『鋼鉄のヴァルキューレ』(改) 第七話
REDSUN IN WONDERLAND
SUPPLEMENT STORY:07
1・活動状況
D−デイプラス六日。
精気のない手入れ不十分の白樺林。その中に巧みに偽装を施した伏射用掩体で、吉澤リョウタ陸曹長は細い息を吐いた。呼吸が寝息のようにゆっくりとしていることに、吉澤は心の中でだけ笑みを漏らす。
彼が所属する特殊部隊・トップチーム”刀”小隊は、かなり異色の部隊である。
組織図上からいけば陸上自衛隊第一空挺団に所属するのだが、実際はネルフの保安諜報部麾下となり、主として”チルドレン”のガードに就いている。遊撃的な性向も強く、時には作戦部、またある時には保安諜報部の指揮下に入る。
極東共和国の侵攻を受けても、エヴァを初めとした豊富な各種戦力を有するネルフは音無しの構えを貫いていた。その例外が、”刀”小隊だった。いわば彼らは人身御供にされたのだった。
三十六名からなる小隊のうち、戦場に赴いたのは、小隊長・刀根マモル三佐が直々に選抜した一個分隊十二名でしかない。いかにネルフがこの紛争に関わりたがっていないかが判る。
グルカ兵直伝のククリナイフの達人でもある刀根を筆頭とする一騎当千の強者達は、開戦早々から兵站破壊作戦を続けている。
新潟と長野の県境、一難波山を眼前に布陣した彼の視界内には、谷川を挟んだ向こう側に糸魚川から第二新東京(松本)へと抜ける国道百四十八号線が収まっている。二千メートル級の山々が連なるこの地にあって、第二新東京突入を計る極東共和国の陸上補給線はほとんどこの一本の道路に頼っていると考えて良い。
日本側は長野県白馬村の、国道百四十八号線と国道四百六号線の結節点の手前で防御陣地を構築し、それより北にはほとんど兵力を投入しなかった。
敵の足長きを待つ。補給線が伸びきったところを叩くという概念自体は正しかったが、如何せん、それを叩くべき戦力が十分とは言えなかった。
昔はここにも雪が降り、冬季五輪が開催されたこともあったのだな。そんな事を思い出しつつ、二〇一四年のアジスアベバ冬季五輪の男子バイアスロン銅メダリストの吉澤は、愛銃のH&K・PSG−1を抱えていた。やや時代がかったこの銃はずしりと重く、お値段も莫迦高いが、それは吉澤にとっては信頼に繋がりこそすれ、忌避する理由にはならなかった。
口さがない連中は、狙撃銃はボルトアクションが主流で、どうせならステアーSSG69でも使うべきだというが、吉澤はPSG−1を手放すつもりはない。
「銃の性能を決めるのはカタログデータではない。引き金を引くオレが決めるのだ」
それが彼の口癖だった。現に彼はこの五日で、佐官以上八名を含む三十三名の敵兵を狙撃し、また十五両以上の戦闘・輸送車両を撃破している。
今の彼はオリンピック憲章に則るスポーツマンではなく、人生の半分を狙撃銃のスコープを覗き込んで過ごしてきたプロのスナイパーだった。北海道倶知安でのスキーレインジャー課程をトップクラスの成績で修了した、その実力は遺憾なく発揮されている。
フォーマン・セルを基本単位とするトップチームの一個班を任されている吉澤の気がかりは、配属されて間もない部下の一人、鈴木リン二曹の心理状態だった。
休む間もなく戦い続け、疲労困憊の中から戦度胸を身につけつつはあるが、まだまだ人間的な感情を捨てきれずにいる、と吉澤は考えている。
二人一組で行動する狙撃兵の周辺監視や弾着観測を担当する鈴木は、吉澤の傍らに居た。ヘルメットと肩のラインを針葉樹の葉で入念に偽装し、PPS−12のヘッドセットを装着している。泥を塗りたくったその表情は固い。MHDを装着していない左目は、泣きはらして真っ赤に腫れている。
鈴木が吉澤のほうにわずかに顔を向けた。
「来ます。先頭はトラック」
