『鋼鉄のヴァルキューレ』(改) 第六話
REDSUN IN WONDERLAND
SUPPLEMENT STORY:06
1・相対的価値
『たかちほ』CIC。
「敵に与えたる損害。スヴェルドロフ改巡洋級『アドミラル・セニャーウィン』、撃沈を確認。スラヴァ級ミサイル巡洋艦『チェルヴォナ・ウクライナ』爆沈の模様――」
当直士官の声に、角田以下が耳を傾ける。
キーロフ級原子力巡洋艦『フルンゼ』大破。コトリン改II級駆逐艦一隻、クリバック級駆逐艦二隻撃沈。カラ級巡洋艦『タシケント』大破。『セヴァストポリ』に二発命中するものの、主砲使用に影響無き模様。駆逐艦以下の大破については――。
「多いと言っていいのかな?」
報告を聞き終わった角田の言葉に、黛が首を横に振る。
「浴びせたミサイルの総数に比べれば、ひどく割の悪い戦闘でした」
第三者の視点で見ると、戦闘は次のように推移した。
ラムジェットを噴射して超音速で突っ込んだSSM−4Aが弾頭部を切り離す。SSM−4のA型は、弾頭部に六発の三角柱型の小型対艦ミサイルが装備されている。これがロケットモーターに点火して突撃を開始する。
無論、極東共和国海軍も必死の反撃を試みる。クロンシュタット級の装備するイージスシステムが、イルミネータの限界ぎりぎりまで対空ミサイルを誘導し、ぶつけていく。彼らとて、UN軍に参加して、名だたる海軍国のノウハウをどん欲に吸収し、ハードウェアを供与されている。システム化された防空システムが牙を剥く。ハープーンが食いちぎられ、ヴェルセルプが噛み殺されていく。
が、突如として数を増やしたSSM−4Aの小型ミサイルに対応しきれなくなる。
艦隊防空から個艦防空へと移る前に、クロンシュタット級二隻と、ウラジオストックが主砲を放っている。防衛ラインは艦隊から約三十キロ。
砲弾は対空用散弾ではなく、着発信管を装備した榴弾。海面へとブチ当たった途端、盛大な水柱の盾が生まれる。それが消えぬ内に次弾も着弾。切れ目のない水の壁を作っていく。先行していたハープーンの数発が水柱に突っ込んで果てる。
後続のミサイルは前方の障害物が敵艦でない事を悟り、たまらず鎌首をもたげる。だが、ラムジェット推進のSSM−4B(弾頭部が通常の炸薬タイプ)は、その高速が仇となって、まともに水柱のただ中に突き刺さって砕け散る。
海面ぎりぎりを飛んでレーダー反射を抑えていたハープーンも、高度を取ったが故にその姿が、電子の視線に晒される。
すかさず防空指揮巡洋艦『アドミラル・セニャーウィン』の指示が飛ぶ。赤外線誘導ミサイルを満載したミサイル輸送艦二隻が、かつての独ソ戦において”スターリンのオルガン”と恐れられたカチューシャロケットさながらの猛射を食らわせる。
当然、飛び去るミサイルは噴射ノズルを後方に晒しているため、しばしば味方の赤外線にロックオンしてしまうが、それでもとにかく数の力で襲いかかる対艦ミサイルに対抗し、漸減していく。
そして、個艦防衛用のバルカン砲の鉄吹雪をかき分け、ミサイルが命中していくが、その時にはかなりの数が撃ち減らされた後であった。『セヴァストポリ』には二発が命中したが、残念ながらどちらも炸薬の少ないSSM−4Aの小型ミサイルであったため、致命傷には到らなかった。駆逐艦クラスであれば一発で沈む破壊力ではあったが、クロンシュタット級の装甲には通じなかったのである。
「だが、彼らの半数は手負いになった」と、角田。
「肝心の『クロンシュタット』と『ウラジオストック』が健在であれば、目的を達したことにはなりません」
「彼らは来るかな?」
角田が独り言のように呟く。無論、部下の言葉を待ってのことだ。
「来ますナ、間違いなく」
神が断言する。こういう時の彼の表情は、名前通りの神がかった雰囲気がある。 「理由は?」
「彼らは、陸の苦境を知っとります。巡洋戦艦が生き残っとる限り、退く筈おわはん」
「そうでなくては困ります」神の言葉を聞いた黛も、欠片ほどの恐怖も迷いもみせない。「自分は艦橋に上がります」
彼らの会話をCICの一角にあるコンソールの前で聞いていた六分儀は蒼白になっていた。自分の抱いていた海軍の将来図が歪むのを感じていた。
あれだけのミサイルをぶつけ合って両者ともに決定打を与えられない。それはつまり、ミサイル攻撃が役に立たないという事を表している。かつての戦艦同様、相手が持っているからこちらも必要、という程度の意味しか持たなくなる。派手に応酬しあった対艦ミサイルの総額を想像しただけで空恐ろしくなった。
(早川一佐のいう通りなのか……? これからの海軍は、火砲を主兵装とした戦艦が幅を利かせるような先祖返りを起こすというのか?)
