ストライクゾーン 第五話



(二十四)



「なんか、こんなのでいいのかな……」
 東京スターズの遠征先のホテルの一室。特別に個室を割り当てられた沢村栄美はベッドの上に寝ころがり、天井を見ながら溜め息をついた。
 沢村が無理を承知で女子リーグ入りを決意したのはほんの一ケ月程前。高校選手権の全国大会決勝戦で、ノーヒットノーランを達成した時だった。打者二十九人に対してフォアボール2つ、三振23個、ファールフライ3、内野ゴロ1。ここまでレベルが違うと、投げていても何も面白くなかった。
 プロなら多少は刺激があるかも知れない。そう思ってアルバイト待遇に甘んじてまでで東京スターズに入ったのに、期待外れだった。歴史の浅い女子リーグは、彼女が全力を出し切れるほどにはレベルが高まっていなかった。
「来月、どうしようかな?」
 沢村のアルバイト契約は歩合制で、一試合、対戦打者数、奪三振数、セーブ数等、様々な要因によって決められている。面倒臭いのでいちいち計算していないが、もう既に百万以上にはなっている筈だった。
 月末にアルバイト料を貰ったら、そのまま辞めてしまう事も不可能では無かった。その事を思うと、沢村は少し愉快な気分になったが、さすがにそこまで自分勝手な行動は出来そうにもなかった。彼女の住む世界は変わってしまったのだ。
 お金の問題は別としても、沢村は高校はきちんと卒業したいと思っていた。今は夏休みだから問題は少ないが、9月になれば二学期が始まる。その事が沢村の心に重くのしかかっていた。
「やっぱり、おじいちゃんが言ってたみたいに、ジャイアンツに入るほうがいいのかなぁ」
 沢村はまた溜め息をついた。男子プロはアルバイト等という手段は通用しない。たとえ学校を中退しても、即入団というのは規約に引っ掛かって無理の筈だった。あと二年。気の遠くなるような時間に思えた。
「……ん?」
 気づくと、誰かがドアをノックしていた。
「監督が呼んでる。契約の事で話があるそうよ」
 声の主は、同僚の高卒ルーキー、ようやく二軍から上がったのに沢村の活躍で出番を失っている投手だった。こまめに気のつく気持ちの良い人柄だが、それだけではプロとしてやっていくのは難しいのではないだろうか、沢村は不遜にもそんな事を考えていた。
「分かりました。すぐに行きます」
 沢村は一瞬内心に浮かんだ言葉を掻き消してそう答えた。時計を見る。午後10時。明日・20日の横須賀セイバーズ戦はデーゲーム。そろそろ寝ておいたほうがいい時間だ。沢村はそう思うと、急にたまらなく眠たくなってきた。
「まっ、いいか。どうせ大した話じゃないだろうし」
 いや、やっぱりまずいかな。沢村の脳裏にちらりとそんな考えが浮かんだものの、次の瞬間には眠りに引き込まれていた。

(二十五)



 東京スターズの勢いはとどまる事を知らず、順調に勝ち星を増やしていた。その牽引車である沢村はいまだ一本のヒット、一つの四死球すら許していなかった。その為、女子リーグファンの関心は専ら「誰が沢村を止めるのか」という一点に集まっていた。
 8月22日、川崎球場、横須賀セイバーズ対東京スターズ3回戦。この日は、ローテーションの関係から横須賀セイバーズ・立花由利、東京スターズ・片山瀬里香と、両チームともエース同士の登板となった。
 20日からの3連戦は1勝1敗。共に一方的に勝敗が決まった試合だった為、沢村の出番は無かった。それでも川崎球場には沢村目当てのファンが詰めかけ、八割方席が埋まっている状況だった。
 緊迫した投手戦という、にわかファンにはつまらない展開で進んだ試合は9回表、東京スターズの四番・菊池が犠牲フライを打ち上げた事で、俄然盛り上がりを見せ始めた。
 東京スターズの五番・西島裕子を球速134キロのストレートで三振に仕留めて一塁側ベンチに戻ってきた立花は、横須賀セイバーズ監督・富士原光秀に頭を下げた。傲岸不遜の固まりのような立花も、女子リーグ一の名将との誉れ高い富士原には、それなりの敬意を払っていた。
「まあ、仕方ない。まだ終わった訳じゃない。ウチの攻撃は二番からだ。一点。取ろうと思って取れない点じゃない」
 富士原は自信ありげに立花に言った。