低い声で報告する。PPS−12はレーザー波を用いて地上の振動を探知し、異動する車両や人間を補足する。以前の同種の装置であれば、音に変換されたデータを職人的勘で聞き分け、分析しなければならなかったが、今ではそれはMHDに画像データとして表される。
吉澤は息を詰めるような声を出して鈴木に答え、PSG−1の銃口を国道百四十八号線に向ける。彼の頭脳は、狙撃に必要なあらゆるパラメータが既に計算され尽くしている。
やがて、トンネルを抜けて南下してくるトラックの隊列が視界に入った。車種はバラバラで、その多くは糸魚川で強奪されたものだった。
吉澤は先頭を行くトラックの操縦席目がけて、何の躊躇いもなく引き金を引く。防弾ではない側面のガラスが砕け、運転手が頭を吹き飛ばされる。トラックは左に急ハンドルを取られて、ガードレールを突き破って崖下に転落していく。
その頃には、吉澤は二発目を放ち、トラックの二両目を擱座させていた。
トラックに同乗していた歩兵が飛び出し、カラシニコフを乱射する。吉澤はその中から階級の高そうな者、腕の立ちそうな者を狙う。
五名ばかり狙撃したところで、吉澤の潜む掩体近くに着弾があった。第二次大戦での経験故か、狙撃兵を重視するソ連の流れを汲んでいるだけに、相手も一筋縄では行かない連中だった。
「吉澤曹長……!」
「動くな、狙い撃ちされるぞ」
押し潰した声を出し、悲鳴をあげかけた鈴木を叱咤する。
と、停車したトラックの隊列のど真ん中に、連続してロシア製の迫撃砲弾が降り注ぎ、爆発を起こした。
吉澤同様に掩体に隠れる”刀”小隊の支援射撃だった。敵からの銃弾が止む。
「今のうち、か……」
吉澤は早々に後退に移る。鈴木もPPS−12を初めとする装備をまとめ、腹這いになったままじりじりとさがる。とりあえずこれでまた敵の補給は停滞する。
狙撃兵の天下にはほど遠いな、吉澤は腹の底で思う。
日本側の逆襲作戦が始まったという話だが、それがうまくいってくれなければ、俺達はこの山中で野垂れ死ぬ以外になくなる。どうなっているのだろうか。そう考えた吉澤の頭上を、爆装したF−2B改の二機編隊が駆け抜けていった。
稜線よりも低く飛ぶ二機のF−2B改。先頭を行く加藤は平然とした表情だったが、二番機を駆る”キャット”こと大西カズトラ一尉は真っ青だった。
「百十九条五項、百十九条五項……」
大西はサイドスティックを握りしめながら、呪文のようにその単語を呟いている。
自衛隊法百十九条五項。
防衛出動待機、治安出動待機の命令が出た後に自衛官が正当な理由無く七日以上職務を離れた場合、三年以下の懲役又は禁錮刑とする――。すなわち敵前逃亡に関する条項である。
そして現在、彼らはUN軍ではなく自衛隊の隊員として行動している。
大西は一般人の感覚で言うところの”逃げちゃダメだ”を連呼しながら、糸魚川の物資集積所への襲撃を計みているのだった。
真那板山なる、深読みしたくなる名を持つ山を右手に見ながら軽く右旋回をうつと、HUDに対地目標が続けざまに出現した。警告音が鳴る。
加藤はこの数日の激闘で、温厚な顔に凄みが増していた。彼は空母一撃沈を筆頭に、数々のターゲットを撃破しながらも生き残っていたが、彼の所属する飛行隊はもはや壊滅状態にあった。二機単位でのゲリラ的な襲撃しか行えなくなっている。
「行くぞ!」
そんな現状に深い悲しみと、その状況に自らを追い込んだUNに憤りつつ、加藤は迸るような掛け声を放つ。F−2B改が爆撃態勢に入った。脅威評価により、レーザー照準は輸送車の隊列に向けられた。周囲には既に対空陣地らしきものが幾つもあり、対空砲が早くも砲撃を開始している。
そんな中、二機のF−2B改はエアインテーク下に取り付けられた二枚のカナード翼を使い、連続した横滑りで相手の照準を外し続ける。