それは、ミサイル一筋で歩んできた自分の経歴そのものが価値を失う事も意味しているように、彼には思われた。
2・三択問題
第二ラウンドに向け、両艦隊が再び戦意を剥き出しにして接近し始める。
特五護衛隊群は、『まるやま』に替わって『たかちほ』が先陣を切る形で隊形を移行させた。他の護衛艦は、砲撃の巻き添えを食わないよう、『たかちほ』とはやや距離を置く。例外は、『ちとせ』が引き連れてきた二隻のミサイル艇で、これは、潜水艦の襲撃を警戒しての措置だった。最大で五十ノット以上ですっ飛ばすことの出来るミサイル艇に火砲を命中させるのはひと仕事だから、まず妥当な役割分担であろう。
一方の極東共和国艦隊は、三つの縦陣を組み上げていた。その三つは、ちょうど右雁行陣形で、南下を続けている。
一番東側で、突出しているのが、『クロンシュタット』『セヴァストポリ』を中心とした主力部隊。真ん中には、『イワンロゴフ』『アリゲータ』を初めとする揚陸艦部隊。西側に、『ウラジオストック』と、駆逐艦数隻、補給艦等であった。 砲あたりの破壊力では『クロンシュタット』級を超える筈の『ウラジオストック』だが、極東共和国側はこの艦をあくまでも空母として考慮していたため、後衛にまわっている。
彼らは、搭載機が全滅したことで、多少の混乱をきたしていた。運用思想を切り替えるべき――つまり、空母ではなく戦艦として使うべきか、と考えはした。
しかし状況は彼らに議論を行う時間の余裕を与えなかった。混乱を避ける、という名目の元、思惑は混乱し、結局は『ウラジオストック』を後ろに置いたまま、互いに射程内に相手を捉える形になりつつあった。
建造から半世紀を経たクロンシュタット級と、生まれ出て間もない『たかちほ』は、共に三十センチ砲九門を主兵装としており、カタログ上は、ほぼ互角と言えなくもない。砲身長は『たかちほ』の重カノン砲がかなり長いが、射程距離はむしろクロンシュタット級のほうが上である。
というのは、純粋な性能の問題ではなく、軍事上の信条にある。
『たかちほ』――日本側が、職人的気質で初弾命中を目指し、その為に実用射程距離を短く見積もるのに対し、ロシア、ソヴィエトの流れを汲む極東共和国側は、最大射程距離からぶっ放すからである。これは、基本的に陸軍の面制圧射撃の影響が強いためであろう。陸軍国の発想である。
『たかちほ』CIC。 前面のスクリーンに、予想会敵に関する視覚情報が表示されている。
角田は肩幅に両脚を開き、やや胸を反らせる姿勢でスクリーンを睨んでいる。
現在の針路と速度を維持したままである場合、特五護衛隊群は、極東共和国艦隊の鼻面に飛び出す格好になる。
「揚陸艦を追い払うだけでは充分とは言えない」
「そん通りでごわす。一隻残らず海の底に沈めるがこつば不可欠」
角田の呟きに、露ほども敗北を考慮していない神がすかさず応えた。
『たかちほ』艦橋。
「”T字戦法”。向こうは絶対にその態勢を取らせる気はないだろうな」
黛の言葉に、操舵輪を握る村上も水平線を睨みながら無言で頷き、指示を待つ。
黛は砲戦に関して並々ならぬ知識を持っているだけでなく、操艦も名手である。だが、神業と称される村上の前では正直に兜を脱ぐ。黛は、戦闘時には操艦を村上に任せることに決めていた。
当の村上はやや渋い顔だ。結局、砲で撃ち合うことになったのだから。その辺りの感慨は六分儀と似ている。彼の場合、己の操艦技量発揮の場が与えられただけマシであった。
やがて、水平線の向こうに、互いの艦橋構造物が視認できる距離にまで近づく。遠近法の描写そのままに、薄く霞んだ姿が、黛が構える双眼鏡の視野に入った。地球の曲率から言って、四十から五十キロの距離がある、という事だ。
第三新東京。ジオフロント内。中央発令所。
前面のモニターには、日本海と北陸のチャートが展開されていた。
北側と南西側から、二本のラインが伸びている。途中までは実線、シンボルマークを挟んで点線に変わっている。説明するまでもなく、それぞれの艦隊の針路を表している。点線は予想される針路だ。
