・・・ < 解 説 4 > ・・・
■ 日本政府の報告書 ■ 日本は1992年6月末日の期限から大きく遅れて、1998年6月にようやく第2回社会権に関する報告書を提出しました。ちなみに第1回報告書は、当時の制度に従って1981年、84年、86年の3回に分けて提出されています。今回の第2回報告書は、第1回報告書から1998年までのこの国、すなわち私たちの社会的権利の状況について書かれたものです。
報告書は、形式は一応ガイドラインに沿う形になっていますが、内容的にはかなり不足が目立ちます。「居住の権利」の項目を見ると、例えば、高額なローンや家賃など住居にかかる費用が庶民の生活を圧迫していることや、お年寄りや女性、在日外国人は家を借りたくても断られることが多いという状況についての記述はありません。阪神大震災については全く触れられず、急速に増えているホームレスについても「統計はない」としか書かれていません。(参考資料:第2回報告書/外務省)
政府報告書が言及していない大切な情報や統計値などを、政府筋以外、例えば国連の専門機関やNGO(非政府組織・市民団体など)から、社会権規約委員会に報告する手段があります。カウンターレポート(対抗報告書)を作り、送ることです。社会権規約委員会は、より正確な審査をするためには政府からの報告書から得られる情報だけでは不充分だということを理解していますので、カウンターレポートの作成を奨励しています。
カウンターレポートは、ガイドラインに沿って作成するという方法もあるでしょうし、形式にこだわらず特定の分野についてまとめるということも可能でしょう。いずれにしても重要なことは、情報が正確で客観的であることです。また、情報を受け取る委員たちが要旨をすぐ汲み取れるような工夫も必要でしょう。
日本の報告書の審査は2001年8月21日に行われました。審査に先立ち、日本のNGOから多くのカウンターレポートが送られ、また2000年5月、ジュネーヴでNGO対象のヒアリングが行われました。これらで得られた情報をもとに、同じ2000年5月、委員会から日本政府に対して、より具体的で詳細な情報の提供を求める「質問表(参考資料:質問と回答/外務省)」が送られ、翌2001年7月下旬に日本政府から委員会に「回答」が送られました。同じく2001年7月には社会権規約委員会の日本担当委員が来日し、各地での視察や集会などを通じて市民や当事者からの聞き取りを行いました。同委員はさらなる市民からの情報提供を奨励し、実際、これを機に出されたカウンターレポートも多かったようです。審査の1週間前には再度のNGO対象のヒアリングがジュネーヴで行われ、さらに審査翌日には、昼食をはさんでの委員会とNGOの対話のチャンスが作られました。
日本政府からは約20名の代表団が審査に臨み、日本のNGOや市民も多数、傍聴しました。審査後の日本政府主催のパーティには、委員会のメンバーだけでなく、NGOメンバーも招待を受けて参加しました。
そして、審査後8月31日に、審査結果である最終所見が採択されました。内容は女性や在日外国人に対する差別、当事者を置き去りにした震災復興、司法関係者の国際人権規約に対する認識の低さなど多岐に渡り、改善のための勧告もかなり厳しいものとなっています(解説7)。
ちなみに、第2回社会権報告書の前年(1997)に提出された第4回自由権報告書についてはすでに1998年に審査が終了し、最終所見が出されています。このときの最終所見の内容も、女性や在日外国人の地位、被拘禁者に対する処遇などに言及し、さらに、裁判官や検察、行政の人々が、国際人権規約で保障されている人権についての研修を受ける必要があると、強く勧告しています。
自由権報告書の最終所見は外務省によって和訳され、外務省のホームページで見ることができます。(参考資料:自由権最終所見/外務省)