本文は「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見(一)(意見1-5を収録)」青山法学論集第38巻1号(1996年)のために書かれたものです。


─ 解 説 ─

申 恵手:青山学院大学法学部助教授



 国際人権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約[以下「社会権規約」と略称]並びに市民的及び政治的権利に関する国際規約[以下「自由権規約」と略称])は、戦後国連において、世界人権宣言とともに「国際人権章典」となすものとして準備されたという由来をもち、今日も、普遍的レベルで適用のある最も包括的な人権条約である。両規約は、1966年に採択され、76年に発効しているが、現在の締約国数はそれぞれ130カ国以上に達している 。

 ところで、この間、自由権規約については、同規約(第28条)により設置された委員会(「人権委員会」[以下「自由権規約委員会」])が一貫して国際的実施を担ってきたが、社会権規約の側では、国際的実施を担当する組織の面で大きな変更が加えられている。社会権規約の国際的実施制度は、締約国が規約の履行状況を報告するという報告制度(第16条)のみであるが、規約上、この報告を審議する機関は経済社会理事会とされ(同条2項(a))、理事会は当初、会期内作業部会を設けてその任にあたらせていた。しかしこれは、個人資格の専門家からなる自由権規約委員会と異なって政府代表で構成される機関であり、冷戦下のイデオロギー対立という政治的環境もあいまって、実施機関としての機能をほとんど果たし得なかった。そのため85年には、この作業部会への批判を受けて、新たに「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会[以下「社会権規約委員会」]の設置が決定された 。この委員会は、理事会の下部機関であって独立の条約機関ではないが、個人資格の専門家18人からなるという点で、自由権規約委員会と同様の構成をもつ。

 社会権規約委員会は87年に活動を開始したが、注目されるのは、この委員会のもとで、報告制度の運用に顕著な改善がもたらされているということである。従前の作業部会による報告の審議が、明らかに不十分な締約国の報告についても形式的な質疑を行うのみの、非常に表面的なものであったのに対して、委員会は報告の審議を規約の実効的な実施に向けての締約国政府との「建設的対話」の機会ととらえる観点から、詳細な報告作成ガイドライン の採択をはじめ、報告審議の実質化に大きな努力を払っている。報告審議を、締約国に対する糾弾ではなく締約国との「建設的対話(constructive dialogue)」の良い機会とみなすというアプローチは、自由権規約委員会が同規約上の報告制度においてすでに確立してきたものである 。社会権規約委員会はまた、各報告の審議の最後に「最終所見(concluding observations)」を述べ、さらには、締約国の報告審議全般をふまえて「一般的意見(general comments)」を採択するなど、自由権規約委員会の実行にならった多くの措置を導入してきている。

 報告制度における一般的意見(自由権規約第40条4項)の採択は、締約国の義務の内容や規約の条文の解釈について委員会の見解を締約国に示す手段として位置づけられているが、社会権規約上明文のないこの措置の導入を実現したことは、社会権規約委員会の功績の一つである。特に社会権規約の場合、「漸進的」な権利の実現に向けて措置を取る(第2条1項)という義務が自由権規約上の権利確保義務との対比であまりに図式的に説明される結果、その法的義務づけの内実がきわめて薄いものと考えられがちであった ことから、この点での委員会の見解が一般的意見で明確にされることは大きな意味をもっている。もとより一般的意見は、法的には、規約の有権的解釈たる地位を正式に認められているわけではないが、規約の国際的実施を担当する委員会が多くの報告審議に基づいてコンセンサスで採択した文書として重要である。規約の解釈・実施に関して、委員会の活動開始に先立って公表されたものとしては、いわゆる「リンブルグ原則」 があるが、委員会が自ら一般的意見を採択している現在は、これを参照することなしに規約の解釈・実施を論ずることはできないといってよい。

 以下に訳出したのは、社会権規約委員会が設立以後94年の会期までに採択した5つの一般的意見である。

最初の意見第1「締約国による報告」は、報告制度の目的を箇条書き形式で挙げ、十分な情報の提供を締約国に促したものであり、報告の準備と提出、審議という報告制度のプロセスそのものが規約の実施にとってもつ有用性を指摘している。  ここでは、報告制度の目的として7つ挙げられているが、このうち特に重要なのは、権利の漸進的実現という規約上の義務の履行状況を報告を通して評価するという観点から、それを可能にするための具体的な手法を明らかにしている箇所である。すなわち、権利の漸進的実現状況を評価するための前提となるのは、まず、権利享受の現況である(目的第2)。その際特に注意が払われるべきであるとされるのは、最も弱く不利な立場にある人々である。そして、そのような現況の認識が、焦点を定めた政策の策定の基礎となるのであって、報告は、明確なターゲットをもった政策を取り(目的第3)また実際に権利実現において進歩がみられたかどうかを評価する(目的第5)のに資するということになる。この関連で同意見は、各国の義務履行状況を評価するために、全世界的な標識ではなくそれぞれ特定の標識又は目標を設定するのが有用であろう、とし、締約国は関連権利の実現に関して「時間的な進歩」を報告するよう強く要請している。

 意見第2「国際的技術協力措置」は、規約実施のための国際的協力に関する規約第22条に関連して、国際開発協力にかかわる諸機関と社会権規約委員会との間に求められる協調関係にふれるとともに(第2−4パラグラフ)、それらの機関が人権保護の観点から遵守すべき基本原則を述べている(第5−8パラグラフ)。さらに、この関連で意見は、債務負担及び構造調整が規約上の権利実現にもたらす悪影響にふれ、そのような状況下で基本的な経済的、社会的及び文化的権利を保護することの緊要性を強調している(第9パラグラフ)。