 その時、三塁側の東京スターズベンチでは、ちょっとした問題が持ち上がっていた。
「今日の調子は最高なんです。最後まで投げさせて下さい!」
 東京スターズ監督・近藤安子の胸ぐらをつかみかねない勢いで、先発投手の片山が訴えていた。
「ちょっと落ち着け。気持ちは分かる。だけど見てみなよ、この観客。ほとんどが沢村を見にきている。この三連戦、一度も顔を見せないんじゃ、ファンに申し訳ない? ここで投げさせないと、球団のほうでうるさく言ってくるのよ、お願いだから──」
「そんな……!  試合に勝つところを見せるのがプロでしょう!」
 片山は食い下がったが、結局はマウンドを沢村に譲った。
「沢村沢村って! 沢村が何様だってんだよっ!」片山の叫び声は、ロッカーに空しく響いただけだった。

「ミーティング通りだ。一球でも多く投げさせろ」
 バッターボックスに向かう二番・田久保夕貴に、横須賀セイバーズヘッドコーチ、若泉高明が耳打ちした。田久保は小さく頷いて打席に入った。
 この二週間ですっかり女子リーグの顔となった沢村は、余裕の表情を見せて速いテンポで投げ込んだ。田久保は二度ファールしたものの前に飛ばす事が出来ず、三振に倒れた。沢村の投げた球は全てストレートで、鷹霧を相手にした時に投げたドロップはあれから見せていなかった。
 続く三番・正木小百合は初球をセーフティバントした。打球は、仙台ファルコンズの小加茂が仕掛けたのとほぼ同じ位置に転がったが、今度はサード・御門のダッシュが遅れた。
 突っ込んだ態勢からの送球は放物線を描き、ファースト・菊池のミットに収まった時には正木は既に一塁を駆け抜けていた。記録は内野安打。沢村の初登板以来の無安打記録は遂に止められた。
 しかし、沢村はその事を気にしていないようだった。一塁ベース上の正木が、歓声を挙げる一塁側スタンドにガッツポーズをしてみせる様を伺う風もない。青い顔でマウンドに来て頭を下げた御門に対しても笑顔を見せていた。沢村が気にしていたのはむしろ、次に迎えるバッターのほうだった。
 横須賀セイバーズ四番・太刀守明美が、ゆっくりと右打席に入った。太刀守は女子リーグを代表するスラッガーである。パワーではともかく、技術と経験に関しては鷹霧など問題にならなかった。
 ソフトボールの全日本チームの四番を打った経歴もあり、バットスイングは速くはないが、ミートの正確さは文句なく女子リーグのトップだった。立花が女子リーグのエースなら、太刀守は女子リーグの四番といってもいい。
(さて、この人となら真剣勝負が出来るかな?)
 沢村はそう思い、太刀守の顔を伺った。太刀守の鋭い眼差しは、真っ直ぐに沢村を見返していた。
 試合再開。さすがに沢村も少し緊張した表情で、慎重に間合いを取って投球した。太刀守は沢村の速球を卓越した選球眼でことごとくカットした。
 この状況を、両チームのファンはどちらも好意的にとった。東京スターズファンは、あの太刀守でさえ沢村の球を前に飛ばせないと解釈し、横須賀セイバーズファンは、カット出来る程タイミングがあっている、と判断したのだ。
 7球目。沢村は口をへの字に曲げ、ドロップを投じた。鷹霧を仕留めたドロップ。しかし、太刀守は見逃さなかった。太刀守のバットが一閃し、鋭い金属音と共にボールを弾き返した。
 高く上がった打球は大きな放物線を描き、ゆっくりと飛翔して川崎球場独特の高いフェンスを越え、レフトスタンドの前から三列目の席に飛び込んだ。球場は歓声と悲鳴、どよめきに包まれた。沢村は、マウンドにがっくりと膝をつき、茫然とレフトスタンドを眺めていた。
「沢村栄治は、ドロップを投げるときに口をへの字に曲げる」
 ゆっくりとダイヤモンドを回り始めた太刀守は、打球の飛び込んだ外野席に視線を送ったまま、そう呟いた。その顔は勝負に勝ち、チームにも勝利をもたらしたという晴れがましい表情ではなかった。ストレートではなくドロップを狙い打った、後ろめたさに満ちていた。
 両チームのファンの解釈はどちらも正しかった。太刀守は沢村の速球をカットする事は出来た。しかし球界の四番たる彼女の実力を持ってしても、その速球を狙い打ちするだけの力量は持ち合わせていなかったのである。