「レーザー照準、ロックオン!」加藤の後席員・藤浪カエデ二尉が疲労混じりではあるが凛とした声で報告する。加藤の戦いぶりを後席からつぶさに観察してきた彼女は、加藤に絶大な信頼を抱いている。声に迷いは無かった。
「オート・ハンド・オフ……!」
投下許可のスイッチさえ入れておけば、あとはコンピュータのほうで勝手に最適のタイミングで爆弾を投下してくれる。
車列の真上を横切った瞬間、翼下に吊られたBAT120改爆弾が二発リリースされる。制動がかかり、弾頭が真下を向いて落下。至近で対車両用の弾頭部が炸裂する。計五千二百発の金属片が狂気の暴風となって吹き荒れ、装甲を持たない輸送トラックをずたずたに切り裂く。
大西機も装甲車BMP−1に対し、対装甲車用弾頭弾を投下してこれを撃砕している。態度とは裏腹に、腕は確かな男であった。
その後も二機のF−2B改は対空砲火の中を駆け抜けつつ、無慈悲な破壊を巻き起こし続ける。
「やばいっすよ、このまま海岸まで突っ込む気ですか!?」
大西が喚く。
「確かに潮時だな……。西に抜ける」
加藤機が可変ノズルとカナードを駆使した矩形の旋回をうつ。大西機も続く。
地上は散々な有様だった。が、加藤の目は北の水平線上に向けられていた。海自の突撃艦隊が上越の橋頭堡に突入してこれを撃砕するという作戦は、加藤の耳に風聞として流れて来ていた。彼の一種独特な情報網は、”加藤情報サービス”と呼ばれ、仲間内で重宝されていた。
しっかりやってくれよ、海自さん。加藤は思った。何しろ、あそこを誰かがどうにかしてくれないことには、この戦争は終わりそうもないからな……。
「くそ」思わず呻きが漏れる。後席員の藤浪が、はっと息を呑むのをインターコムを通じて感じ取るが、言い訳する気はない。
UNの莫迦どもめが、保身に走ってあたら戦人を死なせるか。加藤は奥歯をぎりりと噛みしめた。一つの確信を抱く。本当の敵は極東共和国――UFではない。UFの跳梁を手をこまねいて見過ごしたUNこそ、日本を破滅へと導く元凶なのだ、と。
2・モラルハザード
加藤が期待を託した海上自衛隊特五護衛隊群は、思いもよらぬ事態を抱えていた。
敵艦隊の中核たる二隻の巡洋戦艦に対して砲撃護衛艦『たかちほ』が放った一撃必殺の渾身の砲弾は、その全てが遠弾となり果てていたのだった。
『たかちほ』艦橋。
「砲雷! なにをしとるか!」
艦内無線の通話機をひっつかんだ黛が怒鳴る。その間にも、第二斉射に続いて第三斉射が着弾し、これまた見当違いの位置に水柱を作っている。
「こちら砲雷、照準に間違いはありません」
戸惑い気味の砲雷長の声が返ってくる。
「レーダー、赤外線感知装置、光学照準に異常なし」
先回りして六分儀が報告を入れる。
「だとすると……。電算、どうなっとるんだ? まるであたらんじゃないか?」
「こちら電算、早川です」
本来ならば石本が応対すべきだが、『たかちほ』のコンピュータルーム”ウルザブルン”は突如として大混乱に陥っていた。指揮系統に属していない早川が状況を説明する。黛もそれを咎めるような硬直した思考の持ち主ではない。
「何が起こった? 百発百中のTHANATOSだろうが?」
「ハッキング……クラッキング? とにかく何者かがTHANATOSに侵入して、システム全体を乗っ取ろうとしております。……というのが、赤木博士の見解です」
「なに? 莫迦な。敵もこちらもバラージジャミングでレーダーも無線も潰しあっているんだ。侵入のしようがないじゃないか」
「そうですな」早川はどこか他人事のような口調で応じる。「内部の破壊工作の可能性も否定できません」
その時、混乱を助長するように、第四射が着弾した。今度は『セヴァストポリ』を夾叉する。ただし、遠弾と近弾の幅が十キロは離れているという有様だ。