 意見第3「締約国の義務の性格」は、規約第2条1項の義務の性格を敷衍した重要な文章であり、規約の実施にあたっての委員会の立場を理解する鍵となるものである。この中で委員会は、権利の漸進的な実現に向けて「措置を取る」ことはそれ自体条約上の法的義務であることを強調し、かかる措置は「可能な限り意図的、具体的かつターゲットをもったもの」であるべきことを要請している(第1−2パラグラフ)。これは、焦点を定めた計画的な政策の策定・実施を求めた意見第1に対応する箇所である。委員会はそのうえで、取るべき措置つまり権利の実現手段として、具体的な状況により司法的救済も含まれることに言及している(第5−6パラグラフ)。これは、社会権規約上の経済的、社会的及び文化的権利についても、具体的状況に応じた権利実現の多様なあり方の可能性を明確に肯定したものであり、これらの権利の司法判断適合性を一律に否定する傾向が強かった従来の学説 を克服しようという視点がみられる。

 さらに委員会はこの意見で、人々の最低限の生存を確保することは規約上すべての締約国の「最低限の中核的義務」であるという見解を打ち出し、それが履行できない場合には締約国の側に資源の利用について立証責任を課すという立場を取った(第10パラグラフ)。「規約の存在理由」そのものを問題としたこの箇所は、委員会が、人権保障という規約の趣旨目的に照らして、締約国の最低限の義務を導き出したものといえよう。そして、この点、最低限保障されるべき権利の内容として「不可欠な食料、不可欠な基本的健康保護、基本的な住居」のほか「最も基本的な形態の教育」をも挙げている点は特に注目される。人権という概念が「人間の固有の尊厳に由来」(規約前文第3段)し、人間が単に生物的に生存するという以上に、自らの理性を用いた自己決定を伴った人生を送る権利を等しく有しているという考え方に基づいているものとすれば、人間の意思形成を可能にする基盤として教育は不可欠の重要性をもつからである 。なお委員会は、この「最低限の中核的義務」が資源の制約により履行できない事態がありうることを認めたうえで、その場合でも、権利の実現に向けて措置を取る義務は依然存続することを強調している(第11パラグラフ)。また、この関連で、国際的な協力と援助の重要性についても注意が喚起される(第13−14パラグラフ)。

 意見第4「十分な住居に対する権利」は、規約の中でも中心的な条文である第11条のうち住居に対する権利を対象としたものである。ここでは、「十分な」 住居とは何かが検討され(第7−8パラグラフ)、この権利と他の人権との密接な関連が指摘されている(第9パラグラフ)。ここでは特に、この権利がプライバシーに対する権利などの市民的権利と深くかかわっているという指摘が重要である。そして、ここでも、資源の不足にかかわらず、目標を定めてできる限りの措置を取る義務が妥当することが確認される(第11−15パラグラフ)。また、第17パラグラフでは、住居に対する権利の侵害の場合に考えうる法的救済の形態が例示されており、委員会が意見第3で述べていた、社会権規約上の権利に対する司法的救済の可能性を敷衍した箇所として注目される。この関連で、第18パラグラフでは強制退去の違法性が述べられているが、委員会は現に報告審議の際、これまで数回にわたって、締約国の行った強制退去が規約違反にあたるという見解を示している 。

 意見第5「障害を持った人」は、障害を持った人々が置かれている構造的に不利な状況に配慮し、締約国にこれらの人々の権利実現のため積極的な措置を要請したものである(第9パラグラフ)。これは、上述の意見第1及び報告ガイドラインの随所に明確にみられるように、委員会が、実質的な平等確保のため常に「弱く不利な立場にある人々のグループ(the vulnerable and disadvantaged group)」の権利享受状況の報告を締約国に求めていることに対応するものといえるが、この意見では、締約国の取るべき措置が条文ごとに詳細に述べられているのが特徴である(第19−38パラグラフ)。

 このように、委員会の一般的意見は、規約上の締約国の義務と取るべき措置についての委員会の見解を中心に、他の国際機関への勧告的な内容のものをも含み、規約の実施に対しての委員会の積極性を示す文書となっている。そしてこのうち、意見第1で委員会が、政策の策定・実施及びその評価の第一次的義務を締約国に課し、時間的な進歩状況を示すよう求めたことは、規約の実施の法的評価方法の具体化として非常に重要な出発点であるといえる。このような具体的な評価の試みの欠如が、従来、「漸進的実施」義務が「当分何もしなくてよい義務」であるかのように理解されがちな一因であったからである。また、規約第2条1項の解釈を敷衍した意見第3は、「最低限の中核的義務」という、規約の解釈として新しい基軸を打ち出したものであり、人権保障という規約の趣旨目的に照らして基本的な社会権の充足義務を認めた見解として特に注目される。これらの意見から、総じて、社会権規約の実施を活性化して同規約に本来期待された機能をもたせ、これまで国際人権保障体制の上で支配的であった自由権偏重の風潮を是正しようという意図がうかがえよう。

 しかし、同意見が続けて、意見第2ですでに扱った国際協力の肝要性を強調しているように、規約の実効的な実施は、各締約国はもちろん広く国際社会規模での取り組みを要する事柄であり、社会権規約委員会の積極性のみに依存するのでないことは明らかである。その意味で、これらの意見が言及している事柄は、学説のレベルでの理論的な問題であるにとどまらず、そのまま規約の実施における実践的な意義をもつものばかりである。社会権規約委員会の一般的意見は、規約の誠実な実施によって、両人権規約の共通目的である統合的な人権保障を国際社会が今後どのように実現していくことができるかという大きな課題を、今日あらためて提起しているといえよう。



脚注を含む全文は、「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見(一)」青山法学論集第38巻1号(1996年)を参照して下さい。

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