(二十六)


 8月23日。東京スターズを破って意気上がる横須賀セイバーズは仙台ファルコンズとの二連戦を控えていた。選手達のように物事を楽観的に捉えることを良しとしない富士原以下の首脳陣は、宿泊先のホテルの会議室を借り、ミーティングを行っていた。
「結局、仙台の打線の軸は鷹霧です。鷹霧さえ抑えれば大量失点はありません」
 打撃コーチの真柄浩孝が発言した。自分の職掌ではないといいたげな曖昧な顔つきをしている。
「抑える方法はもちろんあります」
 投手コーチの辻勇一が真柄の言葉を継いだ。
「本当ですか? 変化球で一本足打法のタイミングを外す、というのは無しですよ。どのチームもそれを考えているようですが、大抵考え過ぎて鷹霧の術中にはまっていますからね」
 守備・走塁コーチの岩倉光雄が苦い表情で言葉を挟む。辻は岩倉に向かって軽く頷き、スコアラーに頼んで作ってもらった資料を取り出した。
「まず、このデータを見てください。鷹霧の22日までの全打席の記録です。53打数21安打、打率3割9分6厘。打点23、本塁打12。凄まじい記録です。もし前期からフル出場していれば、三部門独占は間違いなかったでしょう。本塁打に関しては今でも可能性がおおありです。何故前期は代打専門だったのか、理解に苦しむところです」
「そいつはどうかな」
 富士原が口を挟みつつ首を傾げた。
「仙台の前監督の橋田。俺はあいつの事を良く知っているが、理屈に合わん事はやらない男だ。口下手で、コミュニケーションがうまく出来ないのが、監督としては致命的な欠点だが、野球の理論は、そりゃあ立派なもんだった。成績不振でチームを追われたが、あと半年指揮を執っていたら今以上の脅威になっていた筈だ。今、仙台はほとんど橋田の育てた選手で勝っているようなものだからな。鷹霧にも、何か致命的な欠陥があったのかも知れない。いや、今でもあるのかも知れんな」
 富士原はゆっくりと、自分の言葉を確かめるような調子でコーチ陣に喋った。難しげな顔つきをしているコーチの中にあって、先の発言をした守備コーチの岩倉だけが、如才なく我が意を得たりとばかりに頷いた。
「はい。ここからが肝要です。次にこの図を見てください。これは鷹霧の打った打球全てを図示したものです」
 岩倉が示した図には、野球場を簡略化した図に、ホームベース上から打球を表す直線が扇状にひかれていた。
「レフト側への当りが極端に多いな」
 一目瞭然の事実を、富士原が確認を取るように口にする。 
「はい。鷹霧の打球はほとんど引っ張ったものです。右へのヒットは前期最終戦の、一塁ベース直撃のヒットぐらいしかありません」
「ふむ。原因というか理由というか、それはなんだと思う?」
 富士原の問いに、若泉が神妙な表情で答えた。この辺りの呼吸は、長年富士原の参謀を務めている若泉が最もよく判っている。
「おそらく、右肘の故障が原因かと。ただ力任せにバットを振り回すのなら、左腕一本でも両腕と大して変わらないスピードが出るものです。しかし、細かなバットコントロールとなると、どうしても右腕の力が必要になります」
 コーチ陣の誰もが、レフト側にしか打球が飛ばないという事の意味を考えた。答えはあまりにも素人じみていたが、それ故に効果があると思われた。複雑な策を練るだけが能ではない。判りやすい作戦を敢えて徹底させることも大事なのだ。
「”鷹霧シフト”、か。よし、岩倉君。その打球データを基に考えてみてくれ」
「分かりました」
 富士原の指示に、岩倉は大きく頷いた。