シンジ、アスカ、綾波の三人は、並んでその地図を見上げていた。中央発令所に初めて足を踏み入れたのは、つい先日の対第十使徒戦の前。衛星軌道から落下してくる使徒を受け止める、などという滅茶苦茶な作戦を前にしたブリーフィングの際だ。
「リツコ達はどう動くと思う?」
誰に訊ねるでもない、といった口調のアスカ。特五護衛隊群を”リツコ達”と表現されたことを知ったら、角田達はどう思うであろうか。
「……どう、って言われても」
シンジが所在なげに応える。綾波は当然言葉を発しない。アスカもそれを期待していない。
「真っ直ぐか、右か、左か。止まったり引き返したりって事はあり得ないから、簡単な三択問題。ね、賭けない? 一週間、負けた二人が勝った人の言うことをなんでも聞く」
「ちょっち不謹慎じゃないの?」
しかめ面でそう言葉を挟んできたのは、シンジ達をこの場に連れてきた当のミサトだった。リツコとマヤが作り上げた、新世代の艦運営システム”THANATOS”の力を、シンジ達にも拝ませてやりたい。無論、自分も含めて。保護者としての親心とも、単なる好奇心ともつかぬ感情があったからなのだが、ミサトは少々後悔し始めていた。
案の定、即座にアスカが小馬鹿にした表情で反論する。
「はっ! ミサトが言っても白々しいだけよ。高みの見物決め込んでるのは、ここにいる全員なんですからね」
全員、という単語を強調しながら、アスカが右腕をぐるっと水平に回す仕草をした。オペレータ席で、”急いで待て”とばかりに、結局の所観戦を決め込んでいるマコトやシゲルが、すこしばかりばつの悪そうな顔をする。エヴァを戦闘に投入すれば、たちまち極東共和国軍など撃滅できるのに、アスカは言外にそう匂わせていた。
「そりゃ、ま、そうかも知れないけど」
ミサトも降参とばかりに肩を落とした。ゲンドウはまだ南極から帰還の途上にあり、戦闘指揮は彼女に一任されている。初号機は対十使徒戦で受けた損傷を癒している最中とはいえ、零号機と弐号機は健在である。が、ミサトはそれを戦場に送る気は全くなかった。UNとネルフでは戦う相手が違う。
現に、一度は松代で迎撃にあたるはずだった零号機の出動は、結局見合わされていた。
「判ったら、口出ししない。っと。話を戻すわよ」
アスカがシンジに向き直る。
「やっぱり、賭をするわけ? ……一度言い出したら聞かないんだから」
シンジが発した言葉の後半は声というよりは溜め息の中に沈んでいた。
「そ。三択。早いモノ勝ち、さっさと考えなさい」
アスカに促され、シンジは改めて画面上のシンボルマークを凝視した。
軍事作戦なんて、全く判らない。だけれども、使徒を相手の実戦やシミュレーションなら経験がある。そこで学んだ何かを頭の中に思い起こす。
どうするつもりだろうか、彼は思った。
直進すれば、敵(嫌な言葉だけど、この場合は間違いじゃないよな)の針路を妨害できるし、なにより――ええと、T字戦法、だったっけ? 歴史でそんなのがあったよな――の形を取れる。たぶんそうするだろう。
じゃあ、敵もそれを予想してるはず。じゃあ、どうするんだ? 敵はそのまま直進して、むざむざバルチック艦隊(で、あってたよな)と同じ過ちを犯すか? いくらなんでも。そんな莫迦はいない。どちらに動く? 左。それじゃあこっちに後ろを見せる。ダメだ。じゃあ、右だ。それならすれ違う形になる。それでいいのかな? 目的地は決まってるんだから、あんまり遠くに行っちゃうのもまずいのか。
だったらこっちはそれを読んで……? そこまで考えて、彼は思考を打ち切った。素人である自分があれこれと思い悩んでも意味がないと悟ったのだ。第一、判断を下すのは、彼ではない。
「どうすんのよ、シンジ」
アスカの言葉に険が混じる。
「ううん、よし、決めた。僕は右に行くと思う」
そうすれば、相手の目的地側にまわりこむ訳だから、おかしくはない。シンジは自分の決断が間違いでないと己に言い聞かせるような口調で言った。
「ファーストは?」