「大したシステムだぞ、全く」
黛は、珍しく皮肉げに吐き捨てた。
「とりあえす、侵入の阻止と、経路の特定を急いでおります」
「THANATOS自身はどういっとるんだ?」
「三者三様。”ウルド”はTHANTOSの物理的破壊を提案、”ベルダンディー”は全ての機能における異常の存在を否定し、”スクルド”は、再プログラミングの要ありと主張しております」
「滅茶苦茶じゃないか……」
黛は頭を抱えたくなった。
勿論、頭を抱えたいのは彼だけではない。ウルザブルンの面々も同様だ。
マヤと石本は懸命にこれ以上の侵入を阻止すべくブロックを続けている。いくつかのプログラムが予備に切り替えられ、ソースコードを変更する。プログラム名の書き換えでの欺瞞も行われる。
その間に神通が進入経路の割り出しを行う。が、こちらはほとんど成果を上げていない。
三人がキーボードとマウス、あるいはタッチセンサーを駆使しているのに対し、ひとりリツコはあれこれと端末に情報を呼び出すだけで、直接動こうとはしていない。ただし、呼び出された情報から、決定的な何かをつかみ取ろうとしているのは確からしく、モニターを見る目つきには強固な意思が伺える。
「ダメですね、”ウルド”はほとんど制圧されています」
「制圧……。やはり、侵入されているんだな?」
石本の報告に、早川が念を押す。
「その点は間違いないです。おかしいですねえ……。元凶はウルドに忍び込んだ何かのウイルスのようですが……。破壊工作にしては随分と手ぬるい」
「おいおい、しっかりしてくれよ。何故特定できない?」石本の肩に手を乗せてモニタを覗き込む早川が言う。
「偽装が巧みなんです。でも、私も石本一尉の見解を支持します。ウイルスプログラムを侵入させるのであれば、一瞬で済みますから」と、神通が横合いから言葉を挟む。
「ありえない……」リツコが親指の爪を顎に当てて呟く。白々しい空気が流れた。
「どうにかなりませんかね? 言っちゃなんですが、こんな時のためにお呼びしたわけですから」
「出来る限りのことはやっています。もしかしたら日重共あたりの妨害工作かも」
皮肉げな早川に対するそっけないリツコの返事。まるで、早川が狼狽えているのを楽しんでいるかのようにも見える。
「うーん、それはいくらなんでも……」
「まさか! 自分たちの首を絞めるだけです」
神通が悲鳴そのものの声をあげる。
「そうかもしれませんが、私達は恨みを買ってますから」
リツコはJAの暴走事件の事を言っていた。怨みと言っても逆恨みには違いないだろうが、日重共がネルフに対して良い感情を持っているはずがない。
「そうですか、しかし妙な話ですな。このTHANATOSは――」
早川の言葉は途切れた。何故ならば、その時、遂に『セヴァストポリ』の放った三十センチ砲弾のうちの一発が、『たかちほ』の船体を捉えたからだった。
金属質の衝撃音が船内に響きわたる。当然それはウルザブルンで悪戦苦闘するリツコ達にも届いた。
「命中したの!?」
聴覚と言うよりは触覚で空気の振動を感じ取ったリツコが、自問するように呟く。傍らのマヤは蒼白になっている。
敵が、自分に向かって撃っている。当たり前の現実を、改めて教えられたことで、半ば思考停止に陥っている様子だった。
そんな彼女を、まだ正気を保っているリツコが叱咤する。
「まだ大丈夫よ。でも、急がないと助かるものも助からなくなるわ」
リツコは戦闘中にも関わらずマグカップに自らコーヒーを注ぎ、一息に飲んだ。コーヒーメーカーで長時間作り置きしていたせいか、酷く灼けた味がした。
『たかちほ』艦橋。
「被害報告為せ!」
足下をすくわれ、指令席の肘掛けに危うく掴まった黛が怒鳴る。こめかみに血管が浮かんでいるが、海軍士官としての毅然とした態度まで失ってはいない。