 会議はそれから半時間余り経って終了した。自室に戻った富士原はあらためていくつかの資料に目を通し始めた。
 横須賀セイバーズの特徴として、その首脳部のほとんどが高校、大学、社会人の指導経験のある男性で固められている点にある。
 反対に女性は、富士原のような男性には永久に理解出来ない、文字通りの生理的問題から必要とされるコンディショニング・コーチに一人いるぐらいだった。
(本当なら、首脳部全てを女性にしてこそ女子リーグなのだかな)
 と、富士原は思ったが、野球チームを率いるノウハウを持っている女性というのは、それ程多くなかった。女子リーグの八チームの内、女性監督を擁しているのは東京スターズと仙台ファルコンズの二チームのみ。
 東京スターズの近藤は、前の女子プロ野球の花形選手だった。仙台ファルコンズの早瀬は女子リーグ創世紀からの選手だったが、富士原の目からみると指揮官としては頼りないように思えた。
 富士原はその事を思って、なんとも言い難い気分になった。
 なあ橋田。お前の作ったチームは今頃になって、本領を発揮し始めているぞ。山戸、犬飼、鷹霧。山戸以外はお前が使わなかった、使いたがらなかった選手だ。特に鷹霧という選手、あれは何者だ? お前は何を考えて鷹霧を使わなかったんだ? もし、鷹霧に何か問題があるのなら、お前はそれを新監督に伝えたのか?
「……その問題さえ分かれば、俺達もこんなに苦労はしないんだがな」
 そう独り言を呟いて苦笑する富士原だが、もう一つ悩みの種があった。
 横須賀セイバーズは前期の優勝チームだった。たとえ、後期にも優勝したとしても、結局は前後期の二位チームのプレーオフによって出てくるチームと優勝決定戦を行わなければならない。
 早い話、横須賀セイバーズは後期は最下位でも構わないのだった。これが前後期制の欠点だったが、富士原はチームの士気が維持できるかどうか気になっていた。ここまでチームはどうにか一戦一戦を大事に戦ってこられている。富士原自身と、コーチ連の指導の賜物だったが、それでも試合に対する取り組みの意識低下は避け切れていない。先日の勝利で勝敗を5割に戻したという状況だった。こんな調子のまま優勝決定戦を行えば勝ち目は無いと思われた。
「仙台相手に本気で戦う気になっているのは、立花ぐらいかも知れないな」
 24日からの二連戦、立花はローテーションの関係で先発機会は無い。しかし立花は先発を志願していたのだ。大変に珍しいことと言えた。
 とはいえ立花は21日に完投しており、登板させる訳にはいかない。それに、立花には知らせていなかったが、富士原は今期、立花を出来れば仙台ファルコンズ戦に登板させないつもりだった。
 以前、立花は鷹霧に勝負を挑み痛い目に遭っていた。立花の性格を考えると、意地になって鷹霧と勝負しようとするに決まっていた。対処法が確立されるまで、そんな冒険はさせられない。
 今や、女子リーグの八チーム中、保有戦力で他チームを圧倒する横須賀セイバーズ。その横須賀セイバーズでさえ、いくつもの問題を抱えていた。富士原は、当たり前のこととはいえ、今の状況が好きになれなかった。

(二十七)