アスカの冷たい言葉が綾波に向けられる。
「……判らない」綾波の返事は例の通りだった。
「綾波は、真っ直ぐ。それで良いよね」
シンジがすかさず言葉を挟む。いくらなんでもこの状況で左はないだろう、そう思ったのだ。それでは敵の針路を妨害できずに行き過ぎてしまう。
「ふうん」
アスカは綾波に助け船を出したシンジにわずかに不快感を感じたのか、意味ありげに息をもらした。そして、何故か肩を竦め、芝居がかった口調で言葉を継ぐ。
「じゃあ、仕方ないわねえ……。アタシは左でいいわ」
しょうがない、という姿勢を崩さないが、それが本命だと言わんばかりの仕草。シンジはそんなアスカの仕草を不思議そうに眺めている。
「……メイン会場を拡大して」
不機嫌そうな声で、ミサトがマコトに声を掛けた。”メイン会場”などという不謹慎な言葉をつい使ってしまっている事に気づいているのか、どうか。
画面の一部にウインドウが開き、両者が交差すると思われる海域を中心に拡大図が映された。ミサトがぽつりと言葉を漏らす。
「高みの見物、か。まさにその通りね」
『たかちほ』艦橋。
「タイミングが重要だぞ」
黛が艦長席から腰を上げ、身を乗り出すようにして双眼鏡を構え直す。この場面でどう動くかは、艦長である彼に任されている。何しろ今回の砲撃戦は、艦隊を率いてではなく、単艦で敵艦隊に切り込まねばならないのだ。
ん? 影が動いた? 来る。
直後に見張り員が叫ぶ。
「敵単縦陣、面舵!」
よしよし。さあ、行こうか。
「取り舵、一杯!」
黛が腹に響く声を押し出す。
「とーりかーじ、いっぱーい!」
昔ながらの抑揚を付けた村上の復唱と共に、艦首が左へと向く。このフネの特徴の一つである、六枚のフィン・スタビライザーにより、船体はほとんど傾斜しない。
『たかちほ』は滑るように海面に弧を描いた。艦尾から伸びた航跡が波に揺らいでいる。
ネルフ中央発令所。
「やりぃ!」
アスカがパチンと指を鳴らした。特五護衛隊群を表すシンボルマークが北寄りに針路を変えたのだ。
「アタシの勝ち。これからアンタ達二人は、アタシの下僕よ」
勝ち誇るアスカが胸を張る。シンジが両肩を落として項垂れる。綾波は、いつもと変わらぬ表情だ。
発令所が不気味な沈黙に包まれる。
「なによ、みんなシケた面して!? さあて、二人にはナニして貰おっかなあ……」
シンジが感じた恐怖は、恐らく『たかちほ』と対峙している極東共和国海軍の将兵よりも大きかっただろう。
3・第一斉射
『たかちほ』艦橋。
時計回りで敵の後方に回り込みつつ殲滅戦を行う。真正面から殴りかかることしか知らなさそうな艦隊幕僚長にしては、慎重な作戦案だな。黛はふと、そんな言葉を思いつく。ま、緒戦で巡洋戦艦二隻を仕留めることが出来なけければ、机上の空論も良いところだ。ここはひとつ、派手に決めるしか無さそうだ。
面舵を切り、ちょうど反航する形をとった極東共和国海軍の艦隊が接近してくる。彼我の距離が四万五千にまで縮まる。すると――。
仰角をかけて天空を睨み付けていた『クロンシュタット』『セヴァストポリ』二艦の主砲が、同時に発砲した。ほとんど向き合う格好であるため、艦橋の後ろにある第三砲塔は使えない。計十二発の砲弾が、大気を軋ませて飛来する。
「敵艦、発砲!」
レーダー手の叫び。
「副長、操艦は任せる」
「了解。スタボート(取り舵)!」
急角度で旋回した『たかちほ』の右舷側に、鈍い、腹に響く音と共に空しく水柱が立つ。同時に村上は、野太い声で今度はポート(面舵)を宣言。舵の反応は極めて早い。サイドスラスターが全力で船体を左右に押している上、フィン・スタビライザーがそれぞれわずかに仰角・俯角を取り、船体を浮かし気味にして造波抵抗を減らしつつ傾きを打ち消し、高機動性を生み出していた。これもTHANATOSの数ある能力の一つに過ぎない。
『たかちほ』ウルザブルン。
次弾の着弾予想ポイントと回避方向について、スクルドが提示したチャート上に示された変針点と、村上が面舵をきったタイミング。それらは完全に一致していた。