「……二番砲塔に被弾なるも、損害皆無!」
報告に、安堵と感嘆の声が広がっていく。黛も口をへの字に曲げつつ頷く。
幸運にも、砲弾は『たかちほ』の二番砲塔の天蓋に命中していた。ここは最も装甲の厚い場所の一つである。装甲に関する基礎技術の蓄積と、わずかな歪みもゆるがせにしない日本の品質管理能力の高さが、重さ八百キロの鉄塊が超音速で降り注ぐ物理エネルギーに打ち勝ったのだ。
だが、砲撃がこれで終わった訳では勿論ない。間をおかず、次々と砲弾が降り注ぐ。
既に夾叉されているにも関わらず、『たかちほ』は相手に二十発近い無駄弾を撃たせた。三十六ノットの最大速力で突っ走りながら、フィン・スタビライザーの機能をフルに発揮して船体を蛇行させていたからだ。村上の操艦は鬼気迫る巧みさだった。
それでも全部をかわしきることは出来ない。再び被弾する。
今度は衝撃音だけではなく、明らかに船内からも爆発が発生していた。
マヤが悲鳴を上げ、作業が止まる。
「落ち着きなさい! このフネの命運は、私達にかかっているのよ!」
そう叫ぶリツコも、本能的な恐怖から来る発汗作用には勝てない。全身から冷や汗が吹き出している。
ふと、早川一佐はどうなのだろうか、とリツコは状況にそぐわぬ事を考えた。彼女達の後ろで腕を組んで考え込んでいる男のことを思う。あの男を慌てさせ、怯えさせる事象はあるのだろうか。それが知りたかった。
神通が声にならない悲鳴をあげた。物理的破壊が人間の手によって為されない事に業を煮やしたか、”ウルド”が自律自爆を提訴したのだ。
「そんな莫迦な……!?」石本とマヤが言葉を揃えた
”ベルダンディー”、”スクルド”ともにこれを否決する。
「なんで自律自爆なんてぶっそうなものを……? 出来の悪い秘密組織のアジトじゃあるまいに。システム構築者の良心はどこにあるんだ」
白々しい台詞を吐いた早川が呻る。リツコはこの状況で、涼しげな顔で肩を竦めて見せた。
二発目は、艦尾にあるヘリパッドにめり込んだ。
艦尾のヘリ格納庫。そこは『たかちほ』の中で最も防御力が弱く、一種のアキレス腱と考えられていた。ヘリパッドそのものがエレベータの機能を有しているため、この部分だけは装甲化出来なかったのだ。極東共和国側にとっては幸運な一撃は、軽々とヘリパッドを突き破って格納庫内に飛び込んで有効弾となった。さらに航空機用燃料タンクを引火させつつ数層を撃ち抜いて格納庫を全壊させ、爆発的な炎上を発生させた。
不幸中の幸いは、まだ公試段階である為に搭載予定の航空機(ヘリあるいはRFV−X二機)が格納されておらず、また整備班も配置されていなかったことだ。だが、重体三名、重傷六名、軽傷十一名の人的損害がもたらされていた。
直ちにダメージ・コントロール・チームが艦尾に走り、消火ホースが艦内通路をのたくる。自動消火スプリンクラーは当然作動しているが、着弾時の衝撃で一部が破裂して機能しなくなっていた。その為に航空燃料引火による火災は、自動消火装置だけでは鎮火させられないでいた。
加えて、高速で航行しているために合成風力に煽られ、甲板上に噴き上がった火は衰える気配を見せない。かといって、速度を緩めればそれだけ被弾する確率が高くなる。
意気上がる二隻のロシア製巡洋戦艦が、ここを先途と撃ちまくる。装弾プロセスの多くを人力に頼っているとは思えぬほどの間隔で射撃を続けている。
何度目かもう判然としなくなった斉射の着弾。見越し角がやや大きく、『たかちほ』の眼前に凄まじい水柱がわき上がった。その水柱の中へ『たかちほ』が突っ込んでいく。崩れ立った海水が前部甲板に雪崩れ込み、艦首が沈んだ。それを押しのけてなおも突き進む『たかちほ』。
「……こいつはまずいな」
村上の野太い声での独り言に黛が気づいた。