 8月24日、仙台宮城球場。第四節、仙台ファルコンズ対横須賀セイバーズ一回戦、試合開始三時間前。一塁側監督室。
 仙台ファルコンズは12日以来一勝一敗ペースで日程を消化しており、ここまで8勝5敗。前期の成績を考えれば立派なものだったが、早瀬は物足りないものを感じていた。
 この二週間、早瀬は監督の辛さ、苦労を嫌というほど味わっていた。それと同時に監督業の面白さも理解し始めていた。
 だが近頃、仙台ファルコンズがそこそこの成績で戦っているのは橋田前監督が地道に戦力強化を行ってきたおかげだ、という批評をしばしばされるのが気にいらなかった。要するに早瀬は、自分ならではの何かをやってみたくなっていたのだ。
「やっぱり、動かすとしたら打線だろうな」
 早瀬は資料を広げた机の向かいに座る黒島に尋ねた。
「しかし、今うまくいっている打線を下手にいじるとロクな事になりませんよ」
「私もそう思う。けどね……」
 控えめな黒島の苦言を受けて、早瀬は難しい顔付きになった。わずかにためらう様子を見せてから、口を開く。
「……清川が文句を言ってきたんだ。試合に出してくれ、って」
 清川は前期に四番を打っていたほどの選手である。それが早瀬の抜けたショートに犬飼を入れ、一塁を鷹霧に守らせている為に、元々一塁手だった清川がスタメンを外れる羽目になっていた。
「清川も、悪い選手じゃないんだけど、テクニックで犬飼に劣り、パワーで鷹霧に劣る。村崎のサードは今になって見ると動かせないし」
 早瀬の最初の案では、清川をサードに入れ、サードの村崎桐華をショートに回すつもりだった。ところが、怪我で出遅れていた犬飼が予想外に頭角を現した時点で、計画が狂ってしまっていた。村崎は打撃は相変わらず2割2分そこそこだったが、こと守備に関しては他を寄せつけない技術を持っていた。
「かといって、混戦のセカンドを引っ掻き回すのも感心しないし、外野を守らせるには肩が弱すぎるしなあ……」
 前期、セカンドは戸隠里沙子の不動のポジションだったが、戸隠は前期最終戦で怪我をし、そのせいかバッティングの調子も狂わせていた。その為、昨年一次ドラフト3位の河原夏子と激しいスタメン争いを繰り広げていた。
「さて、ど・う・し・よ・う・か・な……?」
 色々な備考が書き加えられた選手名簿をボールペンの尻でつつきながら、早瀬は一つのアイデアを思いついた。
「鷹霧って、これ見ると、すっごく足が速いんだよね。ウチには余り足を使える選手がいないから、ちょっともったいないよな……。前期最終戦ではライトもやったし、本人もやれと言われればどこでも守る、って言ってたし……」
「何が言いたいんです?」
「いや、鷹霧に外野をさせてみようかな、と思って。センターの山戸もライトの小加茂も外せないけど、レフトの吉田は今調子悪いから。レフトならそれほど強肩が求められる訳じゃない。それに、鷹霧の肩は言われている程弱くない。使えると思うんだけど」
 早瀬はそう言ってから、前期最終戦、橋田監督が鷹霧をライトに回した事を思いだし、嫌な気分になった。ひょっとしてあの時、橋田監督はそこまで考えて……。
「打順はどうするんです? 清川を使うにしても、彼女はもともとクリーンアップを打つタイプじゃないです。今までは、他にいなかったから四番を打っていただけなんですよ」
「そこまでひどいとは思わないけど。……よし。一番・鷹霧、二番・犬飼、三番・作間、五番・戸隠、六番・清川、七番・小加茂、こんなもんかな」
 鷹霧の足の速さを生かすために一番に置く。早瀬なりのオリジナリティを出した考えだった。
「ちょっとやりすぎじゃないてすか。選手が動揺します。特に一番に鷹霧を置くなんて」
「大丈夫、ちょうどいい刺激になる筈よ。向こうだって鷹霧の足の速さは知っている訳だし、相手を混乱させられるかも知れない」
 それに、と早瀬は思った。今の打順、守備配置じゃあ、橋田監督がやっていたのと大して変わらない。それじゃ、私が監督をやっている意味がない。私は、私自身のやり方でチームを勝利に導きたいんだ……。
 それがかつて多くの新人監督が陥った陥穽であることに、早瀬は気づいていなかった。

(二十八)



