<これは第2回国連人間居住会議(ハビタットII)NGOフォーラム活動報告書からイントロダクション部分を抜粋したものです>
人が人として生きるために、衣食住の「住」はとても大切です。人は「我が場所」としての空間を確保することで、そこを拠点とし、また安らぎの場とし、生活を確かなものにすることができるのです。「住」には、住むための建物はもちろん、人が人らしく暮らすための色々なことが含まれます。例えば、買物や通勤、通学に便利かといった、毎日の暮らしに関わること、病院や交番が近くにあるかといった、安全に関すること、そしてもっと大切なことは、その人が育んできた、人と人とのつながりでしよう。
「住」とは、こうした「住む環境」すべてを指すのです。
この「住む環境」は、国際連合(国連)の定める国際規約の中で、人間の基本的人権の一つとして認められています。「社会的、経済的および文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」と呼ばれるもので、次のような条文があります。
「すべての人は、自己とその家族のための、適切な食料、衣類、住居を内容とする適切な生活水準について、並びに生活条件の不断の改善について、すべての権利を有する」。つまり、人は誰でも、自分や家族のために、人間らしく生きるために必要なものを得る権利、そして生活するための色々な条件を、より良いものにする権利を持っている、ということなのです。日本はこの規約を批准していますから、日本政府には、これらの諸権利の実現のために努力する義務と責任があります。
では「適切な居住」とは何か、国連の社会権規約委員会が出した「一般的意見(資料)」を見てみましょう。
1)どんな形態の居住であっても居住に関する一定の法的な保護がされていること
2)水、暖房、衛生設備などの基本的な資源へアクセスする権利があるということ
3)負担可能なコストで居住できるということ
4)健康に影響ないような居住条件であること
5)不利な立場の人々(高齢者、障害者、災害被害者など)は一定の優先的な配慮を受ける権利があること
6)雇用、医療、学校などへのアクセスを保障するものであること
7)文化的なアイデンティティーを考慮した家であること
1995年1月の阪神淡路大震災では、約6500人が貴い命を失い、数万人が負傷し、数十万人が家を失いました。この甚大な被害の背景には、日本の貧しい住宅事情と、それをもたらした日本の住宅政策があります。
日本では「住宅は個人の自助努力で得るもの」とされ、個人の住居獲得や居住環境向上に公的援助が出ることはほとんどありません。経済的に恵まれない人々は、古く、安い賃貸住宅にしか住めず、持ち家のある人も費用のかかる家の手入れを怠りがちです。倒壊被害の多くは築何十年の古い建物に集中しました。火事の犠牲者も家の倒壊がなければ逃げられたはずです。阪神淡路大震災の犠牲者は、日本の住宅政策の犠牲者と言えるのです。
生き残った人々の生活についても、政府の方針は「自助努力」でした。住む場所を失った人々は、国際社会で一般に認められている居住の水準には程遠い、避難所や屋外での不自由な生活や、気兼ねの多い間借り生活を強いられました。仮設住宅の多くは、被災者の希望に反して、市街地から遠く離れた不便な所に建設されました。入居先は抽選で決められ、人々はばらばらにされました。やむなく県外に去った人も多くいます。大半の人は、意志に反して、自分の街を離れました。元の地域に戻れるあてはありません。「非自発的移住」です。一方で市街地では、住民の声を無視した「復興」が、行政主導で進んでいます。被災者の中には、心身共に疲れ果て、命尽きる例も少なくありません。
震災前に定住所がなかった人々に至っては、同じように地震に遭ったにも関わらず、避難所や仮設住宅に入ることさえ認められません。日本では、一度住居を失なうと他の保障も失ってしまう仕組みになっているのです。
こうしたことすべてが、一つの表現で言い表わされます。「私たちの居住の権利が侵されている」。
1996年の6月、トルコで「居住の権利」について話し合う国際会議が開かれ、日本からも多くの人々が参加しました。私たちも「神戸の声」として参加し、被災地の現状を訴え、また他国で「居住の権利」のために闘う人々と出会ってきました。その経験を皆さんと分かち合い、生活に役立てていきたいと強く願って止みません。
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