「どうした?」
「舵の効きがおかしい様子です。どうやらTHANATOSの撹乱がここまで影響しているみたいで」
黛が思い切り眉を寄せる。こりゃあ、まずいな。アメリカさんが言うところのいわゆる一つの”Oh my God!”か。そこまで考えてくだらない冗談を思いつく。
「いや、この場合、”Oh my Goddess!”という訳か……」
『たかちほ』CIC。
「司令、一時後退しましょう、これでは一方的に撃たれるだけです!」
たまらず、六分儀が叫んだ。無論幕僚ではない彼には司令に進言する事は本来許されていない。彼も当然そのことは判っている。だが、このまま黙っていられる状況ではなかった。
「退く訳にはいかん」
角田が短く言い切る。傍らで神が大きく頷いていた。
「零距離で放てばあたらん筈がない。司令、突っ込みましょう!」
神が全く逆の進言をする。
「突っ込む?」
「そうです。なんなら『たかちほ』の波浪貫通艦首でもって、巡戦ば土手っ腹を切り裂いても」
幕僚の何人かが流石に鼻白んだ顔をするが、神は意に介さない。
「それは無理だな」角田のにべの無い返事に、神が顔を紅潮させる。
「何故!?」
「実は昨日、THANATOSを使ってシミュレートしてみた。どんな角度でどんな速度で突っ込んでも、艦首が突き刺さって身動きがとれなくなるだけだ」
角田が苦笑いを浮かべる。神も(どういう思考の果てかは本人にしか判らないが)、それに微笑み返す。
角田と神が馬鹿馬鹿しいやりとり――としか六分儀には思えなかった――をしている間にも、クロンシュタット級の放つ砲弾は、次々に『たかちほ』の周囲に落下している。
『まるやま』CIC。
砲撃護衛艦と巡洋戦艦との死闘を前に、他の艦艇に出来ることはさほど多くない。空撃と潜水艦を警戒しつつ、距離を保っているばかりだ。それは極東共和国艦隊も同様であった。まさかかつての水雷戦隊のように、肉薄して魚雷を放つというわけにも行かなかった。
「だが、傍観者ではいられんぞ……!」
作間はほぞを固めた。今のところ、単艦で突っ込んだ『たかちほ』からは随分と距離が開いている。『たかちほ』以外の艦は、『しきなみ』を先頭に、敵艦隊の頭を抑える針路に回り始めている。が、ここで取り舵をうって間合いを独断で詰める覚悟を決める。
無論、重大な命令違反だ。だが、指揮系統が混乱しきっている今、『たかちほ』を救うためには、その程度の独断は看過されるべきだ。作間はそう信じた。
「取り舵、一杯!」
航海長の命令一下、『まるやま』が単艦、船体を右に傾けて変針する。針路が変わりきらないところから機関出力を上げ、三十ノット以上の高速で突進を開始する。第三次ソロモン海戦における駆逐艦『綾波』の突撃を彷彿とさせる果敢な決断だった。もっとも『綾波』は逆襲を喰らって敵艦と差し違えて果てたのだが……。
「対砲レーダー、いけるか?」
激しいジャミングを喰らってはいるものの、こちらも原子力艦。NAIDA21システムのレーダー発振出力の強烈さでは負けない。万一人間が至近で浴びれば即死するほどの出力で、レーダー電波を飛ばす。さらに画像分析を加えて飛来する砲弾を捉える。
「行けます!」レーダー士官が断言する。
その直後、飛来する『クロンシュタット』の三十センチ砲弾がレーダーモニタに捉えられた。すぐさま弾道が計算され、未来位置が推定される。
「レーザー砲スタンバイ、射撃はフルオート。一発でも多く叩き落とすぞ」
『クロンシュタット』の斉発した砲弾が、弧を描いて『たかちほ』目がけて降り注ぐ。
彼我の間に滑り込む『まるやま』が、艦橋構造物を挟む位置に配した二門の12式改対空レーザー砲の砲口を煌めかせた。光弾は正確に二発の砲弾にヒットする。徹甲弾であるため、すぐに誘爆して砕け散るというわけには行かない。が、それでも先端部が高熱で歪み、あらぬ方向に針路をねじ曲げられた。