「ねえねえ、今日の試合、テレビ中継されるって知ってた?」
「知ってる、知ってる! それも国営放送の全国中継!  なんだか緊張しちゃうなあ」
 試合開始1時間前、仙台ファルコンズの選手達は”一ヶ所”と呼ばれるフリー打撃練習を行いながら、そんな話をしていた。そこに山本寺が凄い勢いで走ってきた。
「ねえ皆さん! ちょっと聞いてください!」
「どうしたの、そんなに慌てて。テレビ中継の事ならみんな知ってるよ?」
「は?  ……テレビなんてどうでもいいです。監督が、打線を大幅に入れ替えるそうですよ!」
「えっ?」
 山本寺の言葉に、居合わせた選手の間に緊張が走った。ついに自分の出番が来たかと喜ぶ者、逆にとうとうスタメンを外されたかと青ざめる者、彼女達は様々な反応を示した。
「鷹霧さん……」
 山戸が深刻な顔をして鷹霧のそばに寄ってきた。山戸は以前から自分が四番を打つのは身分不相応だという気がしていた。打順を下げられたに違いない。そう思って不安になったのだ。
「心配する事はないって。自信を持って大丈夫なんだから。自分は不動の四番なんだ、ってね」
 鷹霧の励ましに、山戸は少し落ち着いた様子だった。
「けど、私の人の事言えないかもね」
「まさか。それに、もし鷹霧さんの打順が動くとしたら、今私のいる四番以外に考えられないじゃないですか」
 山戸はそう言って笑った。鷹霧さんに四番を譲るなら本望ね、と。

(二十九)



 山戸を元気づけていた鷹霧も、自分が”一番・レフト”だと告げられるとさすがに顔色を変えた。
(もっと早くに言ってくれれば練習も出来たのに……)
 他の選手達も戸惑いを隠さなかった。特に、六番を打つ事になった清川はクリーンアップでない事に不満を顕わにしていた。横須賀セイバーズとの後期初対戦はそのような混乱の中で始まった。
 先発は、仙台ファルコンズ・今関貴子、横須賀セイバーズ・伊北波。伊は台湾出身の外国人選手だった。
 一回表、いきなり横須賀セイバーズの一番・松永茜の打球がレフトへと飛んだ。鷹霧はややぎこちない動作でこれをキャッチした。が、それを見守る他のナインにとっては冷や汗ものだった。結局横須賀セイバーズの攻撃は三人で終わった。
 一回裏、さっそく右打席に入った鷹霧は、守備体型が完全に鷹霧のレフト方向への当りを意識したものになっているのに気付き、悔しさと恥ずかしさで顔を赤くした。
 それでも気をとり直してバットを構える。サウスポーの伊がゆったりとしたフォームで初球を投じた。内角のストレート、の筈だったが、ナチュラルなシュート回転のかかったボールは真ん中に入ってきた。鷹霧は迷わずバットを振り抜いた。
 打球は低い弾道を描き、三遊間の上を越えた。普通の守備体型なら、レフト前にワンバウンドするヒットという当りだった。しかし横須賀セイバーズ外野陣は果敢だった。レフト・遠山千代子がセンター・正木のバックアップを信頼して強引に突っ込み、ダイビングキャッチで見事この打球を捕ったのである。
「いやあ、惜しかった。あんな極端なシフトをしてなければ、レフトもあんな無茶はしない。間違いなくヒットになってたよ」
 早瀬がそう言って鷹霧を慰めた。しかし誰もがいやな気分になったのは事実だった。
 味方のファインプレーに助けられた伊は一気に勢いづき、二番、三番を連続三振に抑え込んでこの回を終えた。
 次いで鷹霧に打順が回ってきたのたのは三回、ツーアウト、ランナー一塁という場面だった。伊の足元を鋭く抜いた鷹霧の打球は、本来ならばセンター前ヒットになる当りだったが、これも極端に左に寄っていたセカンド・松永が難無くさばいた。
 味方打線の援護を受けられない今関は、四回、先頭打者の太刀守に痛烈なホームランを食らった。その回はなんとか一失点で切り抜けたが、流れは完全に横須賀セイバーズに傾いていた。
 結局、試合はこの一点が大きくものをいい、スコア2対0で、仙台ファルコンズは伊のプロ入り初完封勝利を許した。鷹霧は前の二打席のヒット性の当りを好捕されて右に流そうと意識しすぎるあまり、後の打席も三振、ファールフライと完全に抑えられてしまった。
「プロなんですから、ビギナーズ・ラックはそう長く続くもんじゃありません。一から出直しです」
 鷹霧は報道陣にそうコメントした。しかし、鷹霧が調子を崩すせば、チーム全体に影響を及ぼす事は間違いなく、今期こそAクラス入り、と意気込んでいた関係者の誰もが顔色を失った。


 第六話に続く

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