げられないし。川崎さんの教えてくれたシンカーの握り方なら、私にもできる)
フォークボールを投げられない投手の為の変化球。川崎の言葉が翔子の脳裏に蘇る。
(でも、この握り方はアンダースローでないとダメって、川崎さんが言っていた。私はオーバースロー。どうすればいいの? 今更、アンダースローに変えるなんてできないし。シンカーを投げるときだけ、アンダースローに変える。なんてこと無理かな、やっぱり)
翔子は丸められたノートを握って、アンダースローの真似事などをしてみる。頭の中はシンカーのことで一杯で、喫茶店の客の視線も気にならない。
(シンカー。これが山神さんの言っていたきっかけ? きっかけかどうか判らないけど、私にとって、たった一つの希望の光。もしかしたら、明日が見えてくるかも知れない。帰ったら、山神さんに相談してみようかな)
――『回天編』おわり
『激突編』につづく
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