が、レーザー砲が二発目を放った直後には、もう残る五発が着弾していた。『たかちほ』の手前に林立する水柱が五本。全てかわしている。
「焼け石に水だな……」
そういいながら、作間は『たかちほ』寄りに針路を取るよう指示を出す。あまり近づくと、極東共和国側の射程に入ってしまうからだった。
RFV−X。
戦闘に荷担出来ないまま、無為に上空を旋回している姿は、帰るべき巣を見失った雛鳥のような哀れさを誘った。
「くそ、これじゃ何のために出てきたんだか……」
帆足が毒づいた。眼下では、不甲斐なさを通り越した無様な姿を晒す『たかちほ』が一方的に砲撃を浴びている。
「何が起こったんでしょうね?」
天霧は困惑するばかりだった。三次元での砲撃管制用データをレーザー通信で『たかちほ』に送っているのだが、それが活用される様子はない。なにしろ、四度ほど斉射をしたかと思った途端、全く沈黙してしまったのだ。
「なにか重大なトラブルが発生したようだな」
「では、何故後退しないんです?」
「あのフネの艦長も艦隊司令や幕僚は、突撃三羽鴉とあだ名されるような攻撃的な人達だ。そう簡単に逃げるつもりはないんだろう」
「ですが、このままでは」
「だよなあ。俺達は、どうすりゃいいんだろうな」
「そんな無責任な……」
首筋に、天霧の懇願するような視線を感じつつも、帆足にはどうすることもできなかった。
『たかちほ』ウルザブルン。
着弾。船体が震える。またも至近弾。リツコ達は知る由もなかったが、『まるやま』が撃ち漏らした五発の三十センチ主砲弾がもたらした衝撃だった。
「先輩……」
半べそをかいているマヤに、リツコは見向きもしない。ひたすらキーボードを叩き、モニタを睨んでいる。石本と神通の懸命の対抗策にも、一向にTHANATOSが回復する兆しがない。
「大体の構造は把握したわ。狡猾だわ」
リツコが呻くような声を漏らす。
「ウイルスの増殖が早すぎます。一旦、全て消去してインストールしなおすしか無いかも知れません」
眉間に皺を刻みっぱなしにしている神通が提案する。
「駄目ね。それでも時間が掛かりすぎるわ……」
言下に否定するリツコだが、代案が出るわけでもない。
「くそ、”ベルダンディー”のボケめっ!」
突如、石本が声を荒げてキーボード脇のマウスパッドに拳を叩き降ろした。神通が口の中で小さな悲鳴をあげ、懇願するような眼で石本の顔を伺う。
「石本一尉……。焦らないで下さい」
「だが、見てみろっ! このままじゃ、”ベルダンディー”が自爆に賛成票を投じかねない」
普段は柔和な視線を絶やさない石本の瞳が憤怒に燃えていた。多数決モニタには、投票保留と明朝体で表示した”ベルダンディー”のマークがある。
「これで二対一……。反対票は”スクルド”だけ」
リツコが、能面のような無表情で呟く。
「”スクルド”は比較的まともですね」
肩を怒らす石本が、何かを思いついた様子だった。
「策があるのか?」早川が詰め寄るように尋ねる。石本が大きく頷いてモニタを指し示す。
「対立モードから、独立モードに移行します。”スクルド”に全てのシステム運営を任せます」
石本はそう断じた。
三基のうち、二基がシステムダウンを起こしても戦える。あまり意味のないと思われていたTHANATOSの特性が、ここに来て真価を発揮しようとしていた。
「やれるか?」と、早川。
「切り替え自体はすぐです」
よし、と承認しかけた早川をリツコが制止する。
「ダメよ。”スクルド”だってウイルスの影響を受けている。ここで”スクルド”が自律自爆を提訴したら、阻止できなくなる」
「三美神の間のファイアウォールは完璧です」
顔を歪めただけの早川に代わり、石本が反論する。