「これで敵の照準は無効になりました。ここで直進すればかわせますよ」石本が自信に満ちた声で宣する。石本がウルザブルンで言い切ったのと、艦橋の村上が「ミジップ(舵戻せ)!」と怒鳴っていたのは、全く同時だった。
石本の言葉通り、今度は左舷側に全ての砲弾が落下する。当然、実害は無し。早川がほうと小さく声を出す。
これだけ派手に船体を振り回すと、通常はこちらの照準データも無効になって発砲できないのだが、THANATOSによって管制されている限り、瞬時にデータは算出される。最大速力で舵を目一杯切った状態でも『たかちほ』は、何の支障もなく砲撃を続行できる。
『たかちほ』艦橋。
「距離、間もなく四万です」
どうしますか、とは言わないものの、舵を操る村上の言葉には、言外にその言葉を匂わせる空気があった。黛にとっても言われるまでもないことである。
「実用射程圏内に入り次第砲撃開始。目標は敵先頭艦。おい、電算、THANATOSは大丈夫だろうな?」
ウルザブルンに通信を繋ぎ、黛が念を押す。
「問題ナシです、艦長。いつでもどうぞ」
コンソールに陣取る石本がすかさず応じた。手元のディスプレイには彼我の動きをシンボル化した画像データと、何十項目にも渡る、数値化された照準用データがが映し出されている。数値はわずかずつ、刻々と変化している。リアルタイムで常に照準を合わせ続けているのだ。
とはいえ、実際に照準を合わせる作業はCICでモニタを睨む担当士官の役割であり、直接石本が行うわけではない。ウルザブルンのオペレータは、単にTHANATOSが正常に作動しているかのチェックを行っているに過ぎない。
「いよいよだなあ」
石本の肩越しに数値を見ながら、早川が感慨深げに声を漏らす。甲板上では数値の変動に合わせ、『たかちほ』の三連装三基九門の超長砲身が、甲殻類の触覚のように蠢いている筈だ。
(そう、いよいよね)
傍らのリツコはその言葉を胸の奥で反芻した。自分の言葉に引っかかるものを感じる。これでよいのだろうか、と。
『たかちほ』の照準が、『クロンシュタット』に固定されたまま、両者の距離は着実に詰まっていく。波浪貫通型船首の概念を取り入れて鋭く造形された『たかちほ』の艦首は、波を砕くというより切り裂いて、艦体を振動させずに押し進めている。その勇姿は、天馬にうちまたがり、槍を構えて突進する告死女神そのものだ。
遂に極東共和国艦隊は、一発の命中弾も与え得ないまま『たかちほ』の射程に入ってしまった。
『たかちほ』は単艦で、巡洋戦艦二隻と、互いに側面を見せ合う角度で相手を射程に捉えた。たった一隻の反航戦。
「距離、四万!」
「テッ!」
黛が、鋭く声を飛ばす。彼は醒めていた。本来なら、極めて事務的に”射撃開始”と命じることもできた。だが、敢えて声を張り上げて見せたのだ。彼の脳裏には、水上砲撃戦を行うことなく沈み、港で朽ち果て、あるいはこの世に生まれ出る事すら叶わなかった”戦艦”の幻影が駆け抜けた。『たかちほ』は先祖の無念を背負い、彼女達の魂を現代に蘇らせて砲を放つのだ。
命令を待ちかねて、仰角を取っていた『たかちほ』が誇る九門の七十口径三十センチ砲が火を噴き、黒煙と共に必中必殺の劣化プルトニウム弾を押し出した。衝撃が艦体を鈍く震わせ、衝撃波は同心円上に、空気を揺らめかせて広がっていく。
黛は、手元のCRTモニターに表示されている着弾までのカウントダウンと、敵艦にピントをあわせた双眼鏡とを交互にちらちらと眺めた。初弾が到達する前に、第二、第三斉射が行われている。第四斉射からは照準が敵二番艦『セヴァストポリ』に向けられる。
そしてカウントダウンがゼロとなる。
「なっ!?」
瞬間、誰もが声を失った。
『たかちほ』が放った九発の砲弾。その全てが――。
遠弾となって、見当違いの海面に虚しい水柱を立てていたのだった。
第七話に続く
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