「既にウイルスに感染している以上、無意味だわ」
「ほんの二、三分あればいいんです。その間に『たかちほ』は敵艦隊主力を殲滅出来ます!」
「やりましょう、赤木博士!」
神通が賛成に回った。
「先輩……」
掛ける言葉も思いつかないマヤが小さく呟く。リツコの決断に全てが懸かっていた。
「全ての責任は私が取りますよ」
穏やかな声の早川。リツコはその声に慈父のような暖かみを感じ、その一瞬後にはそれに嫌悪を感じて身を震わせた。
「判りました……対立モードを解除。”スクルド”をメイン、後の二基はバックアップに」
モニタ上の、三基の有機コンピュータとそれをつなぐラインを描いた多数決モニタ。ラインがカットされ、”ウルド”と”ベルダンディー”のマークが色あせる。
「頼むぞ”スクルド”。おまえの力を見せてやれ……!」
石本が囁くような声と共に、『たかちほ』の全システムが”スクルド”に一任される。
それと同時に場違いな沈黙が訪れる。
「……どうだ?」
早川の問いに、神通が声を弾ませる。
「砲撃、行けます!」
『たかちほ』CIC。
本領を発揮できなかったことで、角田は鬱屈した思いを抱いていた。それを黛に率直に伝える。
「艦長、全力射撃を許可する。システムのトラブルもある。これ以上長引かせる訳にはいかん。さっさと終わらせるぞ」
毎分十発の全力射撃は、砲身命数の少ない『たかちほ』にあっては、極力控えるべきであるとされている。無論、この非常時にはその限りではない。
「了解です。……てっ!」
黛と共に、勇躍『たかちほ』九門の超長砲身が吼えた。距離は三十二キロまで詰まっている。”スクルド”のみの砲撃管制であっても問題はなかった。『クロンシュタット』の船体に、実に八発が艦首から艦尾までまんべんなく命中した。その爆発が収まらないうちに続く斉射が着弾、今度は七発が突き刺さる。
それは、一方的に危害を加え続けていたロシア製巡洋戦艦を咎める正義の鉄槌そのものだった。
『クロンシュタット』は三度に渡って斉射を喰らい、合計二十四発の命中弾によって船体を貫かれた。沈むと言うよりは砕け散って消え去ったと表現するほうが正確に思われる、凄まじい最期を遂げたのだった。
なおも謂われ無き恥辱に怒れる『たかちほ』は、急速に戦意を失った『セヴァストポリ』にも容赦なく劣化プルトニウム弾を叩き込む。最初の命中弾で艦橋上部を綺麗に吹き飛ばされた『セヴァストポリ』に、さらに第二斉射の四発が同時に艦橋基部に命中した。灼熱化した砲弾はさらに船体内を突き抜け、船底まで達する大穴を穿った。
次の瞬間、『セヴァストポリ』船体中央部に、直視しただけで網膜が焼け焦げるかと思わせるような閃光があふれ出した。そして『セヴァストポリ』は艦首と艦尾を海上に突き出したかと思うと、V字を維持したままの格好で日本海の底へと消えていった。
二隻を屠るのに、三分とはかからなかった。圧倒的な破壊力。だがこれが、『たかちほ』の本来あるべき姿なのだ。
『たかちほ』、そして特五護衛隊群の隊員・幹部が歓声をあげる。ごく一部を除いて。
「まだだ! まだ、『ウラジオストック』が……」
例外の一人だった黛が視点を北方に向ける。僚艦の仇を討とうと戦意に燃える『ウラジオストック』が六門の砲に仰角をかけ、急速に接近していた。迎え撃つべく砲身を旋回させ、艦首を巡らせる『たかちほ』。
と、見違えるようななめらかさを保っていた砲身が、またしてもつっかえたように立ち往生する。
「どうした!?」
黛がウルザブルンに連絡を取る。と、石本の上擦った声が返ってきた。
「申し訳ありません……! ”スクルド”が、これ以上の砲撃管制を続行できません!」
第八話に続く
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